ゲストエッセイ
石原隆夫
坦々塾会員
期待に違わず刺激的な坦々塾だった。殆ど全会員と言って良い55人の塾生が一堂に集り、講師の口から出てくる次の言葉に一喜一憂したのは久しぶりではないか。
その講師一番バッターは、つくる会でもお馴染みの鈴木敏明さんで、4冊目の御著書、「逆境に生きた日本人」でお書きになった、日本民族の行動原理についてのお話し。
要するに日本人は逆境に追込まれると平気で國を、民族を、仲間を裏切ってきた。その節操のない民族がたどり着いたのは自己を裏切る「自虐史観」だと言う。「自虐史観」とは民族の資質が生み出した当然の帰結なのか・・・?
実は、坦々塾から1週間経ったが、その折り購入した御著書を未だに読了していない。
ハッキリ言ってもうこれ以上読みたくないというのが本音である。歳とって気弱になったせいか厭な話には拒絶反応が強い。勿論、馬鹿な左翼の本などまっぴらだが、保守の仲間の本でこんな感情が起きるのは珍しい。
私にとって特にこたえたのは「日系アメリカ人」についての考察である。
それには理由がある。若い頃と言っても、まだ旅客機がペンシルジェットで1ドル360円で500ドルしか持出せない頃だが、私は会社からハワイの日系の建設会社に研修生として派遣された。周りは殆どが2世で第2次大戦を経験している人ばかりで、当時ハワイでは選民としてその地位を確固たるものにしていた。InouyeとかAriyosiとか言う日系二世が上院議員や知事だった頃である。
会社のトップやマネージャークラスから時々ホームパーティーに招待されたり、現場監督や大工さんから一杯誘われた時に出てくる話はいつも「大和魂」の精神論であり、具体的には第百大隊や442部隊のヨーロッパ戦線に於ける日系部隊の活躍振りだった。日米戦争が起ると本土の収容所に敵性人として閉じこめられたが、アメリカに生れ、平等に教育を授けてくれたアメリカには「一宿一飯」の恩があるという思いだけで、母国日本に敵対する志願兵になったのだと言う。その思いと、なにくそという気持こそが「大和魂だ!」と誇り高くビールのジョッキを挙げるのだ。
私は母国に背を向けざるを得なかったそんな日系二世を愛おしく思い、その潔さに同じ民族として長年、誇りにも思っていたのだが、鈴木さんにかかるとそんな日系二世もカタナシになってしまう。私は二世を誇りに思う一方で、同じ収容所の中で最後まで理不尽なアメリカに抵抗し、最後には補償を勝取った二世がいた事を知ると、生理的な違和感を感じ複雑な気分になる。
一方で、シベリア捕虜収容所で過酷な労働に従事しながらも、恥も外聞もなくソ連に迎合する日本人捕虜が、他国の捕虜や当のソ連兵から蔑まれた話は、身悶えするほど恥ずかしく悲しい。アメリカで強制収容所送りになったのは日系だけで、三国同盟のドイツ系移民もイタリア系移民もお咎めなしの人種差別むき出しの処遇だったが、もし、シベリア同様に、ドイツやイタリア民族と一緒に収容されたら、日系人はどう振舞ったのだろうか。他民族から蔑まれても、やはり「一宿一飯」の恩を感じたのだろうな、と思うのだが、そう思う自分に近年、後ろめたさを感じるようになったのも事実だ。
その理由は中国系や韓国系アメリカ人の振舞いが頻繁に話題になってからだ。
アメリカ人として生れ、教育を受けた彼等が、アメリカと母国との対立が起ると、無条件に母国の中国や韓国の立場にたって平気でスパイや工作に従事し、アメリカを裏切る。「一宿一飯の恩」など微塵も感じていない。必ずしも母国の強制があったからでは無く、自然とそうなる。そのような迷いのない彼等の行動規範にも一種、潔さを感じてしまうのだ。
よく言われるように中国も韓国も血縁第一の社会であり、舞台が国際になれば、血縁第一意識が拡大されて人種的結合が何よりも優先されるのだ。冷戦崩壊後の民族主義の勃興が更にその傾向に輪をかけ、帰化手続が必ずしも国家への忠誠を担保しなくなったのである。
日本での在日問題にも同じ事が言える。日本人の「一宿一飯」意識など、彼等には意味のない戯言に過ぎない。従って地方参政権を手に入れるまでは如何なる屈辱も堪え忍び、最後はこの日本を乗っ取ろうと真剣に考えている。
アメリカ軍の中で最も戦死率が高かったのは日系部隊だった。第2次大戦後に日系の州議員、連邦議員やハワイ州知事を輩出して人種差別を超克し、民族の名誉を回復したが、それは名実共に日系人の血で購った結果であった。
この日系アメリカ人と中韓系アメリカ人の相反する生き方の違いは、民族の生き方としてどちらが好ましいかという重い命題を我々に突きつける。その解は道徳論に求めるか政治論に求めるかで違ってくるのだが、いずれにしても鈴木さんの日本民族に対する冷徹な考察を正面から受け止めないと、これからの国際社会で日本はやっていけない時期に来ている。
つづく
文・石原隆夫