新春の仕事開幕

 平成24年(2012年)になり、早速私の次のような仕事が相次いで公開される。

 『SAPIO』(2月8日号)に脱原発特集が組まれた。題して「まだ終わっていないのに『なし崩し的再稼動』はNOだ。ここが正念場!脱原発を巡る論考を続けよ」となっていて、12本の論考が掲げられている。その中で私は「国防」を分担している。曰く「脱原発してこそ、日本は独立自尊を回復し、自由で合理的な国防と核武装が可能になる。」

 それより大きい仕事は『WiLL』(3月号・1月26日発売)の巻頭論文19ページである。題して

 
天皇陛下に「御聖断」を、女性宮家と雅子妃問題の核心
 

 女性宮家のテーマは付け足しで、それより大切なもの、国家の運命に関わるのが雅子妃問題であることを久々に訴えた大型論文である。平成20年(2008年)5月号の「皇太子さまへ敢えて御忠言申し上げます」から4年ぶりの本格的問い掛けである。しばらく様子を見ていたが、あれから事態は悪化する一方で、やっと重い腰を上げた。国民みんなが真剣に考えるときが来ている。

 新潮社刊の単行本『天皇と原爆』は24日に見本刷が出る。発刊は31日なので、次回詳しい案内をしたい。

 さて、西尾幹二全集第二回配本(第一巻)『ヨーロッパの個人主義』は同じ時期に刊行され、予約者のお手元に届くのは月末か遅くとも2月最初の週である。これに合わせて2月4日「個人主義と日本人の価値観」と題した公開講演会を開く。会場費の一部をご負担いたゞかないと運営できないので¥1000をもらい受ける。講演会の内容案内は末尾に再録する。

zesyumishima.jpg

zensyuumehara.jpg

「個人主義と日本人の価値観」講演会開催のお知らせ

   西尾幹二先生講演会

「個人主義と日本人の価値観」

〈西尾幹二全集〉第1巻『ヨーロッパの個人主義』(1月24日発売)刊行を記念して、講演会を下記の通り開催致します。

 ぜひお誘いあわせの上、ご参加ください。

★西尾幹二先生講演会

    「個人主義と日本人の価値観」

【日時】  2012年2月4日(土曜日)

  開場: 13:30 開演 14:00
    ※終演は、16:00を予定しております。

【場所】 星陵会館ホール

【入場料】 1,000円

※予約なしでもご入場頂けますが、会場整理の都合上、事前にお知らせ頂けますと幸いです。

★講演会終演後、<立食パーティ>がございます。

【場所】 星陵会館 シーボニア 

※ 16:30~(18:30終了予定)

【参加費】 6,000円

※<立食パーティー>は予約が必要となります。1月24日までにお申し込みください。
ご予約・お問い合わせは下記までお願いします。予約時には、氏名・ご連絡先をお知らせください。

・国書刊行会 営業部 

   TEL:03-5970-7421 FAX:03-5970-7427

   E-mail:sales@kokusho.co.jp

・坦々塾事務局   

   FAX:03-3684-7243

   tanntannjyuku@mail.goo.ne.jp
星陵会館(ホール・シーボニア)へのアクセス
〒100-0014 東京都千代田区永田町2-16-2
TEL 03(3581)5650 FAX 03(3581)1960

se_map4-thumbnail2.jpg

※駐車場はございませんので、公共交通機関にてお越し下さい。)

主催:国書刊行会・坦々塾

後援:月刊WiLL

育鵬社教科書の盗作事件

ゲストエッセイ 
長谷川真美
「新しい歴史教科書をつくる会」広島県支部長・元廿日市市教育委員・主婦

昨年末の文書作戦

私は自分のブログでも何度か、
育鵬社の教科書が扶桑社のものを盗作していると疑われることを書いてきた。

小山先生も今年に入って引き続き調べられている。
盗作個所は優に40箇所を超えるだろうと言われている。
私はその後調査再開には至っていないが、
こんな風な「不正」と思われることを
どうしても放置できない性格なので、
以下のような文章を年末にかけて封書で投函した。
(私のブログでの調査?内容と小山先生のものも同封した)

育鵬社の支援者25名には少し内容が違うものを出した。
金美齢さんから丁寧な返事と、もう一通差出人不明の返事が来た。
差出人不明のものは、
余計なことをせず、育鵬社に統一しろ・・・・という内容だった。
本当は誰から来たのか分っている。
著名な方なのに、
差出人不明の怪文書?として返事をくれるのは随分卑怯だなと思っている。

平成23年12月 日
            

前略、私は広島の長谷川真美と申します。突然お手紙をさし上げるご無礼をお許しください。私は現在「新しい歴史教科書をつくる会」の広島県支部で支部長という役目を引き受けているものです。今日は支部長という立場ではなく、一個人として、教育再生機構並びに「教科書改善の会」が支援し出来上った育鵬社の歴史教科書について、どうしてもお伝えしたいことがあり一筆申し上げます。

私共「つくる会」が主導した自由社の教科書が惨憺たる結果に終わったこと、育鵬社の公民の教科書に「愛国心」等が書かれていないことなどはとても残念なことでしたが、以下にお知らせいたしますように、育鵬社の歴史教科書が扶桑社版(藤岡信勝代表執筆)を明らかに盗作していると認めざるを得ない事実が徐々に判明してきており、この事の方がもっと重大で残念なことだと思っています。

「つくる会」本部も早くにこのことに気がついていたようですが、採択戦の妨害になることから、採択が終るまで調査、発言を控えてきました。現在、小山常実さんがご自身のブログ(「日本国憲法」、公民教科書、歴史教科書http://tamatsunemi.at.webry.info/)で調査を続けておられます。私も事の重大さに気づき、育鵬社盗作疑惑について調べているところです。調べれば調べるほど、鳥肌が立つほどに酷似している箇所が次々と現れてきています。

八木秀次氏が代表である教育再生機構側は「つくる会」から分派脱退した折に、絶対に今までの教科書の真似をしないということを文書で約束していたはずです。また、屋山太郎氏が代表される「教科書改善の会」も、平成21年9月3日、「中学校教科書採択結果を受けて」という声明の中で、「なお、歴史教科書については全く新しい記述となり、著作権の問題が生じる恐れはありません。」と述べておられます。

しかし、目次の章立て、単元の構成、単元の表記、単元の内容は他社数社の教科書と比べてとてもよく似ていますし、現在調べている限りでも、文化史を除く本文の多数の個所の文章の酷似ぶりが明らかになっています。全く新しいはずが、どうしてこれほどそっくりになってくるのでしょう。

平成21年8月25日の裁判により、教科書の著作に関して、「つくる会」側の主張した教科書は、共同著作物ではなく、結合著作物であるとの判決がありました。つまり約八割に「つくる会」側の著作権が認められたことになります。これは単純に「つくる会」側が敗訴した裁判ではありませんでした。

私の推論ではありますが、扶桑社(藤岡信勝代表執筆)の教科書の著作権侵害とも思えるこれらのことは、おそらく育鵬社の社員が主導して勝手に行ったことではないでしょうか。版権(平成24年3月で消滅)が扶桑社にあったということで、それをリライトしても法律に違反しないと思ったのかもしれません(もちろん著作権者に許可を得てリライトするならばいいのですが)。

皆さまは、保守系の教科書がもう一つ出来たのだから、そんなに目くじらを立てなくてもいいじゃないか、或いは、中味が似ていてもそれはそれでいいことじゃないか、喧嘩せずに仲良くやればいいじゃないかとお考えかもしれません。しかしこれが「盗作」まがいのことをした結果であるとしたら、道義、道徳を重んじるはずの保守系教科書で、そのようなことが許されるのでしょうか。こんなことを見過ごせば、保守言論界が大変なことになるのではないでしょうか。私には、身内でこのようなことを見過ごして甘い顔をすることは、左翼に笑われる保守の自滅そのものになると思うのです。自浄作用の無い世界は滅びていきます。

その点ワック出版は立派でした。『歴史通』11月号では、S.Y.さんが著作権侵害を起こし、ご本人も出版社も著作権者に対し謝罪され、そのことを実名で公表していました。S.Y.さんの書かれた内容は「尊敬される日本人」の中の「佐久間 勉」でした。内容が良いものだとしても、文章を書くときのルールとして著作権があり、引用、参照、など明確にしない「手ぬき」は許されないものです。

そのうえ、自虐偏向の他社の教科書は問題外ですが、育鵬社は「南京虐殺」は「あり」との立場に立ちました。そしてご存知のように、中国語読み、韓国語読みの「ルビ」を振りました。大東亜戦争を括弧の中に閉じ込めてしまいました。近隣諸国に配慮することで、左に擦り寄っています。フジテレビという「韓国」系列に阿るテレビ会社が後ろについていることも心配の種です。

色々書きましたが、育鵬社の教科書は歴史も公民も、今までの教科書運動の成果に逆行するようなものになっています。このことは市販本を読んでいただければ誰にでも分ることです。

私はやっとここまで来た教科書運動が、こんな風になったことが許せません。
子孫が育っていくこれからの日本に、真に立派な教科書を手渡して行きたいと思っています。保守陣営がもっと頑張り、日本を立て直してもらいたいと思っています。

