管理人による出版記念会報告(十八)

西尾幹二氏による画像説明(3)

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 皆さんに万葉集の話をするのは、私みたいな外国文学屋が言うのも変な話なんですけれども、万葉集というのは言うまでもなく、万葉仮名で書かれている。万葉仮名というのは、全部漢字でございます。従って、一番左に書いてあるのは万葉仮名なんですね。したがって万葉仮名で書かれた漢字ばっかりの本があったはずですよね。しかし、それは消滅して存在しません。

 それじゃあその次に、951年に村上天皇が宣旨を下して、訓み下すようにという命令を下したものがあるのですが、それを「古点」。点というのは訓点を打つということです。こういうことをやるのをそういう。一番古いのを「古点」、古い点というのですが、その「古点」というのも歴史上知られているようだけど、存在しません。何が存在するのかというと、古点本を移した次の写本にした「次点」、次の点という、次の訓点が唯一これが残っている最古のもので、これがわずか巻4の一部が残っているだけなのですよ。これが最古のものです。

 そして、万葉仮名を真ん中で平仮名にして、要するに訓点を打っているわけです。しかし、これも本当にわずかな中のわずかが残っているだけだと今もうしあげました。はい次

つづく

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 そうしてここに書いてあるように、これは鎌倉後期の書写、全巻を完備する最古の写本です。全巻を完備した最古の写本は「新点」といって、ご覧のように、カタカナでルビがふってあるのです。カタカナでルビがふってあるのが、鎌倉時代の「新点」というのです。こうして三段の変化を経ていますが、これは全部写本です。全部写本で、原典というのは、ギリシャの古典と同様に、一つとして残っていない。

 ギリシャもそうですよ、。ギリシャ・ローマの古典というのは、全部中世の写本なんですからね。如何に途中で間違いが発生しているか。われわれは如何にあやふやなものをたよりにして、過去の歴史と闘っているか、そういうことなんです、歴史というのは。どうぞ

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 これは藤原定家が書いたものですが、ご覧のように漢字がちらほら見えます。このように漢字がちらほら見えるのは、読みやすくするためなんです。つまり、もともと平仮名で書くんだけれども、漢字をちらほら、わずかばかり入れてる。ところが、現在の日本語は、漢字と仮名の混在率は最高度に多くて45パーセントなんです。漢語が45パーセント。これは古代に行くほど少なくて、定家の時代は10パーセントから15パーセントとか、そのぐらいなんです。それがだんだんだんだん増えて、江戸時代では30パーセントや、35パーセントくらいになって、現代は45パーセントが漢語なんですね。

 ということは、仮名の果した役割がどんどん小さくなってる。それと比例して、仮名遣いの問題がはげしく発生してくるわけです。それが私の本の一つのテーマでもありますね。はいどうぞ

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 これは有名な東大寺の戒壇院の邪鬼の像なんですが、神様の話が私の本で問題になっているのですが、カミという言葉は、ゴッドではありません。しかし神でもないんです。カミが神だと思ったら間違いですよ。神は中国語ですから。従ってカミという発音上のものが、カミだったわけですが、カミが何であるかはさっぱりわからないわけですよ。現代の国語学者、有名な国語学者の大野晋さんが新潮文庫に日本のカミの本というのを出しています。丁寧にしらべ、いろいろやっているいい本ですけれど、それでもカミが何だったかわからないんじゃないかと思っているのですが、カミはわからないけれど、鬼はわかっているのです。鬼の出典はわかっているんです。鬼は全部外来のものなんです。そして、鬼はこれは東大寺の戒壇院の鬼であります。四天王に踏み潰されている鬼。はいどうぞ

 鬼はしかし、そういう憎憎しいものだけではなくて、ユーモラスなものもあった。これは興福寺のユーモラスなほうの鬼です。はいどうぞ

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管理人による出版記念会報告(十七)

西尾幹二氏による画像説明(2)

