ゲストエッセイ
早瀬 善彦
京大大学院生、日本保守主義研究会学術誌『澪標』編集長
8月6日に広島で予定されていた田母神氏講演会は、秋葉忠利広島市長の卑劣な脅迫にも屈することなく無事行われることが決定したという。そのこと自体は歓迎したい。
民間団体が主催する講演会に「待った」をかけた秋葉広島市長の凶悪かつ卑劣極まりない権力行使には、唖然とするほかない。共産主義者の正体みたり!とはこのことであろう。言論弾圧体質が骨の髄までしみ込んでいるからこそ、市長という立場も忘れてとっさにこうした暴挙に出てしまうのであろう。
しかしながら、それ以上に看過できないのは、秋葉氏の言論弾圧にたいする主催者側(日本会議広島)の対応である。主催者関係者は以下のように語ったという。
「私達は市長以上に核廃絶を願っている。北朝鮮や中国の核実験が問題になるなか、真の平和のためにどうすればいいのか、という趣旨の講演会がなぜふさわしくないのか全く理解できない」
さらに、日本会議広島が中国新聞に掲載した意見広告が問題である。
「1.『核兵器のない世界』は私たちの願い」と題した上で、「核兵器廃絶は私たちの願いです。本会には被爆者や被爆二世の方々も多数おられ、平和を希求する思いは誰にも劣るものではありません。」と謳っている。
続けて、「2.北朝鮮の核に触れないヒロシマの『平和宣言』への疑問」では、「『核兵器も戦争もない世界』を実現するには、その精神を高く掲げつつ、万全を期して現実的脅威に備えることが必要です。そのためには客観的に現状を把握し、具体的施策を考え努力することが大切です。」と主張しているのである。
仮に、保守を自認する日本会議広島が心の底からこうした思想を持っているとしたら、それはそれで大きな問題だとしかいうほかない。
「万全を期して現実的脅威に備えることが必要です。そのためには客観的に現状を把握し、具体的施策を考え努力する」のならば、核の廃絶など決して現実的な選択肢には入ってこないはずである。というのも、核廃絶と平和は現状において、決して結びつかないからだ。
たとえば、冷戦中、地政学的にも陸軍力においても不利を極めていたアメリカが、ソ連にたいし、かろうじて優位性を維持できた大きな理由は、長距離(中距離も含む)核ミサイルの存在にある。
第二次大戦後の国際社会、つまり核兵器が世界各国に実戦配備された世界では、どんなに政治的に対立した国家同士も、直接的な戦争だけは何とか最小限にとどめようと務めてきた。この歴史的事実は誰しも認めるところであろう。
通常の国民国家同士の争いにおいては、恐怖の度合いが抑止の信頼性につながるという哀しい現実がある限り、真の世界平和を目指すのであれば、現状における核の廃絶はおよそ現実的な政策ではない。
かつて、サッチャー首相が語った「われわれは核兵器の無い世界ではなく、戦争の無い世界を目指すべきです。」という言葉ほど心理を鋭くついたものはないだろう。
日本会議広島の今回の態度をみている限り、彼らも所詮は「戦後民主主義の常識」から完全に抜け出すことのできない、うす甘い心情的左翼なのではないかと思えてくる。
文:早瀬善彦
「怒りの返信!」
1:貴様こそ顔を洗って出直せ!!
2:核のことを言うなら中国、北朝鮮、ロシアに言え!
3:これらの国には何ら発言も出来ないくせに偉そうな口を慎め!
4:共産圏・社会主義国に行き、日本国の為に自論をのたまわってみろ!
5:平和ボケもほどほどにしろ、現実を直視出来ぬエセ偽善者!
6:心一新、改心して母国の為に汗を流せ・・・!!
以上