『悲劇人の姿勢』の刊行記念講演会は次の通りです。
第三回西尾幹二先生刊行記念講演会
〈西尾幹二全集〉
第2巻 『悲劇人の姿勢』刊行を記念して、講演会を下記の通り開催致します。
ぜひお誘いあわせの上、ご参加ください。
★西尾幹二先生講演会★
【演題】「真贋ということ
―小林秀雄・福田恆存・三島由紀夫をめぐって―」【日時】 2012年5月26日(土曜日)
開場: 18:00 開演 18:30
【場所】 星陵会館ホール(Tel 3581-5650)
千代田区永田町201602
地下鉄永田町駅・赤坂見附駅より徒歩約5分【入場料】 1,000円
※予約なしでもご入場頂けます。
★今回は懇親会はなく、終了後名刺交換会を予定しています。【場所】 一階 会議室
※ お問い合わせは下記までお願いします。
【主催】国書刊行会 営業部
TEL:03-5970-7421 FAX:03-5970-7427
E-mail: sales@kokusho.co.jp
・坦々塾事務局
FAX:03-3684-7243
tanntannjyuku@mail.goo.ne.jp
星陵会館へのアクセス
〒100-0014 東京都千代田区永田町2-16-2
TEL 03(3581)5650 FAX 03(3581)1960
投稿者: toshiueh
『Voice』と『週刊新潮』 ・お知らせ
5月初旬に出る私の二つの論考は次の通りです。
「ありがとうアメリカ、さようならアメリカ」(「Voice」6月号)は親米保守と護憲左翼が手を結んで日本の防衛をあいまいにし、危うくしている今の安閑としたムードに一石を投じたつもりです。25枚論文です。
「『正田家』と『小和田家』はいかに皇室と向き合ったか」(「週刊新潮」今週出る号)は4ページ論文で、皇室の過去と現在を追った私なりの本質論です。大変な分量の雑誌記事のコピーと6冊の単行本を資料として托されたので、月刊誌なら100枚論文になるところですが、わずか13枚の内に組み立てるので苦心しました。とり上げた事実はひとつひとつ校閲部が検証するので、週刊誌がいい加減なことを書いているとよくいわれるのはまったくのウソです。月刊誌のほうがずっと大雑把です。今度そのことを経験しました。
『悲劇人の姿勢』の刊行記念講演会は次の通りです。
第三回西尾幹二先生刊行記念講演会
〈西尾幹二全集〉
第2巻 『悲劇人の姿勢』刊行を記念して、講演会を下記の通り開催致します。
ぜひお誘いあわせの上、ご参加ください。
★西尾幹二先生講演会★
【演題】「真贋ということ
―小林秀雄・福田恆存・三島由紀夫をめぐって―」【日時】 2012年5月26日(土曜日)
開場: 18:00 開演 18:30
【場所】 星陵会館ホール(Tel 3581-5650)
千代田区永田町201602
地下鉄永田町駅・赤坂見附駅より徒歩約5分【入場料】 1,000円
※予約なしでもご入場頂けます。
★今回は懇親会はなく、終了後名刺交換会を予定しています。【場所】 一階 会議室
※ お問い合わせは下記までお願いします。
【主催】国書刊行会 営業部
TEL:03-5970-7421 FAX:03-5970-7427
E-mail: sales@kokusho.co.jp
・坦々塾事務局
FAX:03-3684-7243
tanntannjyuku@mail.goo.ne.jp
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〒100-0014 東京都千代田区永田町2-16-2
TEL 03(3581)5650 FAX 03(3581)1960
西尾幹二全集 第二巻 『悲劇人の姿勢』の刊行
西尾幹二全集第二巻『悲劇人の姿勢』(第三回配本)が刊行された。自己解説であるところの「後記」が今度もかなり長い。若い時代の自分が何であったかを見定めようとする思いが今の私には強いので、今度もしっかり書いている。
以下に目次を掲げる。私の9冊の単行本から拾い出し編集されている。作品の確定と配列までに時間がかかり苦労があった。色替えをしている作品名はどの単行本にも収録されないで来たもので、ほとんど誰も見ていない文章だと思う。
第Ⅰ章は私の学会と文壇へのデビュー作をとり上げた。論壇へのデビュー作は、まだ刊行されていない第三巻『懐疑の精神』に集められている。学会(ドイツ文学会)、文壇(「新潮」「文学界」)、論壇(「文藝春秋」「自由」「諸君!」etc)という三つの区別が当時はあった。三方向にほとんど同時に書き出している。
