私の感想

 石原隆夫さんの誠の志のあるご文章を三篇拝読した。御礼とともに、若干の感想を述べたい。

 「つくる会」の新しい理事諸氏は会の10年の歩みをよく知らないし、内紛の経緯もはっきりは分っていないようだ。他方、旧い理事諸氏は分っているけれど、福地惇氏を除いてみんな事なかれの態度で、自分の保身に走るかあるいは無責任に欠席しつづけているらしい。この侭いけばこの会は草刈り場になり、会員組織とそうバカにならない額の預貯金が誰かに攫われてしまうのも時間の問題だろう。

 この間、故坂本多加雄さんの献身ぶりを思い出して掲示したばかりだが、初版本が出た平成13年、みんな頑張ったあのころが「つくる会」のピークだった。誠の志を持つ人が「つくる会」の役員であるべきなのに、どうも伝えられる限りでは今の役員諸氏はありふれた日本人社会の縮図、官僚社会の悪い処ばかりを集めたような無気力な集団に見える。

 石原さんの三つの報告文を読むと、あちこちに見られる今の日本の悲しい社会現象を見ているときと同質のものを感じ、心が沈む。まことに残念で、やるせない。

  この中で次の六行が眼目だと思った。

 この経緯から見えてくるのは、扶桑社から突きつけられた三条件は、理事達はそれほど深刻な問題と受け取っていないのではないかと言うことです。それとも見たくないものを突きつけられて見ない振りをしているのか、扶桑社がそんな事を出来るわけがないと高を括っているのか、教科書の内容や理念が変わっても教科書が出せれば良いと扶桑社に魂を売り渡す覚悟をしたのか、何とも判断がつきませんが、私たちの期待を見事に裏切った事は間違いありません。

 私は以上の中で一番真実に近いのは最後のケース、「教科書の内容や理念が変わっても教科書が出せれば良いと扶桑社に魂を売り渡す覚悟をした」ケースが今の理事会と過半の会員諸氏の判断なのではないかと考えている。べつに「覚悟」なんかしていないとは思うが、「教科書が出せれば良い」「内容は他の七社よりましならばいい」くらいに漠然と考えているのではないだろうか。

 その証拠に、理事会でも評議会でも会報でも、歴史観論争ひとつ起こっていない。安倍総理の変心ぶりで従軍慰安婦強制連行否定説も、南京事件まぼろし論もあぶなくなっている。米国が正しかったとする太平洋戦争史観への疑問ひとつ検定を通らない時代がひょっとすると足早に近づいているのかもしれないのに、そういうことを互いに議論しようという空気さえ今の「つくる会」の周辺には生じていない。

 熱情を失ったも抜けの殻のような意味のない団体になりかかっている。

 扶桑社が「教科書編集権は扶桑社にあり、それには執筆者選択権も含まれる」と言っているそうだが、それなら次に出す教科書は「つくる会」の教科書とはもう言えない。

 「つくる会」は理念を持って始まった運動団体であった。その理念の下で教科書をつくる。だから内容をきめる編集権も、執筆者選択権も会にある。そして、出版社はその結果を全面的に受け入れる。そういう契約で10年以上やってきたはずだ。

 今その前提をくつがえすというのなら、「つくる会」は扶桑社から離れ、別の出版社を捜す以外に「理念」を活かす方法はまったくないことになる。

 こんなことはみんな知っているのに今にわかに知らない振りをしているのである。古参の理事で今なお会に残留している藤岡、高森両先生は百もご承知のことであろう。今どうお考えになっているのか。会員の前にご所信を披瀝なさる義務がおありではないか。

 みんなでだんまりをきめこみ――各自が自分だけいい形で残りたいと思って――その場その場をやりすごしてたゞ時間稼ぎをしているようにみえるので、石原氏に理事会は今や「当事者能力がない」と断案を下されたのである。

 妙な連想だが、私の目にも今の「つくる会」は日韓併合前の朝鮮半島のようにみえる。外国(注・外の団体)に魂を売っている人がトップにおさまって、自己管理能力をすでに失っているのである。

