〈専門家への疑問符〉考(第四回)

ゲストエッセイ 
伊藤悠可(いとうゆうか)
記者・編集者を経て編集制作プロダクトを営む。
易経や左伝の塾を開講 坦々塾会員

 


目的本位主義がついてくる

 露伴を引き合いにして語りすぎたきらいがあるようだ。西尾先生が気づいている専門家観には、もう一つ現実的次元のものがあるのかもしれない。

 例えば「狭隘」ということも、専門家にありがちな性向から来るのではなく、学府で専門家として生きるためには狭く狙いを定めて断章取義をしなくてはやっていけない。専門家も職業人である、職業的(職場的)意識を捨てての研究は成り立たない。

 平たく言うと少しでも新しい境界を拓き、周辺的偏狭的であっても、それを差別化し提出できるテーマがあればそれをものにしておかなければ、学者として評価が得られないという現実はあるのだろう。学問の府でごはんを食べたことのない筆者にはわからないが、そういうことも想像する。

 それなら企業人と同じであるが、あらゆる学問領域の学風に流れる目的本位主義というものが専門家にもついてくる。一定の論証のために必要な資料を探し出して、分析し配列すれば論文になる、という考え方である。一定の論旨を通すには、また何らかの価値を見いだして学術的に役に立たせるには、材料を集めて按配するという作業が必要になる。

 けれど、専門家はいつでもそこに逃げ込むことが可能だ。本当に興味があるかどうかが前提としては問われない。つまり本当は興味がないから小器用に業績を積み重ねては、突っ込まれないために防御するという非知的行為のほうでエネルギーを消耗することはないのだろうか。

 学術的価値如何ということを言いつつ「成果」を気にしているが、自ら研究の「姿勢」を問わないでは、冒険も意欲も想像も人間としてついえてしまうのではないだろうか。論文になる、というだけなら、人間としてこしらえものに倦んでくるはずだ。

 ここで、一つ断っておかねばならない。
 私は専門家という存在について、極めて大雑把な感想を述べてきたに過ぎないが、異論もあるだろう。専門家は、もっと多方面の分野で多様なかたちで社会に役立っている、そして、彼らは様々な人々の欲求に応えるため新しい学問を確立している、専門家の捉えかたが古くて狭すぎる、と。

 大学に新設される学科も百花繚乱らしい。マンガ学、美容心理学、スポーツイベント学等々、私が今すぐ造語すればそれがクイズの正解になるような学問がいっぱいあると聞く。しかし、それは〈商売〉ではないか。

 佐藤優氏が危惧したほどに、ポストモダン以降の乱痴気騒ぎに似た退行現象を、私は正面から受け止める気がしない。また、受け止めてはならないと思っている。同世代から出た毒は真っ先に同世代が吸引する、と私は思っているが上記のキラキラした怪光は大正期にも出現したし、明治初期にも三十五、六年のときも出現したのではないだろうか。

 この小論の探究力の不足は認めるとしても、〈新造語学問〉の専門家は全く範疇ではない。

思想家だけが「死」と「過去」に寄与する
 
 西尾先生は『江戸のダイナミズム』のあとがきで書いている。帯にもなった次の文章だ。

 「地球上で『歴史意識』というものが誕生したのは地中海域とシナ大陸と日本列島のわずか三地点です。そこで花開いた『言語ルネッサンス』は文献学の名で総括できますが、それは単なる学問ではありません。認識の科学ではありません。古き神を尋ね、それをときには疑い、ときには言祝ぎ、そしてときにはこれの背後に回り、これを廃絶し、新しき神の誕生を求めもする情熱と決断のドラマでもありました」
 
 短い文章に非常に大胆なことが書かれている。この本で単なる学問ではない、認識の科学ではないところのものに踏み込んでみたのだ、と宣言している。「学問」といえば高尚であり「科学」と言えばすばらしい、と暗黙のうちに見ている人はまず頭を叩かれる。

