皇室と国家の行方を心配する往復メール(六)

西尾から鏑木さんへ

 ご返事が遅くなってすみません。漫然と日を送っていたからではなく、著作家として厳しい時間を経過していたからで、その成果が表に出るのは何ヶ月も以後になります。ここのところ「インターネット日録」に時間を割く気力もなくなっていました。

 パソコンでも、活字でも、文字を扱うエネルギーは等量です。一方に打込んでいると、どうしても他方に力を振り向けることができなくなります。そういうときには普通の手紙を書くこともできなくなります。そんなわけでご返事をせずに何日も空けてしまって申し訳ありません。

 話の順序を変えて、アメリカのことから始めます。世界の中で最も出鱈目なことや最も傲慢尊大なことをやってきて、それでいて世界からあまり憎まれないで信頼されているというのが、アメリカという国の不思議な処です。アメリカは反米を恐れません。世界中どこへ行っても反米の声が溢れていて、いちいち驚かないのです。

 力に由来する寛大さ、強さからくる野放図さは、9・11同時多発テロ以来少しさま変わりしているかもしれませんが、それでも根は変わらないはずです。貴兄もそういうアメリカ像を抱いているように推察しました。

 日本などが真似のできないアメリカの政治文化のスケールの大きさは認めた上で、私はアメリカ人の心の底に、自分を信じる余りの他を省みない一方向性、他国を傷つけてもそれに気づかない鈍感さ、パターナイズした正義の押しつけと親切の押し売りを認めます。世界を自分の眼でしか見ないある種の単純さ、平板さは、「帝国」の名にし負うのかもしれませんが、理念なき「帝国」の現われです。アメリカは、たゞ漫然と「世界の長」をつとめているだけで、今後に発展も成熟も起こりそうにありません。

 貴兄のアメリカ像もほゞ似たようなものだと思いました。たゞアメリカの反日感情は「日露戦争以後の日本との行き違い」に起因し、それほど根深いものではないと仰言いましたが、果してそうでしょうか。ペリーの来航は砲艦外交でした。琉球を占領する予定でした。日本が邪魔で、叩き潰す衝動は最初から根強く存在し、外交上の単なる「行き違い」が原因ではないのではないでしょうか。

 さて、話を本題に移しましょう。小泉内閣下の皇室典範有識者会議はいったい誰が望んで秘かに仕掛けられたのかは謎で、いまだに分りませんが、皇后陛下のご意向が強く働いた結果だというような噂は、当初からあちこちで囁かれていました。理由もよく分りません。これも噂が八方にとび交って、口さがないことがいわれつづけましたが、何も確かなことは知りようがありません。

 そういう中での貴兄の最初の指摘には吃驚しました。有識者会議の報告文と皇后陛下のご発語との共通点、ことに「伝統」の概念修正が似ているという発見ですね。よくお見つけになりましたね。つねづね皇室の未来を心配し、なにを読んでも心が敏感に反応するような心理状態になっている証拠です。貴兄こそ現代において稀な皇室思いの「忠臣」です。

 貴兄の発見は上記の単なる噂ばなしを何歩か前進させる傍証のようにも見えますが、それでも確証とはいえません。皇后陛下が「女系容認・長子優先」であらせられるかどうかに関して、われわれが一定の判断を下すには余りに情報が足りないのです。

 そもそも皇室のことは、根本に関してはつねに情報不足です。御簾の奥のことですからね。それでいて、われわれ民衆の目から見て気になるサインが至る処にばらまかれます。われわれはつい皇室の御心をご忖度したくなりますが、本当は不可能なのかもしれません。

 私は遥るか遠くから仰ぎ見ていていつも思うのですが、天皇陛下と皇太子殿下に比べて皇后陛下と皇太子妃殿下の方がより多くの人の関心を呼び、話題になり、とやかく語られることが多いのではないでしょうか。女性だからでしょうか。民衆から見て何となく分るものが感じられるからではないでしょうか。天皇陛下と皇太子殿下のお二方は何となく近づき難い、分り難いご存在だからではないでしょうか。どこか神秘的だからなのではないでしょうか。