つづく

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 次はモローです。モローっていうのは、装飾的な非常に前衛的な、なんていうか、細密画的で、モローのことは皆さんご存知だと思いますが、審美的な歴史画家。これは残虐なシーンですね。オデッセウスの一シーンです。私の本にとっては何の意味もありません。絵がおもしろいから出しただけでありまして、しかも近代の絵画がホメロスの、イリアスとオデッセウスをこんな風に描いているという、皆様の目を楽しませるためにだけ出したのでございます。

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 これはちょっと珍しいんですね。弥生時代に絵文字があったということです。絵文字が出現していた。しかし絵文字が出現してから、実際の文字が誕生するまでに、通例1000年から1500年ぐらいかかっているそうですから。そうなりますと、これ、吉野ヶ里遺跡の発掘ですから、約2100年前ということになりますと、それから1000年から1500年といったらもう、源氏物語も超えちゃって、そのあとになっちゃうんで、日本で絵文字が出現するまもなく外から文字が入って来ちゃったというのが解りますね。でも、日本にも文字の端緒があったということで、これは面白い話ではないでしょうか。どうぞ

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 日本の神話というのは、どういうわけだか、映像というものがありません。日本の神話には映像といったら変ですけれど、表象の世界がないわけですね。画像がないわけです。伊勢神宮のご神体というのは、剣であったり、鏡であったりするわけでしょ。要するに、神様の絵を描かないというのが、日本の神道の伝統だったんですね。そうなりますと、時代がずっと下って今、天照大御神の絵なんていうのがあるのは、みんな近代のまがい物ですから。ところがここに珍しいのがあって、北斎の描いた天のうずめのみことなんです。北斎がこんな絵を描いていたというのが、おもしろいから出しただけでございます。

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 さあ、その次は皆様に是非お話したい。アレキサンドリア、今はイスカンダーリアというエジプトの街で、ここに古代に巨大な図書館がありまして、それが海中に没したというのが、私の本の中で大きなテーマになっているのは、ご記憶にあると思いますが、このイスカンダーリアの街の東側のこれは俯瞰図、全図でございます。ヘリコプターで撮った写真でございます。

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 ところが、ここで巨大な遺跡が海の中に没したというのは信じられていなかった。嘘だという話が多かった。これは1995年の発掘の姿です。発掘したら、あった、あった。海中に没したのは嘘じゃなかった。それどころか、ダイバーがスフィンクスの前にいる面白い写真ですね。石像はラムセス二世だそうでありますが、とにかくこういうものをですね、発見したのです。

 絵の真ん中に筋がありますのは、これは大きな書物を開いて、写真にしたから筋があるので、他意はありません。写真は一枚でございます。見てください。こうやってダイバーが発見している、だからここに図書館は確かに眠っていたんだと、海中に沈没したんだと、これは間違いないですね。どうぞ

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 そして、イスカンダーリア、つまりアレキサンドリアには180メートルという高さの塔があったということが知られていて、鏡で映されて、それが大きな灯台になっていた、伝説上の建物があったわけですが、それはもちろん無くなっているわけですが、これは1995年の発掘現場で、塔の脚の一つであろうと、たぶん一部であろうと、今推定されているんですが、こういう断片が海底から拾われている。ところが今ここは、港湾工事がどんどん進められていて、どれぐらい遺跡が発掘され、保存されるかは謎であるといわれております。

管理人による出版記念会報告(十六)

 舞台にご注目下さい。これから西尾先生に再び登場して頂きます。会場の皆さんは中央舞台右の大型スクリーンにご注目下さい。 大作『江戸のダイナミズム』の基調をなす、様々な時代、地域、文化から50枚ほどの写真を選び、さらに20枚前後に厳選しなおして、江戸のダイナミズム関連画像の解説をいただこうという趣向です。

 西尾先生御願いします。
(照明、すこし暗くする)

 西尾幹二氏による画像説明(1)
 

 説明というほどのことではございません。時間がないので、たったったっというふうにいたしましょう。

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 これは殷の後期のものです。これについて格別のこと、何も私は説明できません。知らないんです。ただ、格好が面白いから出しただけで、西暦前13世紀ぐらいのものだろうとは思いますが、私は無知でございます。どうぞ次へ。

