謹賀新年(平成24年)

 喪中につき年末年始の挨拶を遠慮するという恒例の葉書の知らせは昨年末、数えてみたら62通あった。多いか少ないか分らない。毎年これくらい来ているとは思うが、毎年は数えていないので判断できない。たゞ今度気づいたのは長寿でお亡くなりになった方がきわめて多いことだった。90歳より以上の方が22人もいる。100歳以上で逝去された方が4人もおられた。私は自分がだんだん齢を重ねてきたので、死者の年齢も次第にあがって来たのだと思うが、たゞそれだけではない。一般に長生きが普通になったのである。

 天皇陛下がご高齢になられたとの声をテレビでしきりに耳にする昨今である。陛下は私とはわずか1.5歳くらいの年差であられる。私も「ご高齢」になったのだとテレビでいわれているようで奇妙な気がしてくる。

 陛下はまだまだご丈夫だと思う。被災地をご訪問になり、避難所の床にお膝をついて話をなさるシーンを何度も目にした。膝をついて坐れば、膝を起こして立たなければならない。立ったり坐ったりするのは容易ではない。陛下は鍛錬なさっている。私はそう直感した。私なんかより足腰はしっかりしておられ、きっとお強いのだ。まだまだ大丈夫である。

 私は昨年全集の刊行開始、相次ぐ雑誌論文、単行本三冊の出版で年齢にしてはやり過ぎである。私より高齢で多産な人もいるから、音を上げてはいけないが、10~11月ごろに少しばて気味だったことは間違いない。むかし手術を受けたところの古傷がいたんで、すわ再発かと恐れたが、要するに疲労とストレスが貯まった一時的な結果だった。仕事量を減らさなくてはいけない。

 昨年私はニーチェと原発と日米戦争に明け暮れたが、今年はどうなるだろう。今年は全集を4巻出し、次の年の4巻の準備をしなくてはならない。そして夏ごろスタート予定で『正論』に長編連載を開始する約束になっている。小さな論文とか新しい単行本の企画とかは慎まなくてはならない。それがいいことかどうかは分らないのだが・・・・・・。

 自分の肉体がだんだん衰徴していくのは避けがたいが、それにも拘わらず、行方も知れない日本の運命への不安がますます募るようで、私の心理的ストレスは高まりこそすれ鎮まることはないだろう。中国に対する軍事的警戒とアメリカに対する金融的警戒はどちらも同じくらい必要で、どちらか一方に傾くというわけにはいかない。前者を防ぐためにアメリカの力を借りれば、後者から身を守るすべが日本にはない。

 先の戦争が終ったころ、米国務長官アチソンがフィリピン、沖縄、日本、アリューシャン列島のラインをアメリカが責任をもつ防衛範囲であると明言し、それ以外の所は責任を持たないと言ったために、金日成が南朝鮮を安んじて侵攻した、という歴史がある。アメリカが最近海兵隊をオーストラリアに移動させたことをもって、アメリカの対中防衛網の強化だと歓迎する人が多く、そういう一面は私も否定しないが、しかし考えようによってはアチソン・ラインが南に下げられ、日本列島はラインの外に出されてしまった、という見方もないわけではないのである。

 大震災が起こったとき、アメリカ艦隊が大挙して救援に来た。例の「オトモダチ作戦」は善意と友情の行動という一面もあるが、日本列島がかっての「南ベトナム」「南鮮」のような保護対象としての主権喪失国家のひとつと見られた事実も間違いなくあるのである。少くとも今、日本列島はアメリカ合衆国の国境線になっている。かつての満洲北辺が大日本帝国の国境線であったのと同じような意味においてである。

 東シナ海、日本海近辺には石油・天然ガスが大量に眠っており、その総量はサウジアラビアを凌駕するという説がある。これは日本人にとって悪夢である。中国が狙うだけではない。アメリカも狙っているからだ。アメリカはこれを奪うために日中間の戦争が起こるように誘導するかもしれない。世界経済が完全に行き詰まった後、何が起こるか分らない。

 ジョゼフ・ナイの「対日超党派報告書」というのがある。ごらんいたゞきたい。

 http://www.asyura2.com/09/senkyo57/msg/559.html 

 わが日本列島はこの200年間、運命に対し受身であるほかなかった。日本の行動はすべて受身の状態を打開するためで、悲しい哉、自らの理念で地球全体を経営しようと企てたことはない。外からの挑戦につねに応答してきただけである。これからも恐らくその宿命を超えることはできないだろう。

 昨年末に次の本を校了とし、出版を待つばかりとなった。表紙もできあがったのでお目にかける。

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 前にご紹介した担当編集者の作成メッセージをもう一度お届けする。

天皇と原爆

強烈な選民思想で国を束ねる
「つくられた」国家と、
世界の諸文明伝播の終着点に
「生まれた」おおらかな清明心の国。

それはまったく異質な
二つの「神の国」の
激突だった――。

真珠湾での開戦から70年。

なぜ、あれほどアメリカは
日本を戦争へと
おびき出したかったのか?

あの日米戦争の淵源を
世界史の「宿命」の中に
長大なスケールでたどりきる、
精細かつ果敢な
複眼的歴史論考

「桜プロジェクト」年末スペシャル

● 放送予定日時:平成23年12月28日(水)スカパー!217ch20時~22時
およびインターネット放送「So-TV」

● パネリスト:(敬称略・五十音順)
  大高未貴(ジャーナリスト・桜プロジェクト月曜日キャスター)
  鈴木邦子(外交安全保障研究家・報道ワイド日本ウィークエンドキャスター)
  高清水有子(皇室ジャーナリスト・桜プロジェクト木曜日キャスター)
  富岡幸一郎(文芸評論家・関東大学教授・桜プロジェクト水曜日・報道ワイド日本ウィークエンドキャスター)
  西尾幹二(評論家・GHQ焚書図書開封司会)
  西村幸祐(評論家・ジャーナリスト・桜プロジェクト水曜日・報道ワイドウィークエンドキャスター)
  三橋貴明(経済評論家・作家・桜プロジェクト水曜日・報道ワイドウィークエンドキャスター)

司会:水島 総(日本文化チャンネル桜 代表)

西法太郎さんの文章その他

 『文藝春秋』12月号――すでに月が替わって今は1月号だが――に、旧宮家の令嬢久邇晃子さん(精神科医)が原発への疑問を書いている。「愚かで痛ましい我が祖国へ」と題したそのご文章は深く味わいがあり、心を打つ内容であった。

 今まであまり論じられていない新しいことが二つ書かれていた。代替エネルギー関連の特許は日本が世界の55%を占めているとのことである(国連の専門機関WIPOの報告書)。それなのに日本がそれを生かせているとは言い難い。わが国の技術開発力のすばらしさと、それを社会化していく能力の貧困とのギャップが口惜しいと仰っている。私もそう思う。

 最近の風潮では、また少しづつ世論の鎮まるのを待って、原発路線へ戻ろうとする動きがボツボツ目立ち始めている。「自然エネルギーは実現性が無いから、などとそれ自体論拠の薄いことを主張して、原子力発言の割合を含めて現状維持しか方法は無いのだ、と冷笑的な態度を取っている人が大勢を占めている間に、日本は世界に後れを取り、競争力が低下し、これから急速に成長していく可能性の高い有望な分野での(しかも日本が得意な分野での)またとないチャンスを逃している。」と彼女は書いている。

 幼少時より外国経験の多かった久邇さんは、日本が戦争に敗れて以来黙々と働きつづけ名誉ある地位を回復したことに好意を寄せてくれる国々として、「ヨーロッパの中でも、東欧の人たちや、ラテンアメリカの人たち、中近東の人たち」を挙げ、日本が万一また失敗し、海や大気などを再び汚染するようなことが起こったら、「日本に対する同情は一転して反感に変わる」だろうと仰り、そのことに心を痛めている。

 「愚かで、痛ましい我が祖国。美しい日本の野山を見ると、じっと耐えている東北の人々の姿を見ると、涙が止まりません。」

 静かなその語り口に共感した。そして、少し余計な話かもしれないが、こういう方が皇太子妃であって下さったら日本国民は救われたのに、とついあらぬ方向へ思いが及んでしまう昨今でもある。

 原発については10月21日に私は有楽マリオンの朝日ホールで、専門家の方々に立ち混ってシンポジウムに参加したことと、文藝春秋から『平和主義ではない「脱原発」』という単行本を出版したことの二つが私の最近のトピックである。