 「教科書編集権」と「執筆者選択権」は「つくる会」という戦後最大の保守運動にとっての生命線である。これを捨てれば自らを失うことになるのである。

 扶桑社と産経は今まで良き協力者であったが、この生命線をこれからは守らないというのなら、おさらばするしかないだろう。

 教科書を出してくれる出版社は平成8年に三社と交渉し、三番目が扶桑社=産経であった。このことを事情を知らない新しい理事諸氏におしらせしておく。二社が承諾し、一社がことわった。

 だから「つくる会」と扶桑社=産経とは無期限では決してない契約関係にあり、運命共同体ではない。お互いにフリーに考えるべき立場にある。

 歴史観において中国にもアメリカにもブレない、出版社とも対等に交渉できる見識ある会長がほしい。主体性あるしっかりした人物、日和見主義者ではない強固な意見の持主、政治屋ではなく日本の歴史に関する理想を掲げることが出来る人――そういう人材こそが指導性あるリーダーにならなければいけない。理事の中にそういう人物はいるのである。

 私は今の「つくる会」の現状にひどく失望しているが、絶望はしていない。

 今や風前の灯ともいえる現状だが、灯は消えないだろう。それを祈りつつ、年の瀬に、一年を思い出し、感想の一端を述べておく。

「私の感想」への12件のフィードバック

  1. 日韓併合前の朝鮮半島という先生の表現、物悲しいですが、正確な喩えのように私には思えます。おっしゃるように論争的な対立が全然おきていない。「つくる会」ができてからの10年という時間は果たして長いものなのか短いものなのか。哲学思想的にいえば、時間の長短は時間を空間化する私達の「数え方」によるのですが、国際的にはともかく、国内的には、私達の「数え方」を緊張させてしまうような、歴史的なものになる可能性のある政治的大事件は、ほとんどなかったといえましょう。その中で、「つくる会」の精神は、弛緩してしまったのでしょうか。
      歴史というのは確かにすべて現代の関心において読み込まれる現代史、なのでしょうが、だからといって弛緩してしまう時代において、歴史を見つめる緊張感を失っていいということではありません。私達は死んで無に帰してしまうけれども、無が無責任を形成することが論理必然とはいえない。何らかの形で、未来の世代や民族に責任を負っているはずです。その責任こそが、「つくる会」の当初の精神だったのではないかと思います。歴史とは過去の獲得である、というのは西尾先生の名言ですが、「つくる会」の時間的経緯、すなわち歴史を読み込み、当初の精神を生々しく読み込み、その精神を獲得する必要が今一度あるでしょう。そのことがそのまま、日本国の歴史の過去を獲得する行為につながるはずではないか、と私は思います。
      「つくる会」において生じた「弛緩」は時代的なものでなく、集団内の人間関係の関係性による弛緩、なのでしょうか。長く席をともにすれば思想的差異が細かいものでなくなり、それを意識すればするほど、それに対する「防御」を私達は身につけてしまいがちです。しかしそれを「防御」でなく、「和して同ぜず」の方向にもっていくことで、「つくる会」の生命力は蘇ってくるものだと私は考えています。

  2. >「教科書編集権」と「執筆者選択権」は「つくる会」という戦後最大の保守運動にとっての生命線である。これを捨てれば自らを失うことになるのである。 /扶桑社と産経は今まで良き協力者であったが、この生命線をこれからは守らないというのなら、おさらばするしかないだろう。 

    >教科書を出してくれる出版社は平成8年に三社と交渉し、三番目が扶桑社=産経であった。このことを事情を知らない新しい理事諸氏におしらせしておく。二社が承諾し、一社がことわった。 /だから「つくる会」と扶桑社=産経とは無期限では決してない契約関係にあり、運命共同体ではない。お互いにフリーに考えるべき立場にある。

    >今や風前の灯ともいえる現状だが、灯は消えないだろう。それを祈りつつ、……。

     いよいよ、この年末年始は最後の決断のときとなりそうですね。「孤立」による「しんどさ」も予想されるが、理念を明確にして組織をスッキリさせることは、真に保守運動を再生していくためには不可避のことなのではないか、と思います。

