【正論】評論家・西尾幹二 日本の国家基盤があぶない
《《《米国の道義的な裏切り》》》
拉致問題は今では党派を超えた日本の唯一の愛国的テーマである。拉致を米政府にテロ指定させるまでに関係者は辛酸をなめた。北朝鮮の核の残存は日本にとって死活問題である。
完全核廃棄の見通しの不明確なままの、米政府の45日という時間を区切ったテロ支援国家指定解除の通告は、悪い冗談でなければ、外交と軍事のお手伝いはもうしないという米政府の見切り宣言である。それほどきわどい決定を無責任に突きつけている。
そもそも北朝鮮を悪の枢軸呼ばわりして寝た子を起こし、東北アジアを一遍に不安定にしたのはブッシュ大統領であった。核脅威を高めておきながらイラク介入前に北朝鮮には武力解決を図る意志のない手の内を読まれ、翻弄(ほんろう)されつづけた。
今日の米国の体たらくぶりは予想のうちであったから、日本政府の無為無策と依存心理のほうに問題があることは百も分かっているが、それでも米国には言っておかなくてはならない。
核不拡散条約(NPT)体制は核保有国による地域防衛の責任と道義を前提としている。米国は日本を守る意志がないのなら基地を日本領土内に持つ理由もない。
テロ支援国家指定解除の通告は、第一に米国による日本への道義的裏切りであり、第二に日本のNPT体制順守の無意味化であり、第三に日米安保条約の事実上の無効消滅である。
《《《半島関与に及び腰対応》》》
日本は以後、拉致被害者の救済を米国に頼れないことを肝に銘じ、核武装を含む軍事的独立の道をひた走りに走る以外に自国防衛の道のないことを米国に突きつけられたに等しい。それほどの情勢の変化に政府がただ呆然(ぼうぜん)として、沈黙するのみであるのもまた異常である。
問題は誰の目にも分かる米国の外交政策の変貌(へんぼう)である。米国の中国に対する対応は冷戦時代の対決から、対決もあり協調もある両面作戦に変わり、次第に協調のほうに軸足を移しつつある。
いつまで待っても覇権意志をみせない日本を諦(あきら)め、中国をアジアの覇権国として認め、台湾や韓国に対する中国の外交攻勢をも黙認し始めた。戦火を交えずして中国は台湾海峡と朝鮮半島ですでに有利な地歩を占めた。
最近の米朝接近が中朝不仲説を原因としているか、それとも半島の管理を米国が全面的に中国に委ねた結果なのか、いま論点は割れているが、どちらにせよ米国の半島関与が及び腰で、争点回避の風があるのは否めない。
中東情勢と米国経済の推移いかんで、米軍のアジアからの撤退は時間の問題かもしれない。そうなれば台湾は中国の手に落ち、シーレーンは中国によって遮断され、日本はいや応なくその勢力下に置かれることになる。それは日本の技術や資本が中国に奪われることを意味する。
《《《日本の核武装を封じる》》》
これほど危険な未来図が見えているのに、日本の政界は何もしない。議論さえ起こさない。ただ沈黙である。分かっていての沈黙ではなく、自民党の中枢から権力が消えてしまった沈黙である。
ワシントンにあった権力が急に不可解な謎、怪しい顔、恐ろしい表情をし始めたので手も足も出なくなった沈黙である。
もし日本が国家であり、政府中枢にまだ権力があるなら、テロ支援国家指定の解除は北朝鮮に世界銀行その他の国際金融機関を通じて資金の還流を許すことだから、ただちに日本から投資されているそれらの機関への巨額資金の引き揚げが用意され、45日以内に宣言されなければならないだろう。
6カ国協議は日本の核武装を封じるための会議であると私は前から言ってきた。米中露、それに朝鮮半島までが核保有国となる可能性の発生が北朝鮮問題である。太平洋で日本列島だけが核に包囲されるのを指をくわえて見ていていいのか。
日本はこれに対しても沈黙だとしたら、もはや政治的知性が働いていない痴呆(ちほう)状態というしかない。
海辺に砂山を築いて周囲から水を流すと、少しずつ裾野の砂が削られる。水がしみこんでしばらくして、ボコッと真中が陥没する。そこへ大きな波がくるとひとたまりもない。
今の日本はボコッと真中が陥没しかけた段階に来ているのではないか。国家権力の消滅。国家中枢の陥没。
折しも自民党から日本を移民国家にし1000万人の外国人を導入する案が出された。日本列島に「住民」は必ずいる。しかし日本民族はいなくなる。自民党が国家から逃亡した証しだ。砂山は流され、消えてなくなるのである。(にしお かんじ)
産経新聞 平成20年 (2008) 7月24日[木]より