大寒の日々(一)

 大寒の日々だが、東京はそれほど寒くない。善福寺公園の池が例年のようには凍らない。早くも梅が咲いている。

 1月23日に「路の会」の新年会があった。集った方々は田久保忠衛、桶谷秀昭、高山正之、田中英道、黄文雄、富岡幸一郎、北村良和、桶泉克夫、石平、尾崎護、宮崎正弘、仙頭寿顕の諸氏。それに徳間書店側から力石さんと赤石さん。酒の席であり、話ははずんだ。中国論、アメリカ論、そして当然ながら金融破綻の今後の行方と日本の将来。―――

 面白い話を、いくつか拾って、別の機会に報告したいと思う。

 今日は先を急ぐ。

 1月26日にGHQ焚書図書の今月の録画を行った。15才で日本に留学した大学卒業の直前、昭和12年夏に、日本での学業を気にしながら帰国した中国人青年が徴兵され、抗日戦線に送られた。すさまじい戦争体験をして負傷し、逃亡して、体験記を日本の先生に送ってきた。翻訳出版を依頼してきたのである。昭和13年3月に日本で出版され、たちまち版を重ねた。夏までに2万5000部を売っている特異な本である。今月はこの本、『敗走千里』の紹介をした。題して「中国兵が語った中国戦線」。――

 1月28日日本文化チャンネル桜の討論会があった。今夜29日からの放送なので、まずその報告をする。

タイトル:「闘論!倒論!討論!2009 日本よ、今・・・」
テーマ :「オバマ新政権と世界の行方」
放送予定日:前半 平成21年1月29日(木曜日)19:30~20:30
      後半 平成21年1月30日(金曜日)19:30~20:30
      日本文化チャンネル桜(スカパー!216チャンネル)
      インターネット放送So-TV(http://www.so‐tv.jp/)
パネリスト:(50音順)
       潮 匡人(評論家)
       日下公人(評論家・社会貢献支援財団会長)
       石 平 (評論家)
       西尾幹二(評論家)
       宮崎正弘(作家・評論家)
       山崎明義(ジャーナリスト)

司会 :水島 総(日本文化チャンネル桜 代表)

 この録画取りの前に、日本文化チャンネル桜の放送を支えてくれている支援者へのサービスとして、関係者がこの一年で最も印象の強かった「一冊の本」を語るCD作成に協力した。私が取り上げた「一冊の本」は渡辺浩著『近世日本社会と宋学』東京大学出版会、1985年刊がそれである。「宋学」とは朱子学のこと。江戸前期の思想界は朱子学に蔽われ、朱子学と朱子学の批判はさながら戦後日本のマルクス主義のごとき大きな事件かと思っていたが、まったく逆の事情がこの本によって裏づけられている。著者の渡辺氏は丸山眞男の弟子筋のようだが、その思想研究は恩師の逆を行き、恩師を裏切っているのが面白い。

 「オバマ新政権と世界の行方」の討論会が終った後、悪い癖ですぐに帰らず一杯やろう、ということになり、宮崎正弘さんと石平さんとで焼肉と焼酎の店に行った。

 1月26日に『WiLL』3月号が出た。拙論「『文藝春秋』の迷走――皇室問題と日本の分水嶺――」について、当「日録」の管理をしてくれている長谷川真美さんがメールで早速次のような改まった感想を送ってくれた。

 私は12月に西尾先生の講演を聞いていたし、折に触れ先生の考えを電話でも聞いていた。それに『週刊朝日』の文章も読んでいたので、今回の論文に特別に新しいことが書いてあるという驚きがあったわけではない。ただ『文藝春秋』への批判が、保阪氏の論を使ってより具体的になっていたのが目だった点だと思う。

 そして、今回の論文は、この前の講演では話きれなかったと言われていた、いろいろな分野を組み合わせながら、最後に皇室を守る権力にまで言及していて、うまく繋がって、全部纏まっているな・・・と思った。こんな風にこの前の講演でもお話されたかったのだろう。

 私も、『文藝春秋』の「秋篠宮が天皇になる日」を題名に釣られて買って読んだ。題名は衝撃的だけれど、内容は大したことがなかった。『WiLL』が皇室問題を取りあげて、よく売れたからか、柳の下の二匹目のドジョウを狙ったことだけは確かだ。論の下敷きとして、西尾先生のこれまでの仕事がある。それがあるから衝撃的な見出しで、人を引き付けることができたのだ。でも、中味は女性週刊誌と大して変わらない。西尾先生の雅子妃殿下のお振舞いに対する疑問を遠巻きに利用しながらも、全体としては西尾先生に説得されている感じがした。つまり、『文藝春秋』も今の皇太子ご夫妻にはっきり不信を抱いているといっていい。

 それにしてもこの保阪氏の論は中途半端で、西尾先生が書かれている通り、内容は全くない。

 年末の天皇陛下の健康の悪化と、宮内庁長官の発言・・・東宮大夫の発言、など重要なことが立て続けにあったのに、これらのことにはほとんど触れないで、こういう大胆な題名をつけるのは詐欺のようなものだ。

 この論文の冒頭で、西尾先生は、これまでの文藝春秋批判をもっと強めて、田母神問題など別の例を出し、より具体的に批判されている。これに対して、文藝春秋側はうまく言い逃れできるのだろうか。

 どちらにしても、きちんとした論文を掲載し続けることが、雑誌の命であるのだし、それを判断するのは、一般の読者達で、私たちもそうそう騙されはしない。昨日会った友人も「秋篠宮が天皇になる日」を読んで、私と全く同じ感想を持ったと言っていた。

 西尾先生の的をずばりと突いた批判で、『文藝春秋』まで部数が急落しなければいいが、いや、急落すれば面白いとも思う。

 天皇陛下は宮内庁長官に託したご意思が、なんとか皇太子ご夫妻に伝わってくれ、もしそれがかなわぬなら、国民よ、なんとか考えてくれ・・・と切実な思いをこめておっしゃっているのではないだろうか。その意を最も噛み砕いて応援しているのが西尾先生一人のような気がする。

 日本の皇室の危機にあって、本当に心を砕いて警鐘を鳴らそうとしている西尾先生の、ほんのちょっとでもお手伝いが出来ていることが、私の生き甲斐でもある。

 以上の文章に対し、格別に私の感想はない。いつもこんな風に応援してくれていることに感謝している。

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