  3. 日本人は平和ボケしていると、つくる会に参加する類の人々はよく言いますが、つくる会内部も平和ボケしているように感じます。

    つくる会最大の危機は、去年からの内部紛争ではなく、今現在であり、それは「扶桑社からの攻撃」なのです。

    そのことをなぜ、理解しないのでしょうか?
    危機に関する察知能力が全く無い。
    おかしな話です。
    これこそ戦後日本人に蔓延している
    「平和ボケ」ではないでしょうか。

  4. 何のために「つくる会」に籍を置く会長であり、理事たちなのでしょう?
    「つくる会の」存在意義を理解できないわけではないでしょうに。
    「平和ボケ」の方たちは「つくる会」にいてはいけない方々ではないでしょうか?

    籍を置くこと自体に恥を感じないのでしょうか?

    ボケは年齢に関係ありません。国を思い誇りを持つ者は・・・・、日々の生活の中で激しく!注意深く!生きている人たちは、「平和ボケ」とは無縁です。
    「つくる会」の会長・理事にしがみ付いていなければ、生きてゆけない人たちが罹る病気ですね。

    今、そうです、今闘わなければ・・・・。
    永遠に「妾」という場所しかもらえないのです。

    これは「Pay 支払う」ということを分かっていない、又は分かっていても、私利私欲(名誉欲も含む)に走る小さな人間どものやらかすことです。

    6カ国協議を見ても分かるように・・・・、成功させるためには何をくれるのか? ご褒美に何をくれるのか?
    「自分が無い者」は、「自立心の無い国」は 嬲り者にされ最後は捨てられる運命なのです。日本以外の国はみな同じ穴の狢(むじな)です。

    いい大人の「つくる会の」理事たちが、「作る会の」男達がよ! こんなことも分からないのでしょうか? 「平和ボケ」の集団と軽蔑されるでしょう。

    もう一度言いたい、何のための「つくる会」なのでしょう?

  5. 『私は今の「つくる会」の現状にひどく失望しているが、絶望はしていない』
     西尾先生のこの言葉を聴いて安心しました。

     「つくる会」の再生を図るには、西尾先生の復帰しかありえません。会長が無理なら、せめて最高顧問に復帰していただいて、戦意を失って動揺し、迷っている残存会員に檄を飛ばしていただきたいのです。

  6. >匿名さま
    HN(ハンドルネーム=ネットに書き込み時のペンネームのようなもの)をお使いください。

    本名を名乗る必要はありませんが、ここでは投稿者の判別ができるようにしたいのです。よろしくお願い申し上げます。

  7. 私には戦中派の伯父がいる。大正十一年生れ、師範学校を卒業、
    小学校に赴任したが召集、ジャワ.スマトラの南方戦線で蘭、英
    と戦った「僕も二人殺した・・・」と当時の話を聞いた。
    何冊も戦中派の人達の回顧録も読ませてもらった「僕も新しい
    教科書をつくる会を応援してる」といって、軍人恩給のお金を
    会費に回してるとも言った・・・現在はすっかり耳が遠くなり
    電話もろくに、やり取り出来ないので、手紙か緊急の場合はフ
    ァックスで交信している・・・
    ある時、伯父貴は言った「僕の友人知人にも公明党や共産党の
    人間がいる。彼らに今のこの国の有様で良いかと聞くと、みん
    な良くないという・・それを聞いて、もうこの国はおしまいだ。
    僕はもう諦めた・・」僕は思わず「そんなこと言わないでくだ
    さいよ・・・」と言った。
    きょうは弟(先年に逝く)の嫁さんの、やはり戦中派の父君8
    5才の通夜だ。心から敬意と尊敬、そして感謝を込め見送りた
    い・・・彼らのように妻を家族を地域を死守する。
    人生後半、腹をくくって生きたい。
    という訳で村の公会堂に日の丸が無いというので正月元旦の
    御礼会用に国旗を一本買うことにした^^きっと、右翼ですか?
    などと申す輩もおるかも知れないが毅然と対応したい・・・・。

