小林秀雄『本居宣長』のこと(2):西尾幹二
私が宣長でぶつかった最大の謎は今のこの、文字なき時代の言語生活のテーマではなく、儒学という合理主義の唯中における彼の信仰の問題でした。私が宣長の同時代人としてのカント、それにベルジャーエフを引き合いに出してなかば絶句したあの問題です。小林秀雄がこの点でカントを気にしていたという話も私は聞いたことがありません。
そんなわけで、私が小林秀雄『本居宣長』を私の本の中でぜひにも取り上げ、論及する必要がなかったことは以上で明らかでありましょう。方法論も、アプローチの仕方も、目的とする叙述の範囲も、全然異なる別方向の本なのです。
本の帯が誤解を与えたと思いますが、帯は商品広告です。武田さんは小林秀雄の愛読研究家で、そういう人は日本の読書界に多いので、あえて申し上げたい。小林の目を通して世界を見て、それを世界の全部だと思うのはもうそろそろ止めた方がいい。
小林秀雄を先達として尊敬することにおいて私は人後に落ちないつもりですが――私の批評家としての出発点は小林秀雄論と福田恆存論とニーチェ論でした――人は自分が選んだ師匠を真に師匠として信奉していくには、師匠とはまったく違った、場合によっては逆になる道を一生かけて切り拓かなくてはならないのがむしろ宿命なのです。私のこの本が福田恆存『私の國語教室』に反旗を翻したことに読者はお気づきでしょうか。
私は本書のあとがきで、すべからく研究家は江戸の思想家からの引用文に現代語訳を添えよ、と強調しました。武田さんとは別の、小林秀雄のある愛読研究家がいて、「小林は自分の引用に現代語訳などを添えたりはしない。そういう低級な読者は相手にしないのだ」と信者らしい言い方をしたからです。
しかしこれはおかしい。間違った考え方だと思います。私の見る処、現代訳語を添えない場合には、私が引用したような徂徠などの難解で長大な文章の引用はこれを避ける、という傾向、引用に自ずと制限が生じる傾向があるように思います。
江戸の思想のあるものは言語的に本当に近づきがたいものになっているからです。徂徠も難しいが、契沖はもっと厄介です。私は友人の国文学者と中国文学者の援けを借りてもなお解けない謎に再三ぶつかって往生しました。
今なお困難な読みの探索は続いています。
私は可能な限り平明に書くのが文章の理想と信じています。少なくとも引用文で読者を迷わせることだけはしたくないと思っています。
他の方々のやうにニーチェや小林秀雄などおぼめかしい権威に頼らないことに、改めて安心しました。
小林秀雄の『本居宣長』は事態の周囲を徘徊してみせるだけで、何等本質には接触しないので、はぐらかされたやうな気にさせられます。子安宣邦と径庭がありません。
加藤周一は『日本文学史』でその点を指摘してゐました。
寺田透の批評があるのに未だに小林秀雄どころか青山二郎や白州正子を担ぐ人がゐるのは不思議です。
しかし何故ベルジャーエフが積極的に評価されるのでせうか?
歴史哲学ではなく、歴史を拒否して自然に戻ることが必要だ云ふのがニーチェや宣長の要点ではないでせうか。
(私は勉強に疲れると鈴を鳴らして若い妾を呼んだと云ふ宣長より、中国語も出来た政治家白石に好意を持ちますが)。
私ども文献学の素人には具体的には分らないのですが、ヴィラモヴィッツの貢献の偉大さはヨーロッパの学問の歴史の中でニーチェの比ではないのは明らかでせう。この欄の評者のやうにニーチェの反対者としてのみ受け取られてゐるとすれば残念なことです。
さう云へばバーゼルの哲学者タイヒミュラーの後任を争つてニーチェが負けたオイケンがもアリストテレスの文体論研究で有名だとは知りませんでした。
西尾先生の文章を読んで、こういうことを考えました。
私は最近、時間論に何となく関心があって、中島義道さんの「「時間」を哲学する」(講談社現代新書)を読みました。時間論はさしあたってここではどうでもいいことなのですが、本の途中、フッサールの時間構成論を「すべて間違っている」と中島さんが断じた後で、中島さんがこういう趣旨のことを閑話休題的にいっています。
・・・私(中島)のような一介の人間が、フッサールのような大哲学者にむかって間違っている、と言い切るのはなんと無謀な、という人がいるかもしれませんが、それは哲学を全く知らない人の言葉である・・・そう中島さんは言います。先人が間違いだらけなのが哲学という世界なのだ、無視するべきなら無視してもいいし、間違いだと思ったら敬意など払わず、どんどんこき下ろせばいい、というのですね。そして中島さんは「もし、私の考えに反対する方は、哲学でなく、思想史研究者になったらいいのです」といいます。