手段を間違えれば、いくら表面を取り繕っても、必ずひずみが出ます。

日本人はそういう意味で、汚い手を使わないことを良しとする国民のはずです。ただ、日本人の弱点は長いものに巻かれること、争いを好まないことなどがあり、私のこういった主張に「保守言論界にとって、あまりさわがない方がいいのでは・・・・」との反応があります。先にも言いましたが、このような不実が黙認されるようなことがあれば、保守言論界は自浄作用がないということになり、いずればジリ貧になっていくでしょう。

私はこの件を育鵬社の支援者25名の方々に告知いたしました。今後はもっと巾を広げて告知していくことをご報告しておきます。自虐史観ではなく、日本の子供たちに、自国への愛を育むための教科書が必要だと考えておられるであろう皆様、どうか、この件を真剣にとらえ、今後どうしたらよいかお考え下さり、対処していただきますようお願い申し上げます。

なお、ご参考までに私のブログでの発表内容の一部、小山先生の文章の一部を同封致します。

最後までお読みくださり、有難うございました。

草々

添付文書

(卑弥呼)

〇扶桑社
第2節「古代国家の形成」の、中国の歴史書に書かれた日本の邪馬台国と卑弥呼

3世紀に入ると、中国では漢がほろび、魏・蜀・呉の3国がたがいに争う時代になった。当時の中国の歴史書には、3世紀前半ごろまでの日本について書かれた「魏志倭人伝」とよばれる記述がある。
 そこには、「倭の国には邪馬台国という強国があり、30ほどの小国を従え、女王の卑弥呼がこれを治めていた」と記されていた。卑弥呼は神に仕え、まじないによって政治を行う不思議な力をもっていたという。また、卑弥呼が魏の都に使いを送り、皇帝から「親魏倭王」の称号と金印、銅鏡100枚などの贈り物を授かったことも書かれていた。
 ただし、倭人伝の記述には不正確な内容も多く、邪馬台国の位置についても、近畿説と九州説が対立し、いまだに論争が続いている。(26~27ページ)

〇育鵬社
文明のおこりと中国の古代文明の、「邪馬台国」

3世紀になると、中国では漢がほろんで魏・呉・蜀の3国に分かれました。この時代について書かれた歴史書『三国志』の中の魏書の倭人に関する部分(「魏志倭人伝」)には、当時の日本についての記述があります。
 それによれば、倭(日本)には魏に使者を送る国が30ほどあり、その中の一つが女王卑弥呼が治める邪馬台国でした。倭が乱れたとき、多くの人におされて王となった卑弥呼は、神に仕えて呪術を行い、よく国を治めました。宮殿に住んで1000人の召使いを従え、魏の皇帝からは「親魏倭王」の称号と金印を授けられ、多くの銅鏡を贈られたと倭人伝には記されています。
 しかし、邪馬台国の位置については、倭人伝の記述の不正確さのために近畿説、北九州説など多くの説が唱えられ、いまだに結論が出ていません。(26ページ)

〇帝国書院(17年検定)
「むら」がまとまり「くに」への、むらからくにへ

漢の歴史書(『後漢書』)によれば、1世紀の中ごろに、奴国(現在の福岡市付近)の王が漢に使いを送り、金印をあたえられたとあります。また、魏の歴史書(『魏志』倭人伝)によれば、3世紀に倭(日本)は小さな国に別れ、長い間争いが続いたが、邪馬台国の卑弥呼を倭国の女王にしたところ、争いがおさまったとあります。卑弥呼は、まじない(鬼道)によって、諸国をおさめ、ほかのくによりも優位にたとうとして中国に使者を送り、倭王の称号を得ました。そして、銅鏡など進んだ文化や技術を取り入れました。銅鏡は諸国の王らが権威を高めるためにほしがったものでした。(26ページ)

(聖武天皇)
〇扶桑社
奈良時代の律令国家の、聖武天皇と大仏建立

聖武天皇は、国ごとに国分寺と国分尼寺を置き、日本のすみずみにまで仏教の心を行き渡らせることによって、国家の平安をもたらそうとした。都には全国の国分寺の中心として東大寺を建て、大仏の建立を命じた。(45ページ)

〇育鵬社
天平文化の、奈良の都に咲く仏教文化

聖武天皇は、国ごとに国分寺と国分尼寺を建て、日本のすみずみに仏教をゆきわたらせることで、政治や社会の不安をしずめ、国家に平安をもたらそうとしました。また、都には全国の国分寺の中心として東大寺を建立し、金銅の巨大な仏像(大仏)をつくりました。(45ページ)

〇帝国書院(17年検定)
中国にならった国づくりの、大仏の造営

聖武天皇の時代、全国で伝染病が流行し、ききんがおこりました。世の中の不安が増すと、古くからの神にかわって、仏教を信仰する人々が増えました。聖武天皇とその后は、仏教の力で国を守り、不安を取り除こうと考え、行基らの協力で都に大仏を本尊とする東大寺をたて、地方には国ごとに国分寺と国分尼寺を建てさせました。(37ページ)

〇清水書院(23年検定)
平城京の建設と仏教

奈良時代のなかごろ、仏教を深く信仰していた聖武天皇と藤原氏出身の光明皇后は、仏の力で国家を守ろうとして、国ごとに国分寺・国分尼寺を建てさせ、都には総国文寺として東大寺を建てた。(37ページ)

〇東京書籍(23年検定)
天平文化の、奈良時代の仏教と社会
聖武天皇と光明皇后は、仏教の力にたよって国家を守ろうと、国ごとに国分寺と国分尼寺を、都には東大寺を建て、東大寺に金銅の大仏をつくらせました。(42ページ)

小山ブログから

平成21年8月25日東京地裁判決から分かること、その5―――単元構成等の類似性も盗作の証拠となること
< < 作成日時 : 2011/11/06 19:11 >>
ブログ気持玉 1 / トラックバック 1 / コメント 2
  これまで「平成21年8月25日東京地裁判決から分かること」を四回にわたって記してきた。その第一回記事でもふれたように、東京地裁判決は、育鵬社が「つくる会」側著者の著作権を侵害しているかどうかについて判断するためのポイントを示している。

  判決の「第4 当裁判所の判断」の「1 争点1(原告らの有する著作権の対象及び内容)について」には、以下のような記述がある。

 (2)本件記述の著作物性

  著作物とは,「思想又は感情を創作的に表現したものであって,文芸,学術,美術又は音楽の範囲に属するもの」をいう(著作権法2条1項1号)。本件記述(本件書籍において,各単元において図版や解説文を除外した本文部分や,各コラムにおいて図版や解説文を除外した部分)は,特定のテーマに関して,史実や学説等に基づき,当該テーマに関する歴史を論じるものであり,思想又は感情を創作的に表現したものであって,学術に属するものであるといえる。

  この点,本件教科書(本件書籍)が,中学校用歴史教科書としての使用を予定して作成されたものであることから,その内容は,史実や学説等の学習に役立つものであり,かつ,学習指導要領や検定基準を充足するものであることが求められており,内容や表現方法の選択の幅が広いとはいえないものの,表現の視点,表現すべき事項の選択,表現の順序(論理構成),具体的表現内容などの点において,創作性が認められるというべきである。

  傍線部は私が付したものであるが、まず、上記第一段落の傍線部に注目されたい。第一段落にあるように、判決は、各単元本文と各コラムにおける図版等を除いた部分(要するにコラム本文)は、歴史を論じた「思想又は感情を創作的に表現したもの」であり、著作権法で保護する著作物と言えるとする(図版やその解説文等が著作物であるかどうかは触れられていない)。

  第二段落では、創作物性を認定する場合のポイントが四点ほど述べられている。すなわち、①表現の視点、②表現すべき事項の選択、③表現の順序(論理構成)、④具体的表現内容などである。

  これまで、私は、教科書という性格上、単元構成や論理構成、取り上げられる事項がそっくりだからと言って必ずしも盗作と認定することは出来ないのかもしれないと考えてきた。つまり、①②③の類似性をもって盗作認定することは難しいのではないかと考えてきた。ただし、④具体的表現内容、すなわち文章がそっくりなものは当然に盗作となるから、文章が似ているものを中心に探してきた。

  しかし、判決をみると、①②③の類似性も盗作の証拠となることが明確に知られる。もちろん、研究書などとは異なり、教科書であり学習指導要領による枠づけもあるから一定程度の類似性は致し方ないものと思われる。だが、余りにも単元構成が似ている場合にはそれだけで盗作と言えるだろうし、取り上げている事項、表現の順序(論理構成)に甚だしい類似性がある場合には、文章表現が類似していなくても盗作と言えるということになると考えられるのである。

 付記しておくならば、前に記したように、判決は、『新しい歴史教科書』の著者と出版社の出版契約を平成23年度までの期間と捉えており、扶桑社-育鵬社の版権は24年3月で消滅する。それゆえ、出版社の主導権を認める共同著作物と捉えたとしても、育鵬社は、扶桑社版を基にして、平成24年4月以降に使用される教科書を作成する権利を持たないのである。ましてや、著者に主導権を認めた結合著作物である以上、なおさら、持たないことを強調しておこう。にもかかわらず、著しく酷似した単元構成の教科書を、今回、育鵬社は作成したのである。

