大寒の日々(三)

 2月1日(日)の夜、この日録で高校時代の友人のK君として紹介してきた河内隆彌君と二人だけのお酒を飲む会を持った。

 河内君は東京銀行に入行し、ベトナム、インド、ベルギーなどにも勤務し、ことにベルギーは長かった。ベトナムはあのテト攻勢の最中のサイゴンを経験している。なぜこれらの地が活動の場となったかといえば、大学で第二外国語としてフランス語を選んだからである。

 フランス語はわれわれの若い時代に、文学部か理学部数学科でない限りあまり選択されなかった。社会科学系の河内君にしては珍しいコースだったと思う。勿論彼は英語もよくできる。英仏両刀使いのビジネスマンだった。

 彼は私たちの高校時代(昭和26-29)、クラスの誰からも信頼される、男らしい男、きっぷのいいいわゆるナイスガイだった。アメリカ映画音楽の流行った時代で、彼の歌ったHighnoonやDomino や Kiss of Fire は今でも忘れがたい。

 彼はこの夜カルカッタの話を盛んにした。インドは多民族多言語国家で統一国家ではない、と言った。中国もそうだろう、と私が言うと、中国はそれでも秦が統一した時期を経ているのでインドとは違う。インドを統一したのは英国であった。しかも英国は海から入っていったので内部に入っていない。それでいて英語が唯一の共通語だ。中国は漢字で相互理解ができるが、インドは英語以外に手がない、等々。カルカッタの底抜けの貧しさも強烈な思い出になっているようだった。

 私もそういうインドと中国が、期待される「大国」として台頭している現代は理解しがたい、と言った。しかし20世紀の前半に日本が「大国」として台頭したことも、ヨーロッパ人ことにイギリス人は理解しがたかったことと思う。

 河内君はいま Colin Smith というイギリス人の書いた Singapore Burning という本を読んでいるというので、もっぱらその話になった。まさに日本の台頭に対するイギリス人の戸惑いと恐怖の物語なのだ。

 イギリス軍ははじめ噂にきく「零戦」の出現を信じていなかったようだ。しかし目の前で次々とイギリス軍機が撃墜された。とはいえこの本は必ずしも戦闘場面だけの本ではないそうだ。

 イギリス人、オーストラリア人、日本人、インド人などが総勢550人も出てくる人間群像の物語で、辻政信も源田実もチャンドラボースも登場人物として出てくるという。勇気と献身、ためらいと逃避の両面が描かれている、まさに人間の物語だそうで、個々の人間のエピソードが綴られ、具体的な描写に満ち満ちているというから私も読みたくなった。

 何よりもいいことはイギリス人の著者の「公平さ」だという。勝利した日本軍に対する敬意、あわてふためいたイギリス軍に対する自戒と反省も書きこまれているという。たしかにあのとき以来、イギリス海軍は太平洋で二度と起ち上がることはできなかった。プリンス・オブ・ウェールスとレパルスの撃沈は17世紀以来無敵だったイギリス海軍を事実上消滅させたほどに衝撃的な出来事だった。

 もし日本がアメリカと戦争をしなかったら、歴史は大きく変わっていたろう。そんな話を二人でしていて、今の日本の言論界の空気、田母神問題で揺れている敗北者心理のことを考えた。

 Singapore Burning のような日本側が大勝利を収めた事件、それを日本人ではなく向う側の人が「公平」に書いた本ほど今のわが国の愚かな歴史意識をいっぺんに吹きとばしてくれるものはないだろう。世界は日本を公平に見ているのに、日本人が自分を歪めて見ようとするのだからどうにも話にならない。

 2月3日に同じ東京銀行にいた足立誠之さんが私の論文「米国覇権と『東京裁判史観』が崩れ去るとき」(『諸君!』3月号)について、次のようなコメントを送ってきてくれた。

 足立さんは前にも言ったが、カナダで緑内障を悪化させ失明した。カナダ在住中に奥様を亡くされた衝撃が眼の病気に致命的に作用したと聞く。本当にお気の毒でならないのだが、力強く生きている。