平和主義ではない「脱原発」―現代リスク文明論 平和主義ではない「脱原発」―現代リスク文明論
(2011/12)
西尾 幹二

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 最近は少し根気を失って、原発発言はやめている。たゞしこの本のあとがきである「ひとりごと――『あとがき』に代えて」は読んでもらいたい新稿である。また、小林よしのり氏の新雑誌『前夜』創刊号(12月25日刊)に協力して書いた一文も、「原発は戦後平和主義のシンボルだった」(20枚)と名付けた。これは『WiLL』12月号で田原総一朗氏が「脱原発は一国平和主義と同じだ」と書いたことに対抗し、こういう傾向の考えをからかった題名である。

 どうも『WiLL』は遺憾なことに、全体の傾向は原発推進派のようである。私は例外的に扱われているみたいだ。保守論壇はこぞって原発万歳の方向なのであろう。保守の中で脱原発を明言しているのは、小林よしのり氏と竹田恒泰氏と私の三人くらいである。

 私は原発の存在が日本の国防を阻害していることを特記している立場である。この点については、正月が明けてから『SAPIO』でもう一度強力にテーマをしぼって発言すべく、昨日、インタビューに応じた。

 さて、西法太郎氏がこうした一連の私の言論のあり方について、大変に印象深い言及と分析を二度にわたって書いてくださっているので、以下に感謝をこめて掲示する。

(1)日録10月6日 全集発刊にからむニュース(5)のコメント(1)

1. WiLL11月号の西尾先生の御論考「現代リスク文明論-原発事故という異相社会」を手にとって思いめぐらしたことを以下徒然に綴ります。

西尾先生の御論考はどれも御自身の地頭で思考したことをズバズバ述べていて読む者を痛快な気分にさせてくれます。

それはまるで焔を噴きだす巨龍のような迫力です。それはまるで百畳の部屋いっぱいに拡げた和紙にたっぷり墨汁を含ませた特大の筆を一気呵成に運ぶ大僧正のおもむきです。

展開する内容は小難しくも小賢しくもなく読み下して行けばストンと胸の中に収まものです。これはなかなか出来ることではありません。書き手が自分の意を読者に伝えることは意外に難しいのです。往々にして意余って言葉足らずとなりかねないのです。

その一方伝えるべき肝心の自分の意を持ち合わせない手合いが物書きの中にごまんといます。そういう手合いは他人の文章を換骨奪胎してあちらからこちから引き写して編集者や読者に迎合するものを仕上げています。それを自分のもののように取り繕います。それが感心するほど上手い人がいます。
西尾先生はひたすら我が道を往くだけです。周りの状況を読んで処世で動くということはしません。KYという語は西尾先生の辞書にありません。なぜなら周囲の空気を読むような姿勢を容認する言論空間にいないからです。政治家は民意を読み取ってその流れに乗らないと商売になりません。言論人は政治家とは違います。あたかもヴェネチアが数百万本の杭をラグーナに打ち込んで堅牢な海上都市を築いたように、西尾先生は「30歳から40歳ごろまで」「爆発といってもよいくらいの活動をして」「多産だった」時代に確固とした思想形成の土台を築いたのです。あらゆるものを〝懐疑〟してその地盤を踏み固めたのです。それがマグニチュード9の大震災や大津波に動じることなく、原発被災以降の日本をそれまでと異なるフェイズに入ったと捉える透徹した視力をそなえさせたのです。
WiLLの西尾論文は次のように結ばれています。

「人類はかつてプロメテウスの火をもてあそんだように、原発はやってはいけない神の領域に手を突っこみ、制御できなくなった「火の玉」が自らの頭上に堕ちてくるのをいかんともし難くもて余し、途方に暮れている姿に私には見える」

ハインリヒ・アルフレート・キッシンガー(英語名ヘンリー・アルフレッド・キッシンジャー)に『核兵器と外交政策』という大著があります。

キッシンガーは、その第三章「プロメテウスの火」の冒頭で次のように説いてまだ30歳台の少壮学者時代の鋭い洞察力をきらめかせています。

「プロメテウスは、神々から火の秘密を盗んで、岩に鎖でつながれて余生を送るという罰を受けた。この伝説は何百年の間、思い上がった野心に対する処罰の象徴と考えられている。ところが、プロメテウスが受けた罰は、慈善行為だったともいえるのではなかろうか?
というのは、神々が自分達の火を盗ませるようにしむけたとしたら、その方がはるかにひどい罰ではなかっただろうか?
現代のわれわれも、神々の火を盗むのに成功したために、火の恐怖と共に生きなければならぬ運命となってしまった」

そのギリシア神話は次のようなものです。
チタン族がクロノスを助けてゼウスと戦ったとき、プロメテウスは一族に背いてゼウスに味方したため、後にゼウスから人間創造の大任を委ねられた。しかし、プロメテウスは自らの創った人間を愛するあまり、ついに天上の火を盗んで人間に与えた。
ゼウスは怒ってプロメテウスをカウカソスの山上の巨きな岩に繋縛し、日毎にハゲ鷲に肝をついばませた。
プロメテウスはヘラクレスに救われるが、神が罰として弟エピメテウスに渡したパンドラの匣が開けられ、封じ込められていた禍の種子が世界に飛散して、人間界は混乱と争いが絶えない悲惨なところとなった。

ギリシア神話と無縁の大日本国(おおやまとのくに)は、世界初の原爆の苛烈な火を降り注がれ、すさまじい災厄を蒙りました。しかるのち生き残った民は大和魂を抜かれ、背骨を熔かされ、精神的軟体動物に成り果てて、哀れを止めぬありさまです。

大和の神々は自ら社稷を汚してしまった民草を守ってはくれないのでしょうか。神を懐うことをなおざりにした民に御陵威は及ばず、守られるに値しないのでしょうか。消え行くしかないでのしょうか。

こんな大和の民が蘇生するには、神韻漂渺の世界を想い、先達の困難克服の営みとあまたの犠牲を顧み、その上に今在るわれわれが存していることを感得することしかないでしょう。しかしこれは易いことではありません。(了)
コメント by 西 法太郎 — 2011/10/11 火曜日 @ 17:48:37

(2)坦々塾ブログ 11月12日 “孤軍奮闘の人”西尾全集の発行に寄せて
坦々塾ブログからの転載

〝孤軍奮闘の人〟西尾幹二先生の全集発刊に寄せて

        坦々塾会員  西 法太郎

 2011年10月 【西尾幹二全集】 全22巻の刊行が遂にスタートした。年4冊のペースだというから完結まで6年を要することになる。単行本に収められなかった御論攷(『批評』に発表した「大江健三郎の幻想風な自我」など)や未発表の原稿なども日の目を見るというから楽しみだ。  

 完結の暁には〝西尾幹二大星雲〟の全貌が姿を顕すことになる。しかしこの大星雲は今なお膨張し続けており、完結までに成しゆく著作で巻数が増えることは想像にかたくない。
 この大事業が完成するまで西尾先生は意気軒昂でおられるだろうが版元が全集発刊の体力を保てるか不安である。それは版元の経営状態を云々するのではなく昨今の出版業界の不昧がこれから更に酷くなる厳しい状況が続くことが確実だからである。先行き不透明な現下、壮挙と呼べる本事業を引き受けた版元の心意気やよしである。

 学者としてスタートした先生はその後言論人としてひたすら我が道を突き進んできた。それは周りの状況をうかがって処世で動くことができない性格からそうなったとも言える。しかしそういう不器用さは善である。先生は周囲の空気を読むような言論空間にいないのだ。だからその辞書に「空気を読む」という言い回しはない。

 先生はあたかもヴェネチアが数百万本の杭をラグーナ(潟)にどんどん打ち込んで堅牢な海上都市を築いたように、「30歳から40歳ごろまで」「爆発といってもよいくらいの活動をして」「多産だった」時代に思想形成の強固な土台を築いた。
 あらゆるものを〝懐疑〟してその基盤を踏み固めた。それがマグニチュード9の大震災、大津波に精神を動じさせることなく、原発被災以降の日本がそれまでと異なるフェイズに入ったと捉える透徹した視力をそなえさせたのだ。

 今から66年前、大日本国(おおやまとのくに)の民は世界初の原爆の熱炎を降り注がれる苛烈な災厄を蒙った。しかるのち生き残った民は大和魂を抜かれ、背骨を熔かされ、精神的軟体動物に成り果てて、哀れを止めぬありさまである。

 大和の神々は今回放射性物質で社稷を汚してしまった民草をもう守ってくれないのだろうか。神を懐うことをなおざりにした我々は守られるに値せず、御陵威は及ばず、消え行くしかないのだろうか。