  では、育鵬社版と扶桑社版とはどの程度類似しているのか。前に「『つくる会』側の著作権を侵害した!?育鵬社歴史教科書」であげた第4章(近代日本)では、本当に単元構成がそっくりであった。第5章(二つの世界大戦と日本)、第6章(戦後日本)に関してはどうであろうか。

〇扶桑社(藤岡信勝代表執筆)      〇育鵬社(伊藤隆他)
第5章 世界大戦の時代と日本       第5章  二度の世界大戦と日本
第1節 第一次世界大戦の時代        第1節 第一次世界大戦前後の日本と世界
62第一次世界大戦                60第一次世界大戦
63ロシア革命と大戦の終結           61ロシア革命と第一次世界大戦の終結
64ベルサイユ条約と大戦後の世界       62ベルサイユ条約と国際協調の動き
65政党政治の展開                63大正デモクラシーと政党政治
66日米関係とワシントン会議           64ワシントン会議と日米関係
67大正の文化                   65文化の大衆化・大正の文化
 
第2節 第二次世界大戦の時代        第2節 第二次世界大戦集結までの
                                日本と世界
68共産主義とファシズムの台頭        66世界恐慌と協調外交の行き詰まり
69中国の排日運動と協調外交の挫折    67共産主義とファシズムの台頭
70満州事変                    68中国の排日運動と満州事変
71日中戦争                    69日中戦争(支那事変)
72悪化する日米関係              70緊迫する日米関係
73第二次世界大戦               71第二次世界大戦
74大東亜戦争(太平洋戦争)         72太平洋戦争(大東亜戦争)
75大東亜会議とアジア諸国          73日本軍の進出とアジア諸国
76戦時下の生活                 74戦時下の暮らし
77終戦外交と日本の敗戦           75戦争の終結
                           76戦前・戦中の昭和の文化

第3節 日本の復興と国際社会        第6章現代の日本と世界
                           第1節 第二次世界大戦後の民主化と再建
78占領下の日本と日本国憲法         77占領下の日本と日本国憲法
79占領政策の転換と独立の回復        78朝鮮戦争と日本の独立回復
80米ソ冷戦下の日本と世界           79冷戦と日本
第4節 経済大国・日本の歴史的使命    第2節 経済大国・日本の歴史的使命
81世界の奇跡・高度経済成長          80世界の奇跡・高度経済成長 
82共産主義崩壊後の世界と日本の役割    81冷戦と昭和時代の終わり
                            82 戦後と現代の文化
                            83冷戦の終結と日本の役割  
              
  両社の単元構成はほとんど同一である。時代が6年経過した関係から、政治・経済史について単元2つを増加し、文化史を2単元新設しただけである。その他の点は全て扶桑社を育鵬社は踏襲しているのである。この類似性が如何に甚だしいものであるかを示すために、扶桑社版と同じく平成18~23年度使用年度が同一である帝国書院の目次を掲げておくので比較されたい。

○帝国書院平成18~23年度版(黒田日出男、小和田哲男、成田龍一他)
第6章 二つの世界大戦と日本
 1節 世界情勢と大正デモクラシー
  1第一次世界大戦と総力戦 
  2日本の参戦と戦争の影響
  3平和を求める声と独立を求める声
  4民衆が選ぶ正当による政治
  5都市の発展と社会運動
  6大衆の文化・街頭の文化
 2節 日本がアジアで行った戦争
  1世界恐慌と各国の選択
  2行きづまる日本の選択
  3おしすすむ日本と抵抗する中国
  4戦争の拡大から第二次世界大戦へ
  5植民地の支配と抵抗
  6長引く戦争と苦しい生活
  71945年8月、原子爆弾の投下
  8それぞれの敗戦と「戦後」の出発
第7章 現代の日本と世界
 1節 戦後日本の成長と国際関係
  1、新時代に求められた憲法
  2、冷たい戦争と国際連合
  3、日本の独立と安全保障
  4、高度経済成長とよばれる発展
  5、国際関係の変化と日本
 2節 これからの日本と世界
  1、変化する世界と日本
  2、いまの自分にたちかえって

  帝国書院と扶桑社・育鵬社とは全く単元構成が違うことに気付かれることと思う。ざっと見た感じでは、自虐5社と言われるが、それぞれの単元構成は余り似ていない。扶桑社と育鵬社の類似性は異常なのである。これだけ似ていると、単元構成の点だけで育鵬社を盗作教科書として弾劾することができよう。

二つの『光と断崖』読後感(二)・お知らせ

 柏原さんの感想は「私が驚いた二冊の本」と題した相当の大型論評である。読者もひとつ腰を据えてしっかり読んでいただきたい。

私が驚いた二冊の本

 2011年の驚きは、加藤康男氏の『謎解き「張作霖爆殺事件」』の刊行でした。この書物によって、張作霖爆殺事件の犯人に関する、秦郁彦氏の河本大作説に大きな疑問が投げかけられることになったからです。いや、より正確に言うならば、秦郁彦氏は、この問題に関する限り土俵際ぎりぎりにまで追い込まれていると言った方がよいでしょう。私は改めて歴史研究の無情さを感じずにはいられませんでした。何年も資料を読み込んで築き上げた歴史像が、ある日新資料が発見されたことによって、完全に覆されてしまうのです。
 
 しかし、歴史の評価が半世紀もたてば全く変わってしまうこともまた真実なのです。これは張作霖爆殺事件に関しても例外ではなかったということでしかありません。ですから、問題は長年の研究の成果発見された成果よりも、むしろその探求の過程が、そして探求する側の人間が問題ということになります。どれだけ誠実に歴史に直面したのこそが問われねばならないのです。
 
 その点で、興味深いエピソードを紹介したい衝動に駆られます。ここは、自分に正直に公表することにしましょう。そのエピソードとは、『謎解き「張作霖爆殺事件」』の山本七平賞奨励賞受賞に際して、秦郁彦氏が出版社に激しく抗議したというものです。その気持ちはわかるのですが、もし抗議するぐらいならば、加藤康男氏の『謎解き「張作霖爆殺事件」』に対する批判を著作として世に問うべきでしょう。それが、秦氏においては出版社への陰湿な抗議となりはてるのです。

 これだから、いわゆる昭和史家というのは救いようがないなあと、しみじみ思うのです。まだ世間のことを知らない高校生を相手に胡適というファシストを絶賛してやまない加藤陽子東大教授に始まり、米外交官マクマレーの文章を意図的に誤読して史料を捏造する北岡東大教授、一知半解の「昭和史」をてんで恥じることのない半藤利一氏、それに出版社に不当な圧力をかける秦郁彦氏と、学者や識者としてより以前に人間としてどこか大きな問題を抱えておられるような方があまりに多いのです。

 ですから、歴史研究の無情を見せつけられるといっても、秦氏には同情の念はわかないのです。というか、秦氏の学問上の方法論に決定的な瑕疵があるのです。それは、秦氏が、もっぱら日本の史料しか用いておらず、海外の史料、特にロシア語の史料にはほとんど触れてもいないという点です。加藤氏はロシア語だけでなく、ブルガリア語の史料も用いて検証しています。一つの歴史的事件であっても、様々な国の史料は公式文書を存分に用いなければ、真相が明らかになったとは言えないのです。残念ながら、加藤氏の今回の著作ではGRU(赤軍情報部)の一次史料にまではたどりつくことはできませんでした。それにも関わらず、様々な傍証から、張作霖爆殺事件の真犯人がGRUであったことが、かなりの精度で論証がなされています。はっきりと言えるのは、これを覆すのは難しそうだと言うことです。

 これは従来のたこつぼ型の歴史研究には限界があるということでもあります。一つの分野をいくら細かく調べても、歴史がわかったことにはならないのです。歴史的事象を扱うためには、比較対照という手法が欠かせません。用いる史料を、一国の史料に限らず、信頼できる様々な国の一次史料を用いる必要があります。特に20世紀のプロパガンダと欺瞞工作に関わる(あるいはその可能性がある)歴史的事象には、それこそ細心の注意が要求されるのです。

 それでも、歴史研究という水準を超えて、比較という点から大きな衝撃をもたらした著作があります。それが、『西尾幹二全集第5巻 光と断崖』だったのです。私が日頃読んでいるのは、フランス語の文献で改めてドイツの思想史に関する文献を読むことはまずありません。しかし、今回『西尾幹二全集第5巻』を読んで、これまで胸の中にもう何十年もわだかまり続けていた大きな謎が瞬時に解決するのを感じました。わかったことはいろいろあるのですが、19世紀末から20世紀にかけてのフランスを知ろうと思えば、ドイツを知らねばならず、その逆もまた成り立つということを直感し、私は文字通り眠れないほど興奮した夜を過ごしました。まさか長年の謎がこのような形で、解けるとは夢にも思わなかったのです。フランスを知るために、なぜドイツを知らねばならなかったのか。それは次のような理由によります。

 19世紀の歴史から見れば、ドイツとフランスは鏡のような関係にあります。それはあたかもコインの裏表のような印象があります。たとえば、フランス革命一つとってもそうで、フランスが理性が勝利を収めた革命の国と規定するなら、ドイツは遅れた封建的な国家ということになるでしょうし、ナポレオンによる大帝国の建設を、既存の国際秩序の破壊と見るならば、ナポレオンの失脚後、フランスが封じ込めの対象になったのも当然といえるでしょう。これほど対照的な関係も歴史的には例を見ないのではないでしょうか。それは光と闇の相克と言うこともできるでしょう。当然のことながらどちらが光でどちらが闇かは、対象を見る味方によって入れ替わるのですが。

