日本をここまで壊したのは誰か
書評:花田紀凱(『WiLL』編集長)
自国への痛憤、警告の書
昭和23年、中学一年生の時、授業で偉人と思う人間をあげよと言われ、西尾少年は豊臣秀吉をあげた。
先生は恐ろしい表情でニラみつけ、秀吉は何人もの女性をものにした独裁者、大嫌いだと全否定した。
その日の西尾少年は先生を断乎(だんこ)許さないと誓ってこう書く。日記は毎日先生に提出することになっていたから当然、先生が読むことを見越して書いたのである。
僕は先生がどうだろうとも、僕は僕の信じる道を押し通した。(中略)封建時代の人間は、封建主義が正しいのだと思い込んでいるのだから、そのときの偉人なら偉人としておいても良いと思う。民主主義でも現在は最上主義とされていても、あとにはどうなるか。それは誰にだって見当のつくものではない
今の言葉で言えば、現在の基準で過去を裁けないということだろう。
その同じ年、東京裁判の判決が下る。西尾少年は、新聞記事を切り抜いて貼(は)ったノートに被告の名前、量刑を全(すべ)て書き写し、こう書いた。
日本が勝っていたらマッカーサーが絞首刑になるんだ
中学一年にしてこの言。栴檀(せんだん)ハ双葉ヨリ芳(かんば)シ、とはまさにこのことだろう。
それから60年たって、今、西尾さんは日本という国が心配でならない。
国家として自立自存とは逆の方向へ向かい、明確な国家像もなく、茫々(ぼうぼう)たる海洋をひたすら漂流している幽霊船のような日本が、我慢ならない。
たとえばトヨタ・バッシング。
西尾さんは、これを「アメリカの日本に対する軍事力を使わない軍事行動」と見る。
たとえば外国人参政権。
在日韓国朝鮮人に地方参政権を認めることは、政治的破壊工作の手段を彼らの手に渡すことにもほぼ等しい
こんな簡単なことさえわからない日本の政治家、財界人。
言論のむなしさと無力を痛切に実感
しているが、それでも
自分と自分の国の歴史を見捨てる気にはなれない
西尾さんの、これは日本に対する痛憤、警告の書である。
産経新聞6月20日より