    西尾先生、御期待申し上げます。

  8. 古い話だけど
    2006年4月8日の週刊ダイヤモンドに「米国の年次改革要望書と日本の“構造改革”」という表題で作家の関岡英乃が副題「米国の要求に従属はやめ真に日本の国益を考えよ」というレポートが出ていました。このサイトに参加しているかたはほとんでご承知のことでしょうが。このレポートを見ると日本は過去数十年行われた改革は米国政府が毎年秋に日本政府に突きつけてくる「年次改革要望書」によってかなりの部分が説明できる。

    日本が軍事的独立がないのは自衛隊の音楽祭で「碇をあげて」は演奏するが、「軍艦マーチ」を演奏しないのを聴いてもわかるし、防衛庁が国防省でなく戦後の負の遺産継承する防衛省になったのもわかるけど、経済も米国の指示に従って日本国政府が動いているのがわかるという。経済でも日本は米国隷属なわけだ。思想はそれぞれの文化で癖があってそれをそのまま適用すればそれは空体語の書き連ねになるのは欧米やソ連の文化を基準にした多くの知識人の空論癖を見れば想像できるけど、一番とくいな経済でも米国隷属なわけなんだろうな。
    筆者は次のように書いている。
    年次改革要望書は十九九三年七月の東京サミットで行われた宮沢喜一―クリントン首脳会談で合意された日米包括経済協議を根拠として開始され、最初の要望書が取り交わされたのは村山富一氏政権時代の九四年である。橋本竜太郎政権時代の金融ビッグバンや建築基準法の大改定についても、小泉純一郎政権下の商法改定による米国ガバナスの導入や、新会社法制定に伴う米国型コーポレートガバンスの導入や、新会社法設定に伴う「外国株を使った株式交換」の解禁、郵政民営化についても、この年次改革要望書に具体的な要望事項が列挙されている。

    三角合併については皆さんご存知だろうけど参考に
    (引用開始)
    ごく一般的な吸収合併の場合には、消滅会社(吸収される会社)の株主は、それまで保有していた株式に替えて、その有する株式数に応じて、存続会社(吸収する会社)の株式の交付を受ける。すなわち会社の合併に伴って、消滅会社の株主は存続会社の株主になるのが通例である。これによれば、存続会社の株主は、元の両会社の株主が混在することになる。

    これに対し、三角合併の方法によると、消滅会社の株主には「存続会社の親会社」の株式を交付されることとなる。このため、存続会社が100パーセント子会社である場合には、合併の終了後も存続会社が100パーセント子会社である状況には変化がなく、存続会社の親会社の株主が増加するように合併を設計することができる。

    この仕組みによれば、外国会社が日本に受け皿としての100パーセント子会社を設置し、その会社と日本の既存の会社とを合併させて買収し、買収後も日本の既存会社を100パーセント子会社として保持する仕組みを可能とする。
    (引用終わり)
    三角合併を使うM&Aに対抗するのは税制の優遇措置を行わないことである。こんな記事があった。
    (引用開始)
     [東京 11日 ロイター] 日本経団連の御手洗冨士夫会長(キヤノン会長)は11日の定例会見で、外国企業による日本企業の合併・買収(M&A)を容易にする「三角合併」の解禁に関連し、特別目的会社(ペーパーカンパニー)を使って三角合併を行い、その際に交付する外国企業株式の譲渡益に繰り延べ課税を認めて合併をしやすくする措置について、「国内ではペーパーカンパニーと合併する場合は繰り延べ課税は許されていない。外国企業の場合を例外扱いするのは税の体系を壊すし、筋が通らない」と述べ、反対する考えを示した。

     来年5月に解禁予定の三角合併では、外国企業が日本に設立した全額出資子会社と日本企業が合併し、その際に外国企業の株式を日本企業の株主に交付する。この時、株主に繰り延べ課税を認めれば負担軽減となり、三角合併が進みやすくなる。経団連は、外資のM&A攻勢を懸念し、三角合併の成立要件の厳格化を働きかけるなど、ロビー活動を強化してきた。

     政府・与党も、三角合併の乱用防止のため、ペーパーカンパニーを使った合併の場合は、繰り延べ課税を認めない方向で検討してきた。ただ、塩崎恭久官房長官は同日の記者会見で「対内直接投資を増やすという哲学に合った税制改正であるべき」などと述べ、ペーパーカンパニーを使った三角合併でも繰り延べ課税を容認すべきとの考えを示した。御手洗会長の発言は、政府・与党内での足並みの乱れを受け、経団連としての考えを強調したものだ。

