「株式日記と経済展望」からの書評(五)の二

 現在西尾幹二先生自身の筆による「西尾幹二のインターネット日録」は休載中ですが、許可を得て、管理人(長谷川)が西尾先生関連のエントリーを挙げています。
 
 今回は、ブログ「株式日記と経済展望」から、西尾先生の本の書評を、許可を得て転載します。今回はベストセラーになった『国民の歴史』の書評ですが、本の引用が長いので数回に分けて、転載します。一からお読み下さい。

日本人移民排斥のテーマは、重要な国家の政策目標とされたのであった。 西尾幹二

歴史 / 2007年05月06日

日本人移民排斥のテーマは、アメリカ合衆国が、海軍力で守る
べき重要な国家の政策目標とされたのであった。 西尾幹二

2007年5月6日 日曜日

◆「国民の歴史」 西尾幹二(著)

◆再びアメリカに「対日開戦論」

 日本人移民に対するアメリカ黒人の考え方や感じ方は、そもそもどういうものであったであろう。日本の帝国主義的進出が報道されても、黒人の対日好意はべつだん下がらなかった。日本の経済発展は、アメリカ黒人の高い興味と賛嘆の感情を呼び起こした。

 日本の急激な発展こそが、日本人に対する人種差別意識をよりいっそう高めているということも、黒人はよくわきまえていた。日本人移民のせいで黒人の仕事がなくなるのではないかと心配する連中もいるにはいたが、しかし『サバンナ・トリビューン』紙の論調によると、アメリカにとっての最大の脅威は、一日に三千人の割合で上陸してくるヨーロッパ系白人の移民であって、日本人移民の数などたかがしれている。もし、アメリカが生き残りたいのなら、ヨーロッパからの移民を制限せねばならない、と。

 黒人による日本人擁護は、一般にきわめて盛んだった。日本人は人種平等、団結、自立のいわば広告塔だったからである。倹約と経済活動と工業技術をみごとに組み入れることに成功した日本人移民は少なくない。

 その仕事ぶりを見た有名なある黒人は、世界中がやりたいと思っていることを、日本人は必ず人種の壁を越えてでもやってのけてしまうだろうと述べた。国の発展に大きく貢献した人種に対しては、その人種がなんであれ、世界中が敬意を表すという絶好の実例、それが日本人なのだとほめ讃えた。

 カリフォルニアの農園から白人が日系移民を締め出そうと躍起になっていることを知って、それによって大量の働き口を手に入れることができると注目する黒人たちも、もちろんいるにはいた。しかし、あくまで日系人差別には反対の姿勢を貫いていた。

 しかし、時間がたつにつれて、論調は少しずつ変わった。『アフロ・アメリカン』紙によれば、カリフォルニアには黒人の未来があると期待する一方で、日系人が犯した大いなる罪、つまり倹約と努力というものに、とてもかなわないという気持ちが彼らにのしかかった。

 日本人がその能力を発揮した足跡を残せば残すほど、日本人にとってアメリカン・ドリームは近づいた。しかし、逆に白人はそれを嫌悪し、黒人もまた次第に日本人を妬むようになった(以上、レジナルド・カー二ー『二十世紀の日本人ーアメリカ黒人の日本人観一九〇〇~一九四五』山本伸訳による)。

 一九〇六年のサンフランシスコ学童隔離事件に際して、アメリカ海軍は対日作戦計画を策定し、いわゆるオレンジプランの概略をまとめ上げたことは前に述べた。アメリカ政府の政策の基幹をなすモンロー主義や、それとまことに矛盾する外国に向けられた門戸開放政策への要求と並んで、これまた再び矛盾する日本人移民排斥のテーマは、アメリカ合衆国が、みずからの海軍力で守るべき重要な国家の政策目標とされたのであった。

 そして一九〇八年に、いわゆる「白船」事件が起きた。しかし、この三年間の日米危機がいちおうの解決をみたのは、移民問題のほかに差し迫る政治的案件がなかったからだといえるだろう。ところが一九一三年、再びアメリカには、日米戦争に備えて軍艦三隻を動かそうという開戦説が浮かび上がる機運が盛り上がったのである。それは外国人土地法の制定をめぐっての二番目の日米危機であった。

 外国人土地法とは、日本人移民一世のように、アメリカ市民権を取得できない資格剥奪者は、土地所有権をも奪われるという、きわめて露骨な、日本人を狙い撃ちした立法であった。ヨーロッパ系の移民労働者にはもちろん適用されない。大統領はウィルソンに代わっていて、彼が理想主義者としての仮面の裏で、いかに露骨な人種主義者であったかということは、先に国際連盟について論じた際に言及している。

 ウイルソンは日本政府からの強硬な抗議を受けて、日本は戦争を予定しているのではないかと憂慮し、ワシントン政府はさながら開戦前野を思わせるかのごとき緊張した空気に包まれた。

 海軍作戦部長ブラッド・リー・フィスク少将は、このカリフォルニア土地法を絶好の開戦理由として、日本がフィリピンとハワイを奇襲するであろうから、対日戦争は十分に起こりうる事だと主張して、日米戦争に備えて軍艦三隻を派遣するよう提案した。もちろん、ウィルソンの判断でこの海軍の強硬案ば退けられはした。そしてアメリカ政府を襲った開戦説はまもなく立ち消えとなった。

文:西尾幹二『国民の歴史』より

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