日本をここまで壊したのは誰か(三)

 「経済大国」といわなくなったことについて―――あとがきに代えて

 ここでわれわれがなすべきは何がなされたかの苦い現実を正確に知り、希望的観測などで自分をごまかさないことである。

 日本人は自分をごまかしてきた古い記憶がある。昭和20年(1945年)の敗戦の際にわが国に起こったことは米軍による「解放」ではなく「占領」であり、しかも米軍は一時的な短期の「占領軍」ではなく「征服者」であった。また日本に起こったことは、一国による「征服」であった。その後アメリカは戦争を世界各地でくりかえしたが、朝鮮戦争でも、中東戦争でも、湾岸戦争でも、日本に対してなされたような戦後の社会と政治まで支配する征服戦争は一度もなかった。ドイツに対してもなかった。ドイツに対しては連合軍の勝利であり、戦後は四カ国管理であった。

 軍事占領下の日本において戦争は終わっていなかったといっていい。大東亜戦争ではなく「太平洋戦争」という名の戦争が仕掛けられ、戦争はひきつづき継続していたのだが、誰もそのことを深く自覚しなかった。史上最も温健な占領軍という評価だった。だからそれを「進駐軍」と呼び、敗戦を考えたくないので「終戦」と言った。そして経済復興にだけ力を注ぎ、さらに反共反ソの思想戦にだけ熱心だった。後者はアメリカと手を携えての共同行動だった。それが保守とよばれた勢力の主たる関心事だった。私もその流れに棹さしていたことを否定するつもりはない。

 日本人はこのように戦後ずっと苦い現実を見ないで、希望的観測に身を委ね、自分をごまかしつづけてきた。1989年から91年の「冷戦の終結」という新しい事件を迎えても、また同じ自己韜晦をくりかえしてこなかっただろうか。それが江沢民とクリントンに仕掛けられた新しい「戦後の戦争」に再び敗れて、今日この体たらくに陥っている所以ではあるまいか。

 2009年に自民党から民主党への政権交替が行われた。鳩山内閣は沖縄の基地問題で、日米の政府間交渉の手続きも何も踏まずにいきなり変革を求めたことで、幼い不始末を天下にさらした。その愚かさは罰せられなければならないが、しかし、国内に外国軍による「征服」の証しがいつまでも存続することへの疑問にいっさい蓋をしてきた自民党にも責任がある。鳩山由紀夫氏が総理になった直後に「日米対等」を口にしたのは何の用意もない学生風の出まかせとはいえ、この小さなナショナリズムが国民をして民主党を勝たせた理由の一つでもあることに、保守側も謙虚でなければいけない。

 基地問題を旧に復し放置することはもはや許されなくなった。民主党の間違いは、沖縄の基地に何らかの変革を加えたいのなら、まずは憲法を改正し、名実ともに国軍の位置を確立し、アメリカ軍から信頼の得られる軍事力を備えることから着手すべき点である。いけないのは順序を間違えていることである。

 私はアメリカ軍を日本列島から排除したらいいなどと言っていない。それは軍事技術上からみて現実的ではないだろう。日本艦隊がアメリカ軍と共同して太平洋を管理するというような成熟した両国の関係が生まれるのが理想で、今のような一方的依存関係から徐々に脱することが目標とされるべきである。

 政治、経済、外交、軍事の四輪がほぼ同じ大きさでバランスをとってはじめて車はうまく回転し、スムーズに前進する。経済だけが大きく、経済に外交と軍事の代行役を押しつけるような「経済大国」でなくなっていくことは、むしろこれからの日本にとって幸いと見なすべきではないかと思っている。

 本書のまとめと出版に当たっては草思社の木谷東男氏からお世話いただいた。各論文を最初に掲載してくださった各雑誌の担当者とともに、諸氏に感謝申し上げたい。

2010年4月20日

西尾幹二

追記

 本書の「トヨタ・バッシング」の教訓――国家意識のない経営者は職を去れ」には、補記(65-76ページ)が加えられている。これは雑誌には書かれなかった新稿である。「アメリカ・オーストラリア・シーシェパード」とでも補記にも題をつけた方がよかったかもしれない。イルカ・鯨問題の根は深い。白人植民地主義の人種差別感情が関係している。補記は第一次世界大戦をめぐる日豪間の外交衝突と、第二次世界大戦を誘発した米豪接近の怪しい歴史を描いている。

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