江戸のダイナミズムに寄せて(五)

guestbunner2.gif渡辺 望 34歳(1972年生まれ)坦々塾会員、早稲田大学大学院法学研究科終了

  当日、佐藤雅美先生の話を聞いていて、ながらく西尾先生に関して私が思っていたある問いが、佐藤先生なりに卒直に語られていることをとても面白く思いました。私の問いというのは、「西尾先生は作家・小説家を目指そうとされたことは果たしてあるのだろうか」ということです。
 
 それは偉大な著述家に対しての冷やかし的な関心ということでは全くありません。佐藤先生が言われるように、西尾先生の表現の各所は、文学的にもたいへん巧妙です。小説的世界の人間関係の配置の妙が、概念関係の配置の妙へとそのまま平行移動しているかのような巧みなストーリーテラーの世界が、私にとって西尾先生の著述の魅力の第一に他なりません。このストーリーテラーの世界の始まりは、いったいどこで形成されたのだろう、という関心ですね。
 
 私は大学生の頃、神田の古本屋街で文学書を読み漁り・買い漁りしていた時期があって、西尾先生が1970年代に書かれた「新潮」の二葉亭四迷論や「国文学」の小川国夫論を読んで、(その頃はまだおぼえたてだった)西尾幹二という人は何て頭のいい文芸評論家なんだろう、と驚嘆したことをおぼえています。論理的な精緻だけでなく、文学にとって最も大切な情感や愛情という、文学の大地にしっかり足がついていて、驚嘆した同時に、これほど文学を精緻に見通せる人間が、文学の実践活動、端的にいえば小説・戯曲を書こうとされたことはなかったのだろうか、ということを感じて、ずっと頭の片隅にしまっていた問いのまま十数年がすぎ、それが佐藤先生のスピーチを聞いて、不意に蘇るのを感じました。
  
 二次会、三次会と、先生が小説あるいは戯曲を書かれる人間になっていたらどんな作品を書いていたのだろう、と思いながら、つい酔いがまわり、もっと刺激的な話題に満ちて、「先生が作家になっていたら・・・」という問いを西尾先生本人にとうとう聞きそびれてしまい、すばらしいことだらけの一日で、その点だけが、ちょっと残念でした。

つづく

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