今年最後の新刊が11月末に出ます。今度は共同著作です。新進気鋭の評論家平田文昭氏との対談本です。
いま日本が落ちこんでいる精神状況を根底から問い直してみようという試みです。
広告用に過日作成され、すでに一部が講演会などの会場で散布されたチラシを以下にご紹介します。
いま率直に語りつくす
戦後「保守」の自己欺瞞・時代への警鐘
祖国日本再建の指針
保守よ、日本よ、 正道にかえれ! よみがえれ!
『保守の怒り ―天皇・戦争・国家の行方―』
対談 西尾幹二 × 平田文昭
刊行 草思社 予価1800円 11月下旬発売予定混乱・荒廃・騒擾、そして戦争の時代が来ます
日本国と皇室は、昭和20年以来の、存亡の危機に立っています
その存続と再生は保守にかかっています
しかしその「保守」がいま自滅しようとしています平成21年夏の衆議院議員選挙後に、「保守」にただようこの虚脱感
それは「保守」が空虚だったことの証明です
「保守」とは政治家ばかりではなく言論人・運動家も含みます
冷戦終了後のフィリピンのマルコス政権のように落ちぶれたのがいまの「保守」ですこうなったのは、朝日・NHK・日教組のせいでしょうか?
いいえ
「保守」は「反」のみが生甲斐だった昔の社会党のようになってはいませんか
「保守」の芯はいつしか溶けさり
思想も、時代への対応力も、実務能力も失い
「保守」はいつしか愛国ゴッコ利権となり
知も智も、信も誠も哀も愛も、断も勇も、すべてを亡くしていたから
虚名と虚勢と虚構と以外のすべてを無くしていたから
「保守」はここまで無力化し、いま崩落しつつあるのです「ご皇室ありがたや念仏」を唱えていても問題は解決しません
「朝鮮台湾にはいいこともした史観」に酔っていても日本の明日は切り拓けません
「保守」が隠しても世間は知ります左翼に道をつけてきたのは、自称保守なのです!
保守の覚醒と再生なくして、日本の生存と再生はありません
「保守」よ、娑婆に出よう! 現代の現実に生きよう!衝撃の言葉、真実の言葉、魂の言葉に満ちた
衝撃の対談、この秋11月刊行です
おじゃまします
この本を今一度正面に立てて、多くの方に論じ合っていただきたいので、再びコメントさせていただきます。(今回は脱線話になりますが)
今の時点でこの日録の最新記事は2013/5/9 木曜日に記事。
ー日本の自虐的な歴史観、世界を鏡に自国の過去を「反省」ばかりしているわが国のほゞ全知性を蔽っている歴史観について、あるとき福井さんは「あれは皇国史観ですな」と仰言った。ーと始まる
皇国史観論者とはー戦後を支配した歴史思想、ことさらに自国の軍隊の欠点をあげつらい、罪と悪の日本史を仕立てて、日本はここで間違えた、あそこで判断を誤った、としきりに言い立て相手の軍隊の罪や悪をほとんど見ようとしない歴史観は、自己満足史観で、日本が正しい道を歩んでいたら戦争は起こらなかった、という前提に立っている。日本が道徳的に立派だったら、相手の軍隊も道徳的に立派に振舞い、戦争は避けられ、世界史の歩みは変えられた、という仮説の上でものを言っている。ー
また皇国史観論者とはー戦前も戦後も日本人の大半は世界の現実が見えない。最高学府の知性にも見えていない。戦争は相手があって初めて起こる、という子供にも分る常識から出発していない。反省と自己批判から出発している。しかもそれによって自己の誠実を証明し、自己の美化を企てているー
確かにそうだと思う。コルクがピッタリビンの蓋にはまるように、確かにそうだと思う。唸ってしまうほどに。
ただこの皇国史観論、がどのような文脈で上からここに流れ着いてきたのか、よくわからない。
ひょっとしたら(多分そうではないと思うけれど)「現代史研究会SPチャンネル桜」(2013/4/29 月曜日)の3時間番組で西尾先生が2分間ほどおっしゃった「北朝鮮は日本とは敵対していなくて、本質は関東軍が建設した国家だ」という説、を仮に真実と見た場合、それを信奉し(その説)に乗っかって実行動をしている人たち、を指して「皇国史観論者」だとする、というふうに論理が繋がっているとすれば、これまたとても、わかりやすいし、大変面白い。ここに書かれた皇国史観論者は、必ず(神の国大日本帝国よ永遠なれ)というノスタルジー病にかっかっているはずだからだ。現実のとんでもない世を(自己の誠実を証明し、自己の美化を企てて)生きるためには、、自己満足的夢やプライドを、鎖国的状況に隔離し続け、テコでも動かさず、固定し続けなければならない。故にその病とともに皇国史観論者は動かない時を生きることができる…
何を言ってるの?って?
いや別に、ちょっとくどくど言ってみただけです。もっとわかりやすく言うと、2013/5/9 木曜日の日録に現れる皇国史観論者は、この本「保守の怒り」は絶対に理解できないだろうし、そもそも、まず最初から読もうとしない、手にも取らない、ということです。回り道になりましたが、直前の1行をもって、この本の紹介に代えさせていただきます。どんな人におすすめというより、どんな人が「嫌がるか」という、逆説的推薦です。(それにしても長い、これはマナー違反かもしれない。)