GHQの思想的犯罪(十二)

◆焚書に協力した日本人たち

 尾高邦雄というのは、有名なマックス・ウェーバーの研究科です。マックス・ウェーバーの翻訳などを手がけた社会学者で、渋沢栄一の娘がお母さんで、戦後を代表した社会科学者です。お兄さんは法哲学者で尾高朝雄。弟は音楽の指揮者で尾高尚忠。聞いたことあるでしょう。こういう人です。

 それから金子武蔵は西田幾太郎の娘婿で、和辻哲朗の後釜を、つまり東大で倫理学の後継者となった人で、ヘーゲル研究が有名です。まあ色々西洋系の哲学を紹介した人です。牧野英一はそれよりも古い人で、刑法の大家でした。92歳まで生きた明治生まれの、世代的にはもっと前の人です。

 このように三人の名前、素性は私も知っていましたが、三人が焚書についてどういう役割を果したかは明確なことは分かっておりません。ただ、明らかなことは、金子武蔵と尾高邦雄が関与したという事実を自ら文章に残していることと、牧野英一が首相官邸でそうした書類、取り締まった焚書の実態を全部総まとめで決定していたということです。

 この人は中央公職適否審査委員会の委員長です。ということは、公職追放の取締まりをやっていた人です。この公職追放というのもまた旧敵国側について、日本側を苦しめたのですが、闇に隠れていて、はっきりとしたことは分からない。まあ、つまり占領政策というものには必ず被占領国民の協力者があるということです。

 ユダヤ人の虐殺、迫害にもユダヤ人の協力者があったというのも有名な話です。いなきゃできないわけですから。同様に、日本の政治占領政策の遂行には被占領国民である日本国民の協力が必ずあったに違いないと私は踏んでいたら、これらの名前が出てきたのです。

 残念ながら現段階では、具体的にこの名が上がった三人の知識人がどのようなことをしたかは分かりません。分からないのですが、アメリカ側がどのようなことをしたかは分かっています。先ほど言ったように、この最後にある“RS”というリサーチセクションが、リストを作成し、そのリストに基づいて没収行為を行ったのは日本政府です。

 二つに分けて考えてください。アメリカがやったのは本のセレクトをし、これを焚書にしますという決定をするリストを作成することです。それに基づいて、命令を受けた日本政府が没収行動に入るわけです。

 リストを作成するには二年半かかっております。即ち、先ほど言ったように、最初の覚書、指令書が出てくるのが、昭和21年3月17日です。そして二年半たつ23年ごろに最終命令書が出ます。それで7700冊が確定するわけです。そのプロセスも、全部、今明らかになって分かっております。本の名前も、すべて今現在明らかになっています。

 そういうわけで、昭和23年に日本政府を通じて文部省に指示がきます。おそらくその段階で東京大学に依頼があって、文学部の仕事だということで先ほどの三人にお声がかかった。その時の東大総長は南原繁です。こいつが色んなことをやったわけですね。だいたいこいつが悪いわけですよ(苦笑)。

 ちなみに、昭和天皇の退位をめぐる運動が戦後たくさん、何度もあちこちで起こるわけですが、その退位をめぐる運動の中心人物はこの南原繁です。吉田茂に「曲学阿世」と罵倒された人物です。私は中学時代、この四文字が新聞の一面に踊っていたのを覚えています。

 さて、昭和23年に整理がついてリストが確定したところで、文部省が文部次官通達を出し、県知事に対して警察と協力して没収を行うことを指導します。知事は没収官を県ごとに任命すること。教育に関係のある有識者を選んでやれという指示です。それが面白いわけですが(笑)。

 但し、現場の教師は任命から外すように、と。ここが微妙ですね。先ほど説明しました、図書館に手を付けるなという命令と、現場の教師を命令から外す。その代わり、出版社や書店にある関連本は徹底的に隠滅するように、流通ルートや輸送中のものも一冊残らず見逃すな。これは文部省の指令書ですよ。没収ですからもちろん金は払いません。そのためにそっと隠しちゃう古本屋などもあったそうです。それが今に残るわけですよ。それが戦後流布するわけです。

 だから数は少なくなっているわけですよね。だけど金を取られるのは嫌だからということで隠しちゃったという例はいくらでもあります。古本屋にも愛国の意地があったのかもしれない。没収されるのは嫌だから、もしその没収に抵抗するものは、あるいはそれに暴行して危害を加えるようなおそれがあるものが出たら、警察の協力を求めるように、というのも文部次官通達に書かれています。

 そのなかで、没収官の身分証明書まで出てきています。かくかくの本を没収する資格を与えるという、そういう雛形までここに印刷されているのです。それから没収したときに、何冊、お前のところを没収したという必ず証拠を置いてくるようにと、その証拠の書類の没収書という書式まで教えている。そのときの紙の大きさなどは自由だとまで書いてある(笑)。

 それで、どちらにも大変興味深いことは、どちらにもこれは秘密だから、第三者には知らせないようにと、没収官もそのことをよく心得ておくように、とある。それから没収された本屋もこういうことは一切、表にしないようにという命令がなされている。

 ただ、それには罰則はありません。だとすると不思議なのは、個人や家庭、図書館のものには手を触れるなとか、現場の教師はやらせるなとか、関係者には口封じだとか、色々と秘密厳守と言ってもその程度のことで罰則はないわけですから、人の口には戸は立てられないはずであります。もっと知れ渡っていてもおかしくはない。にもかかわらず、この日本社会はそのあと麻酔薬でしびれてしまったように焚書の事実を知らん顔してすごしてきたのです。

日本保守主義研究会7月講演会記録より

つづく

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