 もうすこし、この点を詳細に考察してみましょう。18世紀末のフランス革命から第二次大戦の終了までの時期のヨーロッパ史における独仏関係は、英露関係と並んで、常に緊張関係の下におかれてきました。両国の関係は、大きく分けて二つの時期に分けることができます。すなわち、ナポレオンの軍隊に対するプロイセン軍の勝利から始まって、ビスマルクの時代の1870年の普仏戦争で頂点に達する、プロイセンの台頭期と、ヴィルヘルム2世の親政以降の、ドイツ帝国没落期とにです。第一次大戦における敗戦と、ナチスの政権獲得、そして第二次大戦における敗北もその没落の過程に含めることができるでしょう。ロシアとの間の再保障条約が解消され、ドイツ外交が浮遊し始めた1890年代からドイツという国家は没落し続けるのです。

 1905年にはモロッコの領有をめぐり、ドイツは英仏両国とタンジール事件という国際紛争を引き起こしています。ドイツは、1911年にはやはりモロッコの領有をめぐってアガディール事件を起こしています。これらの紛争ではドイツ側の完敗でした。それに追い打ちをかけるように、第一次大戦におけるドイツ帝国の崩壊、それにナチス・ドイツの劇的な台頭とその没落が続くのです。

 私が驚いたのは、こうしたドイツの没落をニーチェはすでに40年前に予見していた、ということでした。ドイツ精神の腐敗が、国家の没落をもたらすであろうことを、ニーチェはすでに気がついていたのです。1870年における普仏戦争の劇的な勝利の結果生まれた、根拠のない楽観主義、こういって良ければ夜郎自大で良しとする精神が、ドイツ帝国を支配していました。ニーチェは次のように述べます。「私が問題にするのは、歴史的な事柄におけるドイツ人の淫らなまでのだらしなさである。ドイツの歴史家には文化の歩み、文化の価値に注がれるべき大きな眼光がすっかりなくなってしまって、彼らは揃いも揃って政治(もしくは教会―)に傭われた道化役者となってしまったが、こういう言い方ではまだ足りない。この大きな眼光は、ドイツの歴史家たちの手で追放されているのである。まず何を措いても《ドイツ的》でなくてはならないのだと彼らはいう。《純血種》でなくてはならないのだと彼らは言う。そうなったときに、歴史的な事柄における価値と無価値を決定することが可能になる、というのである。」

 つまり、19世紀末のドイツ国内の政治・文化の状況に対して、ニーチェは痛切な批判を向けているのです。当時のドイツという国家、並びにドイツ人を客観的かつ冷静に批判すると言うよりは、あたかも憎悪の念に突き動かされた呪詛を必死に投げかけているといった趣があります。それは、そうでしょう。「歴史的な事柄における価値と無価値を決定する」のが《ドイツ的》なものであるか否か、《純血種》であるか否かによって決定されるというのは、鼻持ちならない、低俗な、自民族中心主義の表明でしかないわけですから。

 思えば、ヘーゲルの『法哲学』においても、オリエント帝国、ギリシャのポリス、ローマ帝国の後に、ドイツ的な立憲君主制を取り上げていました。ヘーゲルがドイツという国家の成り立ちを国家という理念の最高形態と見なしていたことは明白でしょう。ヘーゲルの著作を、あたかも普遍の真理として受け入れるならば、納得ができることなのかもしれません。しかし、少し落ち着いて考えれば、世界史には古代中国の唐を始め、モンゴル帝国、それにイスラム圏のウマイヤ朝やアッバース朝、それにヘーゲルと同時代に存在していたオスマン帝国、インドにはムガール帝国が存在していたことはすぐに思い当たります。これらの帝国の動向がドイツよりもはるかに世界史の内実を構成していたことは、冷静に考えれば、現代の我々はおろか、19世紀末のドイツ人にもわかったはずです。そもそも、ヘーゲルの議論にはかなり多くの留保をつけなければ成立し得ないはずです。

 実際の世界は当時のドイツ人が考えていたほど単純なものでも、ドイツの優越を無邪気に主張できるようなものでもなかったのです。にもかかわらず、ドイツは、台頭する経済力を背景に、自己の客観的な自画像を失い、「大きな眼光」を失ってしまっていたのです。ドイツ精神という光の下で、すべてを証明でき、すべて説明しうるという根拠のない楽観主義がドイツを支配していました。ニーチェは、当時のドイツの風潮とその背後にあるこの種のドイツ観念論のまやかしに容赦なく批判を投げかけていたのです。ニーチェの議論は、「近世以降ドイツ人は人類の歴史の担い手であり、精神的自由の自己実現の頂点を形成するという類の19世紀ドイツの、神学、哲学、歴史の至る所で流布していた空しい自尊への、痛罵の意図を秘めていた」のです。
 
 情報史という点では、ヴィルヘルム二世の時代は、ドイツが積極的な情報活動を展開している時期でした。日露戦争の際にもドイツは極東に多くのスパイを送り込んでいました。にもかかわらず、先に挙げたタンジール事件やアガディール事件のように、ドイツがなぜ外交で失敗を重ねつづけたのかが私には長い間不思議でなりませんでした。しかし、ニーチェのドイツ批判を読めば、「なるほど、そういうことだったのか」と改めて納得したのです。

 ドイツ観念論は、世界をすべて理解したつもりになっていました。自国の歴史こそが世界史であると考えるようになれば、外の世界に対する理性的な視線は失われてしまいます。ドイツは、客観的な自画像というものをドイツは描けなくなっていたのです。これこそが、ドイツ帝国を崩壊させた大きな要因だったのです。そして本来冷静であるべき情報活動を失敗させたのは、こうしたメンタリティだったのです。

 その反面、フランスは、冷静にドイツを観察していました。フランスの公文書館やフランス軍戦史部には、ドイツに関する膨大なインテリジェンス史料が残されています。第二次大戦はともかく、第一次大戦の勝利は、フランスの優れた情報活動によるものでした。ドイツが情報活動に熱心であるにも関わらず、ドイツ外交が空転し続けた理由こそ、まさにこのニーチェのドイツ批判の中身だったのです。どこかでたががはずれた当時のドイツ人の精神が、ドイツの没落を準備していたのです。ドイツの情報活動の失敗の背後に、ドイツ的精神の腐敗があったというのは、個人的には非常にショッキングな発見でした。

 とはいえ、ニーチェのドイツ批判は、圧倒的に不利な戦いであったことも事実でしょう。『悲劇の誕生』で、学会を終われ、ワグナーに接近するものの、袂を分かち、最終的には、ドイツという国家に鋭い批判を向けるニーチェという人物に対して、周囲からの反発も相当のものでした。このニーチェに向けられていた有形無形のプレッシャーの大きさが、この『西尾幹二全集第五巻』から伝わってくるのです。ドイツ人社会という「世間」からの敵意のある極度の圧力が、アフォリズムの多用、一見したところではナルシシズムの極地とも思える文章表現を生んでいたのです。しかし、筋肉隆々たる男性的な、あまりに男性的な文体の背後には、ニーチェの孤独と絶望が隠されていました。ニーチェの弱さ、ニーチェの苦しみを明らかにしており、人間ニーチェの横顔に光を当てていることも、この第五巻の魅力を作り上げているといえるでしょう。
 
 では、ニーチェにとって、こうした透徹した予測がなぜ可能だったのでしょうか。その謎を、後世の人間には窺い知ることはできないのは、当然でしょう。しかし、ただ言えることは、ニーチェは自分に、自分の内面に正直であったということです。興味深いのは、『悲劇の誕生』に見られるように、ニーチェの内面からわき上がる着想が、歴史的真実を明らかにしていていたことです。自己の確信を貫くことで、従来の古代観の中心にある、いわゆる調和的なギリシャ的晴朗さはアポロン的仮象にすぎず、その背後に、より根源的な音楽の精神、衝動的・破壊的なディオニソス的陶酔が存在したという新たなギリシャ観を提出しえたのです。

 ここで、西尾幹二氏の作家としての姿勢にも、ニーチェとの共通性を認めざるを得ないと思うのです。西尾幹二氏ほど自分の思想に正直な人を私は知りません。何について語っても、何を問題にしても、結局のところ、自分の物語になるというのが、西尾幹二氏の著作の特徴であるといえるでしょう。全ての批判、全ての洞察は、すでに小学生の時代に準備されていました。小学生以来の素直さが、西尾氏の著作の褪せることのない魅力の源泉なのです。こういって良ければ、西尾幹二全集の第5巻の楽しみは、ニーチェの率直さと西尾氏の率直さが交差する思考の力学にあります。そして、これは、国家の運命が交錯する壮大な物語でもあったのです。

