雑誌正論西尾論文「日本の分水嶺・危機に立つ保守」を読んで

ゲストエッセイ 
石原隆夫(いしはらたかお)
坦々塾会員

 

   西尾先生が「つくる会」を辞められて久しいが、当初は創業者としてその様な決断をされた事を私は訝しく又、不満に思ったものである。だが、辞められてからの西尾先生の多くのご論考を顧みれば、つくる会の箍を外れて自由奔放であり、それは左右を問わず日本人にとって眞に刺激的であり、似非保守の正体を白日の下に晒し、正に先生の面目躍如というべきであった。

 特に昨年の皇室問題に対する「直言」は、タブーであった分野に風穴を開けただけではなく、舟と乗客の喩えでご皇室と国民の関係を改めて問い直す重い問題提起であった事は、ご皇室に関心の深い層にはパニックを、比較的無関心な層にもそれ相応の関心を呼び起した事からも覗えるのである。

 西尾先生が懸念する左翼に取込まれたご皇室など考えたくもないのだが、一連の「直言」を読みながら感じた事は、保守の油断と御皇室への盲目的な信仰の陰で、日本の根本のところに仇なそうとする勢力が、密かに何事かを起しつつあるのではないかと言う事であり、そこから唐突に憲法第1条を想起したのである。

 言うまでもなく憲法第1条では、天皇の地位は国民の総意に基づくと書かれている。

 即ち、戦争や革命を起さなくとも国民の総意が変れば天皇の地位も危うくなると憲法は規定しているのだが、もしも天皇家に下世話な庶民と同様のトラブルが起るようなことになれば、国民のご皇室への特別な感情に変化が生じ、それに乗じた勢力が憲法第1条を悪用して國体を毀損しようとする可能性を否定できないのである。
 
 西尾先生の一連の「直言」は、その危険性を世に知らしめ、良からぬ勢力に警告を発し、國体の存続の為に天皇家のご覚悟をも促されたものと私は理解している。

 雑誌「正論」6月号の西尾先生の「日本の分水嶺/危機に立つ保守」は、昨今の日本を取巻く環境の激変とその原因について縷々述べられ、その鋭い論考は国家権力と天皇のあるべき姿に到達する。

 即ち、環境の激変は凋落する米国の中国への傾斜に原因があるが、日本の問題としては、1991年に冷戦が崩壊した時点で日米安保の必要条件が消え、日本は軍事的、政治的、外交的に自立する好機であったにも関わらず、実際には更なる対米従属の方向へ進んでしまった結果、自衛隊は米軍の機構に取込まれてしまい、権力の象徴たる軍事力を失った日本は世界の奇観だという。

 なけなしの軍事力である自衛隊が米軍の機構に組込まれても平気な日本は、軍事力の統率者が国家権力の掌握者であるという観点から見れば、力の源泉をアメリカに握られた日本には権力者がいないという逆説が成立つのだ。

 更に、ご皇室と権力との関係についても、歴史的に皇室を守ってきたのは常に権力であったが、いまやその権力がアメリカに握られているとすれば、ご皇室を守っているのはアメリカか?と、際どい日本の現実を曝け出してみせる。

 たしかに、外交も金融政策もアメリカの指示がなければ動けないばかりか、北朝鮮に国民を拉致され国家主権を侵されたというのに、「宣戦布告」して被害者を取戻し主権を回復する意志も力もないのだから、もはや国家とは言えない。

 そんな1億2千万の集団は危険な存在であり、世界秩序の観点からは、意志の明確な国家権力による統率は避けようがなく、戦後体制の復活で日本を永久に封じ込めたい米中の思惑が一致して日本の再占領となる、と西尾先生は予言する。

 三段論法的に言うならば納得せざるを得ない論理であるが、その冷徹な論理にはたじたじとするばかりである。ご皇室の守護者がアメリカだとの論理的帰結は日本人としては信じたくはないが、昭和20年の昭和天皇とマッカーサーの会見で、連合国の一部の反対を押切って最終的に安堵されたとも言える天皇家の存続を考えれば、あの時期、実質的にアメリカがご皇室の守護者であったと認めざるを得ない。
 
 その事がご皇室の記憶の中にその後もずっと残っているのかどうか、或はその関係がずっと続いているのかどうか、保守は今迄、誰も触れようとはしなかったが、西尾先生はその事の重大さを我々にこのご論考で提示しているのだ。

