『国家と謝罪』新刊紹介(二)


現在西尾幹二先生自身の筆による「西尾幹二のインターネット日録」は休載中ですが、許可を得て、管理人(長谷川)が西尾先生関連のエントリーを挙げています。
 今回は以下の新刊に対する、宮崎正弘氏による書評の紹介です。コメントは現在受け付けていません。

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 (宮崎正弘氏のコメント)

 西尾幹二先生の最新作『国家と謝罪』(徳間書店)は、まさに力作です。大きな歴史的大局観に立って、すべての問題を鋭利な白刃で分析しつつ、民族とは何か、歴史とは? 伝統とは? 日米同盟とは? 

これら国家の根幹を織りなす、すべての疑問が、この一作によって解きほぐされ、久しく忘れていた日本人としての誇りを考えるしかけになっています。
 近く拙評をメルマガに掲載予定です。

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宮崎正弘氏の国際ニュース・早読みより

 日本保守思想の原点が本書に集約されている。

 戦後、憲法の押しつけ、農地解放、教育改革等々。日本はアメリカの保護領のごとくに成り下がり、「独立」は主権回復後も、本当に達成されているのか、どうか。独自の神話も否定され、精神的営みも軽蔑される風潮がまだ続いている。
 
 日本はとうに国連に加盟したけれども、日本は本当に「独立」しているのか?
 歴史も国語もズタズタのまま、教科書を自ら作成できず、外国にお伺いを立てる始末。
 安保改訂後も、大店法の受け入れからM&Aの認可、ビッグバン、金融諸制度から郵便局まで。道路公団は民営化され、ついに日本はアメリカの法律植民地になってしまった。
 
 地方都市の景観が廃墟と化したのは大店法の悪影響だろう。
全国の酒屋さんが店を閉じた。これもアメリカの要求をやすやすと日本が受け入れたからではないのか。

 嘗てジャパン・バッシング華やかなりし頃、評者(宮崎)はパパ・ブッシュ時代に日本に「コメの自由化」を迫られたとき、これは日本の文化伝統を破壊する極めつけの愚行だとして、『拝啓 ブッシュ大統領殿、日本はNOです』(第一企画出版)を上梓したことがある。
 
 当時、日本の保守陣営といっても親米派が多く、小生のような議論への理解者は少なかった。随分と保守の側から反対が目立った。米の自由化でアメリカの怒りがやわらぐのなら開放しても良いじゃないか、と。
 
 天皇家の枢要な行事は新嘗祭。これを外国のコメでやるという発想は、かの皇室典範改悪論を奏でた偽「保守主義」の似非と通底している(座長のロボット博士は、ところで共産党の出身だった)。
 
 小泉前首相はひたすら「カイカク」と呪文を唱えたが、やったことはほぼ「カイアク」の類いだったろう。
 
 外交の責任者に、愚か者が多い日本でも最悪の愚か者に委ね、アメリカの理論を吹聴する「ガクシャ」に机上の空論による経済運営を任せた。株価は市場最低値を彷徨い、潰れなくてもいい銀行はアメリカに乗っ取られ、日本はどん底に陥った。そもそも日本の株式市場の株価形成を主導するのが外国人投資家。それも青い眼のファンドマネジャーになり、それが常態だと詐話を展開している日本の経済学界、官界。

 西尾氏は果敢にも小泉首相を「狂人」と呼んだ。
 そして本書でこう訴える。
 「日本はいまこそ米中にとって厄介で面倒な国になれ!」
 「靖国、南京事件、慰安婦問題。アメリカにまで赦しを乞う必要などない」と。

 「勝者は歴史を掌握する。敗者は人類の敵であるという見方がとられる。戦勝国は敗戦国が二度と立ち上がれないように、道徳的にも精神的にも最後までこれを打ちのめしていまうという政策が戦後においても継承して行われる。占領期間に教育や文化が改造され、洗脳がなされる。それが経験上われわれの知っている全体戦争である」(本書18p)。