 この『西尾幹二全集第五巻』の衝撃を何とか文章にまとめようと試みたのですが、どうにもうまくいきません。それはこの著作が、多くの連想を呼び起こすからであり、その衝撃は現在も進行しているからであります。ここからは、戦争に勝利を収め、文化的に(そして外交の面でも)衰退したドイツと、戦争に敗北したものの、文化が興隆したフランスという刺激的な視点が浮かびあがってきます。さらに、フランスにおける印象主義絵画の流行と、印象派の画家達と象徴派詩人達の交わり、とくにステファン・マラルメの問題を、ドイツの精神状況と対比させて考えることによって様々な知見が可能になるように思われます。いわゆるフランス現代思想で、ニーチェとマラルメが好んで取り上げられるのは、偶然ではないのです。存在論から始まるヘーゲルの哲学と、虚無から始まるマラルメの詩は、両国の国民精神のあり方を暗示しています。従来のポストモダンの議論の先進性とその限界も、ニーチェのこの議論を前提にして初めて明らかにできると思います。
 
 こんな訳ですから、フランス文化やフランス史の研究者こそ、ニーチェの著作は一度は読んでおくべきだと痛感した次第です。そして、ニーチェという高山に登る際のベテランガイドが西尾幹二氏であり、今回の全集第五巻であるということを改めて強調して、本文の結びとしたいと思います。

文:柏原竜一

 柏原さん、どうもありがとう。

 ニーチェをナチスの先駆者のように言う議論がどんなにバカげているかが読者によくお分りになっただろう。現代フランス哲学はニーチェなしでは語れない。

 ところで19世紀のドイツの自己幻想は、今度は逆転して、第二次大戦後には反省と自虐にまみれた自己否定像となる。私が「ヒットラー後遺症」と名づけた戦後ドイツの悲惨な精神状況を現出させた。

 私の全集第二回配本(第1巻)『ヨーロッパの個人主義』は、既報のとおり二冊の処女作『ヨーロッパ像の転換』と『ヨーロッパの個人主義』というすでによく知られた体験記を収録しているが、じつはこの二冊は全巻の約半分にすぎない。それ以外の短篇が満載されている。

 その短篇の中に「現代ドイツ文学者報告」(『新潮』連載)があり、ギュンター・グラス、ペーター・ヴァイス、ロルフ・ホッホフート、ハインリヒ・ベルその他の政治主義化したドイツ文学界の終末的精神状況に対する私の徹底した批判が語られている。

 柏原さんがニーチェの19世紀ドイツへの批判の孤独と絶望ということを語っていたが、同じようなことは戦後の私の留学時代のドイツとの関係にもあったのである。私は日本のドイツ文学界から次第に気持ちが離れていくが、敗戦国の文学を研究専攻した失敗に気がついたのは留学中のこの目立たぬ出来事に端を発する、と今思い出している。

 帰国後私は「文学の宿命――現代日本文学にみる終末意識」(『新潮』1970年2月号)を書いて文壇批評家になった。そしてほどへて三島自決事件にであった。ドイツで体験した現代批判がまっすぐに「文学の宿命」の中に流れ込んでいることに今度気がついた。

 『ヨーロッパの個人主義』や『ヨーロッパ像の転換』では見せていなかった私のもうひとつの主題が「現代ドイツ文学界報告」の中にあり、それが糸を引くように三島事件の解明につながる。全集第三回配本『悲劇人の姿勢』の校正刷をいま丁度整理中で、次々と新しい自己発見をしているところである。

「個人主義と日本人の価値観」講演会開催のお知らせ

   西尾幹二先生講演会

「個人主義と日本人の価値観」

〈西尾幹二全集〉第1巻『ヨーロッパの個人主義』(1月24日発売)刊行を記念して、講演会を下記の通り開催致します。

 ぜひお誘いあわせの上、ご参加ください。

★西尾幹二先生講演会

    「個人主義と日本人の価値観」

【日時】  2012年2月4日(土曜日)

  開場: 13:30 開演 14:00
    ※終演は、16:00を予定しております。

【場所】 星陵会館ホール

【入場料】 1,000円

※予約なしでもご入場頂けますが、会場整理の都合上、事前にお知らせ頂けますと幸いです。

★講演会終演後、<立食パーティ>がございます。

【場所】 星陵会館 シーボニア 

※ 16:30~(18:30終了予定)

【参加費】 6,000円

※<立食パーティー>は予約が必要となります。1月24日までにお申し込みください。
ご予約・お問い合わせは下記までお願いします。予約時には、氏名・ご連絡先をお知らせください。

・国書刊行会 営業部 

   TEL:03-5970-7421 FAX:03-5970-7427

   E-mail:sales@kokusho.co.jp

・坦々塾事務局   

   FAX:03-3684-7243

   tanntannjyuku@mail.goo.ne.jp
星陵会館(ホール・シーボニア)へのアクセス
〒100-0014 東京都千代田区永田町2-16-2
TEL 03(3581)5650 FAX 03(3581)1960

se_map4-thumbnail2.jpg

※駐車場はございませんので、公共交通機関にてお越し下さい。)

主催:国書刊行会・坦々塾

後援:月刊WiLL

二つの『光と断崖』読後感(一)

 昨年末二人の知友から私の全集第五巻『光と断崖――最晩年のニーチェ』をめぐる読後感をいただいた。最初は一級建築士の大西恒男さんの感想で、京都在住の彼は震災後の復旧の仕事で茨城に長期間出張していて、そこで自由時間にニーチェと向かい合っていたらしい。二人目はいまヨーロッパ史に関する大著に取り組んでいるインテリジェンス研究家の柏原竜一さんである。お二人の論考をつづけて掲載する。

西尾幹二全集 第五巻 「光と断崖 最晩年のニーチェ」 を読了して

先生の著作で容易に手にすることの出来なかった文章群にふれ、楽しく・意味深く本書を読了いたしました。特に白水社のニーチェ全集を手にする機会を持たなかったので本書に収められた文章の多くをはじめて拝見いたしました。

光と断崖・・は晩年のニーチェの精神活動を知るのに分かりやすく。幻としての権力の意志・・はその成立顛末が詳しく述べられてあり、既存本 権力の意志 の小見出しは著者の意図しないニーチェの妹とガストの編集ということもわかりました。この人を見よ・・の翻訳は格調高く訳注も精緻を極めた内容になっていたのでこの訳注だけを単独に読み返しました。

ドイツにおける同時代人のニーチェ像・・は特に興味深く読みました。ニーチェをよく知るサロメの文章は心理的な意味が深く、(光のマントに包んで身を隠した者とはあの人自身にみごとにあてはまる。)などの表現は美しくまた正鵠を得ているようです。ヘッセの講演でツアラツストラを評した講演内容紹介もすばらしいと思いました。

研究余録 ギムナジウム教師としてのニーチェ・・はニーチェの人となりを知るのに好都合でした。若き大学教授ニーチェが教えるギリシャ語の授業風景が目に浮かびます。20人程度と規模が小さい古典語クラスの格調と厳しさ・真剣さなど教室の音さえ聞こえるようです。(すでにこの最初の時間で、われわれはある運命が大変な教師をわれわれのもとに送りとどけてくれたという印象をもっていた。1時間ごとにわれわれの尊敬と感激は高まっていった。)T.ジークフリート
以前、カルチャーセンターで西尾先生の講義を受講したとき我々受講生は上記に近いものを感じたと思っています。受講前と受講後では我々の気持ちの高ぶりが違っていたものでした。
ある受講生の女性は会社の上司に西尾先生の講義内容を話したあと、大学がこのようなものであるなら会社を辞めて進学したいと真剣に話をされていたことを思い出しました。

本全集第五巻の続きは西尾先生の翻訳された白水社イデー選書 「偶像の黄昏・アンチクリスト」にチャレンジしたいと思います。

大西恒男

 大西さん、どうもありがとう。その後の来信によると、彼はニーチェの『アンチクリスト、偶像の黄昏』(白水社イデー選書)も入手して、すでにお読みになったらしい。

アメリカの脱領土的システム支配・講演会開催のお知らせ

「個人主義と日本人の価値観」講演会開催のお知らせ

   西尾幹二先生講演会

「個人主義と日本人の価値観」

〈西尾幹二全集〉第1巻『ヨーロッパの個人主義』(1月24日発売)刊行を記念して、講演会を下記の通り開催致します。

 ぜひお誘いあわせの上、ご参加ください。

★西尾幹二先生講演会

    「個人主義と日本人の価値観」

【日時】  2012年2月4日(土曜日)

  開場: 13:30 開演 14:00
    ※終演は、16:00を予定しております。

【場所】 星陵会館ホール

【入場料】 1,000円

※予約なしでもご入場頂けますが、会場整理の都合上、事前にお知らせ頂けますと幸いです。

★講演会終演後、<立食パーティ>がございます。

【場所】 星陵会館 シーボニア 

※ 16:30~(18:30終了予定)

【参加費】 6,000円

※<立食パーティー>は予約が必要となります。1月24日までにお申し込みください。
ご予約・お問い合わせは下記までお願いします。予約時には、氏名・ご連絡先をお知らせください。

・国書刊行会 営業部 

   TEL:03-5970-7421 FAX:03-5970-7427

   E-mail:sales@kokusho.co.jp

・坦々塾事務局   

   FAX:03-3684-7243

   tanntannjyuku@mail.goo.ne.jp
星陵会館(ホール・シーボニア)へのアクセス
〒100-0014 東京都千代田区永田町2-16-2
TEL 03(3581)5650 FAX 03(3581)1960

se_map4-thumbnail2.jpg

※駐車場はございませんので、公共交通機関にてお越し下さい。)