 こんな大和の民が蘇生するには、神韻漂渺の世界を想い、先達のあまたの犠牲と困難克服の営みを顧み、今その上にみずからが存していることを感得することしかないのだろう、と思う。易いことではないが先生はこのことを感得している。

 先生を〝孤軍奮闘の人〟と呼んだのは長谷川三千子氏だが、先日都内で行われた≪東京電力・福島第一原子力発電所事故と原子力の行方≫というシンポジウムに登壇した先生はまさに〝孤軍奮闘の人〟だった。

 先生以外のパネリスト5名の内4名は長年原子力村に棲息してきた日本原子力技術協会・最高顧問、京都大学原子炉実験所・教授、九州大学副学長・教授、日本アイソトープ協会常務理事という肩書を持つ学者たちで、あと一人は原発推進に与する作家、つまり脱原発論者は先生ただ一人だった。

 司会は田原総一朗氏で、原発擁護派の学者にも突っ込んだ質問をしていたが、先生には「西尾さん、あんた頭がおかしいよ」と罵倒の言葉を投げる悪態をついていた。先生は聞こえない風をよそおいポーカーフェイスで受け流していた。

 先生は遠藤浩一氏との最近の対談で「私の書くものは研究でも評論でもなく、自己物語でした。・・・〝私〟が主題でないものはありません。私小説的な自我のあり方で生きてきたのかもしれません」と語った。

 学者の書く物には自分を虚しくすることが求められるが、言論人の役割は我らに自己をよく語り、我らをその精神に共鳴させることだと思う。その意味で先生はまごうかたなき言論人である。

 先生は百畳の部屋いっぱいに拡げた和紙にたっぷり墨汁を含ませた特大の筆を一気呵成に運ぶ大僧正のおもむきを持つ。その筆鋒は巨龍の口から噴きだされる炎のような迫力で数々の言説を描き出して来た。

 そのような先生の言説はどれも展開されたまま読み下して行けば、論旨がストンと胸の内に収まるものだ。先生自身の地頭で思考したことをズバズバ述べていて読む者を爽快、痛快な気分にする。

 だが独文学者として書かれたものや全集の核心になるという声がある『江戸のダイナミズム』 は扱っている主題が主題だけに読む者は相当の忍耐と集中力を強いられるだろう。そしてその苦行は必ず自分の知的覚醒となり、心の糧となるはずだ。(了)

 西法太郎さん、ありがとうございました。こんな風に論じて下さったのは身に余ることですが、ひとつだけ申し上げたいことがあります。私は「空気を読まない」人間とお書きになっていますが、しかし「処世」とは違った意味で私はいつも世の中の空気を読んでいる人間でもあります。さもなければ言論人としてこんなに長く生きつづけることが出来たはずはありません。普通で使われるのとは違う意味で、私は徹底的に「空気を読む」人間であると考えています。

店頭に出ている雑誌

 ちょうど今店頭に出ている雑誌とこれから間もなく出る雑誌に、次のような私の関連記事が相次いで載っていますので、ご報告します。

 『SAPIO』2011.12.28(NO19)日米開戦70年目の真実――米国が戦後「GHQ焚書図書」指定し歴史の闇に葬った「不都合な真実」を開封する、という趣旨の論文です。

 『歴史通』2012.1月号 高山正之氏との対談「アメリカの野望――米西戦争からTPPまで」――これはかなり大型の対談です。私の発言分には、スペイン帝国からオランダ、イギリス、アメリカへと覇権が移り変わる略奪資本主義の歴史の展開を見据えて、1973年の石油危機から最近の金融危機にいたる諸問題を射程に入れた新しい観点を提出し、単なる日米開戦回顧ではなく、今まで私が言っていない歴史の見方を打ち出しているつもりです。

 『前夜』2011年12月25日創刊号(小林よしのり責任編集の新しい雑誌・幻冬舎刊)原発は戦後平和主義のシンボルだった、――小林氏の新しい企てに協賛して20枚書き下ろし論文を寄稿しました。

 『WiLL』2012年2月号(12月26日発売)特集・日本、これからの10年!「擬似保守」は消えてなくなる――保守の10年後はどうなるのかの問いに答えた10枚のエッセーです。日本は過去も今も保守はなく、大切なのは愛国の熱情だけで、単なる「親米反共」といった冷戦思考ではもう時代は乗り切れないことを訴えました。

日本文化チャンネル桜 本日(土)の放送は以下の通り。

番組名 :「闘論!倒論!討論!2011 日本よ、今・・・」

テーマ :一体、日本をどうする!?大東亜戦争開戦70年記念大討論

放送日 :平成23年12月10日(土曜日)20:00~23:00)
     日本文化チャンネル桜(スカパー!217チャンネル)
     インターネット放送So-TV

パネリスト:50音順敬称略
     荒谷 卓(元陸上自衛隊特殊作戦群初代群長)
     上島嘉郎(別冊「正論」編集長)
     田久保忠衛(杏林大学名誉教授)
     西尾幹二(評論家)
     西部 邁(評論家)
     藤井 聡(京都大学大学院教授)
     宮脇淳子(東洋史家・学術博士)

司会  :水島 総(日本文化チャンネル桜 代表)

宮崎正弘氏から次の書評をいただきました。ありがとうございます。

真珠湾攻撃から70年 開戦記念日に読むべき格好の書籍はこれ!
  米国の反日ルーズベルト政権は、最初から日本をだまし討ちにする積もりだった

  ♪
西尾幹二『GHQ焚書図書開封6 日米開戦前夜』(徳間書店)
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 FDR(フランクリン・ルーズベルト大統領)を「日本を戦争に巻き込むという陰謀を図った狂気の男」とフーバー元大統領が辛辣に批判していた事実が、ようやく明らかになった。
この大統領のメモは米国内で、ながく禁書扱いを受けていたからだ(詳しくは産経12月8日付け紙面)。
 小誌読者の多くには、いまさら多くを語るのは必要がないかもしれないが、大東亜戦争は日本の自衛の戦争であり、米国との決戦は不可避的だった。直前に様々な和平工作がなされたが、それらは結果的に茶番であり、ルーズベルトその人がどんな謀略を行使しても、日本と戦争しなければならないという確固たる信念の持ち主であったから、戦争回避工作には限界が見えていた。

 開戦の報に接して太宰治は短篇「十二月八日」のなかに次のように書いた。
「早朝、布団の中で、朝の支度に気がせきながら、園子(今年六月生まれの女児)に乳をやっていると、どこかのラジオが、はっきり聞こえて来た。
 『大本営陸海軍部発表。帝国陸海軍は今八日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり。』
 しめきった雨戸のすきまから、まっくらな私の部屋に、光の射し込むように鮮やかに聞こえた。二度、朗々と繰り返した。それを、じっと聞いている裡に、私の人間は変わってしまった。強い光線と受けてからだが透明になるような感じ。あるいは、聖霊の息吹を受けて、つめたい花びらをいちまい胸の中に宿したような気持ち。日本も、けさから、ちがう日本になったのだ」

 ほとんどの国民がそういう爽快感を抱いた。後知恵で軍部に騙されたなどとする戦後進歩的文化人の史観は嘘でしかないのだ。

 それにしても、米国はなぜ対日戦争を不可避的と考えたのか。それはマニフェスト・デスティニィにあることを戦前のジャーナリスト、学者、知識人の多くが把握していた。この第六巻では、読売新聞の斎藤忠の著作などを西尾氏は引用されながら、こう総括される。
 「アメリカのこうした信仰は、裏返せば、ナチスとおなじではないでしょうか。アメリカはナチスを憎むといっているけれど、私たち日本人から見れば、ナチスそっくりです。ヒットラーといちばん似ているのは東条英機じゃなくてルーズベルトのほうではないでしょうか」
 その比喩を西尾氏は最近鑑賞された映画『アバター』と結びつける。
 「地球人が機械化部隊でもって宇宙にある星の自然を破壊する。地球人は飛行機で戦い、宇宙人(アバター)は弓矢で迎え撃つ。まさに西部劇そっくりです。西へ西へと向かいアジアを破壊しつづけたアメリカ人の根本の衝動には変わらぬものがあり、彼らの想像力もまたつねに同一です。大事なポイントはその星にすばらしい巨大な樹木があって、その一本の巨木を倒してしまえば宇宙人は全滅してしまうというのがモチーフの中心にあります。つまり、その星のすばらしい樹木はわが国の天皇のようなものなのです」

