小沢が前原とウラで手を握っている、というのが私の推理の基本である。鳩山はそれに気づいていない。
小沢はつねに誰かを総理にしてやるといって自らが生き延びるのが常套であった。失敗したのはミッチーこと渡辺美智雄だけだった。
小沢は自らが生きるか死ぬかの瀬戸際にある。否、民主党そのものが瀬戸際にある。前原以外に国民を納得させられる新首相はいない。小沢と前原は対立していると見られているのが好都合である。
本来は小沢と鳩山は党を二分して死闘を演じてもおかしくはない情勢にある。第一回の検察審議会が「起訴相当」を出してきたときが、鳩山が小沢を蹴落とすチャンスだった。民主党が支持率を回復するチャンスでもあった。しかしそういう気配はまったくなかった。
次期総理に菅の呼び声は最近次第に小さくなっている。鳩山が前原の台頭にも、小沢と前原の関係にも気づいていないのは、単なるバカだからである。
東京地検のうしろにはアメリカがいる。これが私の第二の推理である。
検察庁は権力そのものである。しかし日本という国家には権力はない。『「権力の不在」は国を滅ぼす』は私の本の題だった。
アメリカは東京地検と組んで小沢をコマの一つとして使うことに決めたようだ。小沢はアメリカに脅されている。
普天間問題の迷走が始まった8ヶ月前、アメリカは怒ったし、呆れもした。しかし日本の政治の非合理性の根は深く、安定した親米秩序がいつになったらできるのか見通しが立たないことに、アメリカは次第に不安を感じ始めた。
アメリカは忍耐強いのでは必ずしもない。基地としての日本列島を失うかもしれないことに恐怖を抱きだしたのだ。沖縄民衆の反乱が拡大することをひたすら恐れている。
アメリカはこの状況を収束させられるのは力しかなく、力を持っている小沢にすべてを托す以外にないと判断したのだろう。
それがいつの時期かは分らない。鳩山が沖縄海兵隊の抑止力を「学習」したと発言してもの笑いになったあれより少し前だろう。普天間問題が最初の自民党原案に立ち戻り始めたのと歩調を合わせて、検察庁による小沢「不起訴」が繰り返された。
鳩山は1996年11月の文藝春秋に「民主党 私の政権構想」という論文を書いていて、沖縄の基地問題を論じている。それによると、「革命は未来から」と旗を掲げた上で、「手前から少しづつ前に進むのではなく、未来から大胆に今を直す」のがわれわれの流儀と宣言している。沖縄問題は米軍基地撤廃と完全返還という「未来から」手を着けると言っている。
これは学生運動家の発想だが、ひどいもので総理になってその通りに実行しようとしたのである。「最低でも県外」と言ったのはそのしるしである。彼はバカなのではなく、確信犯なのである。だから恥しい素振りもみせず、終始図々しいのである。
国内には鳩山をまだ守ろうとする声がある。支持率は20%台になったというが、まだ依然として20%台なのである。本当は5-7%になってもおかしくはないのに、左翼マスコミもまた確信犯にほかならない。
しかし起死回生を狙って小沢は前原を擁立するだろう。普天間は時間をかけ自民党原案に落ち着くだろう。それが私の独断的政局論の読みである。時期がいつかは分らない。もちろん予想外のことが起こり得る。検察審査会の第二回目の「起訴相当」はアメリカの影の力をもってしてもいかんともしがたい。
基地が反米の旗をさらに高く掲げてこれ以上混乱したら、アメリカの苦悩は深まり、次の手を打ってくるだろう。その方がずっとこわい。アメリカは日韓の関係の悪化を今は望んでいないが、日本の「韓国化」をむしろ画策するかもしれない。
アメリカは占領軍だということを今回ほど如実に感じさせた事例はない。鳩山は寝た子を起こした廉でいづれにせよ罰せられねばならない。