 悪辣なアメリカは日本統治のために守護者としてご皇室を利用し、一方では昭和憲法を日本に押しつけ、国民主権のもとで天皇の地位は国民の総意によるという象徴天皇制を時限爆弾のように仕掛け、いつでもご皇室を廃棄できるようにしたのである。

 西尾先生は昭和天皇について、<昭和天皇は占領時においてアメリカを受け入れるような姿勢をお示しになると同時に、うまく日本の伝統的な考え方を手放さずに、受容しかつ拒否する対応をなさいました。そのいい例はいわゆる「人間宣言」に際して、明治天皇の五個条のご誓文をも同時に提示して、明治からこのかたわが国には独自の民主主義があったことをアメリカ人にも日本人にも等しく暗示されました。>と、敗軍の将とは言え気概を示された事に言及している。

 上記のように気概を示された一方で、終戦前後に有った御退位の問題は複雑である。国内では終戦前の昭和二十年二月に、近衛公と高松宮が敗戦必至と見て天皇のご退位を密議し、木戸幸一内大臣が終戦前に将来退位問題が起るだろうと天皇に進言している。戦後では芦田均首相が退位論者であったようだ。

 一方国外では、御退位どころか終戦前からアメリカ始め連合国側は昭和天皇の訴追を規定の事実としていた。終戦2ヶ月前のアメリカ国民の世論調査では、天皇の戦争責任について「天皇処刑」33%、「裁判にかけろ」17%、終身刑11%という結果であり、天皇訴追は避けられない状況だった。

 ところが昭和20年9月の天皇マッカーサー会談の後、本国へのマッカーサーの進言により、連合国の天皇に対する処遇は、日本統治に欠くべからざる存在として徹底的に利用する方針に変ったのである。東京裁判が終った時、日本側の退位論に対し、マッカーサーが天皇に退位はなさらないでしょうねと聞いてきたが、天皇は側近を通じて退位しない旨マッカーサーに伝え、今、退位すると言っては信義に悖ることになる、と述懐されている。(昭和45年4月24日に稲田侍従長が承った要旨による)

 昭和天皇とマッカーサーとの間でどの様な話が交されたかは未だ不明だが、御退位がマッカーサーに対して信義に悖る行為であるという昭和天皇のご認識は、国際法無視の復讐劇だった出鱈目な東京裁判が終った時点でのマッカーサーに、日本統治の上でこの上ない自信をもたらしたことは疑いない事実だと思う。

 歴史にIFは禁物だが、連合国が当初の方針に従って昭和天皇を訴追し、仮にもA級戦犯として処罰したとすれば、マッカーサーの日本統治は失敗したに違いない。

 或は、東京裁判の後、昭和天皇が御退位されていれば、マッカーサーに対する国民の感情は敵対的になり、日本統治は成功しなかっただろう。そうであれば東京裁判史観が受入れられることもなく、アメリカに従属することもない代りに経済大国にもなれないが、自前の憲法を持った気迫に溢れた国家として国際社会でそれなりの地位を占めることが出来たのではないかと思うのだ。

 戦後の日本人には、アメリカの真意はどうあれ、天皇とご皇室を戦勝国の訴追願望から守ってくれたという錯覚があり、原爆や無差別空襲などのアメリカの残虐に目をつぶってきたのではないだろうか。しかし行き場のなくなった無念さの解消は結局、自傷行為にならざるを得ず、戦前の日本を痛めつける風潮が国民に広く支持されて、未だにその錯覚から醒めていないのが我国の悲劇なのだ。

 同様にその思いがご皇室にも有るとすれば、アメリカが憲法に仕込んだ時限爆弾の恐ろしさを関知することは困難であろう。現に今上陛下は、ご成婚50周年のご会見で、日本国憲法下の天皇のあり方が、天皇の長い歴史や伝統的な天皇のあり方に沿うものである、と述べられている。今上陛下のお言葉であるだけに、アメリカに押しつけられた問題の多い昭和憲法にお墨付を与えたことになり、政治向きの話題には今迄慎重であった筈の今上陛下のご発言だけに、その政治的な発言に驚きを禁じ得ない。

 保守陣営に程度の差はあっても、現行憲法の改正は悲願であり、安倍政権では国民投票法を成立させて憲法改正の下準備は整えたのだが、今上陛下の今回のご発言は保守にとっては大きな痛手である。天皇ご自身のお考えなのかどうかも気になるところである。

