昨年知り合った友人・福井雄三さんの新刊の本の草稿を読んでいる。『板垣征四郎と石原莞爾』という題で、4月下旬にPHPから刊行される。
この本に序文を書いて欲しい、と著者ご本人と版元から頼まれ、序文を書くには丁寧に二度読むくらいの念の入れ方が必要なので、この二ヶ月他の事をしながらのかなり大変な仕事量だった。序文は13枚になり、3月29日に書き上げることができた。
とてもいい本である。苦労し甲斐はあった。以下に二回に分けて序文を紹介する。
著者の福井さんは大阪青山短期大学准教授、55歳。『「坂の上の雲」に隠された歴史の真実』『司馬遼太郎と東京裁判』の二冊の司馬批判の本はすでにかなり知られている。カール・カワカミ『シナ大陸の真相』の訳者でもある。
言葉の最も正当な意味における歴史の書
板垣征四郎と石原莞爾という共に満州国建国に関わった二人の軍人をその生い立ちから説き起こし、二人の出会いと、交差する活動歴を描いた本書は、一見個人的な友情物語のように思われるかもしれません。私も最初しばらくはそう思って読みつづけました。しかし間もなくそうではないことに気づきます。
この本の主人公は歴史なのです。あの最も困難だったわが国の昭和前半の歴史が著者の関心の中心です。著者は激動の歴史を世の通説をはねのけるような新鮮な筆致で、ときにエピソードを混じえ、ときに大胆な新しい史観をもち出して語っています。
著者には軍事史の知識があり、外交史の観点もあります。昭和史を狭い国内の政治史にしていません。政治家の過失と軍人官僚の愚かな判断ミスの歴史として描くにしては、あまりにも日本人の尚武の気質は美しく、挑戦した文明上の課題が大きかったことを、著者は知っているからです。
そう思いつつ読み進めていくうちに、私はふと気がつきました。成程、この本の叙述の多くは国家の歴史に当てられ、個人史の記述は少ないと今申しました。しかしながら板垣征四郎と石原莞爾の生い立ちも活動歴も、相互の信頼や友情も、家族のエピソードも、満州国建国をめぐる日本の歴史と切っても切り離せない関係にあります。あの時代は個人を個人として語っても叙述になりません。日本人の歴史、とくに軍人の歴史は国家の歴史といわば一体でした。本書の題名に秘せられた著者の深謀遠慮はこの辺りにあるのだと思いました。
本書の主人公は個人ではなく、右のような意味において歴史だとくりかえし言いますが、それなら著者の描き出した激動の昭和史はどういう内容のものでしょうか。どなたもお読みになればすぐ分かることについて、へたな解説は避けたいのですが、今までに例のない新しい日本史であることは明らかです。石原莞爾のことはこれまでも何度か論じられ、研究されてきましたが、板垣征四郎を正面きって尊敬と愛情をこめて肯定的に描くのですから新しくないはずはありません。
処刑されたA級戦犯板垣は悠揚せまらぬ大人物として、偉大な実行家として、軍事思想のいわば天才であった石原を抱擁するように歴史に登場し、満州国建国の壮大なドラマを演出します。本書はそのいきさつを今の時代に得られる学問的知見を駆使して叙述するのですが、前にも述べた通り、二人は中心をなす点として扱われ、それを取り巻く歴史の全体像が面として展開されます。
戦後出た日本史専門家によるほとんどすべての昭和史は、時間的にも、空間的にも、わが国のあの時代の歴史を小さく狭く区切って限定的に論述する例が大半だといってよいでしょう。時間的には昭和3(1928)年から昭和20(1945)年までと限定したがります。それは日本を占領した連合軍(GHQ)の都合によります。日本の軍事行動を1928年の不戦条約に違反した「侵略」であったとする、東京裁判の一方的で無理な規定を押しつけてくる政治的な動機があるからです。
とかくの日本史叙述を思い出して下さい。張作霖爆殺事件(1928年)から日本史は迷走の時代に入った、とか、あるいは満州事変(1931年)から中国を侵略する15年戦争が始まり、日本は暗黒時代に突入した、などといった歴史家の紋切り型のもの言いは、恐らくどなたの記憶にもあるでしょう。今でも日本人の歴史学者がGHQの呪縛の下にある証拠です。
