江戸のダイナミズムに寄せて(四)

guestbunner2.gif渡辺 望 34歳(1972年生まれ)坦々塾会員、早稲田大学大学院法学研究科終了

 4月4日の「江戸のダイナミズム」出版記念会のこの日、私は生まれてはじめて西尾先生とお会いしました。私は当日まで、お誘いを心底嬉しく思う反面、ハラハラする気持ちがないわけではありませんでした。私は普段ほとんどテレビは観ない人間で(DVDやビデオは呆れるほど観ます)、西尾先生の本はほとんど読みながら、私の中の西尾先生の「肖像画」はメディア的には十数年前、外国人労働者問題で討論番組をした番組でストップしたままになっていました。先生の最近の姿を撮影した著作もなかったわけではありませんが、なぜか、そういうある意味貴重な本は入手し落としています。
 
 私のハラハラは、西尾先生の容姿が、成熟とはいえない時間の流れを刻んでいたらどうしよう、ということでした。言い換えれば、あるべき成熟の時間軸からずれるように老いていたら・・・という危惧です。先生の最近の著作を読む限りでは、そんな心配は微塵も感じられない。思想家としての成熟を恐ろしいくらいに驀進している先生の姿が想像できます。創作家の「肖像画」というのは絵画にせよ写真にせよ実に面白いもので、たとえばトルストイは若い創作家時代も年配になった創作家時代も感動的な最後の家出間近の最晩年も、そのどの肖像画も、あるべき一人のトルストイである、という一見すると矛盾したような当たり前のような言い方ができると思います。

 つまり、生涯現役の創作家である人間は、まるで必然的であるかのような時間軸の歩みをすすめていて、それが正直に現れているのですね。歳を重ねることと老いることは全然別のことなのだ、とも言えるでしょうか。作品の成熟がそれを「肖像画」へと、忠実に反映しているのです。対照的に晩年、醜い「肖像画」に転じたのが永井荷風で、あの洒脱な荷風文学は晩年になるにつれて、年齢以外の何の理由もなく溶解し、彼の人生的時間は時間軸からみるみるずれ、そして荷風の肖像画も、虚ろな写真としてのみ残っています。壮年期までの荷風と晩年の荷風はあるべきでない一人の荷風である・・・西尾先生は、作品を読む限り、荷風のような老いを経験しているはずはない。

 しかし実際を観るまでは・・・それが私のハラハラでした。西尾先生のファンであるからこそ、そのハラハラは心底のものだった、ともいえるでしょう。

 心配はもちろん、全くの杞憂でした。十数年前のメディアで観た頃のままの、早口で、物事の本質をスピーディーとらえ続ける西尾先生の姿がありました。当日の先生もまた、若い頃の先生と同じく「西尾幹二」の肖像として後世にはっきりと残る先生の姿だったわけですね。やはり著作内容通りの成熟の時間を歩んでいる先生の「肖像画」が私に、幾つも刻まれていきました。
私が特に驚いたのは、パーティーの後の打ち上げで、私の眼前で、とある有名保守系オピニオン誌の編集長を相手に、一糸乱れぬロジックで「オピニオン誌から政治家の文章を追放せよ」とある種激しい感情をこめて主張されたことです。

 衰えるどころか、逆にますます盛んなエネルギーを発している先生を感じて、私は驚きを感動に変えていきました。かつてドイツの各地公演で、傲岸不遜なドイツ人を前に、感情的に喋り、つい大きな声で「目をさましてください!」といったという先生のエピソードを思い出しました。少し後、先生の話題が別にそれたとき、その保守系オピニオン誌の編集長に私は小声で「やはり西尾先生は二百歳まで生きますね」といったとき、私より一回り大きい年齢の彼は、満面の笑みを浮かべて肯いていて、そのことが思い出深い一晩のいろんな記憶の中で、最も大きい印象をもって私に残っています。

つづく

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