福田恆存氏との対談(昭和46年)(二)

 この企画は三部から成り、最初に福田氏と私の対談、次にロレンス「アポカリプス論」の福田訳のまえがき・解説「現代人は愛しうるか」、最後に西尾による解説評論「エゴイズムを克服する論理」である。

 ここには最初の対談と最後の解説評論を掲示する。

 福田訳のロレンス「アポカリプス論」は福田思想のいわば原点で、戦争の直前の昭和16年に訳出されたが、出版は昭和22年5月であった。「アポカリプス」は聖書のヨハネ黙示録のことである。ロレンス「アポカリプス論」の翻訳は筑摩叢書(絶版)、福田氏のまえがき・解説「現代人は愛しうるか」は福田全集に収められている。

 以下に掲示される福田氏と私との対談、及び私の解説評論「エゴイズムを克服する論理」は今まで何処にも再録されていない。

 なお同対談の行われたのは三島由紀夫の自決から約半年後である。

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西尾――ロレンスの「アポカリプス論」は、福田さんが人生に対する見方を教えられた書物、もし、福田さんにとっての“一冊の本”があるとすれば、『現代人は愛しうるか』があがるわけですね。この作品を拝読すると、福田さんのこれまでのいろいろな著作活動の中に出てくる発想の多くが、やはりこのときのロレンスへの傾倒と深く繋がっていることが想像できます。

 たとえば、最初のほうに「民主主義はクリスト教時代のもっとも純粋な貴族主義者が説いたものである。ところが、今ではもっと徹底した民主主義者が絶対的貴族階級に成り上がろうとしている。(中略)強さからくる優しさと穏和の精神――をもちうるためには偉大なる貴族主義者たらねばならぬのだ。(中略)ここに問題にしているのは、政治的党派のことではない、人間精神の二つの型を言うのである」とあります。これはほんとうに偶然拾い出したものですけれども、さならが福田さんの文章のようです。ロレンスの場合は、彼の生きた時代の日曜学校や教会で、毎日のように繰り返されている牧師、もしくは聖職者の説教に対する反感みたいなもの、逆にいえば、宗教教義の問答みたいなものが根強くある伝統的な風土の中で、ロレンスはそれに反抗し、黙示録のうちに弱者の自尊の宗教を見ます。そういうアポカリプスの中に現われた地上の権勢というものを憎悪し、呪詛し、そして弱い人間が肌あたため合って、その中に己のエゴイズムを、復讐のルサンチマンの中に燃えあがらせる。そういう歪みが近代になって、自由・平等・博愛という美しい理念の中に忍び込むというのが、ロレンスの発想にいろいろな形ででてくるわけです。福田さんの著作活動の中で、知識人ということばでしばしばいわれているイデーが、ロレンス、ジイド、ニーチェなんかが発言したときの牧師もしくは聖職者というようなことばで排撃されている内容と、かなり酷似しているという印象を受けるわけです。

 それから、福田さんの場合には、知識人と民衆というもう一つの考え方。この民衆ということは、民衆の素直な心、民衆の生き方、あるいは生活人ということであって――福田さんの思想は、どだい生活人としての生き方を重視するということですね。ですから、いわゆる知的虚栄心を取り払って、生活人に実態をかえして、そこからものを見ていこうとされる。それが、福田さんの発言の一番の強さをなしていると思います。それは、戦前の下町(神田)の風土からくるのではないか。たとえば職人芸をいろいろ勧められたり、いつも素人の心を忘れるなと言われています。実際に職人の仕事に愛情をもっておられ、そういう生活人の側面、それと文筆ということがパラレルの関係をなしていると思われるのです。