主催:国書刊行会・坦々塾

後援:月刊WiLL

謹賀新年(平成24年)

 喪中につき年末年始の挨拶を遠慮するという恒例の葉書の知らせは昨年末、数えてみたら62通あった。多いか少ないか分らない。毎年これくらい来ているとは思うが、毎年は数えていないので判断できない。たゞ今度気づいたのは長寿でお亡くなりになった方がきわめて多いことだった。90歳より以上の方が22人もいる。100歳以上で逝去された方が4人もおられた。私は自分がだんだん齢を重ねてきたので、死者の年齢も次第にあがって来たのだと思うが、たゞそれだけではない。一般に長生きが普通になったのである。

 天皇陛下がご高齢になられたとの声をテレビでしきりに耳にする昨今である。陛下は私とはわずか1.5歳くらいの年差であられる。私も「ご高齢」になったのだとテレビでいわれているようで奇妙な気がしてくる。

 陛下はまだまだご丈夫だと思う。被災地をご訪問になり、避難所の床にお膝をついて話をなさるシーンを何度も目にした。膝をついて坐れば、膝を起こして立たなければならない。立ったり坐ったりするのは容易ではない。陛下は鍛錬なさっている。私はそう直感した。私なんかより足腰はしっかりしておられ、きっとお強いのだ。まだまだ大丈夫である。

 私は昨年全集の刊行開始、相次ぐ雑誌論文、単行本三冊の出版で年齢にしてはやり過ぎである。私より高齢で多産な人もいるから、音を上げてはいけないが、10~11月ごろに少しばて気味だったことは間違いない。むかし手術を受けたところの古傷がいたんで、すわ再発かと恐れたが、要するに疲労とストレスが貯まった一時的な結果だった。仕事量を減らさなくてはいけない。

 昨年私はニーチェと原発と日米戦争に明け暮れたが、今年はどうなるだろう。今年は全集を4巻出し、次の年の4巻の準備をしなくてはならない。そして夏ごろスタート予定で『正論』に長編連載を開始する約束になっている。小さな論文とか新しい単行本の企画とかは慎まなくてはならない。それがいいことかどうかは分らないのだが・・・・・・。

 自分の肉体がだんだん衰徴していくのは避けがたいが、それにも拘わらず、行方も知れない日本の運命への不安がますます募るようで、私の心理的ストレスは高まりこそすれ鎮まることはないだろう。中国に対する軍事的警戒とアメリカに対する金融的警戒はどちらも同じくらい必要で、どちらか一方に傾くというわけにはいかない。前者を防ぐためにアメリカの力を借りれば、後者から身を守るすべが日本にはない。

 先の戦争が終ったころ、米国務長官アチソンがフィリピン、沖縄、日本、アリューシャン列島のラインをアメリカが責任をもつ防衛範囲であると明言し、それ以外の所は責任を持たないと言ったために、金日成が南朝鮮を安んじて侵攻した、という歴史がある。アメリカが最近海兵隊をオーストラリアに移動させたことをもって、アメリカの対中防衛網の強化だと歓迎する人が多く、そういう一面は私も否定しないが、しかし考えようによってはアチソン・ラインが南に下げられ、日本列島はラインの外に出されてしまった、という見方もないわけではないのである。

 大震災が起こったとき、アメリカ艦隊が大挙して救援に来た。例の「オトモダチ作戦」は善意と友情の行動という一面もあるが、日本列島がかっての「南ベトナム」「南鮮」のような保護対象としての主権喪失国家のひとつと見られた事実も間違いなくあるのである。少くとも今、日本列島はアメリカ合衆国の国境線になっている。かつての満洲北辺が大日本帝国の国境線であったのと同じような意味においてである。

 東シナ海、日本海近辺には石油・天然ガスが大量に眠っており、その総量はサウジアラビアを凌駕するという説がある。これは日本人にとって悪夢である。中国が狙うだけではない。アメリカも狙っているからだ。アメリカはこれを奪うために日中間の戦争が起こるように誘導するかもしれない。世界経済が完全に行き詰まった後、何が起こるか分らない。

 ジョゼフ・ナイの「対日超党派報告書」というのがある。ごらんいたゞきたい。

 http://www.asyura2.com/09/senkyo57/msg/559.html 

 わが日本列島はこの200年間、運命に対し受身であるほかなかった。日本の行動はすべて受身の状態を打開するためで、悲しい哉、自らの理念で地球全体を経営しようと企てたことはない。外からの挑戦につねに応答してきただけである。これからも恐らくその宿命を超えることはできないだろう。

 昨年末に次の本を校了とし、出版を待つばかりとなった。表紙もできあがったのでお目にかける。

genbaku.jpg

 前にご紹介した担当編集者の作成メッセージをもう一度お届けする。

天皇と原爆

強烈な選民思想で国を束ねる
「つくられた」国家と、
世界の諸文明伝播の終着点に
「生まれた」おおらかな清明心の国。

それはまったく異質な
二つの「神の国」の
激突だった――。

真珠湾での開戦から70年。

なぜ、あれほどアメリカは
日本を戦争へと
おびき出したかったのか?

あの日米戦争の淵源を
世界史の「宿命」の中に
長大なスケールでたどりきる、
精細かつ果敢な
複眼的歴史論考

「桜プロジェクト」年末スペシャル

● 放送予定日時:平成23年12月28日(水)スカパー!217ch20時~22時
およびインターネット放送「So-TV」

● パネリスト:(敬称略・五十音順)
  大高未貴(ジャーナリスト・桜プロジェクト月曜日キャスター)
  鈴木邦子(外交安全保障研究家・報道ワイド日本ウィークエンドキャスター)
  高清水有子(皇室ジャーナリスト・桜プロジェクト木曜日キャスター)
  富岡幸一郎(文芸評論家・関東大学教授・桜プロジェクト水曜日・報道ワイド日本ウィークエンドキャスター)
  西尾幹二(評論家・GHQ焚書図書開封司会)
  西村幸祐(評論家・ジャーナリスト・桜プロジェクト水曜日・報道ワイドウィークエンドキャスター)
  三橋貴明(経済評論家・作家・桜プロジェクト水曜日・報道ワイドウィークエンドキャスター)

司会:水島 総(日本文化チャンネル桜 代表)

西法太郎さんの文章その他

 『文藝春秋』12月号――すでに月が替わって今は1月号だが――に、旧宮家の令嬢久邇晃子さん(精神科医)が原発への疑問を書いている。「愚かで痛ましい我が祖国へ」と題したそのご文章は深く味わいがあり、心を打つ内容であった。

 今まであまり論じられていない新しいことが二つ書かれていた。代替エネルギー関連の特許は日本が世界の55%を占めているとのことである(国連の専門機関WIPOの報告書)。それなのに日本がそれを生かせているとは言い難い。わが国の技術開発力のすばらしさと、それを社会化していく能力の貧困とのギャップが口惜しいと仰っている。私もそう思う。

 最近の風潮では、また少しづつ世論の鎮まるのを待って、原発路線へ戻ろうとする動きがボツボツ目立ち始めている。「自然エネルギーは実現性が無いから、などとそれ自体論拠の薄いことを主張して、原子力発言の割合を含めて現状維持しか方法は無いのだ、と冷笑的な態度を取っている人が大勢を占めている間に、日本は世界に後れを取り、競争力が低下し、これから急速に成長していく可能性の高い有望な分野での(しかも日本が得意な分野での)またとないチャンスを逃している。」と彼女は書いている。

 幼少時より外国経験の多かった久邇さんは、日本が戦争に敗れて以来黙々と働きつづけ名誉ある地位を回復したことに好意を寄せてくれる国々として、「ヨーロッパの中でも、東欧の人たちや、ラテンアメリカの人たち、中近東の人たち」を挙げ、日本が万一また失敗し、海や大気などを再び汚染するようなことが起こったら、「日本に対する同情は一転して反感に変わる」だろうと仰り、そのことに心を痛めている。

 「愚かで、痛ましい我が祖国。美しい日本の野山を見ると、じっと耐えている東北の人々の姿を見ると、涙が止まりません。」

 静かなその語り口に共感した。そして、少し余計な話かもしれないが、こういう方が皇太子妃であって下さったら日本国民は救われたのに、とついあらぬ方向へ思いが及んでしまう昨今でもある。

 原発については10月21日に私は有楽マリオンの朝日ホールで、専門家の方々に立ち混ってシンポジウムに参加したことと、文藝春秋から『平和主義ではない「脱原発」』という単行本を出版したことの二つが私の最近のトピックである。

平和主義ではない「脱原発」―現代リスク文明論 平和主義ではない「脱原発」―現代リスク文明論
(2011/12)
西尾 幹二

商品詳細を見る

 最近は少し根気を失って、原発発言はやめている。たゞしこの本のあとがきである「ひとりごと――『あとがき』に代えて」は読んでもらいたい新稿である。また、小林よしのり氏の新雑誌『前夜』創刊号(12月25日刊)に協力して書いた一文も、「原発は戦後平和主義のシンボルだった」(20枚)と名付けた。これは『WiLL』12月号で田原総一朗氏が「脱原発は一国平和主義と同じだ」と書いたことに対抗し、こういう傾向の考えをからかった題名である。

