江戸のダイナミズムに寄せて(十)

guestbunner2.gif渡辺 望 34歳(1972年生まれ)坦々塾会員、早稲田大学大学院法学研究科終了
 
 私が平川先生を拝見するのは実は初めてだったのですが、こんなことを言うと恐縮かもしれないのですが、いろんな人から伝え聞いていた「平川節」というものをそのまま感じさせるような、とても個性的なスピーチで、当日スピーチされた諸先生の中では、そのまま著作の一部になっても全然おかしくないような、一番濃い内容のスピーチだと思いました。  

 「平川節」というのは、たとえば、平川先生がこのスピーチであげられている、マードックと漱石に関する平川先生の「新潮」での論文についての西尾先生の批評の文章の中で、西尾先生の「勉強家の平川氏」という言葉に集約される学者・思想家としてのスタイル、といっていいでしょう。思いもかけない資料や文献の発見を展開しながら、野太い一つのロジックが大河のようにびっしりと隙なく悠然と流れていく。  

 平川先生の世界というのは「この人は、或る主題をきちんと据えて、徹底的に時間を使ったんだなあ」としみじみ感じさせる、重く規則正しく流れていく「勉強家」の世界です。「音楽的」でなく「大河的」なのですね。しかし「勉強家」の平川先生が実はなかなかユーモアの才能もある方だなあとも思いました。スピーチの最後の方の「丸山真男の弟子筋云々」というくだりは、丸山さんの江戸思想史の杜撰な儒教理解を西尾君(西尾先生)は遥かに超えているね、という褒め言葉のユーモラスな言い換えで、私はおかしくて、その後、飲みながら、何度も思い出し笑いばかりしていました。本当の「勉強家」というのはユーモアという余裕も体得しているんだなあと思いました。  

 平川先生のあげられている西尾先生の、平川先生のマードック・漱石論への批評文というのは、読み返してみると、ほとんど「批判」になっているとさえいえる文章です。この「批判」には、平川先生の世界の個性が、表と裏返しで伝えられていて、西尾先生と平川先生の接点という以上に面白い文章ですね。   

 平川先生の文章が載った「新潮」も西尾先生の批評文が載った「文学界」も、私が古本屋街で古本漁りしていた頃に入手したもので、今となっては懐かしい記憶の本です。西尾先生はこの文章で、平川先生が漱石が様々な面においてみせた「断念」を、漱石の西洋への劣等意識によって説明しようとする平川先生の考えは間違いで、漱石は「一般的の開化」を心得ていた人物であるということ、そして漱石は漢籍の抜群の素養を通して、異文化を理解するという「断念的」な行為、西尾先生の言葉をかりれば、「不完全を完成させるという瞬間的な決意」、そうしたギリギリの精神的ドラマが漱石にはあった、というふうに展開されています。「江戸のダイナミズム」からひけば、漱石もまた、徂徠や宣長の精神性の地点にいた、ということができるわけです。 

 もちろん平川先生の漱石理解が浅いということでは全くありません。平川先生の「和魂洋才の系譜」を紐解けば、漱石という人間が、大和魂や武士道を、劣等感の裏返しとしてのナショナリズムの一種として警戒していたことを指摘しています。「大和魂はそれ天狗の類か」という言葉が漱石にあることを、私は平川先生の著作を通じて知りました。言い換えれば漱石は、劣等感に陥るような凡庸なナショナリストではない。では平川先生の漱石理解はどういうことなのでしょうか。ここに私は実は平川先生と西尾先生の世界の相違点というものを感じます。   

 「和魂洋才の系譜」や「西欧の衝撃と日本」・小泉八雲伝やマテオ・リッチ伝をはじめとする平川先生の著作の最大の醍醐味でもあり、実は私のような人間に肌があわない面だなあと思ってしまうのは、平川先生の著作の流れは比較史という「史」的考察が優先している、と思うのです。たとえば「和魂洋才の系譜」などにに典型的に現れているのですが、日本的なものへの回帰の諸問題を扱った人間として、萩原朔太郎・西田幾多郎・阿部次郎が並列されていますが、この全く立場の異なる三者を整然と並列できるのは、比較史的考察、が優先するからではないでしょうか。