 ▲日本は最初から最後まで聖戦と貫いた

 西尾さんが本巻に引用された斎藤忠さんは、国際ジャーナリストとして戦後も活躍したが、昭和四十年代にジャパンタイムズの主筆をつとめておられた。背丈こそ低いが古武士のような風格、片方が義眼で伊達政宗風のひとだった。
というのも、じつは評者(宮崎)は品川駅裏にあった同社に氏をよく訪ねて国際情勢の解説を聞いたり、学生の勉強会にも数回、講師として講演をお願いした。その浪花節調の明確で朗々たる講演の素晴らしさに感銘を受けたものだった。あの論客の戦前の作品が復活したことは喜びに堪えない。

 そして西尾氏は、米国の壮大なる徒労をかくまとめられる。
 「アメリカはいったいなぜ、また何のために日本を叩く必要があったのでしょう。戦争が終わってみれば、シナ大陸は毛沢東のものになり、共産化してしまった。アメリカが何のために日本を叩いたのか、まったく分かりません。アメリカのやったことはバカとしかいいようがありません。あの広大なシナ大陸をみすみす敵側陣営(旧東側陣営)に渡す手助けをしたようなもの」で、まことにまことに「愚かだった」のである。

 しかし、この米国の病、まだ直る見込みはなく、ベトナムに介入して、けっきょくベトナムは全体主義政権が確定し、またイラクに介入して、イラクはまもなくシーア派の天下となり、アフガニスタンに介入し、やがてアフガニスタンはタリバンがおさめる「タリバニスタン」となるだろう。愚かである。

 開戦記念日。こういう軍歌が歌われたことを西尾氏は最後のしめくくりに用いられる。
「父よあなたは強かった」の歌詞はつぎのごとし。
 ♪「父よあなたは強かった 兜も焦がす炎熱を 敵の屍と ともに寝て 泥水すすり 草を噛み 荒れた山河を 幾千里 よくこそ撃って 下さった」
 嗚呼、評者も学生時代の仲間と呑む機会には二次会で歌う一曲である。
    △△

講演会のチラシ

 11月19日の講演会「ニーチェと学問」は350~400人くらいの入りで、ひとまず盛会だった。講演内容の説明はここで簡単にはできないので、お許したまわりたい。

 当日会場で4枚のチラシが配られた。私の本の広告とつくる会の入会案内である。私の本は相次いで三冊出るので、チラシを見ていただきたい。文藝春秋、新潮社、徳間書店の順で並べる。さいごに、つくる会の広告もお見せする。

 三冊の本のうち新潮社のだけは来年1月刊行で、まだ出ていない。このチラシは編集者がペンで書いた手造りである。文言は気に入っているが、読みにくいので、打ち直して掲示する。

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天皇と原爆

強烈な選民思想で国を束ねる
「つくられた」国家と、
世界の諸文明伝播の終着点に
「生まれた」おおらかな清明心の国。

それはまったく異質な
二つの「神の国」の
激突だった――。

真珠湾での開戦から70年。

なぜ、あれほどアメリカは
日本を戦争へと
おびき出したかったのか?

あの日米戦争の淵源を
世界史の「宿命」の中に
長大なスケールでたどりきる、
精細かつ果敢な
複眼的歴史論考

平成24年1月下旬刊行 新潮社

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パールハーバー七〇周年記念出版

 私は一年も前からパールハーバー七〇周年を意識して出版の計画を立てていたが、マスコミの反応は鈍かった。ようやく12月8日が近づいてきた二、三週間前から、動きが出て来た。パールハーバーに関連する企画への私の参加内容と記念出版についてお知らせする。

①『正論』(今の号、12月号)論文「真珠湾攻撃に高い道義あり」
11月27日講演「日米開戦の由来を再考する」於靖国会館、1時30分開始。主催二宮報徳会、参加費¥1000。参加自由。
③『歴史通』(次の号)、対談、高山正之氏と日米戦争前史をめぐって
④『SAPIO』(次の号)題未定、論文掲載。
⑤日本文化チャンネル桜「闘論!倒論!討論!」
大東亜戦争開戦70周年記念大討論、日本はどうする!」放送12月10日(土)20:00~23:00

 さて、私の記念出版(徳間書店)は既報のとおり、次の二冊である。

 『GHQ焚書図書開封 5――ハワイ、満洲、支那の排日』

 『GHQ焚書図書開封 6――日米開戦前夜』
 
 5、は既刊、6は刊行されて約一週間で、今店頭に出ている。新聞広告はこれからである。どちらも¥1800。

 二冊はこの日のために準備してきた決定版である。くどいことは言わない。この二冊を読まずして今後、戦争の歴史を語るなかれ。

 本日は内容紹介として、目次だけでなく、あえて冒頭書き出しの3ページを引用紹介する。

GHQ焚書図書開封6 日米開戦前夜 GHQ焚書図書開封6 日米開戦前夜
(2011/11/17)
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GHQ焚書図書開封 6

第一章 アメリカの野望は日本国民にどう説明されていたか
第二章 戦争の原因はアメリカの対支経済野望だった
第三章 アメリカの仮想敵国はドイツではなく日本だった
第四章 日本は自己の国際的評判を冷静に知っていた
第五章 アメリカ外交の自己欺瞞
第六章 黒人私刑の時代とアメリカ政治の闇
第七章 開戦前の日本の言い分(一)
第八章 開戦前の日本の言い分(二)
第九章 特命全権大使・來栖三郎の語った日米交渉の経緯
第十章 アメリカのハワイ敗戦を検証したロバーツ委員会報告
第十一章 世界史的立場と日本
第十二章 総力戦の哲学
 あとがき

アメリカに対する不安と楽観

 日本の一般国民は戦前においてアメリカに悪感情を抱いていませんでした。小説『風と共に去りぬ』はすでにベストセラーでしたし、アメリカ映画は『キングコング』を始め愛好され、アメリカ映画の上映禁止はやっと開戦二日後になってからでした。アメリカの国内向け対日悪宣伝のほうがはるかに先を行っていたはずです。

 一般の日本人はアメリカの実力を知っていましたので、本当に戦争する相手国になるとは永い間思っていませんでした。むしろシナ大陸に介入しているイギリスやソ連はけしからぬと考えていて、その力の排除が必要とは考えられていました。イギリスとアメリカはどこまでも別の国でした。イギリスは超大国であり、アメリカは日本と並び立つ新興国であるという19世紀以来の歴史の流れの中にありました。アメリカはドイツや日本を倒す前に、まずイギリスを抑えないと先へ進めません。戦前はそういう時代でした。アメリカが超大国であることはいまだ自明の前提ではありませんでした。

 戦争直前に「近代の超克」が論じられました。文学者や哲学者がさし迫る戦時への覚悟を文明論として討議したものですが、ここでいう「近代」は「西洋近代」であり、意識されていたのはアメリカではなくヨーロッパでした。日本はヨーロッパ文明と対決するつもりでいたのです。アメリカはどこまでもヨーロッパから派生した枝葉の文明にすぎないと見られていました。

 私見では日本政府は昭和十四年(1939年)あたりまで「英米可分」で行けると踏んでいた節があります。大陸をめぐる争いの中にアメリカは出遅れていて、欧州各国の進出地に簡単に手出しはできませんでした。太平洋の島々の奪取とフィリピンの征服までは遠慮なく武力侵略をしていたにも拘わらず、大陸にはいきなり軍事介入はせず、南の方の陣固めをしていました。フィリピンやグアムを據点に、イギリス、オーストラリア、オランダと組んで日本を包囲する陣形をつくり上げ、時の到来を待っていました。アメリカは蒋介石を傀儡(かいらい)として利用することにおいてイギリスと手を組みました。

 蒋介石に手を付けたのは勿論イギリスが先です。共産党(コミンテルン)と北方軍閥と国民党(蒋介石)とが入り乱れて争うシナ大陸の内乱の中で、「排日」から「抗日」の気運が高まるのはイギリスとアメリカにとってもっけの幸いでした。日支両国が手を結ぶことを恐れていた彼らは、両国の離反のために謀略の限りを尽くします。支那の学生の抗日デモに経済支援したり、キリスト教の宣教師を動員したり、支那を味方につけようと必死で排日・抗日に協力します。このプロセスの中でいつしか「英米不可分」の情勢がかもし出されていました。それなのに、日本はずっとアメリカは対日参戦してこないと思いつづけ、「英米可分」でやって行けると信じつづけていました。ですから突如としてアメリカが正面の敵として襲いかかってきたという印象が日本人の記憶から拭(ぬぐ)えません。