ドイツ留学前の25~30歳台に始まっている。今回刊行された『悲劇人の姿勢』は最も若いときの修士論文の焼き直しから、72歳の老年の文章までとり入れている。特定の視点で集めているからである。こういう思い切った編集の仕方はこの巻だけである。けれども私のこの全集は、単行本をたゞ無造作に並べているのではなく、今の時点での再編成あるいは再編集したものであることは、今までの二巻でも明らかであったと思う。
Ⅰ 悲劇人の姿勢
アフォリズムの美学
小林秀雄
福田恆存(一)
ニーチェ
ニーチェと学問
ニーチェの言語観
論争と言語政治と文学の状況
文学の宿命―現代日本文学にみる終末意識
「死」から見た三島文学
不自由への情熱―三島文学の孤独
Ⅱ 続篇
行為する思索―小林秀雄再論
福田恆存小論六題
福田恆存(二)
夏期大学講師の横顔
大義のために戦う意識と戦う――福田恆存著『生き甲斐といふ事』
現実を動かした強靭な精神――福田恆存氏を悼む
「私に踏み絵をさせる気か」
三十年前の自由論
高井有一さんの福田恆存論
田中美知太郎氏の社会批評の一例
田中美知太郎先生の思い出
竹山道雄先生を悼むⅢ 書評
福田恆存『総統いまだ死せず』 三島由紀夫『宴のあと』 三島由紀夫『裸体と衣裳』 竹山道雄『時流に反して』 竹山道雄『ビルマの竪琴』 吉田健一『ヨオロッパの世紀末』 中村光夫『芸術の幻』 佐伯彰一『内と外からの日本文学』Ⅳ 「素心」の思想家・福田恆存の哲学
一 知識人の政治的行動について
二 「和魂」と「洋魂」の戦い
三 ロレンスとキリスト教
四 「生ぬるい保守」の時代
五 エピゴーネンからの離反劇
六 「眞の自由について」Ⅴ 三島由紀夫の死と私
はじめに――これまで三島論をなぜまとめなかったか
第一章 三島事件の時代背景
第二章 一九七〇年前後の証言から
第三章 芸術と実生活の問題
第四章 私小説的風土克服という流れの中で再考する
あとがきⅥ 憂国忌
三島由紀夫の死 再論(没後三十年)
三島由紀夫の自決と日本核武装(没後四十年)追補 福田恆存・西尾幹二対談「支配欲と権力欲への視角」
同対談解説 エゴイズムを克服する論理後記
『天皇と原爆』の刊行(七)
産経新聞4月14日 書評倶楽部から
中島誠之助 古美術鑑定家
昭和13年生まれ。東京・青山の骨董通りの名付け親。著書に『骨董やからくさ主人』『句集 古希千句』ほか。
長い世界史たどってみる必要
かなり難解な本である。そのくせ一気に読み終えることができる。ということは内容の深さを理解しようとしなければ通読するだけで終えてしまうという安易さに陥る。
要は歴史というものは、振り返ってあの時ああすればよかったとか善悪の基準だけでは決め付けることが出来ないといっているのだ。そして現在おかれた絶対安全な環境の中で、口先だけの危機感を述べることの間違いと危うさを指摘しているのだ。
歴史を語ることの尺度を50年や100年ではなくて数世紀いや数十世紀のスケールで計って、現実の動きが必然的な結果として起きるとしたところに本書の新鮮さがある。
日米開戦はなぜ起こらざるを得なかったのか。戦争の非は決して日本だけにあるのではなくフロンティア精神を掲げて西進したアメリカ側にもあるのではないか。アメリカ人の思想と歴史観は日本に対してどのように働いたか。それを知ることがわが国のこれからの進路を決めるうえで必要なのだと説いているのだ。
迫害を逃れて新大陸に上陸した清教徒たちが国是としたキリスト教国家アメリカ、その西進を拒んだ日本神話に表現される神の国日本との宗教戦争が日米の戦いであったとする著者の持論は、昭和史という新語で一方的に日本を悪人扱いする世間の論調に警告を発している。
現代社会の中で一部の人はなにか言うことが許されないもやもやとした気持ちを持っている。なぜ原爆を落とされなければならなかったのだ。そこに至る長い世界史をたどってみる必要があるのではないか。
日本の敗戦直後、アメリカは皇太子の家庭教師としてクエーカー教徒の婦人を派遣してきた。あれから60有余年の後、アメリカの意図がどのような結果を我が国にもたらしたか。ここらで確(しっか)りと考えて見る必要があるようだ。
『天皇と原爆』の刊行(六)
内田さんは出版者として私の『江戸のダイナミズム』を出して下さった人で、『諸君!』終刊号の編集長でした。