 貴方のご文章の中で、読んでいてギクッとした決定的に重要な一行がありました。すなわち「こう言っては何ですが天皇家は良くも悪くも民間女性の影響が強すぎるのではないでしょうか。」

 本当に強いのかどうか真相は分りません。ただ民衆の目から見てそう見えるのは間違いありません。私にもそう見えます。

 民間ご出身のお二方には私たちの世界の尺度が当て嵌まるからだと思うのです。判断ができるからです。あれこれ忖度したくなるのは、そもそも想定ができるからです。

 例えば皇后陛下が伝統の養蚕に手をお出しになると聞いて、良くやるなァ、そこまでなさるのかと思うのは、私たちの身に当て嵌めてみて考えているからです。天皇陛下のご祭祀がお身体を使う大変に厳しいものだと聞いても、これには私たちは言葉がなく「良くなさるなァ、そこまでなさるのか」とは考えません。私たちには想像もつかない別世界の出来事だからです。

 皇太子妃殿下は今年も赤十字の恒例の大会に皇族のご婦人がたがずらりと勢揃いされているのにおひとりだけやはりご欠席でした。テレビを見ていてそれと分ると私たちが異様に感じるのは、私たち一般社会の流儀を当て嵌めているからです。皆んながやることをひとりだけやらない、しかも長期間やらないのは私たちの一般的感覚は「異様」と判断します。ましてやその方がスキーやスケートは決してお休みにならないのが知らされているので、「なにか変だ」と思うのは民衆的感覚からいって自然で、避けることはできません。

 赤十字の恒例の大会に皇族のご婦人がたが毎年勢揃いされるのをテレビで見ても大変だともご苦労だとも私たちが特に思わないのは、これも別世界の出来事だからです。

 民間出身の皇后陛下と皇太子妃殿下は宮中の伝統に融けこむご努力をなさるにしても、ご努力をなさらないにしても、私たち民間人の目から判断され、評価されるのを避けることはできないでしょう。私たちは私たちの物指しで判断するからです。貴方が「天皇家は良くも悪くも民間女性の影響が強すぎる」というのは民間女性がやはりはみ出て見えるからでしょう。本当に影響力が強いのかどうか分りません。多分、相当に強いのでしょうが、民間人の社会と皇室の環境の相違が大きく、それが目立つからだとむしろ考えるべきです。

 さて、結論を述べますと、皇位継承問題で皇后陛下が「女系容認・長子優先」なのではないか、という貴方の推理に反対する論拠は私にありません。「皇太子妃は私たちの大切な家族なのですから」と擁護なさったお言葉もかつてありました。たゞほかに貴方の推理に積極的に賛成する材料も私にはありません。いろいろ揣摩臆測する以上のことはなにもできないのです。

 そうはいえテレビその他が皇室報道で皇后陛下にスポットを当て過ぎ、その分だけ天皇陛下の影が薄くなるような報道の仕方に対し、つねひごろ私が疑問を覚えているということを最後にお伝えしたいと思います。「影響が強すぎる」という貴方のご判断は、多分に皇室報道のせいでもあると考えるからです。

 テレビその他が、皇后陛下を気高く典雅な女性に描き出すのはもちろん私は納得して見ている一人ですが、そこには民間女性であるがゆえの今までのご努力への敬意もあり、テレビ側が自分たち民間人の物指しで分り易い価値判断を当て嵌めたがる傾向もあって、本当の皇室報道のあるべき理想に反しているのかもしれません。

 つまり、このようなやり方は皇室を人格主義の型にはめこんで、天皇陛下のご血統の神秘さと尊厳を国民に暗黙のうちに知らしめる皇室報道の本来の目的に添うていないのではないかと危惧されるからです。

 逆にいえばこうです。天皇家が次の世代に移ったときに、テレビやマスコミは何をどう描いていくつもりか、その用意が今から出来ているのか、と私は問い質しておきたいのです。

(了)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です