 しかし少しずつ日本に圧力を加えるアメリカの黒い影は、それよりはるか前から日本国民に意識されていないはずもありません。まさかアメリカは日本に戦争するはずはないし、そんなことをしてもアメリカにとっても利益はないと日本人は信じていた反面、心の中で「日米もし戦わば」の不安な予感のストーリーがはぐくまれてもいたのです。それはそれなりの長い期間つづいていて、十数年はあったでしょう。

 つまり日本人の心の中では、アメリカとはひょっとして戦争になるかもしれないと思いつつ、従って油断大敵、準備怠りなく、などと声を掛け合いながら、どう考えてもそんなことは起こりそうもないと信じてもいたのでした。

アメリカの東洋進出――最初の一歩

 そこで、開戦の十年あるいは十五年ぐらい前に、日本がアメリカをどのように意識していたのか、またアメリカを中心とする太平洋の動き全体をどんなふうに展望していたのか、そして当時の識者たちは日本国民にどう説明していたのか、これは今検討する価値があります。

 戦争が本当に近づいたら、これはもう「敵国」という意識がはっきりするわけですが、それ以前の段階でアメリカにたいしてどんな考えをしていたのか。本書では最初にこの関心から、昭和7年4月20日に刊行された『日米戦ふ可きか』という本を取り上げてみたいと思います。満州事変から一年、日米双方の国民の感情も険しくなりはじめていましたが、まだまだそれほど敵対的ではない、そんな時代に出た本です。

 当時はこの類の本がたくさん刊行されました。『日米戦争物語』『日米不戦論』『日米果して戦ふか』『日米戦争の勝敗』『日米開戦 米機遂に帝都を襲撃?』『日米はどうなるか』『日米決戦と增産問題の解決』『日米百年戦背負う』『日米危機とその見透し』『日米もし戦はば』『日米十年戦争』『日米開戦の眞相』『日米交渉の經緯』……。

 昭和三、四年ごろから刊行されはじめ、昭和十五、六年あたりまでこうした本はつづきます。とにかく、たくさんありますから、いったいどの本が代表的で、どの本がいちばんすぐれているのか、比較調査もできないまま、たまたま入手できたこの『日米戦ふ可きか』をご紹介しようと思います。

浅野正美さんの感想

西尾幹二全集刊行記念講演
「ニーチェと学問」
講演者: 西尾幹二
入 場: 無料(整理券も発行しませんので、当日ご来場ください。どなたでも入場できます。)
日 時: 11月19日(土)18時開場 18時30分開演
場 所: 豊島公会堂(電話 3984-7601)
     池袋東口下車 徒歩5分
主 催:(株)国書刊行会
     問い合せ先 電話:03-5970-7421
           FAX:03-5970-7427
 

 当ブログ「西尾幹二のインターネット日録」はいささか手前味噌の内容、ナルシズムの傾きがあることはよく承知している。出版物ではできないことだ。前回の鈴木敏明さんの文章を紹介したように、他の人が私を誉めて下さる文章を好んで掲示する自己抑制の無さをお見せすることがよくあることは本人が心得ている。それがブログというものの有難さかもしれない、と勝手に解釈してもいる。

 友人の鈴木敏明さんにつづいて、同じく友人の浅野正美さんが私の全集について、西法太郎さんが私の脱原発論について、それぞれ二度づつご自分の体験を書いて下さっている。今日は浅野さんの文章をご紹介する。私は拝読して大変にうれしかった。実はこれを読んで、11月19日(土)の講演「ニーチェと学問」のある方向を決めたほどだ。

西尾幹二先生
全集刊行誠におめでとうございます。本日版元から送られてきて、そのずしりと重たい大冊を手にして、我がことのように喜びをかみ締めています。何という立派な装丁、そして先生の筆になる題字の美しさも際だっております。
書棚に置いたときに、輝くような存在感を発揮する書物をほとんど目にすることがなくなった昨今ですが、先生の全集にはその佇まいにも内容に劣らない気品を感じることができました。
今年1月8日のお正月、坦々塾の新年会で先生の個人全集刊行のことを初めてお聞きしてから、この日の来ることを長く待ち続けておりました。
これから足かけ6年、季節の巡りに合わせて先生の全集が届くということが、何よりの楽しみになるものと思います。
平成19年4月4日、「江戸のダイナミズム」出版記念パーティーの折りに配られた西尾先生の「謝辞」をここに引用させていただきます。
『私は28歳のとき、ドイツ文学振興会賞という学会関係の小さな賞をいただいたことがあります。「ニーチェと学問」と「ニーチェの言語観」の2篇が対象でした。もうこれでお分かりと思います。「学問」と「言語」は『江戸のダイナミズム』の中心をなすテーマです。若い頃の処女論文のあの日から一本の道がまっすぐに今日にまでつづいて、そしてそのテーマを拡大深化させたのが、今日のこの本だといっていいのかもしれません』

こうした言葉を読み返して見ると、全集の刊行をあえて第五巻のニーチェ論から始められたのも、納得することができます。
思想家としての西尾先生は、難解な事象を解りやすく伝える名人でもあります。言葉は伝わらなければ意味がない、という先生の思いがそうした表現に繋がっているのだと思います。上等なお酒を味わうように、じっくりと堪能させていただきます。浅野正美

 19日の講演「ニーチェと学問」について東京新聞に間もなく予告広告が出る。新聞にスペースがあって、短くまとめたその中味をのせてくれるというので、次のようにまとめた。

ニーチェは古代ギリシアの言語と思想を研究する古典文献学者でした。緻密な言葉の検証と言葉では捉えられない過去との乖離(かいり)に引き裂かれる体験は、「神の死」の自覚に直結します。古代の価値が不安定になり、把捉不可能になる17-19世紀の問題の発見は、西洋だけでなく、中国にも日本にもあり、荻生徂徠や本居宣長らの古代の復権への悲劇的認識はニーチェに先がけてさえいます。「ニーチェと学問」のテーマを世界史の広い相で再考するという新しい試みです。

 「ニーチェと学問」は話せばきりのない専門的テーマである。そこで日本人にとってそれが何であるかを語ることがむしろ必要な時代になっていると判断してのことである。

 浅野さんの次の感想文は、「坦々塾のブログ」11月9日付からの転載である。

西尾幹二全集 第五巻 感想文

<光と断崖 最晩年のニーチェ>    

         坦々塾会員 浅野 正美

 西尾先生の個人全集がついに刊行されました。私も宮崎先生と同じように、しばらくはただ眺めていました。10月21日に届いてから10日間、毎日背表紙を眺め続けて気持ちを集中していきました。時間をかけてゆっくり読もう、ドイツ語論文以外はすべて読もう、と決意して11月に変わった日から読み始めました。1頁の文字数が原稿用紙3枚になる大判にして600頁近い大冊です。果たしてどれだけの時間がかかるのか、計算すると14時間と出ました。毎日2時間で一週間と予定を立てて読み始めてから一時間後、進んだ頁数はやっと30でした。

 決して急がず、時には前に戻りながら目の前にある文章の理解に努める、という読み方で毎日朝夕1時間をこの本のためだけに費やすこと8日、やっと読了することができました。不思議なことに、この間他の文章を読むという気分にならず、新聞や週刊誌を始め、本業に関する報告書や業界紙にもほとんど目を通すことがありませんでした。一切の夾雑物を廃して挑まねば、この高峰には登れないという意識が働いたのではないかと思っています。読み進んでいるときに感じたのは、若い頃に多少遊んだ北アルプスの雪山登山の経験と似通っているということでした。雪山であれば、夏道と呼ばれる曲がりくねった登山道も雪に埋もれているため、一直線に頂を目指すことができます。その分勾配は急になり、呼吸も荒くなります。確実にいえることは、一歩一歩の歩みは苦しくとも、確実に頂上に近づいているという事実です。ただしこれだけでは頁を繰ることの集積で登頂が果たせるということになってしまいます。

 若い頃の私にとって、西尾先生は里から仰ぎ見る霊峰のごとき存在でした。ただし「光と断崖 最晩年のニーチェ」を読み終えた今、その山に登頂したという気持ちはまったくありません。里からアプローチにたどりついてみたら、里からながめているたおやかな峰が、峨々たる岩肌も露わな、かくも巨大な岩稜であると知り途方に暮れてしまった、といった表現が正直なところです。思想の核心に一歩でも近づくことができなかったならば、それはただ単に本を読んだという事実があるに過ぎません。

