3月号の『WiLL』と『諸君!』

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 今月の月刊誌発表の二論考について簡単に報告しておきたい。

 『WiLL』3月号の拙論には妙な題がついている。「『文藝春秋』は腹がすわっていない」(但し表紙は「迷走」)という題である。いうまでもなく先月号の同誌「秋篠宮が天皇になる日」に向けて付けられた題だが、これは私の本意ではない。『文藝春秋』の同論文について述べた部分はわずか10枚にすぎない。論文全体の五分の一である。

 拙論は雑誌で18ページをも占める大型評論だが、皇室問題がすべてではない。「皇室問題と日本の分水嶺」という副題がついている。国家の存立に対する危機意識がずっと私の中でつづいている現われである。

 論文の一番最後の数行に私はその不安な思いをこめている。そこを読み落とさないでいたゞきたい。

 『諸君!』3月号は前回切迫した時間内で二回に分けて書いたと報告したあの論文である。「米国覇権と『東京裁判史観』が崩れ去るとき」という題である。これも私ではなく編集長が付けている。(言論誌の論文の題は編集長の裁量下にある。)

 そもそも現代史に歴史の専門家はあり得ない、否、あってはならない、それが私の今回のメッセージである。

 秦郁彦、保阪正康、北岡伸一の三氏の歴史に向かっていく姿勢を疑問とした。歴史に現在の人間のありふれた信条やドグマを当てはめている。半藤一利、五百旗頭眞、御厨貴の諸氏も同じ方向と見て名を挙げているが、こちらはまだ詳しく取り上げていない。

 現代史を扱う歴史家はなぜ歴史哲学上のイロハを知らないのだろう。歴史は見えない世界なのである。なぜなら歴史は過去の人間のそれぞれの未来像の集積だからである。今回は根源的なところから問いを立ててみた。

 それと関係しているのだが、論文の一番さいごの2ページに「江戸時代と大東亜戦争は連続している」という小見出しをつけた叙述がある。

 前回高校の友人のK君がベトナムやインドで経験した西洋文化の二重性、西洋はアジアに進歩と破壊だけでなく調和と文明をもたらした、というあのテーマに関わっている新たな問題提起である。

 私はたったいま「進歩と破壊だけでなく調和と文明をもたらした」と言ったのであって、「破壊だけでなく進歩をもたらした」と言ったのではない。「進歩」と「破壊」は私の文脈では同義語なのである。

 西洋も18世紀までは「進歩」とも「破壊」とも無関係だったのではないだろうか。もちろん日本も江戸時代まではそうだった。西洋は「調和と文明」と「進歩と破壊」の二面をもつ双面神だった。

 GHQ焚書のことをやっていてしみじみ感じたのは、欧米のアジア侵略は江戸時代にほゞ完了していることだ。戦争の歴史をとらえようとするとき、パラダイム(認識の枠組み)を思い切ってぐんと大きくとらなければいけないと思う。

 3月号の二誌の拙論はこれからの私の思考の起点になるかもしれない。

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