 しかし大東亜戦争以後の、朝鮮戦争もベトナム戦争もイラクも、勝った負けたがはっきりせず、「ドイツと日本のように国民の思想洗脳や国家改造にまで及んだ例はない。ドイツと日本だけが、例外的却罰を受けた。もとよりドイツはならず者の一団が国家を壟断したーードイツ人自身がそう認めているーー例外の戦争を起こしたのだから仕方がない」。
 
 だが「日本はそうではなかった」。 日本は「自存自衛」と「アジア解放」が二大動機」であって、大東亜戦争ははじめから終わりまで「受動的」だった。
 
 そして西尾氏は次のように続けられる。
 「二十世紀のならず者国家はナチス・ドイツだけだろうか。太平洋上で英、米、仏、蘭、独、豪のした陣取り合戦は、『侵略』の概念に当たり、『平和への罪』を形成していないのだろうか。英、米、豪は、日本に対して『共同謀議』の罪を犯していないか。広域にわたってあらゆる島々で起こった虐殺には、正確な記録はないが、ホロコーストの名で呼ばれるのがふさわしいのではないか」(本書29p)。

 しかし、日本はナチスと同列におかれ、「東京裁判の被告達は、全くヒトラー一派の側杖を食った」形となった。
 ナチスを退治するために、欧米はロシアと言う「悪魔」と握手した。

 その後、欧米はなぜかキリスト教がユダヤに謝罪し、カソリックは悔い改めたような態度を見せる。なにが後ろめたいのか。
 
 舞台はもう一度反転した。
 「ビン・ラーディンが出てきたために米国は中国という悪魔と手を組む方向へ走りだした。中国包囲網を固めつつあったイラク戦争までの戦略をわすれたかのごとくである(中略)。テロ自体の恐怖よりも、一極集中権力国家の理性を失った迷走の開始」は、じつに不安ではないか(本書38p)。

 日本はなにをなすべきか。「白人キリスト教文明では四世紀に及ぶ歴史の罪過を精算するために、新しい歴史の塗り替えが必要になっている」。

 西尾氏が「新しい教科書をつくる会」を立ち上げたのはいまさら述べることもないだろう。

 こういう重要なタイミングに「日本を代表する人物に必要なのは気迫である。安倍首相はなぜ、こともあろうに米国に許しを請うたのか。主権国家は謝罪しない。謝罪してはいけないのだ」。
 
 この激甚な訴えを読者諸兄はなんと聞くだろうか?

 評者はたまたま本書を持って中央アジアの旅に出た。
 キルギスという小国は僅か人口五百万。七十年もの長きに渡ってソ連の桎梏に喘いだ。独立してすぐ憲法を変え、「自国語(キルギス後)を喋れない人物は大統領に立候補できない」旨を謳った。
 
 アフガンのタリバン空爆のため、やむなく米軍海兵隊の駐留を受け入れたが、昨年から「役目は終わった。米軍は出て行け」の合唱が始まった。
 
 マナス国際空港で、米軍の取材をおえてタクシーでホテルにもどりつつ、運転手と会話がはずんだが、かれはこう言ったのだ。
 「日本に米軍が五万人もまだ駐留している? 日本って独立主権国家じゃないのかね」。
 日米同盟がもし対等であるならば、いったい日本軍のほうは米国のどこに駐在しているのだろう?

  ♪
(書評余話)西尾氏の言われる、「日本はいまこそ米中にとって厄介で面倒な国になれ!」
 卑近な例が小沢民主党でしょう。イラク特別措置法延期反対を表明しただけで、(小沢一流のはったりでしょうが)、米国大使が民主党へすっ飛んできました。
 
 たまたまワシントンへ入った防衛大臣は異例中の異例の「おもてなし」を受け、チェイニー副大統領から、ライス国務長官まで。小池大臣のカウンターパートはゲーツ国防長官だけの筈ですから。
 
 厄介な、面倒な国に徒らになる必要はないけれど、日本の怒りに米国が微かに「怯えた」事態が到来したのではありませんか。
  
 

文・宮崎正弘

 

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