 この巻にも収録されている西尾先生訳の「この人を見よ」は、過去に新潮文庫で二度、筑摩文庫のニーチェ全集で一度読んだことがあり、今回で4回目の挑戦になりました。私にはニーチェに強く惹かれたという経験はなく、それでも筑摩の文庫全集は全部読みましたが、時々はっとする短い箴言に共感することはあっても、全体を通した理解には遠く及びませんでした。正直に言えば、日本語で読んでいて、こんなにもわからない本はない、というのが私の偽りのない実感でした。

 西尾先生が何度か強調されているように、「言葉と学問」を糸口に、改めて主要作品を読み返してみようと思っています。ニーチェに対しては、猛毒を帯びた危険な存在、悪書、というイメージが一般にはあるのではないかと思います。神を殺した野蛮人であり、ナチズムの思想的バックボーンとなった誤った思想家、あるいは最後には狂人と化した怪物。ナチズム云々に関しては本書で、トーマスマンの誤解が後年通説化して一般に広まってしまったという歴史的な事実を知ることができました。

 ニーチェの思想を勝手に解釈して自己の政治的正当性の根拠にしようという試みや、ナチズムが胚胎する元になった、ドイツ民族優越論は、ニーチェにその萌芽を見ることができるといった曲解はニーチェには何の責任もないことであり、意味合いは違うのかもしれませんが、日本が軍国化した基層には神話と神道、そして天皇制にその原因があるという、戦後抜きがたく定着してしまった我が国の不幸に通じるものを感じました。

 ニーチェに惹かれるレベルまで理解の及ばない私が、仮にも文庫全集を読もうと思ったのは、この人が後生に与えたあまりに大きな影響が導火線になっています。引き合うにせよ反発するにせよ、多くの人がこの巨人の磁力に巻き込まれて多くの言葉を残しています。R・シュトラウスは、冒頭のメロディーだけならだれもが知っている交響詩「ツアラトストラ」を作曲し、現在でもオーケストラの演奏会では主要な演奏レパートリーとして盛んに取り上げられています。

 ワーグナーとニーチェとの関係は、当初の賞賛から一方的な決裂という破局まで180度の転換を見せますが、この極端な変化の原因を私は何度か人に尋ねたことがありました。大方の答えは「似たもの通しだから」、「磁石の同極が反発し合うようなもの」というありきたりの答えで、充分納得できるものではありませんでした。西尾先生はこの両者の関係を、ニーチェの文体とワーグナーの音楽の構造に見られる類似性から説き起こし、凡百の解説とは雲泥の差をもって明快に説いておられます。

 残念ながら私には、ワーグナーの聖地バイロイト劇場で彼の作品を鑑賞したという経験がありませんが、本書には若い日の西尾先生がそこに一週間滞在し、ワーグナーが理想的な上演を目指して建てさせた独特な構造を持つ劇場で音楽を体験した日のことが書かれています。多分「リング四部作」を始めとして、代表的なオペラの内のいくつかを聴かれたのではないかと思います。きっとそこでは東京の一般的な劇場やレコードでは味わうことのできない音楽が鳴り響いていたことと思います。この箇所を読みながら、最後までワーグナーに耽溺し国庫を空っぽにしてまで理想の城を造り続けたバイエルンの国王、ルートヴッヒ二世のことを思い浮かべていました。ヴィスコンティの耽美的な映画を観た方も多いのではないかと思います。彼は晩年にいたって幽閉され、癈人同様となり、発狂するか絶望して入水自殺したといわれています。

 ルートヴッヒ2世が建てた城の中でももっとも有名なノイシュバンシュタイン城(別名白鳥城)には、新婚旅行で一度だけ行きました。観光客が見ることができるのは宏大な建物の内のごく一部に限られますが、若き国王がこの城にワーグナーの作品世界を贅沢に再現したその情念には、ただただ圧倒されるばかりでした。

 フュッセンという南ドイツの田舎町にこの城はあり、城の建つ丘の上からは市街を一望に見渡すことができます。緑の中に建物が点在するのどかな田園風景に暮らす人の多くが、狂王の遺産である観光資源によって幾ばくかの糧を得ているのは間違いのないことだと思います。黄葉の森に囲まれた城と下界の街を見ながら、「ルートヴッヒさん、100年かけてあなたは充分に元を取りましたね。」と心の中でつぶやいていました。

 西尾先生には何としても200歳か300歳まで仕事をしていただいて、個人全訳ニーチェ全集を出版していただきたい、という妄想とも夢想ともつかない願望をこの一巻を読んで痛切に感じました。まずは未だ未読の西尾先生の訳になる「アンチクリスト キリスト教呪詛」を必ず読もうと思います。
今ニーチェを読み返せば、今までよりは多少理解できることがあるのではないか、というのは根拠のない錯覚かもしれませんが。

 私は西尾先生を巨大な山に例え、いくら読んでも登頂することが叶わない永遠の未踏峰であると感じました。山男は登頂することを征服するともいいますから、当然のことですがそんなことができるはずがありません。先生は今年の夏、駆け足で上高地と飛騨高山の旅をされたと書かれていました。上高地では、梓川の向こうに穂高連峰が連なって見えますが、先生が行かれたときにはその姿を目にすることができたのでしょうか。私も上高地には、山登りをしていた頃に何度も通い、ここで半年間働いていたこともあります。麓の安曇野からも見える北アルプスの山々は、上高地まで来るとぐっと近く、大きく、迫力を増して見えますが、この山の本当の大きさと厳しさは、上高地からさらに20㎞以上歩いた先でないと実感することはできません。樹林帯を進むとき、山は一端視界から消え、森林限界を超えて空が広くなった時に初めてその全容や岩の荒々しさが目の前に飛び込んできます。

 全集22巻を通読したときに、果たして私の視線はどの位置から西尾幹二という巨峰を仰ぎ見ているのかというのは、今の私にとって楽しみでもあり恐怖でもあります。願わくばアルピニストのベースキャンプでもある個沢(からさわ、標高2500メートル地点にあり穂高連峰へはここから本格的な山登りが始まる)まで到達していたいと思いますが、ひょっとしたらそのときもまだ安曇野の田園風景の遠くに連なる山を仰いでいるかもしれません。象徴的なことですが、安曇野から見える山々は前山といって、穂高の主砲群ではありません。この前山は燕岳、常念岳、蝶ヶ岳、霞沢岳、六百山と連なっていますが、上高地から上流を見たときには右手、川の左岸に連なる山々で、右岸に連なる槍ヶ岳から焼岳にいたる山脈とは遠く隔たっています。里からはこの前山が衝立の役割をはたしてしまい、槍、穂高の峰々の目隠しになっているのです。前山を見て、「穂高を見た!」と叫ぶことだけはしたくないと思います。

浅野正美

西尾幹二全集(全22巻)発刊に思う

ゲストエッセイ 
鈴木敏明 えんだんじのブログ 1938年 神奈川県生まれ
1956年 県立鎌倉高校卒業
外資系五社渡り歩いて定年
定年後著作活動、講演等に専念
これまでの著作
・「ある凡人の自叙伝」1999年 自費出版図書館編集室
・「大東亜戦争は、アメリカが悪い」2004年 碧天社
・「原爆正当化のアメリカと『従軍慰安婦』謝罪の日本」2006年 展転社
・「逆境に生きた日本人」2008年 展転社

 私は成人して以来、50年間日本の知識人の言動を見てきました。戦後日本の知識人の印象と言えば、彼らは本当にバカ、アホ丸出しの救いがたい人たちの一言につきます。その理由はなにか?彼らは共産主義、ソ連に惚れ込みまさに悪女に憑かれたという表現がぴったりです。ソ連という悪女の醜さに自らの目と耳を覆い盲信、盲進したのだ。日ソ不可侵条約の突如の破棄、北方四島略奪、60万日本兵の強制収容と強制労働、そのために日本兵が5万から7万人の死者が出た。これらの現実は、まだ戦後日本人の記憶の中にある生々しい史実なのだ。ところが知識人は、この現実を見ようとしないのだ。そしてあの有名な安保騒動。ぞっとする彼らの徹底した親ソ反米。一方我々一般庶民は、ソ連の実態をすでに認識していて、日本はアメリカ占領軍に支配されたが、ソ連軍に支配されなかったのは不幸中の幸いで、心底ソ連軍に占領されなくて良かったというのが認識だったのだ。だからこそあれほどの安保騒動後に自民党政府は解散し、総選挙しても、自民党政府の圧勝に終わったのです。当時著名な知識人であった蝋山政道は、自著「日本の歴史26巻」(よみがえる日本 文芸春秋社)、の中で総選挙敗北の教訓を次ぎのように書いている。