 どうも『WiLL』は遺憾なことに、全体の傾向は原発推進派のようである。私は例外的に扱われているみたいだ。保守論壇はこぞって原発万歳の方向なのであろう。保守の中で脱原発を明言しているのは、小林よしのり氏と竹田恒泰氏と私の三人くらいである。

 私は原発の存在が日本の国防を阻害していることを特記している立場である。この点については、正月が明けてから『SAPIO』でもう一度強力にテーマをしぼって発言すべく、昨日、インタビューに応じた。

 さて、西法太郎氏がこうした一連の私の言論のあり方について、大変に印象深い言及と分析を二度にわたって書いてくださっているので、以下に感謝をこめて掲示する。

(1)日録10月6日 全集発刊にからむニュース(5)のコメント(1)

1. WiLL11月号の西尾先生の御論考「現代リスク文明論-原発事故という異相社会」を手にとって思いめぐらしたことを以下徒然に綴ります。

西尾先生の御論考はどれも御自身の地頭で思考したことをズバズバ述べていて読む者を痛快な気分にさせてくれます。

それはまるで焔を噴きだす巨龍のような迫力です。それはまるで百畳の部屋いっぱいに拡げた和紙にたっぷり墨汁を含ませた特大の筆を一気呵成に運ぶ大僧正のおもむきです。

展開する内容は小難しくも小賢しくもなく読み下して行けばストンと胸の中に収まものです。これはなかなか出来ることではありません。書き手が自分の意を読者に伝えることは意外に難しいのです。往々にして意余って言葉足らずとなりかねないのです。

その一方伝えるべき肝心の自分の意を持ち合わせない手合いが物書きの中にごまんといます。そういう手合いは他人の文章を換骨奪胎してあちらからこちから引き写して編集者や読者に迎合するものを仕上げています。それを自分のもののように取り繕います。それが感心するほど上手い人がいます。
西尾先生はひたすら我が道を往くだけです。周りの状況を読んで処世で動くということはしません。KYという語は西尾先生の辞書にありません。なぜなら周囲の空気を読むような姿勢を容認する言論空間にいないからです。政治家は民意を読み取ってその流れに乗らないと商売になりません。言論人は政治家とは違います。あたかもヴェネチアが数百万本の杭をラグーナに打ち込んで堅牢な海上都市を築いたように、西尾先生は「30歳から40歳ごろまで」「爆発といってもよいくらいの活動をして」「多産だった」時代に確固とした思想形成の土台を築いたのです。あらゆるものを〝懐疑〟してその地盤を踏み固めたのです。それがマグニチュード9の大震災や大津波に動じることなく、原発被災以降の日本をそれまでと異なるフェイズに入ったと捉える透徹した視力をそなえさせたのです。
WiLLの西尾論文は次のように結ばれています。

「人類はかつてプロメテウスの火をもてあそんだように、原発はやってはいけない神の領域に手を突っこみ、制御できなくなった「火の玉」が自らの頭上に堕ちてくるのをいかんともし難くもて余し、途方に暮れている姿に私には見える」

ハインリヒ・アルフレート・キッシンガー(英語名ヘンリー・アルフレッド・キッシンジャー)に『核兵器と外交政策』という大著があります。

キッシンガーは、その第三章「プロメテウスの火」の冒頭で次のように説いてまだ30歳台の少壮学者時代の鋭い洞察力をきらめかせています。

「プロメテウスは、神々から火の秘密を盗んで、岩に鎖でつながれて余生を送るという罰を受けた。この伝説は何百年の間、思い上がった野心に対する処罰の象徴と考えられている。ところが、プロメテウスが受けた罰は、慈善行為だったともいえるのではなかろうか?
というのは、神々が自分達の火を盗ませるようにしむけたとしたら、その方がはるかにひどい罰ではなかっただろうか?
現代のわれわれも、神々の火を盗むのに成功したために、火の恐怖と共に生きなければならぬ運命となってしまった」

そのギリシア神話は次のようなものです。
チタン族がクロノスを助けてゼウスと戦ったとき、プロメテウスは一族に背いてゼウスに味方したため、後にゼウスから人間創造の大任を委ねられた。しかし、プロメテウスは自らの創った人間を愛するあまり、ついに天上の火を盗んで人間に与えた。
ゼウスは怒ってプロメテウスをカウカソスの山上の巨きな岩に繋縛し、日毎にハゲ鷲に肝をついばませた。
プロメテウスはヘラクレスに救われるが、神が罰として弟エピメテウスに渡したパンドラの匣が開けられ、封じ込められていた禍の種子が世界に飛散して、人間界は混乱と争いが絶えない悲惨なところとなった。

ギリシア神話と無縁の大日本国(おおやまとのくに)は、世界初の原爆の苛烈な火を降り注がれ、すさまじい災厄を蒙りました。しかるのち生き残った民は大和魂を抜かれ、背骨を熔かされ、精神的軟体動物に成り果てて、哀れを止めぬありさまです。

大和の神々は自ら社稷を汚してしまった民草を守ってはくれないのでしょうか。神を懐うことをなおざりにした民に御陵威は及ばず、守られるに値しないのでしょうか。消え行くしかないでのしょうか。

こんな大和の民が蘇生するには、神韻漂渺の世界を想い、先達の困難克服の営みとあまたの犠牲を顧み、その上に今在るわれわれが存していることを感得することしかないでしょう。しかしこれは易いことではありません。(了)
コメント by 西 法太郎 — 2011/10/11 火曜日 @ 17:48:37

(2)坦々塾ブログ 11月12日 “孤軍奮闘の人”西尾全集の発行に寄せて
坦々塾ブログからの転載

〝孤軍奮闘の人〟西尾幹二先生の全集発刊に寄せて

        坦々塾会員  西 法太郎

 2011年10月 【西尾幹二全集】 全22巻の刊行が遂にスタートした。年4冊のペースだというから完結まで6年を要することになる。単行本に収められなかった御論攷(『批評』に発表した「大江健三郎の幻想風な自我」など)や未発表の原稿なども日の目を見るというから楽しみだ。  

 完結の暁には〝西尾幹二大星雲〟の全貌が姿を顕すことになる。しかしこの大星雲は今なお膨張し続けており、完結までに成しゆく著作で巻数が増えることは想像にかたくない。
 この大事業が完成するまで西尾先生は意気軒昂でおられるだろうが版元が全集発刊の体力を保てるか不安である。それは版元の経営状態を云々するのではなく昨今の出版業界の不昧がこれから更に酷くなる厳しい状況が続くことが確実だからである。先行き不透明な現下、壮挙と呼べる本事業を引き受けた版元の心意気やよしである。

 学者としてスタートした先生はその後言論人としてひたすら我が道を突き進んできた。それは周りの状況をうかがって処世で動くことができない性格からそうなったとも言える。しかしそういう不器用さは善である。先生は周囲の空気を読むような言論空間にいないのだ。だからその辞書に「空気を読む」という言い回しはない。

 先生はあたかもヴェネチアが数百万本の杭をラグーナ(潟)にどんどん打ち込んで堅牢な海上都市を築いたように、「30歳から40歳ごろまで」「爆発といってもよいくらいの活動をして」「多産だった」時代に思想形成の強固な土台を築いた。
 あらゆるものを〝懐疑〟してその基盤を踏み固めた。それがマグニチュード9の大震災、大津波に精神を動じさせることなく、原発被災以降の日本がそれまでと異なるフェイズに入ったと捉える透徹した視力をそなえさせたのだ。

 今から66年前、大日本国(おおやまとのくに)の民は世界初の原爆の熱炎を降り注がれる苛烈な災厄を蒙った。しかるのち生き残った民は大和魂を抜かれ、背骨を熔かされ、精神的軟体動物に成り果てて、哀れを止めぬありさまである。

 大和の神々は今回放射性物質で社稷を汚してしまった民草をもう守ってくれないのだろうか。神を懐うことをなおざりにした我々は守られるに値せず、御陵威は及ばず、消え行くしかないのだろうか。

 こんな大和の民が蘇生するには、神韻漂渺の世界を想い、先達のあまたの犠牲と困難克服の営みを顧み、今その上にみずからが存していることを感得することしかないのだろう、と思う。易いことではないが先生はこのことを感得している。

 先生を〝孤軍奮闘の人〟と呼んだのは長谷川三千子氏だが、先日都内で行われた≪東京電力・福島第一原子力発電所事故と原子力の行方≫というシンポジウムに登壇した先生はまさに〝孤軍奮闘の人〟だった。

 先生以外のパネリスト5名の内4名は長年原子力村に棲息してきた日本原子力技術協会・最高顧問、京都大学原子炉実験所・教授、九州大学副学長・教授、日本アイソトープ協会常務理事という肩書を持つ学者たちで、あと一人は原発推進に与する作家、つまり脱原発論者は先生ただ一人だった。

 司会は田原総一朗氏で、原発擁護派の学者にも突っ込んだ質問をしていたが、先生には「西尾さん、あんた頭がおかしいよ」と罵倒の言葉を投げる悪態をついていた。先生は聞こえない風をよそおいポーカーフェイスで受け流していた。

