ドイツ大使館公邸にて(五)

 やがて話題は日本のアニメ文化がドイツにも広がっているというテーマに移っていった。これは私にはついて行けないし、どういうことか具体的イメージが湧いてこない話題だった。名前がいくつも飛び出したが、私は詳しくは知らないし、分らない世界である。

 勿論そういうニュースは前から耳にしている。フランスの子供たちが日本のマンガに夢中で、悪影響をあの国の文部省が心配しているというようなニュースを聞いたのはもうかれこれ20年も前になるだろうか。今ではそのレベルをはるかに越えているらしい。ベルリンで日本のオタク文化がはやっていて、コスプレやキャラクターの名前まですでに定着し、有名になっているんですよ、という話だった。

 そういえば過日私は上野の東京国立博物館に『土偶展』を見に行って、これに関連するある興味深い現象に出会った。縄文のヴィーナスから始まり、みみずく土偶やハート形土偶など、あのどこかおどけた古代日本のおゝらかで、明るい形象がびっしり展示されていた。

 『土偶展』はロンドンの大英博物館で開催されたのを機に日本でも開かれた帰国記念の行事らしかったが、ロンドンの会場やそれを伝えるイギリスの新聞記事が掲示されていて、そこに日本の土偶はわれわれ西洋人にたゞちにアニメの数々のキャラクターを思い起こさせた、という言葉があった。

 数千年の時間を軽々ととび越えてしまうこのような連想にはそもそも無理がある、などとこと荒立てて言うには、西洋人のこの思いつきにはなぜか微笑ましいものがあり、私はどことなく納得させられている自分に気がついて可笑しかった。少なくとも1980年代のドイツ人が日本人は自動車を「禅」の精神で作っているのか、と私に尋ねた、あの前に書いた話よりもずっと自然だし、唐突ではないように思えたのである。

 産業に「禅」を結びつけるのは、ヨーロッパでは80年代が宮本武蔵の『五輪の書』に日本企業の成功の秘密を見ると論じられていた時代だったからである。今はこんなことを言う西洋人はもういないと思うが、それでも「土偶」に日本アニメの秘密を見ているのである。

 ドイツ大使館公邸で交した対話のうち、これとやゝ似たおやっと思うドイツ人の日本観察の幾つかを忘れぬうちに挙げておきたい。

 憲法九条の改正の必要を私は敢えて話題にした。そのとき座にいた上智大ドイツ人教授は「日本が九条を改正しないことはドイツの東方政策に匹敵するんです。」と言った。東方政策が近隣諸国に対する戦後ドイツの代表的な外交上の和解政策であったことはよく知られている。私は異論があったが、言い出せばきりがなく、日独の戦争の相違論になり、テーブルマナーに反するから黙っていた。たゞドイツ人が九条問題を自国の東方政策になぞらえたことには多少とも意表を突かれた。私に言わせれば九条問題は日本の無能と怠惰の表現で、決して積極的な外交政策ではないと思われるからである。

 これに関連してシュタンツェル大使も、たとえ九条を改正しなくても日本の安全に不安はないと言った。「自分は日本に暮らしているが、北朝鮮の核はこわくない。中国が発射を北に許さないからだ。中国の核もこわくない。今の中国は経済中心だから、問題を起こさない。」

 また私が日本はアメリカから真の意味で独立していないので、日本の富がアメリカから毟り取られている、と言ったら、「毟る」という単語が面白いという話に少しなった後で、大使は「逆に日本がアメリカから富を毟り取って来たように思うけど」と仰った。これもおやっと思わせる意外な発言に私には聞こえた。

 以上日本側が遠慮のない考えを述べると、思いがけない答がもどって来て、なにかと発見のあるのは外国人との付き合い方の一つと私は心得ている。

 このことに関連してもう一つ面白い重要なことが起こった。

つづく

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