 「第一は、日米安保条約のごとき国際外交問題に対して、日本国民はいまだ平素じゅうぶんな知識や情報をあたえられていない。日常生活に関する地域または職域についての国内問題であるなら、一定の知識・経験によって実感的に判断する能力をもっているが、外交政策になると、その実感は一方的な不満や不安をかきたてる宣伝に動かされやすい」

 「第二は、第一のそれとつながっている。日常生活と国際的地位という大きな距離とギャップを持っている政策問題について、一般の国民にそれを統一する理解を期待し、政策形成に寄与することを求めることはできない」

 どうですか、蝋山政道のこの傲慢ぶり、完全に日本の一般国民をバカにし、自分たちの主張が正しいのだと言わんばかりですし、総選挙での革新派の大敗を国民の無知のせいにしているのだ。このように安保騒動後の総選挙大敗後も一般国民と知識人とのソ連に対する認識ギャップを意識することなく、自分たちの考えが正しいのだとソ連にのめりこんでいったのだ。そしてベトナム戦争で見せた日本の知識人の勝手な幻想、すなわち北ベトナムは天使、南ベトナムとアメリカは悪魔との幻想が北ベトナムによる共産党一党独裁国家の樹立という目的を見抜くことができなかった。どうして戦後日本の知識人は、こうまで愚かなのか。結局彼らは、現実を直視しようとせず、時勢、時流、権力に迎合することに夢中になるからです。すなわち彼らは、日本人のくせにソ連の権力に迎合したのです。

 ここで日本通の一人の外国人が、日本の知識人をどう見ているのかとりあげてみました。その外国人の名は、オランダ人のジャーナリストでカレル・ヴァン・ウォルフレン。ウォルフレン氏は、日本経済絶頂期の1989年に「日本/権力構造の謎」(The Enigma Of Japanese Power)という本を出版した。この本は世界10ヶ国語に翻訳され、1200万部売れたという。私もその頃この本の翻訳本を読みましたが、いまでは何が書いてあったかほとんど忘れてしまっています。私は、このウォルフレン氏がきらいなのです。彼は日本語がペラペラ、その日本語で大東亜戦争日本悪玉論を主張するのです。私は日本語を話せない外国人が外国語で大東亜戦争日本悪玉論を語っているより、日本語堪能の外国人が大東亜戦争日本悪玉論を語っている方が怒りを強く感じるのです。「日本をもっと勉強しろ」といいたくなるのです。第一ウォルフレン氏がオランダ人であることが気にいらない。大東亜戦争の時オランダ軍など当時の日本軍にとってはハエや蚊のような存在だ。オランダはアメリカと同盟を組んでいたからこそ勝利国になれたにすぎない。終戦後は、勝利国面して日本批判を繰り返し、オランダの女王が来日した時、平然と日本を批判した。オランダが植民地、インドネシアに何をしてきたというのだ。オランダに日本を非難する資格など一切ない。こういうことをウォルフレン氏に直接言いたいくらいなのです。それではなぜ、ウォルフレン氏をとりあげたのか。彼が日本の知識人について名言を吐いているからです。

 彼は自著「日本の知識人へ」(窓社)の冒頭のページでこう書いています。
 
 「日本では、知識人がいちばん必要とされるときに、知識人らしく振舞う知識人がまことに少ないようである。これは痛ましいし、危険なことである。さらに、日本の国民一般にとって悲しむべき事柄である。なぜなら、知識人の機能の一つは、彼ら庶民の利益を守ることにあるからだ」
まさにこれは、名言ですよ。知識人らしい知識人がいないことは、日本国民にとって悲しむべきであり、危険なことであると言っているのは、まさにその通りです。私などそのことを、痛切に感じています。さらに彼は、こう書いています。

 「日本では、権力から独立した知識人がいないどころか、むしろ、権力によっても認められてこそ知識人というか、そのことを望み喜ぶ知識人が昔からの主流でした」

 全くその通りです。多くの知識人は、権力に認められることを望むのだ。そのために権力に認められようとあからさまな行動にでる。ここまで知識人としてのあるべき姿について私の意見とウォルフレン氏の意見を紹介してきました。この両者の意見を保守言論界の長老とも言われる西尾幹二氏にあてはめてみました。私は主張しました。日本の知識人は、あまりにも時勢、時流、権力に迎合過ぎる。その例外が西尾幹二氏なのです。西尾氏は、時勢、時流、権力に迎合しないどころか、あらゆる団体、業界などからの支援なども一切受けず、学閥、学会などとは無縁です。従って西尾氏の発言には損得勘定がない。要するに私に言わせれば、西尾氏は、崇高なまでに孤高をつらぬいて現在の学者として地位を築いてきたわけです。この崇高なまでの孤高は、知識人にとって非常に重要で、そのことが、ウォルフレン氏の指摘する知識人としての規格にあてはまるのです。西尾氏は、知識人が一番必要とされている時に、知識人らしく振舞える非常に数少ない知識人の一人なのです。知識人が必要な時に知識人らしく振舞えるとは、どういうことかと言うと、非常に難しい問題が生じ、私たち一般庶民が明快な回答に窮するとき、あの人ならどんな考えを持つのだろうかと、その人の意見に期待を寄せることができる人の意味です。西尾氏は、どう考えているのだろうかと私たち庶民が期待をよせることができる数少ない知識人ではないでしょうか。

 ウォルフレン氏は「日本では、権力から独立した知識人がいない」という。確かにそのとおりだと思います。しかし例外もあります。西尾幹二氏です。権力から独立した、日本では非常に数の少ない、希少価値のある知識人です。これは何十年間にわたって崇高なまでに孤高をつらぬいてできる知識人の技とも言えるのではないでしょうか。

 その西尾幹二氏の全集、全22巻のうち最初の5巻「光と断崖―最晩年のニーチェ」が国書刊行会から先月出版された。今どき全集が出せる文筆家や知識人はいない。西尾氏のすぐれた学問的業績が認められたためでもあり同時に50数年にわたる生き様も認められたのだと思い、素直に西尾先生にお祝いの言葉をささげます。また同時に全集出版は、私のような西尾ファンにとってもとても喜ばしいのです。出版社は慈善事業ではありません。全集を出したところで売れないと判断したら、誰が出版するものですか。全集を出しても売れると判断したからこそ出版するのです。ということは私のような西尾ファンが全国大勢いるということです。そのことは、現在のような情けない状態の日本でも健全保守、健全な愛国者が多いいということを改めて認識させてくれるので非常に嬉しいし、心強い思いをさせてくれるのです。

 西尾先生、おめでとうございます。これからも日本国家のため、長く、長く健筆をふるってくださるよう切にお願い申し上げます。

全集書評

宮崎正弘さんによる書評 
 これは現代日本の思想界の“事件”だ

            西尾幹二全集、刊行開始! 特集号

西尾幹二『西尾幹二全集 5 光と断崖、最晩年のニーチェ』(国書刊行会)

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 ▲ニーチェの多岐にわたる全貌、知のダイナマイトが爆発

 西尾幹二全集の第一回配本はニーチェ。単行本になおして五、六冊分を収録している。

 まずは造本、装丁のみごとさにうたれ、じっと本棚において観ていた。二、三日のあいだ、ただ眺めていたのである。

 これを読み徹すために、今後、いかなる読書時間を配分するか、毎日すこしずつ読んでいくしか方法がないだろうけれども、それをどう工夫するかという形而上学以前の思考に明け暮れる始末だった。

 本棚のもう一つの棚には福田恒存全集(麗澤大学出版版)が鎮座ましまし、ともかく全巻がそろっているが、ようやく半分を読んだに過ぎない。福田さんの書き方は平明だから速読出来るが、それでもあの膨大な作品群をぜんぶ読むとなると、それはそれは大変な作業である。もうひとつ余計なことをつけくわえると私の本棚に三島全集はない。全作品をばらばらで持っており、文庫版にいたっては同じ本を3冊も四冊ももっているけれど。

 村松剛は全作品もっているが、江藤淳は一冊しかない。小林秀雄と保田輿重郎もほぼ全作品をばらばらに持っている。

 さて、わたし自身、西尾さんの良い読者とは言えない。

  『ヨーロッパの個人主義』『ヨーロッパ像の転換』など学生時代に夢中になって読んだし、衝撃的デビュー作以後の西尾作品をほぼ全部読んだつもりでいたのは、じつに浅はかな錯覚で、というより思い違いだった。全集の作品一覧をみて、西尾さんはこれほど多作だったのかと感嘆したのだ。

