非公開:私のうけた戦後教育(六)

観念教育のお化け

 私はここに一つの実例を提供しよう。

 「ぼくが谷間の村の新制中学に、最初の一年生として入学した年の五月、新しい憲法が施行された。新制中学には、修身の時間がなかった。そして、ぼくらの中学生の実感としては、そのかわりに、新しい憲法の時間があったのだった。

 ぼくは上下二段の『民主主義』というタイトルの教科書が、ぼくの頭にうえつけた、熱い感情を思い出す。(中略)『民主主義』を教科書に使う新しい憲法の時間は、ぼくらに、なにか特別のものだった。そしてまた、終身の時間のかわりの、新しい憲法の時間、という実感のとおりに、戦争からかえってきたばかりの若い教師たちは、いわば敬虔にそれを教え、ぼくら生徒は緊張してそれを学んだ。ぼくはいま、《主権在民》という思想や、《戦争放棄》という約束が、自分の日常生活のもっとも基本的なモラルであることを感じるが、そのそもそもの端緒は新制中学の新しい憲法の時間にあったのだ。

 このように憲法と、都市から山村にいる日本のさまざまな地方の子供たちとのあいだの、一種ハネ・ムーンの時期はきわめて短かったのかもしれない。ぼくは自分より数年だけ若い人たちに、たびたび『民主主義』という教科書のことをたずねてみたが、おおむね、かれらの記憶に、それが重要な書物としてのこっているということはなかった。しかし、ぼくより一歳だけ年下の、友人の編集者は、かれの最初の息子に、憲介という名前をつけた。それは、かれにとってもまた、少年期の教室で憲法がどのようなものであったか、そしてそれがどのように、彼の青春のモラルの核心として残りつづけてきたかをあきらかにしている。かれにとっても僕の場合と同様、《主権在民》や《戦争放棄》は、ひとりの戦後の人間としての自分の肉体や精神とおなじく、根本的なモラルの感覚をかたちづくるものなのだ」(大江健三郎『戦後世代と憲法』)

 符牒や暗号を一度頭に叩きこまれたら、もう二度と疑うことのできない人間改造の見本のようなものである。これはまた子供はどのようにでも教育できるし、大衆の意識はどのようにでも改造できるという、現代のデマゴーグを勇気づける実例である。興味ぶかいことは、大江氏が別のエッセーで、「天皇は、小学生のぼくらにもおそれ多い、圧倒的な存在だったのだ」と戦時中の自分の姿勢を書いていることである。

 昨日まで戦争をしていた若い先生に、修身の代りに平和憲法を教えられたということを後年まず矛盾と考えるのが正常な感覚だと私は思うが、三十才になるいまに至るまで「日常生活のもっとも基本的なモラル」としてこれを信奉しているという大江健三郎氏には、《主権在民》や《戦争放棄》はモラルではなく鰯の頭、疑ってはならない護符、呪文、要するに天皇と同じように「おそれ多い圧倒的な存在」であったということでしかあるまい。

 大江さん、嘘を書くことだけはおよしなさい。私は貴方とまったく同世代だからよく分るのだが、貴方はこんなことを本気で信じていたわけではあるまい。ただそう書いておく方が都合がよいと大人になってからずるい手を覚えただけだろう。「戦後青年の旗手」とかいう世間の通年に乗せられて、新世代風の発言をしていれば、新生活、新解釈が得られるような気がしているだけである。

 大江さん、子供の時のことを素直な気持ちで思い起こして欲しい。子供の生活は観念とは関係ない。あるいは大人になって行く過程で、幼稚な観念はぬぎ棄てて行くものだ。貴方の評判のエッセー集『厳粛な綱渡り』の中から一例――「終戦直後の子供たちにとって《戦争放棄》という言葉がどのように輝かしい光をそなえた憲法の言葉だったか」。こんなことをこんな風に感じた子供があの時いたとは思えないし、今も決していないだろう。

教師は生徒の規範たれ

 民主主義は政治上の、相対的な理想であって、決して教育理念にすべきではない。私の言いたいことはそのことに尽きる。目的意識のあまりに明確な教育理念は、結果として頭のかたい、原則を立ててしか物を考えない青年たちを急造するだけである。事実そういう弊害は今日歴然と現われている。民主主義の名において民主主義のために戦いたがる青年たちが、民主主義を事実上許さない政治体制につねに従順であるのは、戦後日本の七不思議の一つである。民主主義がふたたび抑圧されはしないかとたえず警戒し、いきまいている青年たちは、間接に自分たちの自分というものが抑圧されやすいことを告白しているようなものである。そういう自主性のない青年たちを生み出して来たのは、自主性を意識的に育てようとしてきた戦後の温室教育であった。

 いま教育者にとって必要なこと、あるいは明日からでもなし得ることが一つあるように思う。教師と生徒との人格的対等といった偽善を排し、生徒と共に考えるのではなくあくまで師表となって教えるのだという自信を回復することだろう。教師は未完成な生徒にとって一つの規範であるべきだし、「権威」ですらなければならないと私は思う。規範のない所には模倣もない。規範や権威があるからこそ、ときにそれに納得し得ない自分というものに気づき、眼ざめる生徒の自主性というものであり、それがまた本当の民主主義を成り立たせる土台となるべきものだろう。

おわり

1965 年(昭和40年)『自由』7月号

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