 その方法として時間的、空間的に大きなコンパスを取り出して、思い切って世界に図面を引いてみた、と書かれてある。専門家はたくさんいるが、いっさいそういう仕事はしないし、気がついてもくれない。だから自分は自分なりにやってみる、というふうにも読める。
 
 西尾先生がふと漏らされたに疑問に触発されて、専門家とは如何なる存在か、専門家の仕事とは何なのか、そして専門家が陥っている狭隘なる世界、時折見かける錯誤した自負はどこから生じるのか、ということをここで考えてみた。時代相を冷静にみれば、誰もかれもがいっぱしの「専門家」にならんとして、息せき切って走っていると言えるのかもしれない。
 
 相対主義、機械主義、実証主義などの弊と共に、西部氏が指摘するような方向喪失と価値喪失にゆきついたアカデミズムの世界には、門外からはわからない「知」の荒廃が横たわっていることだろう。
 
 ただ、一つこういうことが言えるのではないか。専門家は益々こんごも「生」と「生活」に寄与するであろうが、「死」と「過去」には寄与しない。そもそも「死」と「過去」のための仕事があるとは夢にも考えたことがない。よって、専門家からは専門家の根本是正は行われないだろう、というのが私の結論である。

 「死」と「過去」に寄与するのは思想家の役割だからである。専門家は〈万古の疑義〉を持たない。

飴のように延びていく未来像

 ニーチェが『悲劇の誕生』を書いたとき、ヨーロッパに流布していたギリシア像は近代主義的合理性、明るい楽天性、人文主義的晴朗さ一辺倒であった、ということを『江戸のダイナミズム』から教わった。ギリシア悲劇の作品のどこにもニーチェが直観したようなディオニュソス神という暗い衝動の神格が影響したという証拠は見つからなかった。

 が、半世紀も経たないうちに、遺跡の発掘が進んで、文明の奥の暗い非合理な神霊的側面が次々と証明され、古典研究の上で大きな影響を今も与えている、とする最終章にある「悲劇の誕生の謎」の頁を覚えている方がおられるだろう。

 「大抵の文献学者は明るい理性を前提として古代を解釈」していたし、それが「客観的」だと信じ込んでいたが、文献や証拠すら無視したニーチェの主観がむしろ客観的で、現在も大きな意味を持ち続けている、と。

 勝手な読者の理解にすぎないが、私には当時の「大抵の文献学者」が現代日本の「大抵の専門家(知識人)」と二重映しになる。しかし、日本の知識層にあるのは明るい理性を前提とした「未来」である。経済危機や環境や少子化などに取り敢えず関与して悩ましい顔をしているが、本質は軽躁である。

 「日本に流布していた〈未来像〉は近代主義的合理性、明るい楽天性、人文主義的晴朗さ一辺倒であり、そのまま飴のように延びていく〈未来〉を解釈していた」と、遠い将来に誰かに書かれるのではないだろうか。

 「思想家とは、自分自身を含めてその時代に対する、また来たるべき時代のための〈裁断者〉たるとともに〈戦士〉としての任務を進んで引き受けたもの、否むしろ否応なくそれを受諾せしめられたもののことに他ならない」と小野浩元明治大学教授はニーチェに即して語ったことがある。 
 
 この小野教授の定義を思い起こし、これに重なる存在が今なおあることに気がつく人たちは幸福と言わねばならない。

 勿論、ニーチェが生きた時代と同じく、ニーチェの脚元にまつわりついて血を吸う蛭の群れが今あることも変わらない事実である。〈引き受けたもの〉の宿命というべきだろうか。

 けれども、早合点、早とちりをしてはならないだろう。この〈裁断者〉たるとともに〈戦士〉という人は、イデオロギーの衝突の場で頑張っている活動家ではない。イデオロギーの信奉者は「自分自身を含めて」という辛い戦いはできない。

つづく

文・伊藤悠可

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