江戸のダイナミズムに寄せて(三)

guestbunner2.gif渡辺 望 34歳(1972年生まれ)坦々塾会員、早稲田大学大学院法学研究科終了

 宣長論の後の後半部分、更に読み進んで、昨晩までに、最終章まで読み終えることができました。長編の思想書や文学書を交響曲的な音楽になぞらえる評がよくあり、クラシック音楽好きの私からしてみると、言葉と音楽というものは全然違うものなのだから、そういう類の評というのは通俗的だなあと思ってきたのですが、そんな私が、今度の先生の著作は、実に交響曲的な読後感を感じることができました。交響曲というのは、鮮やかな序曲の印象、そして正しくクライマックスに向かい展開しているようにみえながら、途中で、序曲の印象がいったん何処かに隠れたりして、この曲はいったいどこに向かって進むのだろう、というハラハラ感を感じさせながら、最終章で、見事に、途中抱いていた色んな感情を、清涼感としかいいようのないものに結んでいくのですね。
  
 たとえば、伊藤仁斎の、儒教へのヨーロッパ有神論的解釈の存在の意義を説かれるあたり、序章から宣長論までの展開があまりにも鮮やかだったため、理解はできても、「この曲(本)はいったい何処に向かい進むのだろう」という印象を抱かれた方は少なくないと思います。いったい、伊藤仁斎あるいは、ヨーロッパの有神論的な儒教・孔子解釈を登場させる必要がここであるのだろうか、という印象ですね。しかし、それは、最終章の認識の味わいのための巧みな前段階というふうに思われる。交響曲というのもそういうもので、一見するとあまり意味のないような中途の何処そこのメロディが、最終章の感動と密接になっている場合が少なくないのです。ヨーロッパの有神論的な孔子・儒教解釈というのは、最終章での「ヨーロッパの不安」という主題に、裏道から結実していくものなのですね。
  
  西尾先生の著作によってはじめて知ったフェヌロンの安直なソクラテスと孔子の創作対話、あるいは意外に有名なヘーゲルの杜撰な孔子批判、そういうものを私達はヨーロッパ中華思想、として片付けてしまいがちで、結論的にいえば確かにそれはそうなのですが、中国の中華思想が実に複雑なプロセスを経て成立したのと同様、ヨーロッパ人の中華思想も、ただ単に成立したのではないのです。大体、孔子を有神論的に解釈する必要など、ヨーロッパ人が正真正銘に傲慢だったら、行う必要はないものです。

 私はずっと以前の西尾先生の著作で、先生に執拗に、日本人の近代の成功を、五輪書その他を、ヨーロッパ的解釈によって、強引に説明しようとするドイツ人のエピソードを思い出しました。日本人からすれば喜劇的にさえ思えるような、異世界の成功や栄華を自分流に理解しようとする彼らの一貫した精神背景には、自分達は原典というものから切り離されているものだ、というヨーロッパ人の不安感があるのですね。たとえばドイツ人に典型的な、原理を異常に重視する思考法も、原理と現実の間が引き離されているという「不安感」があるからこそ固執するわけで、日本人のように、現実世界に原理が内在すると考える民族には、カントの定言命法のような道徳的形式論は実際的にはほとんど理解できない、ということになるのでしょう。
   
 不安感というものは乖離感でもあり、たとえば私達は、こういうヨーロッパ人の不安感を、存在と実存の乖離など、哲学史論に置き換えて考えたりします。しかし先生のこの著作は、そうした従来の知的戦略をあえてとらず、「文献学解釈」というものの存在を通じて、いわば巧みに裏道から描き出そうとされたわけなのですね。哲学書も文献の一部ですから、ある意味、文献学の方が哲学よりも深いというふうに、論理が裏返ることがありえます。たとえば私はこの著作を読むまで、エラスムスの聖書原典への情熱を、文献学的な偏執の一種で、単に謎めいているものだ、としか考えていませんでした。しかしあの謎めいた情熱こそに、ヨーロッパ人の中華思想的排他主義の根源を説明しうるものがあった、ということがほとんど衝撃的なくらいにわかりました。考えようによっては、「文献学解釈」は最も根源的なのです。

 そして、最終章のこのエラスムスのことを読んでいるときに、伊藤仁斎のところで触れられたヨーロッパの有神論的な孔子・儒教解釈ということの意味も、私には、より理解できるようになります。仁斎の章ではヨーロッパ人の「不安」が読者にはまだ明確でなかったので、煙に巻かれたような気がしてしまったのですけれど、「不安」という解釈をはさんで考えると、このヨーロッパの有神論的解釈の詳述が、ボディブロウのように、ジワジワ意味をもってきます。そして更に掘り下げると、そうした有神論的孔子像にクロスした伊藤仁斎という思想家の存在も、不思議なくらいに存在感が大きくなってきます。なぜかといえば日本人には「不安」がないにもかかわらず、仁斎のような人物が現れたからですね。

 仁斎は宣長に比べれば、思想家としての偉大感は少ないような気がしますが、しかしヨーロッパのような精神的背景がないのに、仁斎のような人物が現れたこと自体が、私達に、江戸時代のおそろしいくらいの幅を示してくれます。いろんな意味で、最終章まで読み進んで、後で以前の章を読み返す、ということが多かったのですけれど、読書というのは繰り返しすることができるので、歴史よりずっと音楽に近く、やはり書を交響曲にたとえるのは、決して俗的なことでないな、とも段々思えてきました(笑)。これも先生の著述の巧みさによるものでしょう。

 最終章の展開で、最終章の結論ともいうべき点、中国の文献学は自己否定を内包していないがゆえに「自足」しており、原典の不安定さを有している「不安」なヨーロッパはニーチェのような文献学破壊の徒を持つことができたのだ、という点は、ニーチェの実際の激しい生き方を熟知していらっしゃる先生が言われることを思うと、感動的ですらあります。「破壊」が決して安易にできる行為でなく、ニーチェは全身が粉々になるよな精神行為を通じて、その破壊を実践しえたことを、西尾先生はよくご存知だからですね。

 しかし、交響曲を聴き終えた私達に、何も課題がない、とはいえないとも思います。ニーチェと同等に評価しうる宣長のような人物を生み出した私達、日本人の精神原理には「不安」も「自足」も明確にあるわけではないのです。もちろん宣長的にいえば、「何か」と実体的概念を求めた瞬間に、すでに私達は日本人の精神原理の考察のダイナミズムから離れてしまいます。しかし何か得体のしれないものがあるからこそ、私達は江戸時代の驚くべき幅をもったたくさんの先哲を持ちえたのでしょう。日本人の不思議さを解くことができるのは日本人だけで、考えることはむしろこの著作を読んで後に始まるのだ、ということを、先生の見事な作曲を聴き終えて、私は強く思うことができました。

つづく

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