謹啓
なお寒い日が続きます。ご新著有難うございました。誠に面白く拝読いたしました。
「天皇と原爆」とは、読者に謎をかけ、しかもどことなくベネディクトを連想させて、秀逸な題名でした。テーマは壮大で深遠ですが、語り口調がよく活きており、大変読みやすく感じられました。新潮社の担当の方も、良い仕事をされたのではないかと拝察します。
「江戸のダイナミズム」以後、仲小路彰など「GHQ焚書」の研究を通じて、西尾日本史論は一層の深化発展を遂げました。ご新著はそのことを端的に物語る一冊といえるのではないでしょうか。
焚書など驕れる戦勝国の暴挙であることはもちろんですが、語るに足る良書をきちんとえらんで槍玉にあげていることに、妙な感心もさせられます。日本側協力者とおぼしき金子、尾高らが、それなりに“具眼の士”であったとかんがえていいのでしょうか。今回、重要な役割をはたしている和辻哲郎とは、ゆかりの深い人々のようですが、そのあたりを含めた、西尾先生の総合的評価を知りたいと感じました。
終盤、国の「運命」をめぐる考察は、一巻の山場を感じます。小林秀雄畢生の名啖呵「利口な奴はたんと・・・・・」が、西尾先生の記述によってはじめて腑に落ちた気がしました。
水戸学の変容を的確に要約して、アメリカ建国史との共時的展開を指摘された一節も、鮮やかです。欧州と日本の並行発展は斬新です。この部分もさらに掘り下げていただきたいものと思いました。
全集第一巻は、途中まで読んでしばし中断していましたが、これから続きにとりかかりたいと思います。第三回配本も楽しみに致しております。
何卒ご自愛ください。取り急ぎお礼とご挨拶まで
敬具
平成24年2月12日 文藝春秋内田博人西尾幹二先生
「GHQ」第七回「オーストラリアのホロコースト」
『天皇と原爆』の刊行(五)
「週刊新潮」3月22日号より 匿名
なぜ著者はここまで忌憚なくこの国の本質を鋭く衝くことができるのか。それは「我々は何か大きくすり替えられて暮らしている。頭の中に新しい観念をすり込まれて、そこから立ち上がることができなくなっている」という危機感があるからだ。
本書を貫いているのは歴史を正しく見ることの重要性である。特に、現在の視点で過去の出来事を捉えることの危うさが説かれる。たとえば「侵略国家」「侵略戦争」という言葉は、戦後の日本人が自分の国を誹謗するための自虐的なもの。勝者である占領軍の歴史観でものごとのすべてを見ようとする姿勢は誤りだと著者は言う。
またアメリカの西進政策の背後には「東洋開拓を競う英米対決」があったこと、自国の利己主義に基づく戦略は、昔も現在も変わらないことを明らかにしている。アメリカは、常に人類を裁く法廷を司りたがる「神の国」だとの指摘は多くの示唆に富む。(新潮社・1680円)
「GHQ」第六回「オーストラリアは何故元気のない国家なのか」
「GHQ」第五回「太平洋上でのフランスの暴虐」
お知らせ
『歴史通』(ワック出版)の5月号(4月9日発売)が「総力特集・天皇」を出す。私はここに「雅子妃問題の核心――ご病気の正体」というかなり長い論文を書いた。新しい材料が手に入ったので、今までになく実態が分り、皇族と一般民間人、例外者と普通人の間の「自由」の意識の違いをめぐるパラドックスに踏み込んだ。深層心理的に、かつ目に見えるように具体例をもって問題の核心を新たに提示し、明日の皇室と国家の未来への期待を綴った。
2008年に出した『皇太子さまへの御忠言』のワック文庫本を先日出版したが、当論文の収録はこれには間に合わなかった。先立つ『WiLL』3月号と『週刊新潮』2月23日号の私の関連文章まではこの文庫本に収録されている。
間もなく、4月末までに、西尾幹二全集第2巻(第3回配本)『悲劇人の姿勢』が世に問われることになる。これに伴い、5月26日(土)午後6時より、恒例の刊行記念講演会を行う。場所は前回と同じ星陵会館ホール(地下鉄永田町あるいは赤坂見附より徒歩約5分)。
演題は「真贋ということ――小林秀雄・福田恆存・三島由紀夫をめぐって」である。
入場¥1000、予約は要らない。一部のお知らせに間違えて予約の文字が記されたが、予約は必要ない。
今回は懇親会は行わない。代りに終って名刺交換会とサイン会を行う。同会場の懇親会の宴会費が内容に比して高過ぎると判断されたからである。参加者に迷惑をかけたくなかった。次の機会には良い会場を探したいと思うが、今回は間に合わなかった。