 文字を音声化する機械があるそうである。私の『GHQ焚書図書開封』はそれでお読みになったそうだ。ありがたいし、申し訳ない。

 以下の文から足立さんの知性の高さ、生命力の強さがはっきり看取される。いかばかりかご不自由な生活であろう。しかし、彼の日本への愛と再生への期待はそれを乗り超えるのに余りあるほどに強烈である。

 私は私の文が評価されていることではなく、足立さんのいつも変わらぬ平静さと取り乱さない一貫した愛国心のしなやかさに心から敬意を捧げたいと思う。

西尾幹ニ先生

 「諸君」3月号掲載の先生の論文を拝読いたしました。(実は弟に読んでもらったのですが)
 
 文芸春秋、諸君、正論、Voice, WiLLの主な論文は弟が先ず見出しを読んでくれ、それの中かから興味あるものを読んでもらうわけです。目が見えていたときにも感じたのですが、この頃の論文は読む気がしません。どうも論文が自分の主張を主張するために何でもかんでも都合のよい情報をパッチワークし、論文にしたようなものが多い。
 
 そうした方法に私は嫌気がさしているようです。
 
 娘が理工系で、ある企業の研究機関で働いていますが、頭とコンピューターで仮説を立て、コンピューターを使いながら実験を重ねて仮説を検証していく、そして総ての疑問が実験と検証で満足がえられた末に理論が出来る。そこでは”多数決”は無縁です。
 
 ところが人文科学の世界ではそうではありません。ある学説が都合のよい材料をかき集めて出来上がり、それを”確立した学説”、”学会の通説”などと言う。これは科学でもなく、近代精神にも無縁な中世的現象とも言えるでしょう。

 「田母神論文」問題ではそれが村山談話に合致しているのかという観点ばかり、あるいはそれが正しい歴史認識であるのかという議論ばかりが今までの論壇誌の中心でしたが、先生はそうした議論の元となる方法論に言及され、アプローチが科学の名に値するのかという点に鋭く切り込まれています。

 これは雑誌のつまらなさの本質をつかれています。

 私は2002年以来アメリカの対中国政策のUSCCの報告書、公聴会議事録を読んできました。それを動機つけたものは、新たに見出した世界に「あやしふこそものぐるほしけれ」の喜こびが湧き上がるからでした。

 「GHQ焚書図書開封」はおなじような思いを抱かせて呉れました。歴史を考える時にはその時代に一度自分が浸らなければ話ははじまらないことは当然で、それをしない歴史家は「あやしふこそものぐるほしけれ」の心境には絶対になれず、したがって歴史とは無縁な存在になるわけです。
 
 保守を自認する人達の多くがこの点で科学とは無縁の存在でしょう。
 
 更に先生のご指摘通り、”昭和史家”なる言葉までうまれて、これは時間と空間にある一定の限界を設けることによる事実の隠蔽です。
 
 毎年夏になると、文芸春秋などには半藤一利、保阪正康、秦郁彦などの「昭和史家」による「なぜあの戦争に負けたのか」論のテーマで戦前の日本の歴史を断罪する特集が組まれます。多くの人はもうこんな雑誌には飽き飽きしています。
 
 今年こそ、こうした雑誌の安易な編集に変更がくわえられるべきでしょう。飽きられた「昭和史家」でない新しい企画の登場を雑誌の世界に希望します。生半可な感想で恐縮ですが、以上ご報告申し上げます。
                         足立誠之拝

 上記の分析と感想に心から感謝申し上げる。今日ご登場いただいた河内隆彌氏、足立誠之氏のご両名は河内氏が七歳上の同じ東京銀行入行者であると最近聞き知った。が、互いにまだ面識がない。

 お二人はともにビジネスマンであった人で、政治とも戦争とも関係がないのである。平和な時代の日本の繁栄の担い手だった。そして今、日本のことを憂えている。

 機会を得てお二人が出会い、海外任地での活躍の時代の思い出を語り合ってもらいたいと思う。

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