言葉の最も正当な意味における歴史の書 つづき
本書は時間的にだけではなく、空間的にも、国内の政治家や軍人官僚にだけ目を向ける凡百の昭和史の狭さを排しています。独ソ戦の推移やイギリスの対米謀略やアメリカの参戦の動機不明など、軍事的外交的に世界全体をたえず見渡しながら日本のそのつどの行動を点検し、批評していくという視野の広がりを示しているのが、読む者に信頼と関心を惹き起します。
そして、最も興味深いのは、日本が北進してソ連を正面の敵として戦えばアメリカは参戦の口実を失い、ドイツとの挟撃戦に成功して、これが第二次世界大戦に対する日本の唯一の勝機ではなかったかと問うている点です。
勿論、歴史にイフ(もしも・・・・ならば)はありません。しかしこの仮説が歴史の反省に有効なのは、日本の陸軍は大陸で戦うように訓練され、太平洋の島々や密林の中で戦うように仕組まれていなかったこと、ノモンハンの戦いが必ずしも敗北ではなく、ソ連の伝えられる超近代兵器が張子の虎であったこと(それらは戦後も最近になって国民にやっと分かって、後の祭りですが)、なぜ当時正確な勝算の情報が中央に伝わらなかったのかの遺憾も含め、上海に軍を派遣するなど海軍の意向が強く働き、南進に政策が傾き、結果としてアメリカを正面の敵として迎えざるを得なくなったこと、等々が、筋道立って述べられている点です。
著者は戦後の論調が海軍に好意的であることに対して批判的です。陸軍は大陸で戦えば、当時地上最強の軍であったと言います。へたな作戦で彼らを海中の犠牲とし、密林で餓死させた南進策を徹底的に批判しています。
勿論、終わってしまった運命を責めるすべはありません。しかし、今にしてみれば明らかに失敗であった日本のアメリカとの戦争を、別様に歩めば避けることもできたのにといって、戦後しきりに歴史を否定し、断罪するのも、後知恵である点ではまったく同じであって、あまりにも安易に過去を現在から裁いている例が多いのではないでしょうか。
次の一文は、著者がいかに過去を、その過去の時代に立ち還って見ているかの好例です、
「ドイツとの枢軸関係が、結果的に日本をアメリカとの戦争に追い込み、日本を破滅させることになったとよく言われるが、これはあくまで後世の後知恵による判断である。日本がドイツに接近したのは、国際的孤立を解消するためとソ連の脅威に備えるためで、アメリカとの戦争など誰も予想していなかった。アメリカはこの当時伝統的な孤立政策の中で、国民は圧倒的に戦争反対であり、少なくとも板垣陸相のときに、ドイツに接近することが即アメリカとの戦争になる可能性などなかった。
その後国際情勢は猫の目のように激変し『昨日の敵は今日の友、今日の友は明日の敵』で、複雑怪奇をきわめた。このような状況の中で一寸先は闇であり、明日の状況などどうなるのか、誰も正確に読むことはできなかった。刻一刻と移り変わる国際政局を見すえながら、あたかも博打を打つように、その瞬間に感じて対応していたのである」
そうなのです。あの時代を少し詳しく調べると、ここに書かれてある通りなのです。これが歴史を見る心、歴史を書く心なのです。
ですから、日本はなぜ愚かにもアメリカと戦争する羽目に陥ってしまったのか、といって、自国の政治家の迷走をしきりに責める今までの考え方はもう止めて、逆に、アメリカはなぜ日本を敵に回して戦争する気になったのか、その見識のなさ、判断力のいい加減さ、右往左往ぶり(結果としてアメリカは大損しているのですから)をむしろ問うことが同じくらい必要だということに気がつくでしょう。
三国同盟は、アメリカが対日戦争を実行するに至る明確な戦争目的などにはなりえません。日本よりも、アメリカのあのときの行動のほうがはるかに謎めいています。日本が仏印進駐をしたからといって、アメリカに何の脅威があったというのでしょう。最後に原爆まで落とすほどの戦争をする必要がアメリカのどこにあったのでしょう。
戦後60余年封じられていたこの新しい設問を呼び覚ますことも本書は可能にしてくれます。本書は最も言葉の正当な意味における歴史の書だからです。
1938年、五大臣の会議で日本は「ユダヤ人対策綱領」を定め、ユダヤ人を排斥しないことを政府の国策として正式に表明しました。この方針を提案し、その成立に最も熱心に尽くしたのが板垣征四郎でした。朝鮮軍司令官に赴任してからのある日、板垣は朝鮮のある知識人に、「朝鮮は近いうちに独立させなければならないね」とふと語り、相手を唖然とさせたともいいます。
20世紀の「人種問題」において、日本はナチスドイツとは正反対の位置にいました。ひょっとすると黒人問題を抱えるアメリカとも正反対の位置にあったのかもしれません。日本は第一次大戦後のベルサイユ講和会議で「人種平等案」を提訴して、アメリカ代表に退けられ、否決されました。アメリカが日本を憎んで、わけのわからぬ不合理な行動をくりかえすようになった発端は、案外にここにあったのかもしれません。