渡辺 望 34歳(1972年生まれ)坦々塾会員、早稲田大学大学院法学研究科終了
考証学というと何となく象牙の塔のイメージがありますけれど、価値観を拒否して実証主義に徹底する精神というのも、異民族支配という「原理主義」の押し付けの危機意識の中で生まれた「自由」への志向の中で当初は生まれたものだったわけです。西尾先生の指摘される考証学者への清の血みどろの弾圧と、考証学者の側からのすさまじいレジスタンスにみられるように、「原理主義」も「自由」も、日本人の考えるような穏やかなイメージとは遠く隔たるものなわけですね。或る意味、考証学は、明の「本土決戦」の中で生まれた精神や学問方法だったように思われます。
これは西尾先生が繰り返し正しく指摘されてきていることなのですが、日本文化(日本文明)がオリジナルなものをもっていないという俗論は、恐ろしく間違った意見といわなければならないでしょう。しかしこの俗論がどこから生じるのか、といえば、「原理主義」と「自由」の格闘があまりにも穏やかに展開されていることを「オリジナルな思想の不在」というふうに錯誤することろから生じている、といわなければならないでしょう。錯誤は錯誤で、俗論は俗論なのですが、しかし反面、坂口や三島のような意識的な言葉の使い手にとっては、戦後民主主義の空虚な猛威を目の当たりにして、「原理主義」と「自由」の格闘の曖昧さが、どうしても「日本」の不在と同一なものに思えて、つい、本土決戦についての逆説をいわなければならないような気持ちに追い詰められたのではないでしょうか。
では日本人のこうしたあまりの幸運ということを、不運に裏返して考えて、日本人は中国文化やヨーロッパ文化のような激しさをもっていないか、というふうに考えるべきなのでしょうか。そうではないと私は思います。西尾先生が指摘される、日本文明の様々な先進性や優越性という結果的事象を知れば知るほど、こうしたものが「原理主義」と「自由」の格闘という普遍的プロセスと実は全然別のプロセスで生まれたのではないか、と、ひっくりかえして考えるということが、西尾先生や小林秀雄の立場ということなのではないでしょうか。
先進性や優越性を「先進」や「優越」ということへの自足的感情でなく、「違うもの」という分析的感情においてとらえる必要、ということですね。思想においては特に然りです。早い話、血みどろの悲劇がなければ本当の思想家が生まれない、ということでしたら、江戸時代にかくも大勢の普遍的境地に到達した思想や論争が生まれた、ということ自体が説明不能になってしまいます。
つまり、西尾先生が「ヨーロッパの個人主義」「ヨーロッパ像の転換」の頃から「国民の歴史」の最近に至るまで一貫して主張されてきているように、ヨーロッパや中国が普遍的であるという保証は実は何処にもなく、日本が普遍的である可能性もある。あるいは「普遍的」ということ自体がフィクションなのかもしれない、ということを、文明事象的な指摘だけでなく、文明内の思想形成においてもとらえなければならない、ということがいえましょう。「江戸の先進性」ということを「江戸の独自性」というふうに読み込んでいくことが、ちょっと大袈裟な言い方ですが、「江戸のダイナミズム」の主題の絶対的スタートラインということになる、と思い、今晩もまた少し、再読を進めていくことにします。
手がかりはやはり「言葉にならない何か」ということを日本的精神とした宣長的な精神ということではないか、と思われます。三島も坂口も、「言葉になる何か」を日本人の精神探求において膨大に探求し、ついには、徒労感に行き着いたように思われます。しかし「江戸のダイナミズム」の読後感は、こうした三島や坂口の日本論の徒労感とは完全に別のものです。「言葉にならない何か」を穏やかに、しかし必死にとらえようとしていることを感じることができるからですね。何回の読み返しを通じて、それをますます感じていけるのではないかな、と思っています。