渡辺 望 34歳(1972年生まれ)坦々塾会員、早稲田大学大学院法学研究科終了
深田祐介さんの「大東亜会議の真実」という本を私は読んで以前、深い感銘を受けたことがあります。1943年冬の東京で開催されたこの会議は、戦後左派が言うようなアジア各国の売国奴の集結であったわけではない。反面、盲目的な親日派の集会であった、ということでもないのです。
どの出席者も、正真正銘、日本の国力と国民文化に、深い敬意を抱いている。しかし戦局が不利になった日本の行く末も認識している。そしてこれまたどの出席者も、自分の国(民族)の独立運動に日本がどこまで利用できるかという判断も怠っていない。チャンドラ・ボースという人物は疑いようもなく偉大な人物ですが、彼の足跡を追えば、日本に依存する前はドイツを頼り、日本降伏直後、ソビエトを頼ろうとして事故死したわけです。「敵の敵は味方」ということがボースの論理だったといえば容易いですが、ボースはたとえば、東条首相からのインド国民軍への軍事援助の申し出に対して、それを「援助」でなく「貸与」にして欲しいと粘りました。
日本側とすればボースの拘りの意味がわからない。日本人にとって善意は善意に過ぎないからです。しかしボースの拘りの意味は、二次大戦終了後、イギリスの裁判のとき、インド国民軍の無罪ということに貢献するのです。無罪ということだけでなく、日本の協力を、日本と対等の立場で得た、ということを証しした、ということでもある、ということなのです。ここにボースの深謀遠慮があるというべきでしょう。
ボースをはじめ、バー・モーやラウレルなど、みな同じくとてもしたたかな人間です。しかし「したたか」と「ずるい」は全く異なります。ボースの日本への賞賛は本当の気持ちだったし、バー・モーは日本軍の純粋な精神に何度も号泣し、ラウレルは敗戦直前の日本に来てまで日本という国に期待を賭けていました。つまり、「親日」は「追随」ということでは決してなく、矛盾した言い方になってしまいますが、「日本」と「親日」いうことは別個独立した一つの立場だと考えなければいけないことを、彼らの「日本」とのかかわりのドラマは示しているのではないでしょうか。戦前戦後を通じてずっと、日本人の大半は実は「親日」ということの本当の意味を理解できていないのではないか、と私は考えます。
西尾先生がいろんなところで指摘されてきたことで、実は「江戸のダイナミズム」の最大のテーマの一つでもあるのですが、私達は西欧や中華世界に憧れることはできても「なりきる」ことはできないのですね。このことを裏返せば、いくら日本に正しく親しい弁護者でも、その人は「日本人」ではありません。当たり前のことかもしれませんが、そこらあたりのことをゴタマゼにして、アジア全域を日本共同体にしようとしたことろに、大東亜共栄圏というお人よしの情念的思想があったように思います。しかし、「日本人」と「親日」が無縁というかというと、そうではありません。やはり、「親日」を節度をもって育てるということも、日本人として、とても大切な任務だ、ということもいえるのです。それは戦略的思考の一つですらある、と思います。
アメリカやドイツは、実に巧妙に「親」派を育てる。もちろんアメリカやドイツほど巧妙であるのはなんとなく違和感がありますが、私達が「親」派を育てる必要性ということを、「大東亜会議の真実」の読後感の一つとして、強く感じました。そしてこの読後感は、自分が日本という国家意識を実践形成していく上で、実に不可欠なことではないか、と日増しに強く思いはじめています。
黄文雄さんも石平さんも呉善花さんも、皆さんでなければできないようなたいへん優れた思想展開をもち、これからの日本にとってなくてはならない方だと私は思います。知識的にも見識的にも、どれだけ私の読書に貢献してくださったかわかりません。ただ皆さん、著作の写真で観たときよりも少し齢をとられたかな(笑)。私達にとって大切なことは、大東亜会議で不完全に終わらせてしまった、「親日」の節度ある育成ということを、これらの方々との付き合いで実現していくこと、そのことで、「日本」と別な意味空間に、「日本」でない「親日」という場を形成することだといえるのではないか、と当日の親日派知識人の皆さんの話を伺いながら思いました。