 たとえば平川先生はその少し後で、フランスにも日本と同様の回帰の問題が生じたとして、デュ・ベレーやロンサールをあげ、彼らが「詩人」であった点を重視しますが、では、萩原・西田・阿部のうち詩人でない後二者をどう考えるべきかは、論じられていない。私の素人感覚からすれば、「比較史」の「史」という必然性に解消してしまっているかのようにみえます。

 漱石にしても同じで、漱石という人間が文化的ナショナリズムを懐疑していた人間であるということと、漱石が文化的ナショナリズムの大きな根源である劣等意識を有していたことは比較史的考察の優先においては成立しますが、漱石という人間にこだわれば、それはおかしいということが前提になるはずです。しかし、漱石が漱石にしか判明しなかったことをいつまでも問題にしていたのでは比較史なんて成立しません。漱石に文化的ナショナリズムを巡る特定の思想的立場というある種の分類を施さなければ、「系譜」というものは成立しないのです。   

 私はこういう読み方はしないというか、全然できない人間なのです。比較史という安定構造に表現者がいるのではなく、全くバラバラな表現者が比較史という不安定なものを形成するというふうに考えます。比較史や文学史を読むより、何年もかかって漱石だけを読む人間です。では平川先生の世界が劣るものかというと、さにあらず、著作や表現者を巡る膨大な情報量が、大河という比較史の「史」の流れになる世界であり、その視点からしか判明しないこともたくさんあるのだ、と思います。「大河」は「音楽」ではない、といいましたが、「音楽」というのはその瞬間、そこにとどまるようでとどまらないような、個というものへの人間の拘り、と言い換えてもいいようなものです。

 西尾先生の著作というのは、どちらかといえば、「大河」的でなく、「音楽」的で、平川先生の本の魅力とは違うものだなあ、と私は思います。そういう意味で私は西尾先生の本は思想書であっても、比較史・比較思想の書では決してない、といつも考えています。

つづく

「江戸のダイナミズムに寄せて(十)」への1件のフィードバック

  1. うーむ・・・今回の渡辺さんのエントリーは私には難し過ぎました。
    ぼんやりと理解できても、結局は映像が拝めなかった気分です。
    西尾先生の凄いところは、自分だけ理解している事でも、読者にも伝わる文章を描けることです。
    これが出来そうで出来ません。
    つまり、知らない人間が何に共鳴するかをまず考えています。たぶん・・・。しかし、だからといって甘やかさないわけです。難しい解釈が必要な時は、徹底的に難しい道に引きずり込みます。
    でも、例えばその際、その道に入れない読者は、西尾イズムをかなり意識します。つまりいつしか読者の(または感心のない人間にも)必要性の範疇に引きずり込む才能を秘めています。
    私なりに強引な例えを言わせてください。
    サーファーがいたとします。彼は波を待ちながら押し寄せる小波に対応し、チャンスが来るまで待ちます。
    勿論ビックウェーブに乗ることが最大のイベントなわけですが、しかし、そこに至る時間があってこそ成り立つ現象であり、沖まで到達するまでの、サーファーたちの苦労はかなりの個人差が当然あり、当事者には大きな問題です。
    そこでです。西尾先生はそんなサーファーたちの心理を理解しています。苦労して沖まで来た人間に、しっかりビックな波を提供します。
    見たこともない高さの波をおしみもなく掲げ、西尾台風はベストなコンディションを提供します。
    そして、読者は待ってましたと波に乗り、難解な波状を乗り切ろうとするわけです。
    こうした環境を西尾イズムは常に意識している。
    読者との呼応を本当は一番大切にしている執筆家なわけです。

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