石原隆夫
「つくる会」東京支部副支部長、1級建築士・設計事務所主宰
12月14日は、扶桑社が「つくる会」に突きつけた三条件への対応を話し合う理事会が開かれる日でした。理事会がどの様な結論を出すのか、私たちは固唾を呑む思いでいました。
「理事の皆様へ」で要請したように、「つくる会」の存亡を巡って理事達の熱い議論が為されているに違いないと思っていましたが、昨日までに集めた複数の情報によると、私たちの期待は空しかったと思い知らされました。会議は夕方6時に開かれ、7時からは忘年会が予定されていたというのです。
これ以上はないと思われる重要な会議を、たった1時間で済ませようというのは理事会の信じがたい怠慢と言うべきでしょう。その上、忘年会が予定されていたとは・・・酒など飲んで浮かれている場合か、と思わず毒づきたくもなります。これでは最初から理事達には重要会議という意識が無かったのではないかとも思えるのです。その証拠に4名もの理事が欠席し、最初に緊急を要しない報告が延々となされ、福地副会長の緊急動議という形で本題が発議されたというのです。
一般的な常識では会議の議題は事前に出席者に明示されているべきでしょう。だが、先月21日に扶桑社社長に要望書を出したとき、社長から突きつけられた三条件を巡り、先月末に開かれた執行部会では、三者協議路線は破綻したという福地副会長と会長との大激論(大喧嘩)が演じられ、流会となったと聞きます。その後、執行部会は開かれず、理事会への議題等の整理も出来ないままに14日の理事会となったそうです。そのような訳で、一理事(副会長)の緊急動議という変則的な形で重要議題が提起されたというわけです。
いずれにせよ、重要な理事会の主要議題が、緊急動議などというやり方でなされるなどは奇妙というほかありません。しかも、福地副会長の動議で時間も延長され、宴会の開始が小一時間遅れたというのも間の抜けた話です。肝心の本題については多少の討論が行われたようですが核心的な意見はなく、某理事からこれは重大な問題提起なので次回にじっくりと討議するほうが良いだろうとの発言で継続審議となったようです。
つくる会の今後を左右するであろう本理事会の経緯を固唾を呑んで見守っていた我々からすれば、なんとも気の抜けた話であり、当事者能力を欠いた理事会には猛省を促したい思いです。この大事な議論を今しないでいつ議論しようというのでしょうか。重要な決断を常に先送りした事で外部の容喙を招き、問題を大きくし深化させてきた過去の過ちを再び繰り返そうとするのでしょうか。
この経緯から見えてくるのは、扶桑社から突きつけられた三条件は、理事達はそれほど深刻な問題と受け取っていないのではないかと言うことです。それとも見たくないものを突きつけられて見ない振りをしているのか、扶桑社がそんな事を出来るわけがないと高を括っているのか、教科書の内容や理念が変わっても教科書が出せれば良いと扶桑社に魂を売り渡す覚悟をしたのか、何とも判断がつきませんが、私たちの期待を見事に裏切った事は間違いありません。
議論の途中で出た、西尾氏を執筆者リストから外したことについて西尾氏の了解を得たかどうかとの問いには、藤岡副会長からは明確な返答が無かったようです。教科書の理念を提示した創業者である西尾氏を無断で執筆者リストから外したとするならば、同じ執筆者としてはあるまじき行為と言わざるを得ません。
以前、三者協議を厳しく批判して、扶桑社との関係断絶も辞するべからずと意見具申した東京支部、東京三多摩支部に対して、小林会長は「分派闘争」だと妄言を吐いたそうですが、私たちの信頼を裏切る「分派闘争」をしているのは会長自身とそれに同調している理事達ではありませんか。
14日には、ある理事は私達の発信する文書に対し「雑音だ!何とかならないのか」と発言したそうですが、本来ならば「つくる会」と「教科書」を守る上で共闘すべき執筆者と会員の関係を、「分派活動」で破壊する当事者能力を欠いた会長と理事達には、責任を取って早急に総退陣していただくべきでしょう。
ところで継続審議となった動議の内容ですが、三者協議は扶桑社が三条件を突きつけたことで失敗に帰したのだから、「つくる会」は創立精神に則った正当路線に運動方針を変え、今後の苦難を予想してでも勇気をもって闘う新しい路線に即時に転換しよう、というものだったようです。
これは将に私たちが望む路線であります。
「つくる会」と「新しい歴史教科書」を守るためには苦難の道をも覚悟してこそ、目的が達成されるに違いありません。全国の会員の皆様が心を一つにするならば、道は拓けるものと確信します。
>石原さま
ご報告ありがとうございました。
私はご報告の中の石原さんたちが出されている文書などに対して「雑音だ!何とかならないのか」という発言があった、という個所が一番恐ろしく感じました。きっと、その人は、西尾日録も疎ましく思っておられることでしょう。
言論の自由を否定するような発言を平気でするような理事が、つくる会にいるなんて恐ろしいなぁと思います。
石原莞爾氏が戦後連合軍の証人取調べを略式法廷で受けたとき、「貴方は東条(英機)と決定的に対立したそうですね」と言われて、「東条には思想がない。私には少しだが思想がある。思想がないものと思想があるものが対立するはずはありません」といった話は有名ですが、ブログを拝読して、私はなんとなく、この話を想起しました。私自身は安易な石原莞爾好きではありませんが、この言葉は非常に面白いと思います。理念的闘争を戦争や政治の本質と考える石原にとって、東条の戦争指導は、毎日宴会をやっているようなもの、に見えたでしょう。そして東条ほど、自派閥つくりに気をもんだ人間もまたいない。そこには東条という人間の善人さ、面倒見のよさがあるのかもしれませんが、善人・面倒見のよい人間が集合指導するだけの党派は、野合の衆にしか過ぎません。東条は、戦争指導や政治を、思想的基盤の確立でなく、人間「関係」の調整と取り違えていたのだ、と石原莞爾は言いたかったのではないでしょうか。
私には西尾先生と対立している人たちの「思想」が全然見えてこない。彼らの「関係」しか見えてこないのですね。彼らに「思想」がないから、というのは言いすぎなのかもしれませんが、私は「対立」するはずがないからこそ、逆に大きく「偽対立」してしまっているのだ、というふうに思えます。理念的対立はどんどんするべきで、安易な意見統一は愚の骨頂だと私は思います。しかし対立する要因さえ見出せないのに、人間関係の対立と強引な調整が先行し、声明やら宴会ばかりがおこなわれる。知らない間に、私達は集団内の関係維持を実践行動と取り違えてしまいます。「つくる会」に批判的な某社会学者が、「つくる会」は、「関係」に魅力を感じて集う人間集団だ、みたいな批判を言っていましたが、その某社会学者の批判を許してしまうような方向には「つくる会」は断じていってほしくありません。
西尾先生なくして「つくる会」の存続はまずありえないのですから、理事の方々には、「関係」から「思想」へ、つまり「つくる会」の当初の良心に再び戻ってほしいと私は思っています。