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 これは重大なんでちょっと申し上げておきます。左の下にあるのは、古代中国の書物、本です、これが。当時の本というのは、こういうものだったんです。木簡で、竹の場合もあります。竹簡といいます。文字は漆で書いて、そしてなめし皮の鎖のようなもので、短冊状にいたします。秦の始皇帝が焚書にしたのもこのようなものでございました。それから当時の詩経や書経や春秋などが書かれたのも、みなこのようなものにです。これに書かれていたんです。これが書物ですよ。古代中国のね。はいどうぞ。

 これも絵が面白いから出しただけです。次お願いします。

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 これはパピルスです。有名ですね。パピルスというのは葦を細かく裂いて縦と横に並べているもので、繊維が見えますね。文字はこれはギリシア語ですね。一番問題なのは私があの本に書いたように、文章がどこから始まるかがわからないんですよ。改行がないものですから、変なんです。詩でも、芝居でもなんでも、こういうように続けて書いてある。それだから、書写したときにおそらく、間違いが一杯生じる。パピルスというのはほとんど消滅してしまっておって、残っているのは稀有なんですから、中世期を経て、書写されてこっちへ来ている間に、間違いだらけになったに違いない。

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 そういうことで、当時のホメロスというのはなんだったのかというわけですが、これホメロスですけれど、ホメロスの肖像画があるわけないんで、これはレンブラントの描いたホメロスでありまして、もちろん想像図です。ホメロスは何年前の人かわからないんですよ。西暦前800年なのか、1300年なのか、1400年なのか何もわかっていない。ですけれど、この絵は17世紀、1660年代の絵でございます(笑)。

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 同じようにゼウスとテティウス、これはですね、おもしろいから出してみただけであって、フランスのアングルの絵です。かの古典派の画家アングル。イリアスの一景でございます。どうぞ


 画像の出展は最後にまとめて明示します。

つづく

管理人による出版記念会報告(十五)

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 つぎに黄文雄先生、ひとことご挨拶をおねがいいたします。

日本を呪縛する「反日」歴史認識の大嘘 日本を呪縛する「反日」歴史認識の大嘘
黄 文雄 (2007/04)
徳間書店この商品の詳細を見る

 黄先生は台湾ペンクラブ賞でデビュー以後、次々と文明論、歴史論を発表され、旺盛な著作で知られます。黄さんからは、日本文明と中華文明の差異は、西尾先生の文明観とどこが違うのか、などについてお話が伺えるかと思います。

 黄文雄氏のご挨拶

 西尾先生、本日はまことにおめでとうございます。

 私が初めてこの『江戸のダイナミズム』を手にしたとき、江戸のダイナミズムというよりも、どういう感じがしたかと言いますと、西尾イズムの宣言ではないかと思いました。しかし、それは集大成ではなくて、これから江戸のダイナミズムについて、どういう考えで、それから進化していくかということです。

 私はこの本を読みながら、他の方とは若干違う感想を二つ述べさせていただきます。一つは、私は実は、江戸の儒学に対してものすごく興味を持っています。それはどういう理由かといいますと、私は儒学専門ではなくて、歴史哲学をやっている者ですが、高校時代から国文の方も、歴史の方も宋の、理学―りきのがくですね、学校の履修として、かなり関心を持っていました。

 どういう感想を持っているかといいますと、江戸儒学と朝鮮の儒学と中国の儒学を比較してみると、儒学の中でとくに朱子学というのは、どちらかといいますと全体主義思想なんですね。そして、儒学というのはマルクス主義とそっくりなところがいっぱいあります。だから中国の儒学というのは、マルクス主義と非常に近いのではないかと思います。

 だからその実証として、アジアの共産主義革命の中で、なぜ儒教文化圏だけが成功して、そして今も崩壊しないのか、ということを考えながら分析すると、マルクス主義というのは、儒学とほとんど同じイデオロギーではないかと私は思います。その特徴としては、全体主義なのです。それは感想なのですが、しかし、なぜ江戸時代で、江戸のダイナミズムが出てきたかといいますと、同じ中国の方も、朝鮮の方も、日本の方も、儒学を国教としました。儒学は最初中国では宋の時代では禁学だったのですが、モンゴルの元の時代になってからオープンになったのです。