 ▲これほどの多作家だったとは

 西尾幹二全集の概要を見渡せば、冷戦終結以後の東欧のルポや『国民の歴史』『江戸のダイナミズム』などを鮮明に記憶するのに、初期の作品群と翻訳は『この人を見よ』いがいに読んでいないことに気がついて、やや茫然とする。

 ただし新潮文庫にはいった西尾幹二訳の『この人を見よ』は三回か四回読んでいる。そうでありながらまだ咀嚼できない。

 ニーチェは難しい。

 ニーチェは日本で最も人気のある哲学者・思想家だが、これほど広く誤解されている、あるいは完全にまちがって人口に膾炙された思想家もいないだろう。またナチスの魁だとか、『権力への意思』は未完成だったが、その死後の真実も殆ど知られていない。トーマスマンが批判したニーチェ解釈が、まだ日本の読書界の一部に蔓延している。

 そもそもニヒリズムを「虚無主義」と日本で翻訳されたところが誤解の出発ではなかったのか。キリストを否定した一点で毛嫌いされた読書家も多いらしいが、虚無だけの観点なら中里介山『大菩薩峠』という仏教の無を表した作品がある。

 「ニヒリズム」とは何か。西尾さんは簡潔に言う。

 「ニーチェは二千五百年に及ぶプラトン以来の形而上学の歴史が意味を失ったことともってニヒリズムとしている」(479p)。

▲三島由紀夫とニーチェ

 さて小生にとってのニーチェとは、文学青年時代に濫読した思想家のワンノブゼムでしかなく、熱狂したこともなければ、すみずみまでを舐めるように全作品を読み通した体験もない。

 そうはいうもののサルトルやラッセルなど途中で本を捨てた哲学者とは異なって、何となくニーチェに関心を抱いたのは、じつは三島由紀夫が触媒である。

 三島が『豊饒の海』に取り組む前までに、もっとも影響を受けた思想家はニーチェである。断定的に聞こえるかもしれないが、三島の『宴のあと』『絹と明察』はまことにニーチェ的であり、『美しい星』の主人公達はディモーニッシュであり、三島がニーチェをよくよく読みこなしていたことは研究者のあいだにも知られる。そして三島が好んだ音楽はワグナーだった。

 さすがに西尾さんは、この点に重々ふれて、次の文言を挿入されている。

 「萩原朔太郎が表現と情緒において感性的影響を受けた孤独は漂泊者の姿、斎藤茂吉の作歌の隅々に反響している生命観のリズム、小林秀雄が歴史の客観的学問に懐疑を寄せた際の、美と生の模範としての概念拒否の姿勢、三島由紀夫が認識と行為の矛盾した軌跡に示したパトスの源泉としての意味」。

 つまり三島とニーチェの結びつきは、「最初からなんとなく予感されるある内的緊密生」(529p)を保有している、と。

 三島がニーチェを卒業し、神道から仏教思想へいたる過程が『奔馬』『暁の寺』である。

 わたしはニーチェが仏教について次のように書いていたことを、西尾幹二全集を通して、じつは初めて知った。

 ニーチェの仏教のとらえ方とは、

 「仏教は、幾百年とつづいた哲学的運動の後に出現しているのだ。<神>という概念は、出現当時すでに、始末がついている」

 「仏教は、もはや<罪に対する戦い>などを口にしない。その代わり、どこまでも現実というものを認めた上で、<苦悩に対する戦い>を言う。仏教はーーこの点でキリスト教からは深く区別されるのだがーー道徳概念の自己欺瞞をとうに脱却している」

 そしてこうも言う。

「仏陀は、心を平静にする、あるいは晴れやかにする理念だけを要求する」

「仏教の前提をなすものは、きわめて温暖な風土と、風俗習慣に観られる大いなる柔和さ、暢びやかさといったものであって決してミリタリズムではない」

 もっとも『この人を見よ』には次の記述があった。

 「(ルサンチマンが御法度と知っていたのは仏教であり)、仏陀の『宗教』は、むしろ一種の衛生学と読んだ方が、キリスト教のようなあんな哀れむべきものとの混同を避けるためにもかえって良いのだが、この『宗教』はルサンチマンに打ち勝つことを持ってその功徳としていた。つまり、魂がルサンチマンによって左右されないようにすることーーこれが病気からの回復への第一歩なのである」(西尾訳)

▲ニーチェの翻訳は岩魂を鑿で彫り刻むような仕事

 西尾氏のニーチェへの取り組みは全生涯かけての学問的要求と執念に満ちている。

 その凄まじいまでの取り組み姿勢は留学中のドイツでイタリア人のニーチェ研究家に会い、膨大な文献、未整理の資料に圧倒され、また西ドイツのニーチェ研究がむしろ遅れていること、ワイマールのニーチェ蔵書が手つかずのまま残っていることなどを知る。

 訳業にあたっては精読に精読を重ね、ドイツ留学時代にもあらゆる関連文献を探し、あるいは目処をつけ、幾多の資料を買い込み、マイクロフィルムにも特注し、私製の海賊版をつくり、そして書斎に寝かせて“熟成させる“歳月も必要だった。

 西尾さんは翻訳の苦労に関してこういう。

 「ニーチェの文章を翻訳するのは岩魂を鑿で彫り刻むように仕事である。一語一語が緊密に詰まって、内容が圧縮されているからである。しかも語と語のあいだに意味上の空隙があり、飛躍があり、従って訳語の選択にはきわめて大きな自由の幅が与えられている。訳者の解釈力がそのつど強力に問われる」

 そしてできあがったニーチェ研究の集大成にはドイツにおける研究成果の検証、日本における高山樗牛からかれこれ百年になろうというニーチェ研究の来歴を総括されるという、あきれるほどの労力が濃縮されて第一回配本に集約されたのである。

 一週間かけて、ようやく初回配本を(ドイツ語論文をのぞいて)読み終え、呑んだ珈琲のおいしかったこと!

全著作を収めた初の決定版全集!!  西尾幹二全集

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全22巻(年4冊刊行)

 ―  ニーチェ研究で衝撃のデビューを果たし、日本のあり方を深く、多角的に洞察してきた「知の巨人」西尾幹二の集大成。

― ショーペンハウアーや福田恆存の解読も踏まえ、文学評論、教育論、日本の歴史、世界史観、さらにはヨーロッパ留学から病気体験を経て、自己の少年期までを語る自分史を通じ、自由とは何か、人生の価値とは何か、日本の根本問題とは何かを問うてきた思想家の、そのひたむきな軌跡を辿る。

第一回配本 第五巻(六〇九〇円(税込) 発売中

 『光と断崖──最晩年のニーチェ』 ~発狂直前のニーチェ像を立体化し、未刊行の・西尾のニーチェ・を集成する

(全巻の内容)

西尾幹二全集 全二十二巻(巻数順に年四冊配本予定)

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第 一 巻 ヨーロッパの個人主義 平成二十四年一月刊行予定

第 二 巻 悲劇人の姿勢

第 三 巻 懐疑の精神

第 四 巻 ニーチェ

第 五 巻 光と断崖―最晩年のニーチェ(発売中)

第 六 巻 ショーペンハウアーの思想と人間像

第 七 巻 ソ連知識人との対話

第 八 巻 日本の教育 ドイツの教育 

第 九 巻 文学評論

第 十 巻 ヨーロッパとの対決

第 十一 巻 自由の悲劇

第 十二 巻 日本の孤独

第 十三 巻 全体主義の呪い

第 十四 巻 人生の価値について

第 十五 巻 わたしの昭和史

第 十六 巻 歴史を裁く愚かさ

第 十七 巻 沈黙する歴史

第 十八 巻 決定版 国民の歴史

第 十九 巻 日本の根本問題

第 二十 巻 江戸のダイナミズム

第二十一巻 危機に立つ保守

第二十二巻 戦争史観の革新

内容見本ご希望の方は、下記へお問い合わせ下さい。

株式会社 国書刊行会

電話:03-5970-7421 Fax :03-5970-7427

Email:nakagawara@kokusho.co.jp

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 <西尾幹二全集刊行 記念講演会>

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西尾幹二先生の全集刊行が開始されました。これを記念して氏の講演会が開催されます。ふるってご参集下さい。入場無料です。

         記

とき  11月19日(土曜) 午後六時開場 六時半開演

ところ 池袋「豊島公会堂」http://www.toshima-mirai.jp/center/a_koukai/

演題  西尾幹二「ニーチェと学問」

入場  無料

主催  国書刊行会(http://www.kokusho.co.jp)

    問合せ先03‐5970‐7421