     御手洗会長は、国内企業がペーパーカンパニーを使って合併する場合の課税繰り延べを認めることについては、「立法措置で税の体系を変えないといけない。簡単な議論で決めるものではない」と指摘した。
    (引用終わり)
    経団連が文句をいうのはよくわかる。対内直接投資を増やすという意味は新規事業用の投資でなく米国に日本の会社をのっとらせる目的であることを塩崎恭久官房長官は否定していない。
    米国が米国の国益のために政策を執行するのは今に始まったことじゃない。正義の味方であるという勘違いがあるが、国益のために行うのは米国だけじゃない、ロシヤや英国もフランスもそうだろう。そして中国もそうだ。

    塩崎氏は仮に郵政民営化と三角合併とその他の法律の準備によって郵便銀行が米国資本にのっとられてもそれは国益にかなうという説明ができればそれをすべきだとう。おそらく安部総理にも説明責任はある。税制調査会長が個人的スキャンダルで失脚したがそれどころの問題じゃない。マスメディアは一番責任はあるのだけど、その自覚はないだろうから期待はしないが。前の郵政選挙のときに私は投票に行ったが白票を出した。自民党より民主党が国益を考える党かもしれない。

  9. >銀一さん。
    >お正月に日の丸の旗、いいですね。
    >仏国は、祭日には市バスに3色旗(国旗)がはためきます。

    国は父母兄姉弟妹叔父叔母、家族そのものです。
    家族(国)が為してきた事柄を受け止める心を無くした成金弱者国民。
    自分自身を弱者という恥ずかしい人たちの集まり。本当に日本人なのでしょうか。
    自虐史観の方々は、本当にそう思っているのならば、その思いを相手方の国へ行ってご自分の全一生をその国の為に捧げるくらいのことをやって初めて、本物となるのではないでしょうか。

    「作る会」の会長・理事たちは、何の意義があって、その役職についておられるのでしょうか?

    普通のおばさんの私にだって、「作る会」の意義は理解できます。

    「作る会は」最初で最後の国民の意志のある砦です。
    明け渡してはいけない砦です。

    西尾幹二先生の存在は、「あきらめない」心を、勇気を、私たちに与えてくれます。

  10. >いい大人の「つくる会の」理事たちが、「作る会の」男達がよ! こんなことも分からないのでしょうか? 「平和ボケ」の集団と軽蔑されるでしょう。

    本当にダメ男ばかり目に付きますね。
    小泉前首相を支えた、いわゆる「IQレベルB層」のオバサン達を軽蔑して、
    「これだから女は男を見る目がない」と、ダメ男に輪をかけた軽蔑男もいる。

    こういう軽蔑男には、次のように言ってやりたくなる。
    「女は男を見る目がない? なるほど、それでアンタも結婚できたんだね」。

  11. その女 ソルベ様^^いつも、かっこいい女性真っ当論、嬉しいッス^^
    その国旗に目覚めさせてくれたのは、その仏国です。今から30年前、
    26歳、生まれて初めて海外旅行、当時勤めていた会社で研修と称して
    8日間のパリツアーに参加した時です。ですから初めて赤いパスポート
    を観て、俺って日本人だ!と確信^^かのパリへ行ったら、秋の澄み
    渡った青い空を背景に、シャンゼリーゼの黄色いマロニエの葉の間に、
    あのトリコロールカラーの三色旗が街の至る所にひるがえっていました。
    当時は日の丸といえば軍国主義などという風潮で正月も祝日も日の丸を
    飾る家は、ほんの一握りでした^^我家では老いた母がいつも朝早く門
    柱に立ててくれます^^何故、俺の国では日の丸を飾らない??漠然と
    した疑念が湧きました。以来、数度の渡航で、アメリカ、スペインと行
    きましたが、どこの国も同じでした・・・・・・・・・・・・・・。
    その中で印象に残ったお話の一つだけ一つだけ紹介させて下さい。

