10月10日にようやく『決定版 国民の歴史』(上・下)が刊行されました。文春文庫の棚は全国のほとんどすべての書店にありますので、そこにご覧のような表紙絵の文庫本が二冊横積みに置いてあるはずです。もの凄い勢いで売れた今から10年前のフィーバーよもう一度甦れ、と期待していますが、さてどうなることやら分りません。
過去、当日録にこの本の紹介文章を記しました。もう一度みて下さい。
ここには目次のみを再度掲示しておきます。新たに加筆した赤文字の個所にご注目下さい。何人かの友人がこの追加部分を早くも読んで、面白いと言ってくれました。
上巻目次
まえがき 歴史とは何か
1・・・・一文明圏としての日本列島
2・・・・時代区分について
3・・・・世界最古の縄文土器文明
4・・・・稲作文化を担ったのは弥生人ではない
5・・・・日本語確立への苦闘
6・・・・神話と歴史
7・・・・魏志倭人伝は歴史資料に値しない
8・・・・王権の根拠―日本の天皇と中国の皇帝
9・・・・漢の時代におこっていた明治維新
10・・・奈良の都は長安に似ていなかった
11・・・平安京の落日と中世ヨーロッパ
12・・・中国から離れるタイミングのよさ―遣唐使の廃止
13・・・縄文火焔土器、運慶、葛飾北斎
14・・・「世界史」はモンゴル帝国から始まった上巻付論 自画像を描けない日本人
――「本来的自己」の回復のために――
下巻目次
15・・・西欧の野望・地球分割計画
16・・・秀吉はなぜ朝鮮に出兵したのか
17・・・GODを「神」と訳した間違い
18・・・鎖国は本当にあったのか
19・・・優越していた東アジアとアヘン戦争
20・・・トルデシリャス条約、万国公法、国際連盟、ニュルンベルク裁判
21・・・西洋の革命より革命的であった明治維新
22・・・教育立国の背景
23・・・朝鮮はなぜ眠りつづけたのか
24・・・アメリカが先に日本を仮想敵国にした(その一)
25・・・アメリカが先に日本を仮想敵国にした(その二)
26・・・日本の戦争の孤独さ
27・・・終戦の日
28・・・日本が敗れたのは「戦後の戦争」である
29・・・大正教養主義と戦後進歩主義
30・・・冷戦の推移におどらされた自民党政治
31・・・現代日本における学問の危機
32・・・私はいま日韓問題をどう考えているか
33・・・ホロコーストと戦争犯罪
34・・・人は自由に耐えられるか
原著あとがき
参考文献一覧
下巻付論 『国民の歴史』という本の歴史
今回「決定版」と名づけたのには幾つかの理由があります。余りにも短い時間に1700枚もの大著を書き上げたので、文章に粗い所や乱れがあり、若干の誤値もありました。それらの修正はもとより、古代史その他に研究上補説の必要な個所も生じ、かなりの書き加えも起こりました。徹底的に見直して、後顧の憂いをなくしたいと思ったのは、私の死後何十年かたってもう一回改版される可能性があるものと信じているからです。テキストの完成はそのためにどうしても必要です。
テキストを正確にするには私の地の文の精査に心を尽くすのは当然ですが、引用文にも書き間違いや写し間違いがあってはなりません。今度文芸春秋の校閲部は数百点にのぼる多種多様な引用書の原書の引用個所にすべて当って、過ちを正し、正確を期することになりました。これには私も驚きました。約400点はある引用書の原本の8割はわが家の書庫にあります。しかし、10年たっているのでどこかの図書館を利用したり人から借りたりして、いま手元にない本も少くありません。
日本の出版文化はなお校閲部を有する大手出版社に関する限りじつに頼りになるものだと思いました。新潮社や中央公論社で本を出したときにもほゞ同じ経験をしました。文藝春秋の編集担当者は校閲部を手助けするために、普通に手に入らない本や文献――私の自宅にはいま存在しない――をさがして図書館や他の出版社を走り回ってくれました。引用文の正誤を正すためにたった一冊も見逃すまいとしてです。それは血のにじむ努力で、しかも誰も気がつかない目立たぬ努力です。
文藝春秋と扶桑社とでは出版に対する心がけがまるで違います。扶桑社には校閲部がありません。だから誤植の多い本を平気で出します。その他でも、校閲部のない出版社はざらにあります。「決定版」はやはり文芸春秋レベルでないと出版できないことを確認しました。
もとより私の『江戸のダイナミズム』のときの同社の校閲班の努力はこの比ではありませんでした。今思うと、不景気の時代によくあんな規模の本を出してもらえたものと思います。
『国民の歴史』に引用した本の8割は私の書庫に所在しますが、10年経って、どこの位置にあるか書庫は広いし混乱しているのですでに分らなくなっていました。かりに本を見つけても、引用個所がどのページだったか忘れていて、これまた捜すのに一苦労です。一日、担当編集者と共同で作業し、本の必要個所をみつけてコピーし、コピーを校閲部に運んでもらう準備をしましたが、一日では足りませんでした。
そんなわけで書庫をかき回す作業が何日もつづきました。次第に10年前の熱闘の記憶が甦りました。忘れかけていた内容、読みかけのテーマ、追求途中で放棄した課題――古代から現代に及ぶ日本史・中国史・西洋史のさまざまな問題が心の中に復活し、そうだ、もう一度しっかり勉強し直そうという気にもなってきました。
『決定版 国民の歴史』の下巻に、「参考文献一覧」が小さい字で12ページにわたりびっしり、各章ごとに分けて提示されています。これはこの新版の新しい特徴です。私はこの文献一覧を作成するために大学ノートを用意し、混乱した書庫を整理してから各種各様の本を読んだり、閉じたり、思案したりしつつ、新しい分類表をつくりました。これは楽しい作業でした。また次への新しい仕事のプランが湧き出てくる心躍る充実した時間でもありました。
いかに世界には私の思い及ばない知らないことが多いか。この歳までいかに学ぼうとして学び得ないできたか。文章を書くよりも、もっとたくさん読まなければいけない。書くことには時間を要し、つい学ぶことが疎かになる。いつもその反省が私を苦しめます。あまりたくさん書く仕事をしない学者は、私よりもよく勉強し、多くをよく知っている。その事実もたしかにあって、私を焦らせてきました。
今年の6月と7月は書庫をかき回して必死でした。心に惑いが生じ、不安が芽生え、勇気も湧いてきました。「参考文献一覧」はとても思いの多い仕事となりました。読者の利便に供しただけでなく、読者の興味をも十分にそそる書名と著者名の開示になっているように思えます。ぜひ注目して読んでいたゞきたい。
しかも普通の参考文献表と違って、ところどころに私の自由なコメントが入っていて、型破りであり、担当編集者をこの点でも面白がらせました。
上下巻についている各付論とまえがきは併せて150枚はあり、当然語るべきことはたくさんありますが、これは読んで頂くしかありません。今日は普通には目立たない「参考文献一覧」について、あえて一言しました。