 しかし、同じ中国の方でも、朝鮮の方でも、日本の方でもなぜ江戸の儒学だけが違うのかといいますと、私の分析では、儒学というものは、原則、つまりたてまえと本音を使い分けるような学問なんですね。日本だけがなぜ、江戸ダイナミズムが出てきたかといいますと、それは日本の約300年間に渡って、江戸儒学以外に、伝統的な仏教思想の基盤、その土台があって、そして江戸中期から国学が出てきた。

 そして中国、韓国では絶対見られない陽明学が出てきて、そういうような多元的な思想、多元的な学の交流というのがあって、ダイナミズムが生まれたのではないか。確かに、西尾幹二先生の方が、ダイナミズムのコア、中心、その中心というのは、学問と言語だと。私はその学問の中で、いろんなものが入ってきて、江戸儒学は確かに国教だったのだけれど、その中に国学があって、仏教思想の土台があって、また陽明学が非常に広がってから初めてこれが生まれたのではないかというふうに思います。

 これから何年後、四年後、五年後、十年後、西尾イズムの集大成を私は期待しております。どうもありがとうございました。

 黄先生ありがとうございました。それでは8時10分までまたしばしご歓談くださいませ。

つづく

管理人による出版記念会報告(十三)

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 たいへん、お待たせ致しました。ここで乾杯です。

 乾杯の御発声は『江戸のダイナミズム』を出版していただきました、文藝春秋の代表取締役社長、上野徹(うえの・とおる)さんより頂きます。皆さま、お手元のグラスにお酒、ビール、ウーロン茶などをご用意下さい。

 それでは上野社長、一言ご挨拶よろしく御願いします。入り口付近が込み合っておりますので、どうぞ皆様前の方へおつめくださいませ。乾杯のご用意をお願いもうしあげます。

 それでは上野社長、ひとこと乾杯のご挨拶をお願いいたします。

 上野 徹 文芸春秋社長 乾杯の音頭

 ご紹介いただきました文藝春秋の上野でございます。この会の発起人の一人として、また版元からの御礼ということも合わせまして、発声のご挨拶をさせていただきたいと思います。

 西尾先生、『江戸のダイナミズム』どうもおめでとうございました。さきほどもご紹介がありましたように、これはわが社の『諸君!』という雑誌に足掛け四年、さらに先生の場合は推敲と注の製作に二年という、本当にご苦労でなった本であります。

 一人の思想家というのでしょうか、身を削るような長い思索と、研究の旅の結果が素晴らしいタイトルの本に結実したのではないかと思います。改めて先生には敬意を表したいと思います。先生もご本の中にお書きになっておられますけれど、日本の近代化というのはもう西洋史とは関係ないんだと。

 日本の歴史の中そのものから醸成されたものがあって、これが西洋に比べて早く、かつ先進的であるのは、日本の歴史に立ち返って、それをバネとした力がこれを生んだからだとおっしゃっています。

 このサブタイトル「古代史と近代史の架け橋」というのがこれだと思います。このテーマというか基調というか、それは本当に先生がおっしゃっていますが、テーマが何度も何度も繰り返されていて、時にはそのテーマが変奏曲のようにですね、何度も何度も繰り返されているのを読んでいると、だんだん自分の中にある一つのクッキリしたイメージが浮き立ってくるという、そういう仕掛けの本じゃないかと私は思っているんです。

 私は個人的には読んでいると、なんていうんでしょうか、交響曲っていうんでしょうか、交響曲というか、雄大なシンフォニーの中に身を置いているような感じがいたしました。先生がおっしゃっていますけれど、日本人っていうのは、なにかこう、何者にも左右されないある背景の中に生きている、あるいは先生の言い方を借りると、不思議な鷹揚たる宇宙世界、その中に生きているんだと。それを一生懸命、それは何なんだろうというのを、生涯を通じて追求したのが本居宣長だとおっしゃっています。

 ただ、しかしこの言葉というのは、やはり西尾先生にそのままさし上げていい言葉じゃないかと私は思っております。今なかなか思想的に混迷した時代に、西尾先生のこの本というのは、非常に貴重な、大事な本が出たのではないかと思っております。

 あまり乾杯なのでおしゃべりをしてもいけませんので、それではですね、西尾先生にこういう素晴らしい本を書いてくださったことへの感謝と、さらにこれからのご健康とご活躍を皆さんと共に杯を挙げて、乾杯したいと思います。よろしいでしょうか。では乾杯!