    ロスの朝、ホテルの窓辺から隣の鉄骨の建設現場を観ていた時です。
    大きなクレーンが鉄骨資材を引き揚げています、そのクレーンの先端に
    あの身の丈もありそうな星条旗が付いています。クレーンが回る度に
    星条旗がかっこよくはためいています^^思わずパックスアメリカーナ
    の僕はかっこいいな思いカメラを取り出し何枚も写真を撮り始めました。
    しばらくすると何度も回ったり、風の所為で星条旗がポールに絡み付い
    てしまった・・・嗚呼、まずいことになった・・・するとクレーンは止
    まりました。ポールとは反対側の運転席から男が出てきました、地上か
    らは何十メートルでしょう?僕の部屋が確か6階ですから地上5階辺り?。
    男は、そのクレーンの先端へ伝い渡りしていくではありませんか^^
    『おお、やばいよ^^』また、シャッターを何枚も切りました。
    そして、おもむろに巻き付いた星条旗を解放してまた運転席へ戻り
    何事も無かったように作業を続けました・・・・・・・・・・・。
    (帰国後、仲間を誘って報告パーティーやって、そのスライドを映して
    見せましたが飲んで喰って騒いで、お終いでした・・・)話し終り^^

    昨日は本葬、参列者への当家の嫁さんの御礼の言葉はシベリア抑留の
    父親を称えるものでした。初七日の宴で僕は彼女に言いました。
    「きょうは天皇陛下の誕生日。親父さんの命日は一生、忘れないね^^」
    その顔は微笑んでいました・・・

    今朝、日頃久しくしている村の戦中派の長老が恐れ多くもお歳暮の
    一升瓶を届けてくれました^^僕は言いました「おじさん、いま露助の
    捕ったタラバとズワイを手配してるから届いたら喰ってね^^」

    今、私達の国には日の丸の代わりに変な三色旗が垂れ下がっています。
    その女 ソルベ様^^清々とした私達の国の平成19年(皇紀2667年)の
    お正月を紅白の日の丸と共に迎えましょう^^
    また、日は昇る!です(大爆笑^^)

    「皇紀年号一覧」
    http://homepage1.nifty.com/gyouseinet/history/nengouichiran.htm

  12. 私が所属する支部は死に体の状態で殆どの幹部が逃げてしまいました。会合に参加する残留会員もほんの僅かで発足当初と比べて見る影もありません。その残留会員でさえ、いつもどこかの保守系団体の催事に狩り出されてばかりいて、本籍地がどこなのか見失っている印象さえあります。

     月に一、二回、「つくる会」現状につき残留会員と意見交換する機会がありますが、理念と内容を重視する硬派の方が、希釈派や日和見派(日本再生機構への)よりも少数派です。

     「つくる会」最初の教科書はベストではなく、ベターだったはずです。歴史を取り戻すための第一歩の教科書だったはずです。二回目の教科書は「理念と内容」を後退させましたが、三回目は東京書籍と見分けの付かないようなものとなるのでしょうか。

     今年の8月15日、内幸町ホールにて西尾先生は「教科書は終わった。今のつくる会と日本再生機構は、いずれは一緒になり、限りなく東京書籍に近い教科書をつくるようになるだろう」と仰いました。西尾先生が教科書問題から一切手を引くなら、私にとって「つくる会」は気の抜けたビール同然で、何の魅力もない組織体になります。

     しかし、「つくる会」発足時の理念と内容が再確認され、再生する方向に行くなら、話は別になります。
     確かに今の「つくる会」は求心力を失っていて、希釈派や日和見派の方が多いかもしれませんが、西尾先生が復帰し、先生の意に叶うリーダーが現れれば、状況は一変する可能性があります。私の観る限り、残留会員の中でも、主体性があり、しっかりした定見の持ち主は、その殆どが西尾先生を尊敬しているからです。

     私は真の本丸は現行憲法の破棄もしくは全面的改正であると信じています。そして、これを文字通り実現するには、主体的歴史の復活がどうしても必要であると考えています。
     現在において、これを強烈に意識し、そのような方向に知的に良質の国民を引導できるのは、西尾先生を措いて他に存在しないと考えています。

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