 先生は遠藤浩一氏との最近の対談で「私の書くものは研究でも評論でもなく、自己物語でした。・・・〝私〟が主題でないものはありません。私小説的な自我のあり方で生きてきたのかもしれません」と語った。

 学者の書く物には自分を虚しくすることが求められるが、言論人の役割は我らに自己をよく語り、我らをその精神に共鳴させることだと思う。その意味で先生はまごうかたなき言論人である。

 先生は百畳の部屋いっぱいに拡げた和紙にたっぷり墨汁を含ませた特大の筆を一気呵成に運ぶ大僧正のおもむきを持つ。その筆鋒は巨龍の口から噴きだされる炎のような迫力で数々の言説を描き出して来た。

 そのような先生の言説はどれも展開されたまま読み下して行けば、論旨がストンと胸の内に収まるものだ。先生自身の地頭で思考したことをズバズバ述べていて読む者を爽快、痛快な気分にする。

 だが独文学者として書かれたものや全集の核心になるという声がある『江戸のダイナミズム』 は扱っている主題が主題だけに読む者は相当の忍耐と集中力を強いられるだろう。そしてその苦行は必ず自分の知的覚醒となり、心の糧となるはずだ。(了)

 西法太郎さん、ありがとうございました。こんな風に論じて下さったのは身に余ることですが、ひとつだけ申し上げたいことがあります。私は「空気を読まない」人間とお書きになっていますが、しかし「処世」とは違った意味で私はいつも世の中の空気を読んでいる人間でもあります。さもなければ言論人としてこんなに長く生きつづけることが出来たはずはありません。普通で使われるのとは違う意味で、私は徹底的に「空気を読む」人間であると考えています。

店頭に出ている雑誌

 ちょうど今店頭に出ている雑誌とこれから間もなく出る雑誌に、次のような私の関連記事が相次いで載っていますので、ご報告します。

 『SAPIO』2011.12.28(NO19)日米開戦70年目の真実――米国が戦後「GHQ焚書図書」指定し歴史の闇に葬った「不都合な真実」を開封する、という趣旨の論文です。

 『歴史通』2012.1月号 高山正之氏との対談「アメリカの野望――米西戦争からTPPまで」――これはかなり大型の対談です。私の発言分には、スペイン帝国からオランダ、イギリス、アメリカへと覇権が移り変わる略奪資本主義の歴史の展開を見据えて、1973年の石油危機から最近の金融危機にいたる諸問題を射程に入れた新しい観点を提出し、単なる日米開戦回顧ではなく、今まで私が言っていない歴史の見方を打ち出しているつもりです。

 『前夜』2011年12月25日創刊号(小林よしのり責任編集の新しい雑誌・幻冬舎刊)原発は戦後平和主義のシンボルだった、――小林氏の新しい企てに協賛して20枚書き下ろし論文を寄稿しました。

 『WiLL』2012年2月号(12月26日発売)特集・日本、これからの10年!「擬似保守」は消えてなくなる――保守の10年後はどうなるのかの問いに答えた10枚のエッセーです。日本は過去も今も保守はなく、大切なのは愛国の熱情だけで、単なる「親米反共」といった冷戦思考ではもう時代は乗り切れないことを訴えました。

日本文化チャンネル桜 本日(土)の放送は以下の通り。

番組名 :「闘論!倒論!討論!2011 日本よ、今・・・」

テーマ :一体、日本をどうする!?大東亜戦争開戦70年記念大討論

放送日 :平成23年12月10日(土曜日)20:00~23:00)
     日本文化チャンネル桜(スカパー!217チャンネル)
     インターネット放送So-TV

パネリスト:50音順敬称略
     荒谷 卓(元陸上自衛隊特殊作戦群初代群長)
     上島嘉郎(別冊「正論」編集長)
     田久保忠衛(杏林大学名誉教授)
     西尾幹二(評論家)
     西部 邁(評論家)
     藤井 聡(京都大学大学院教授)
     宮脇淳子(東洋史家・学術博士)

司会  :水島 総(日本文化チャンネル桜 代表)

宮崎正弘氏から次の書評をいただきました。ありがとうございます。

真珠湾攻撃から70年 開戦記念日に読むべき格好の書籍はこれ!
  米国の反日ルーズベルト政権は、最初から日本をだまし討ちにする積もりだった

  ♪
西尾幹二『GHQ焚書図書開封6 日米開戦前夜』(徳間書店)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 FDR(フランクリン・ルーズベルト大統領)を「日本を戦争に巻き込むという陰謀を図った狂気の男」とフーバー元大統領が辛辣に批判していた事実が、ようやく明らかになった。
この大統領のメモは米国内で、ながく禁書扱いを受けていたからだ(詳しくは産経12月8日付け紙面)。
 小誌読者の多くには、いまさら多くを語るのは必要がないかもしれないが、大東亜戦争は日本の自衛の戦争であり、米国との決戦は不可避的だった。直前に様々な和平工作がなされたが、それらは結果的に茶番であり、ルーズベルトその人がどんな謀略を行使しても、日本と戦争しなければならないという確固たる信念の持ち主であったから、戦争回避工作には限界が見えていた。

 開戦の報に接して太宰治は短篇「十二月八日」のなかに次のように書いた。
「早朝、布団の中で、朝の支度に気がせきながら、園子(今年六月生まれの女児)に乳をやっていると、どこかのラジオが、はっきり聞こえて来た。
 『大本営陸海軍部発表。帝国陸海軍は今八日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり。』
 しめきった雨戸のすきまから、まっくらな私の部屋に、光の射し込むように鮮やかに聞こえた。二度、朗々と繰り返した。それを、じっと聞いている裡に、私の人間は変わってしまった。強い光線と受けてからだが透明になるような感じ。あるいは、聖霊の息吹を受けて、つめたい花びらをいちまい胸の中に宿したような気持ち。日本も、けさから、ちがう日本になったのだ」

 ほとんどの国民がそういう爽快感を抱いた。後知恵で軍部に騙されたなどとする戦後進歩的文化人の史観は嘘でしかないのだ。

 それにしても、米国はなぜ対日戦争を不可避的と考えたのか。それはマニフェスト・デスティニィにあることを戦前のジャーナリスト、学者、知識人の多くが把握していた。この第六巻では、読売新聞の斎藤忠の著作などを西尾氏は引用されながら、こう総括される。
 「アメリカのこうした信仰は、裏返せば、ナチスとおなじではないでしょうか。アメリカはナチスを憎むといっているけれど、私たち日本人から見れば、ナチスそっくりです。ヒットラーといちばん似ているのは東条英機じゃなくてルーズベルトのほうではないでしょうか」
 その比喩を西尾氏は最近鑑賞された映画『アバター』と結びつける。
 「地球人が機械化部隊でもって宇宙にある星の自然を破壊する。地球人は飛行機で戦い、宇宙人(アバター)は弓矢で迎え撃つ。まさに西部劇そっくりです。西へ西へと向かいアジアを破壊しつづけたアメリカ人の根本の衝動には変わらぬものがあり、彼らの想像力もまたつねに同一です。大事なポイントはその星にすばらしい巨大な樹木があって、その一本の巨木を倒してしまえば宇宙人は全滅してしまうというのがモチーフの中心にあります。つまり、その星のすばらしい樹木はわが国の天皇のようなものなのです」

 ▲日本は最初から最後まで聖戦と貫いた

 西尾さんが本巻に引用された斎藤忠さんは、国際ジャーナリストとして戦後も活躍したが、昭和四十年代にジャパンタイムズの主筆をつとめておられた。背丈こそ低いが古武士のような風格、片方が義眼で伊達政宗風のひとだった。
というのも、じつは評者(宮崎)は品川駅裏にあった同社に氏をよく訪ねて国際情勢の解説を聞いたり、学生の勉強会にも数回、講師として講演をお願いした。その浪花節調の明確で朗々たる講演の素晴らしさに感銘を受けたものだった。あの論客の戦前の作品が復活したことは喜びに堪えない。

 そして西尾氏は、米国の壮大なる徒労をかくまとめられる。
 「アメリカはいったいなぜ、また何のために日本を叩く必要があったのでしょう。戦争が終わってみれば、シナ大陸は毛沢東のものになり、共産化してしまった。アメリカが何のために日本を叩いたのか、まったく分かりません。アメリカのやったことはバカとしかいいようがありません。あの広大なシナ大陸をみすみす敵側陣営(旧東側陣営)に渡す手助けをしたようなもの」で、まことにまことに「愚かだった」のである。

 しかし、この米国の病、まだ直る見込みはなく、ベトナムに介入して、けっきょくベトナムは全体主義政権が確定し、またイラクに介入して、イラクはまもなくシーア派の天下となり、アフガニスタンに介入し、やがてアフガニスタンはタリバンがおさめる「タリバニスタン」となるだろう。愚かである。

 開戦記念日。こういう軍歌が歌われたことを西尾氏は最後のしめくくりに用いられる。
「父よあなたは強かった」の歌詞はつぎのごとし。
 ♪「父よあなたは強かった 兜も焦がす炎熱を 敵の屍と ともに寝て 泥水すすり 草を噛み 荒れた山河を 幾千里 よくこそ撃って 下さった」
 嗚呼、評者も学生時代の仲間と呑む機会には二次会で歌う一曲である。
    △△