 西尾先生は上記の今上陛下のご発言に対し、天皇は権威であり象徴であって、権力を握ってきたのは武家であった、という「権権二分論」を念頭に置いてのお言葉ではないかと思われるが、「権力を握ってきた武家」が昭和二十年以来アメリカであり、しかも冷戦が終わった平成の御代にその「武家」が乱調ぎみになって、近頃では相当に利己的である、という情勢の急激な変化をどうお考え下さるのか、と問い、続いて、権力が消えてしまった情ない国に今なっていればこそ、今上陛下にこの国と国民を救ってもらいたいという思いは一方において切実です、と訴える。

 敗戦以来この方、昭和天皇から今上天皇の現在まで、日本の権力者はアメリカであり、従ってご皇室を守ってきたのはアメリカであったという目まいがするような西尾先生のご皇室に対する冷徹な論考であるが、一方では、困った時の神頼みならぬご皇室に期待し、この国と国民を救って欲しいと真情を吐露するのだ。

 この国と国民を国家破綻の縁から救い出すには、軍事力に裏打された国家権力を持たない政府にはなにも期待できないが、世界唯一の万世一系である天皇家の権威だけがそれを為すことが出来るのではないかと、西尾先生はご皇室にそのご決断を迫っていると私には思えるのである。

 ご決断とは守護者たるアメリカからのご皇室の自立である。その意思表示とは、アメリカの押しつけ憲法の破棄であり、改正憲法に於いては天皇の地位を元首とし、確固たる政治的責任を内外に明確に示し、国民に範を垂れる事である。謂わば、明治天皇と昭和天皇が述べられた「五箇条のご誓文」の精神を取戻すことではないのか。

 西尾先生は最後にこう述べる。
<しかし「象徴」が古代以来の日本の歴史によりふさわしいのであれば、アメリカに権力を奪われている国家の現状が日増しに不安定を増す恐れもあるので、皇室の安泰のためには、江戸時代のように京都にお住居をお移し下さり、より一段と非政治的存在に変わっていく方針をおとり下さり、改正憲法もそのような方向で考えていくべきではないでしょうか。いずれにせよ、わが国の体制、権力機構がこの儘でいくはずはないのです。動乱から皇室をどう守るかも、いち早く考えておくべき時代になってきたように思えてなりません。>と。

 憲法に於いて天皇の規定が「象徴」か「元首」かどちらが日本とご皇室の為になるのか、厳しい洞察を伴った問い掛けである。

 元首でない象徴天皇であっても、日本に於いては依然として天皇のお言葉は重い。

 だからこそ左翼は「天皇制」を批判し、「女系天皇」に賛成して天皇制の自然消滅を謀り、「開かれた皇室」と称して下世話なトラブルで失望を誘い、「昭和憲法死守」に賛成して国民総意の下にご皇室の法律的消滅を謀るのである。
だからこの度の今上陛下による昭和憲法第1条擁護のお言葉は、アメリカや左翼からは大歓迎に違いない。もしもこのお言葉で日本が憲法改正が出来ないならば、日本の運命は最早極まったと言っても過言ではないだろう。

 天皇とご皇室に、日本の危機は同時にご皇室の危機であるとのお覚悟がなければ、西尾先生のご提案のように,政治的環境の東京から文化伝統の京都へご遷座なさるのが日本の為なのかも知れない。しかし幕末から昭和20年迄の約90年に亘ってご皇室が政治の中心に御座した時代は、天皇と国民が一体になって日本に栄光を齎した時代でもある。時代錯誤と言う批判はあるかもしれないが、自立した日本を再生するには、天皇主権は無理としても、明治憲法を基にした改正憲法の下で天皇に主権の行使を幅広く委譲し、君臣一体の國体を再構築することではないかと愚考するものである。

あとがき
 雑誌「正論」6月号の西尾先生の「日本の分水嶺/危機に立つ保守」を読んで触発され、先生のご論考を下敷にして思うところを書いてみた。

 実はNHKのJAPANデビュー第2回「天皇と憲法」についての私の感想文をお読み戴いた先生からのメールで、正論のご論考についてどう思うかとのご質問があった。この拙文はご質問へのお答でもあるが、先生の怖ろしいほどの洞察力に狼狽えながら書いたものであり、ご皇室への思いが千々に乱れ途中で何度も止めようと思いながら書いたものである。従って文章としては纏りもなくまことに読みづらいものになってしまった。素人には荷が重すぎる宿題だった。

 この度のご論考は、皇室への直言に続く西尾先生のご皇室と日本に対する深い洞察と危機感に溢れた真の愛国の書である。保守はこの先生の問いかけに答える義務があるのではないか。

文:石原隆夫

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です