謹賀新年 平成18年元旦
安倍晋三氏よ、いざとなったら職を賭して闘ってほしい(一)
国会が始まると皇室典範改定がまっ先の課題になるだろう。首相はいよいよになったら事の重大さに気がついてとり止めるのではないか、という説と、いや予定通りどんどん進めるだろう、という説と二つある。誰に聞いてもどちらか分らない。
ある人によると、安倍官房長官は「長子優先」の条項を外させようという、首相に対する条件闘争を始めているらしいから、安倍氏も首相の肚は決まっているとすでに諦めているのではないか。そして結局は自分の力の及ぶ範囲ではなかったと首相の言うが侭になる積りではないか、そう考える人が多いようだ。しかしこのまま実行されると恐ろしいことが起こるかもしれない。
皇室典範改定が万一回避されたとしても、それは首相が追悼施設の件を政局にらみで――福田・山崎・加藤その他の反小泉勢力の結集を牽制するために――さっと取り止めたのと同じ何かの目論見があってのことで、思想から出ているのではない。首相には政局操作の目的はあっても、思想はない。何か別の目的で皇室典範から手を引くことはあるかもしれない。例えばこれを引いて、代りに金正日体制との不完全な条件を認めたままの国交正常化をしゃにむにやってしまうということなどである。
皇室典範改定の有識者会議に首相は自ら出席していた、という情報が年末に私の耳にも届いている。とすれば、あのロボット工学専門の座長の傲慢さは首相のお墨つきがあってのこととわかる。知識の少いままに思い込みが激しい小泉氏、他人の意見に耳をかさない彼のことだから、皇室典範も北朝鮮との妥協も思い切ってやってしまうのかもしれない。どちらもアメリカの意向に添っている。アメリカは前者で占領政策を完成できるし、後者でアジアにおける力の政策をとる余裕のない現状の容認にもなる。
いうまでもなく、皇室典範改定は30-50年後の天皇制度の消滅を意味する。このことを私は最近の二著(「民族への責任」 「『狂気の首相』で日本は大丈夫か」)にも書いたし、朝日新聞12月3日付の記事にも書いたし、年末に出た『正論』2月号でも言及したのでここでは繰り返さない。
核開発の可能性を残したままで、しかも拉致問題の部分解決のままで北朝鮮との国交回復にあいまいな妥協をすることは日本の利益にはまったくそぐわない。しかしアメリカの当座の利益に適う場合もある。アメリカが中国と駆け引きする中で日本の立場を考慮しないケースである。
皇室問題と北朝鮮問題で思想家の立場ははっきりしている。アメリカの利益ではなく日本の利益を追求することである。政治家がそれにどの程度歩み寄り、どの程度実現してくれるかは個々の政治家の課題であって、思想家のなし得る仕事の範囲を越えている。思想家は正論を言いつづけるだけでよい。
政局は明日どうなるか分らない。思想家は自己の信念をできるだけ現実に役立つように主張するだけで、政局に直かに影響を及ぼせるかどうかはその先の問題で、結果でしかない。
思想家は政局に自分を合わせる必要はない。思想はどこまでも思想であって、政権の動きとは別である。
ところが自分の好みの政治家、支持したい政治家に対し、思想家が政治的に振舞いすぎるということはないだろうか。ひところは石原慎太郎政権を作りたいという思惑から言論誌がかなり一方的な応援議論を展開していたし、最近では安倍晋三政権を作りたいばかりに、しかも長期政権にしたいために次の次で良いとか、小泉との攻めぎ合いで傷を負わせない方がよいとか、まるでわが子を見守るPTAのような感覚で政局を考えている人々がいる。
私は次のように考える。皇室典範改定と核つき金正日体制との国交正常化を阻止するのがさしあたりの国益を守る最大の課題である。安倍晋三氏はそのために地位を投げ打つ覚悟でいてほしい。いざとなったら首相に弓をひく決意をしておくべきだ。それくらいのことを彼は考えていると私は信じている。