春の雨が降っている。久し振りの雨である。桜はまだ開いていないが、早咲きの樹にはすでに花があり、梅かと思って近づくと、やはり桜である。
公園の池の畔に並ぶ樹々がいっせいに開花するのはあと一週間もないであろう。すでに梢の枝がうっすらと色づき出している。
「日録」を復活すると約束していながら、私の活動について相変わらず丁寧な報告を怠っているのは心苦しい。
年末から「路の会」は3回開かれている。佐伯啓思氏をお呼びした11月例会は「日録」でも報告したが、12月は桶泉克夫氏が「華僑、華人について」を話して下さった。1月は新年会で盛会だった。2月は古田博司氏が「別亜論とは何か――支那と中国を埋めるもの」と題して熱弁をふるってくれた。3月はこれからで、27日に長谷川三千子氏が「三島由紀夫論――『英霊の声』とイサク奉献」と題する新しいご著作のための試論を展開して下さる予定である。
どの話も私にはすこぶる有益で、参考になる。テープを聴き直して「日録」に要約をのせたいといつも思う。自分の勉強にもなる。本を読むより人の話を聴くほうが身につくこともあるのは最近の私の傾向である。
だがどうしてもその暇がとれず、次の例会が来てしまう。雑誌原稿と本づくりの準備作業に追われているためで、若いときと同じようにあたふたしているのである。
「三島由紀夫の死と私」(第2回)は引用の多い仕事で、若い日の記憶の整理のために書いた。一月の大半を使った。100枚を越える分量である。佐藤幹夫さんの誘いがなければ決して表には出なかった秘話の展開であった。佐藤さんの『樹が陣営』という個人雑誌にのる。特定の書店でしか入手できないが、来週には店頭に出る予定である。
年末に出た「日本は米中共同の敵になる」(WiLL2月号)はとても受けのいい論文だった。いろいろな感想を頂いた。手ごたえの如何は勘で分るのである。
政治家を叱った「金融カオスへの無知無関心」(Voice4月号)の評判はまだ分らない。『Voice』の論文はたいていいつも反応が遅い。
私はドイツ文学者だと知られているので、金融問題を書いてもいまひとつ信用されないのかもしれない。しかしエコノミストの書く金融論には政治が書かれていない。国際政治の葛藤がない。私はその不満を自分の努力でカヴァーしようとしているのである。
次の月の号には皇室問題を取り上げている。大上段振りかぶって天皇制度の本質をまず述べて、そこから現象を論じている。33枚のそれなりの力作のつもりである。表題は編集長がつけて「皇太子さまに敢えて御忠言申し上げます」(WiLL5月号)となっている。あと一週間で店頭に並ぶ。
誰もが知る現下のデリケートな問題を、オピニオン誌で一人の論客が責任をもって自説をまとめて展開するのは初めてだからと言われて、それもそうかと思い、決断した。ずっとこのところ、場合によっては私が書こうかと漠然と思って迷っていた矢先だったので、依頼を引き受けた。
私が『GHQ焚書図書開封』というシリーズの刊行の第一巻を計画していることは既報のとおりである。内容の95パーセントはできあがっている。あとは写真やグラビアを考える段階まできているが、研究中に重大な発見があって、さらに探求が必要となり、発行日を5月に延ばすことになった。
「焚書」とは何か?という根本の命題に関わるところで、さらに詳しく調べなければならなくなったのだ。GHQの命令に応じて協力した日本人学者がいるに違いない。日本側にも司令塔があったに違いない。占領軍に日本を売って、この国を今のような惨めな国にした精神的裏切り者がいたに違いない。私はずっとそう予感していた。
国立国会図書館からの昭和21年の文献探索中に東大文学部助教授――後に有名な学者知識人となる――の2人の名前が浮かび上がったのである。今はそこまでしか言えないが、文化的大事件に発展するスクープかもしれない。さらに詳しく探求が必要となってきたのである。
私にはまったく時間のゆとりがない。次から次へと各種の問題が押し寄せてくる。しかし私の人生を苦しめつづけてきた「戦後犯罪人」の名前とからくりのすべてが今度明らかになるのかもしれない。
いま人権擁護法や、外国人参政権や、チベット問題への政府の沈黙や、沖縄集団自決問題や、台湾独立への日本政府の非協力や、・・・・・・そもそも何から何までのテーマの大元となり、日本人を無力化した精神的痴呆化の元凶と歴史抹殺のそのメカニズムが明らかになるかもしれない。
ともあれそんな期待で寧日なく、しかし元気に生きている。「日録」は今日のようにホッと空白ができた日に、またこんな風に綴ることにしたい。
どうやら雨は小止みになった。犬の散歩に出ようかと思う。