 そこでお聞きしたいと思ったことは、いま述べたヨーロッパの現実の中で起こった大きな精神上のできごとについてなのです。強者と弱者の対立が非常に激しく、したがって、ほんとうに弱者は弱者であり、そのために、弱者の自尊の宗教というか、反逆意識というか、裏返された権力意識というか、熾烈なものがあって、そのためパラドクシカルな肉体侮蔑のキリスト教のもっている陰惨さ、そういうものがある風土で起こったロレンスの精神は日本でどう考えるべきか。日本の風土というものは、強者、弱者の対立もなく、けじめもはっきりしていない。それにもかかわらず、ロレンスの中に自画像を、読み取られる。ロレンスが日本人の問題になり得る外的条件は、戦前から戦後にかけての、昭和十年代以降、日本の近代化がある点に達して出てきたことは事実だろうと思います。そのような時代の中でロレンスの精神ドラマが自分の主題になり得たわけですね。しかし、それにも拘わらず主題になりえない部分が依然として残るように思います。つまり、日本の風土は、(『日本および日本人』の中で絶えずお書きになっているところですが)自我の対立がもともと相対的で、曖昧です。その風土性とロレンスのパラドクシカルなドラマとはどう共存しているのか。それから、福田さんの下町っ子気質からくる日本の民衆意識、にもかかわらずとかく福田さんの生き方が貴族主義的な発想だとみられているパラドックスにみられる食い違いはなぜなのか、お聞きしたいと思います。

福田――知識人と日曜学校の先生と同列に並べられたことは確かにそのとおりですが、知識人と権力者とは、明治の初めのうちだけは蜜月時代があった。それもせいぜい十年代だけで、二十年代ごろから、徐々にその分離が始まった。自由民権思想などからもきていると思うが、敗北者は善であるという考え方が、非常に強くなってきた。そういう状況で戦争を迎え、戦後は、さらに激しくなった。ジャーナリズム、あるいはマスコミュニケーションの拡大ということと繋がっていると思うが、すねていて、おれが正しいという段階から、すねる必要もないくらい知識人が強くなってきた。戦前までは弱者天国だったが< (一人一人ばらばらになれば弱者に違いないが)今の知識人などをはたして弱者といえるか疑わしい。権力対反権力、体制対反体制というとき、反体制がそのまま反体制にとどまっているのかどうか。また反権力を主張する人たちが権力なきものであるかどうかというと、すでにそうではなくなってきている。権力を持ってきているのです。これは日本だけでなく、戦後の世界状況も、だいたいその傾向を強めてきている。ヤングパワーの擡頭で権力が弱くなり、反権力がひじょうに強くなっている状況の中で、ロレンスの思想が生きてくるように思う。彼が生きていたならもっと激しく問題を追求したことでしょう。 

 私がロレンスに一番影響されたということから、さっき西尾さんが言われたように私は貴族主義的だとみなされることが少なくないが、実は、私はそうではないつもりなのです。ロレンスの中にも自我を克服する、あるいは自我を越える過程で、謙遜と同時に傲慢が出てくる逆説的な面がある。ロレンスは、人間の自我の中に集団的な自我と、孤独な、個人的な自我と、二つが必ずあるとしている。これは逆説的です。人間は孤独であって、初めてその人の本来の姿であるともいえるし、人間は絶対に孤独であり得ないともいえる。そこで個人的自我と集団的自我をどういうふうにしたら自分との折り合いがつくかという問題が出てくる。ロレンスのことばを使えば、イエスも弟子たちの英雄崇拝には答えられなかった、といえる。イエスのうちにある貴族主義が、自分を英雄扱いにし、神さま扱いにする弟子たちの態度に対して耐えられない、ということになる。それがイエスの大きなあやまちである、とロレンスはいっている。しかし、イエスが弟子たちの英雄崇拝に耐えられないのはイエスが貴族主義的だともいえますが、むしろ、それはイエスの弱さ、というより優しさによると言えるのです。つまり、イエスにはあつかましさ、図々しさがない。だから、人がよく言う貴族主義とは逆の現象です。人気や、評判や、権力というものを平気で手に握って傲然と構えていられない優しさ、この優しさというのは、見方を変えれば弱さともいえるものですが、単なる弱さとはちがう。人間の弱さに徹底しろという強さから出てきたものだし、またそういう強さを自他に要求するものです。

 普通、貴族主義を定義すれば、傲然と構えている人間を貴族主義といっていると思うのです。たとえば、ワンマンとして部下に君臨しているとか・・・・・・一般にはそれができるのが貴族主義というのですが、ロレンスはそれができないのが貴族主義だといっているわけです。

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