中島さんという人は哲学と思想を区別しすぎて純粋哲学みたいな世界を特権化しているきらいがあるのですが、しかし少なくとも、「思想史」ということについての見解は、私は完全に同意したい気持ちを感じます。そして同意したい、という気持ちを感じさせるのは、実は研究者以外、世間一般的に私達の思想理解が、思想理解が「思想史的」になってしまっている、ということの不満や危機感が、私にあるから、と思います。思想においては、何もかもを理解して何もかもを敬意するということは、実は「自分」が消滅していることしかを意味している場合が多いんですね。中島さんはカント倫理学を論じた「悪について」(岩波新書)で、哲学史あるいは倫理学史の中での伝統的な善悪論に関して「問い」や「関心」そのものが自分にない以上、この問題について哲学・倫理学の自著を記しようがない、つまり「自分」をそこに表現しようとすることはできるはずがない、ともいっています。ここでも、「思想」と「思想史」の区別ということを暗に中島さんは前提にしているのでしょう。
優れた思想家というのは「思想史」を感じさせるのでなく、読んでいてその人の「自分」を幅広く感じさせる人に他なりません。もちろん、「自分」を消し去るという完全な客観的「史」表現の中に「自分」を記述するという表現者もいないではないでしょうが、思想「史」においては、一般的な歴史記述より、さらにその「自分」表現というのは、困難きわまりないものになるのではないでしょうか。いろんな原因が考えられますが、思想家が思想史家を巧みに兼業している場合が多いので、一般的な研究者や読者に「自分を語る」ことの重要性が見えにくくなってしまう、ということもいえるように私は思います。
たとえば、西田幾多郎という人がすごいのは、ドイツ観念論へのかかわりをかなり強引に自分なりに読み砕き、それを彼自身の「問い」と「関心」に忠実に従い、再表現したからです。彼がドイツ観念論哲学を優等生的に理解し(あるいは講義し)たこととは全く関係ないのです。西尾先生の江戸思想へのアプローチと全く同じです。西尾先生は「江戸のダイナミズム」ではっきりと、この本は「思想史」の目的で書いたのではない、とおっしゃっています。この書に関しての、最重要な決意表明といっていいでしょう。「江戸のダイナミズム」が、西尾先生自身の「問い」と「関心」でのみでもって書かれている思想書である、ということに他なりません。何を当たり前の精神論を、と言われる方がいるかもしれませんが、これこそが実は私達の大半がわからなくなってしまうのですね。「文献」に多く触れることは確かに非常に大切な知的行為だとはいえます。しかし多くの文献があって優れた著作ができる、というような図式こそが、私達の知的世界の楽しみの本質を奪い、破壊してきたこともまた確かなことです。「自分」を語ることを禁欲させるのだから、当然のことというべきでしょう。かくして読書や執筆という行為も、激しい精神行為であるという面を削がれてきたのです。
「本居宣長」と聞いて、ほとんど条件反射的に「小林秀雄に触れなければならない」と考えるとき、私達はすでに(あるいは、依然として)思想史的理解に毒されすぎてしまっている。そして大体、小林秀雄という人は、そういう安穏とした思想的理解を徹底的に拒絶した人間なのですから、こういう条件反射的理解をすること自体、おそろしく滑稽なことに他なりません。西尾先生があえて言われていることは、「思想」ということの永遠のスタートラインなのですが、しかし、このスタートラインを理解しない精神があまりにも多すぎる以上、このことは繰り返し言わなければならないことなのでしょう。
渡辺さんのコメントは、私にとって今まで霞に覆われていたところをあっそうか、と示唆してくれることが度々ありました。
自分を出せないデパートのような文章を書く作家は、知識はあっても勇気がないのでしょう。何かを恐れているのでしょう。私は難しいことは分かりませんが、読んで「その人」を感じさせてくれる作家が好きです。
西尾先生の文章は難しいことを、平易にして読者に伝えてくれます。勿論難しい事柄にも出会いますが、西尾先生その人を感じ、辞典を繰ってでも続けて読みたい魅力があります。それは何かと言えば、先生の「青春の心」です。
若い渡辺さん、西尾先生に続いて、いつの日か立派な作家になられんことを期待するのは私一人でしょうか? また霞を払ってくださいね。