江戸のダイナミズムに寄せて(二)

guestbunner2.gif渡辺 望 34歳(1972年生まれ)坦々塾会員、早稲田大学大学院法学研究科終了

 昨晩、今日、と本居宣長論など、「江戸のダイナミズム」の中盤部分を拝読いたしました。私の期待していた通りのボリュームが充分に味わえて、本当にとても感謝しています。私はせっかちな人間なので、思想論文も小説も、雑誌連載時は読まないようにしているのです。面白ければ面白いほどイライラしてしまうからですね(苦笑)。

 私自身、本居宣長はだらだらと読んだことが何回かあるのですけれど、西尾先生が宣長論で最初に触れられている、本居宣長の兼好法師嫌いについて、ほとんど意識せずに宣長を読みすすんでしまっていた自分に気づかされました。この点に関してまず、私達に実にいろんな自省が可能だと思われました。私達は日常、兼好法師的な修辞学で、「日本」を語っていると錯誤している面が多い、ということにもっと自覚的であるべきなのでしょう。

 私達の少なからずが、松竹系の映画を観て「人情」を日本的人情といい、花の美しさや季節の食事の美味しさを語るときの「風情」を日本的風情といいます。しかしそれらを語るとき、「日本的」はすでに一種の固定的観念に化しています。固定的観念というものは、固定されていた枠が崩れれば、いずれは退化してしまうものです。裏返せば、「人情」や「風情」を復活させることが、「日本」なるものへの復活だという錯誤になりかねないといえましょう。もっと奥深い、言葉になりえないものに、「日本」的なるものは潜んでいると考えなければならない。宣長は兼好法師の修辞学が通俗的日本論に転落しかねないことを指摘していたのですが、ここらあたりも、現在的関心から読み込んでいける宣長の普遍性の出発点があるわけですね。
   
 宣長が、「常識」論にせよ「自然」論にせよ、呆れるくらいに一貫しているのは、西尾先生の言葉を借りれば、「何かがあるが、何であるかはわからない」ものを絶えず意識対象にしていた、ということなのでしょう。だから、兼好法師批判と、「猿と争う阿呆もいる」という漢意批判には、観念化する思想や思念に対しての拒絶という意味において、しっかりとした結びつきの地脈が存在しているのだ、といえるでしょう。ですから、宣長が「皇国イデオロギー」という形式的思想を受容したなどとはとても考えられないのは当然であるというべきなのですね。「文学」という言葉がそれを発するときに一個の概念に化してしまうことに生涯嫌悪を向け続け、「行為」の意味に激しくこだわった小林秀雄が、まさに反解釈的な解釈という宣長的修辞学を通じて、宣長を晩年に多く語ったことが、西尾先生の宣長論を通じて、改めて実によく認識できたような気がします。

 小林秀雄の宣長論と西尾先生の宣長論の相違は、前者が読者に対して反良心的に書かれ、後者が良心的に書かれている、ということだと思います(笑)。宣長の神話への「反解釈」ということは西尾先生がおっしゃるように、ニーチェのアナクシマンドロスたちギリシア哲学の空想的哲学者への自然理解に共通するものがあるのは確かですが、ハイデガーもまたこの空想的哲学者の一群の修辞に「存在」探求の在り方を見出していますし、あるいはキルケゴールも宗教学者を「哲学銀行の出納係」といっていたことなどを思い出しました。ハイデガーにせよキルケゴールにせよ、「近代」の硬直性に大変敏感であった思想家であったわけで、宣長は、これらの近代懐疑論者の一群に加わる世界的思想家といっていいのでしょう。
   
 ですから、常識的なインターナショナリストであり、実は私達が通俗に使う「近代」という意味での「近代人」であった上田秋成との論争は大変興味深いと同時に、よってたつ土壌が全く違っている、と考えなければならないわけですね。そこで、私達がどういう在り方を宣長あるいは宣長周囲に起きた論争から学ばなければならないのか、という問題が大きく生じてきます。私達は保守革新を問わず、とりわけ論争的な場で、秋成のようなロジックに親しまなければならないことはどうしても避けられないのではないか、と思うのです。

 たとえば中国や韓国が非常識的な政治主張をしてくるとき、私達が「近代」の「常識」で応酬しなければならないときはたくさんあったし、これからもある、と思います。しかしこの場合の「近代」も「常識」も、宣長の精神とはほとんど無縁と考えなければならないでしょう。使いわければいいというほど単純な話はないし、あるいは戦後の小林秀雄のように、いろんな意味での「放棄」を巧みに行って引きこもりに転じた生き方が大きく正しいとも、どうも思えません。実はここに、ナショナリズムの修辞学の展開の一番の難しさが、明晰に描かれているのではないでしょうか。答えは決して近くにはないのですね。近くにあると思いすぎてしまうことに、ここしばらくの保守派陣営のいろんな混乱の源があったともいえます。西尾先生の宣長論の読後のボリューム感には、この点がしっかりと存在しているように思えて、それが他の日本論・ナショナリズム論にはないすばらしい幅になっているように私には思えました。

つづく

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です