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乾杯の音頭までに上野さんを合わせて、7名のスピーチである。遠藤氏による朗読も15分。並みの講演会の半分は十分にある。しかも、並みの講演会ではこれだけのメンバーの集合はお眼にかかれない。

 ただありきたりの、出版記念パーティーに来たつもりの人には、ご馳走を前にして立たされた状態でのこの時間はちょっと長いと感じたかもしれない。でもこうやってスピーチを活字にしてみると、それぞれの方が、おざなりな挨拶ではなく、西尾先生のご本を読んだのちに、しっかり自分のご意見を入れられた貴重な内容のお話しだったことがわかる。

 できるならば、全員が着席してこれらを聞くことができたら、どんなによかっただろうと思った。(文・長谷川)

 (乾杯ののち)
 それでは皆さん、しばしご歓談ください。

つづく

管理人による出版記念会報告(十二)

 つづきまして「花束の贈呈」です。どうぞ奥様も壇上へお上がり下さい。この大作のご苦労に対して、またそれを支えた奥様にたいしての贈呈でございます。

 西尾先生には、呉善花(オ・ソンファ)さんから。奥様には石平(せきへい)さんから。

 そのあと、せっかく韓国と中国から駆けつけて頂きましたので呉善花さん、石平さんから一言ずつ祝辞も頂きたいと思います。呉さんも石さんも西尾さんが主宰する勉強会「路の会」のメンバーでございます。

やっかいな隣人韓国の正体―なぜ「反日」なのに、日本に憧れるのか やっかいな隣人韓国の正体―なぜ「反日」なのに、日本に憧れるのか
井沢 元彦、呉 善花 他 (2006/09)
祥伝社

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(花束贈呈おわる)。

 それでは呉善花(オ・ソンファ)さん、一言お願いもうしあげます。

 
 西尾先生、ほんとうにおめでとうございます。

 私にとって西尾先生には、ほんとうに大変お世話になっております。

 というのは、私は韓国では、親日派イコール売国奴とされております。しかしそうでありながら、日本で多くの方に助けていただきながら、なんとか著作活動をさせていただいております。そんな中で西尾先生には先頭に立って守っていただいております。そういう意味で、私にとってはかけがえのない大切な方です。このたびの新しいご本、本当におめでとうございます。有難うございました。

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 有難うございました。呉さんは『スカートの風』『女帝論』などで知られる評論家、拓殖大学の教授でもあります。

 つぎにデビュー以来、活躍目覚ましい在日中国人評論家の石平さんからひとこといただきます。

私は「毛主席の小戦士」だった―ある中国人哲学者の告白 私は「毛主席の小戦士」だった―ある中国人哲学者の告白
石 平 (2006/10)
飛鳥新社

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 ご紹介にあずかりました、呉善花さんと同じく中国人の親日家、売国奴の石平と申します。

 今ひとこと申し上げますと、実は私自身も江戸時代にすごく魅力を感じていまして、両国博物館も見物いたしました。江戸の儒学ひとつとってみても、深さといい、純粋さといい、またあるいは誠実さといい、おそらく同じ時代の中国の儒学をはるかに超えたものだと思います。そういう意味では、中国の儒学孔子の考え、論語の思想は日本で生かされた、日本で生きているという事実には、私にとっては驚きでありながら、また好奇心もあります。

 これから先生のご本を指南書として読みながら、もういっぺん日本の江戸時代の文化、哲学を勉強させていただきたいと思います。先生、どうぞご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。

 ありがとうございました。石さんの近作『私は毛主席の小戦士だった』が各界から高い評価をうけております。

 それでは御降段ください。
 

つづく