GHQの思想的犯罪(一)

《特集》日本保守主義研究会7月講演会記録より

GHQ焚書図書開封 GHQ焚書図書開封
(2008/06)
西尾 幹二

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◆はじめに

 お暑うございます。さっきまで何だか私の若いときが蘇ったような人が喋っていましたね。大変心強く思いました。やっぱり出てきたな、と。今までずいぶん若い論客の出現を待っていたのですが、なかなか本物には出会えませんでした。

 岩田さんには、私の言おうとしていたことをいま全部先取りしてお話されてしまいました。そのなかで例えば「憤り」という話がありましたけれども、確かに今、この国が憤りをすっかり失っている。

 アメリカによる北朝鮮のテロ支援国家指定解除の告知があって、NPT体制という核に関わる約束事のシステムが無意味になり、日米安保条約が事実上無効になりました。これらに対して、朝野を挙げて激しい論争が起って当然じゃないですか。“NO”という怒りの声があっていい。しかし何の動きもないんですよね。政界になし、言論界になし、そして新聞テレビにも全くない。

 それに比べ、あの開戦を控えた昭和16年の時代には外への恐怖や怒りが沸々とたぎっていました。あの当時の日本人の方がよほど今より上等であろうと思われます。何故ならば、戦争に勝とうが負けようがともかく自分で開戦を選択して、そしてともかく自分で負けたからです。しかし戦後、この国は「自分で」という意志の主体がなくなりました。すべて誰かにゆだねて安心という、骨の髄までそうなっている構造というのは、とてつもなく危機的なことです。

 そして、自分のことを他人ごとのように傍観して、沈黙している。ひたすら沈黙を続けるだけで、“NO”という声、あるいは「どうしたらいいか」という論争ひとつ起らない。とても不気味です。

 実は今日、こうした話を結論に持って行こうと思っていたのですが、岩田さんに刺激を受けて、結論を最初に話すことになってしまったのです。

つづく

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