また空間的にも、歴史学者はわが国のこの時代を狭く限定的に眺め、世界史の中に置いて描こうとしません。天皇と西園寺の言動、内閣が小刻みに替わる政治指導力のなさ、軍人の無分別と横暴ぶり、愚かな中国侵略の無方針な拡大、そしてついにアメリカの逆鱗に触れた揚句の大戦突入――日本の指導層の言動はことごとくウスラ馬鹿のトチ狂いと言わんばかりの描き方のなされる歴史叙述が受けていて、よく読まれています(例えば、半藤一利『昭和史』)。叙述の舞台を国内に狭く閉ざし、たとえ外国の動きを描くとしても、国内から見た外国の姿にとどまります。
しかしあの時代には中国大陸をめぐって、イギリス、ソ連、アメリカはもとよりドイツまでもが日本軍の動きに介入し、謀略の限りを尽くして中国人の抗日活動を煽り立てていました。また日露戦争以来、日本はイギリスの金融資本の支配の網につかまっています。コミンテルンの策謀が史上最も効果的に世界中の知識人の頭脳を蠱惑(こわく)していた時代でもあります。
アメリカ人宣教師が中国各地でいかに狡猾な排日煽動を重ねていたか。第一次大戦に敗れたドイツが軍備温存のために革命後のソ連に接近して、さらに中国に軍事顧問団を派遣し、蒋介石軍を手とり足とりして指導したことがいかに日本を苦しめたか。日本はあの時期、世界中の災厄を一身に浴びる運の悪さでしたが、その原因の中心には「黄禍」があったと思います。
本書ではこのテーマを扱っていませんが、人種問題は20世紀政治の根底にあり、アジアで一番早く台頭した日本が白人国家の最大のターゲットになった所以は、戦後アジア・アフリカ諸国が一斉に続々と独立を果した歴史の経過からも明らかです。日本がアジア解放の旗手だったと敢えて言わなくても、20世紀前半には、ナチスの反ユダヤ主義も含めて、人種をめぐる瘴気(しょうき)が地上に瀰漫していたことは紛れもない歴史事実です。本書は従来の歴史書と違って、時間的にも空間的にも、著者の視野が長く、広い範囲を見渡しつつ叙述されているのが特徴です。満州事変、そして満州の建国を、本書は大陸における戦乱の時代の始まりと捉えるのではなく、清朝末期から果てしなくつづいていた混乱の終止符と見ています。満州事変から始まる15年戦争などという歴史の見方はまったくの間違いであって、大陸のいかんともし難い閉塞状況と混迷に終止符を打ち、最終的安定をもたらすためにとられた政治的軍事的解決――それが満州建国であったという考え方です。「1931年に起きた満州事変と、1937年に起きたシナ事変は、まったく別個の事件であり何の関係もない」と著者は書いています。
清朝末期から大陸は内乱と疫病、森の消滅と巨大水害、いなごの害などで数千万人単位の餓死者を出しつづけた不幸な国土でした。匪賊(ひぞく)すなわち強盗団が跋扈(ばっこ)する無法社会で、中華民国になってからも内乱はますますひどくなり、政府がいくつも出来て、外交交渉さえままなりません。中国はそもそも国家ではなかったのです。
そこに満州という世界希有な国家、一つの「合衆国」をつくることで全面的解決を図ろうとした石原や板垣たちの理想は、なし遂げた達成のレベルを見ても決して嗤うべき夢想ではありませんでした。ただ大陸は近隣であったがゆえに日本独自の地政学的対応をする必要があったのにそれがうまく出来なかったうらみがあります。それはドイツの戦争に時期的に重なった不運と、江戸時代の海禁政策が長く、日本人が中国文明を観念的に考え過ぎて実際の中国人を知らなさすぎていたせいでしょう。
盧溝橋の一発ですべての理想は空しくなりました。しかし本書が示している通り、満州という「五族協和」の理想は、あの時代の日本人が自国の国防だけを考えていたのではなく、大陸の混乱を救おうとした道義的介入の結果にほかなりません。