原発をめぐる個人的顛末(三)

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ゲストエッセイ 

川口マーン惠美

(3)ドイツでの憂鬱な日々

先週、二十年来お世話になっている旅行社の女性と電話で話した。日本人が経営している、日本行きチケットが専門の旅行社だ。状況を訊くと、やはりドイツ人のキャンセルが頻発しているらしいが、ただ、そのヒステリックな様子には音をあげているということだった。

キャンセルの確認がすぐに取れないため、あとで連絡すると言うと、「白血病になったらどうするのだ!」と、興奮するお客がいる。「なぜ、原発反対のデモに、数百人しか集まらないのだ」と非難するドイツ人もいたというが、大きなお世話だ。私たちは、今、デモよりも他にすることがある。
シュトゥットガルトのある日本人の話では、郵便配達夫が日本からの手紙を他の雑誌の上に乗せて持ってきて、「触りたくないので、雑誌ごと受け取れ」と言ったらしい。上司にそう指示されたという言い訳が本当かどうかわからないが、無学を証明しているような話だ。いつもは何に対しても懐疑的なくせに、何かの拍子でマイナスの方向に振れると、集団パニックや過激なデモなど、一丸でとんでもなくヒステリックになっていくのがドイツ人だが、今回も例外ではないようだ。そう言えば、チェルノブイリ原発の事故の時も、一番ひどい風評が巻き起こったのがドイツだった。

前述の旅行社の女性は、「在独の日本人のお客さんと話すと、皆、憂鬱そうです。そのうち、日本人差別が起こるのではないかと、心配していらっしゃるお客さんもいますよ」と、かなり落ち込んでいる様子だった。私たち日本人はそのうち、“井戸に毒を投げ込んだ民”にされてしまうのだろうか。
すでにドイツでは日本からの食料品の輸入は規制されており、お寿司屋も客が激減。はっきり言って、ドイツの安い回転寿司屋は、日本人の経営でないものがほとんどだし、日本からの高い輸入魚など元々使っていないのに、それでもドイツ人はもう寿司屋へは行かない。

ニュースでは、港に到着した日本からのコンテナが、被曝検査を受けている様子が報道された。ドイツ国民を安心させるためなのか、危機感を煽るためなのか、そこら辺がよくわからない。昔、狂牛病の疑いのある牛肉の缶詰をドッグフード用として輸出したのは、確かドイツだったが、私たち日本人は、放射能に汚染された品物を売ったりはしない。そういえば、フランクフルト空港では、強制ではないが、人間の被曝検査も行われている。

4月5日から広島国立美術館で予定されていた特別展「印象派の誕生」は、急遽中止。作品の60パーセントを貸し出すはずだったフランスで、日本向けのすべての美術品輸出停止命令が出たためだ。岡山県立美術館も同じで、22日からの「トーベ・ヤンソンとムーミンの世界展」は、フィンランドが原画の貸し出しを取りやめたため、やはり中止だ。他にも、中止になったものは、たくさんある。

日本では何が起こるかわからないということと、作品に同行する人間の安全確保のためだそうだが、そういうことなら、日本はこれからもいつどこで地震があるかわからない不確実な国だから、将来は、著名な音楽家も、高価な美術品も一切やって来なくなるということなのだろうか。この間まで日本にたくさんいた外国人も、ごそっと引き揚げてしまったようだし、いっそのこと、日本は鎖国してしまえば、平和でいいかもしれない。

そんな中、昨日、ダイムラー・ベンツの人と世間話をしていて、少し気が晴れた。「そういえば、お宅の会社は、ハイテク作業車を20台も寄付してくださったんですってね」と私。 新聞で読んだのだが、瓦礫の上でもガンガン走る「ウニモグ」4台、ショベルやクレーンを取り付けられるトラック「ゼトロス」8台など、優れモノがすでに日本に到着しているらしい。「社員の間で寄付も集めているよ。先週、50万ユーロ近くになっていた」ということだが、嬉しい話だ。しっかり集めてほしい。
「いやあ、それにしても、福島原発のおかげでドイツの原子力政策が180度方向転換した。あの事故なしには、こんなに早く原発廃止の方向にはいかなかっただろうね」と彼。3月27日に行われた我が州バーデン・ヴュルテンベルクの州議会選挙では、原発反対を唱えていた緑の党が突然票を伸ばし、50年以上続いていたCDU(キリスト教民主同盟)の政権を覆してしまった。(CDUは得票数は第一位だったが、二位の緑の党と三位のSPD社民党が連立して、CDUから政権を奪った)。そんなわけで、緑の党の支持者である彼は大喜びなのだ。しかも、今年はまだベルリン、ブレーメン、そして、メクレンブルク‐フォーポメルン州(メルケル首相の選挙区)と大事な地方選挙が続くので、この調子でいくと、ドイツの政治地図は、フクシマの負の力で左寄りに塗り替えられる可能性も捨てきれない。

私は原発推進派ではないが、フクシマ後の緑の党のはしゃぎようは、いくら彼らが30年来原発廃止に力を注いできたからと言っても、少々目に余った。それに、私はメルケル首相のファンなので、今回の一連のことで、彼女の力が弱まってしまうのは残念でならない。ドイツ在住の日本人にとって、これからもまだまだ憂鬱の日々は続きそうだ。

原発をめぐる個人的顛末(二)

「急告」

 川口マーン惠美さんのゲストエッセイ連載の途中ですが、ひとこと急いで報告することがあり、この場を借ります。

 かねて5月刊と申し上げていた西尾幹二全集の刊行は大震災の影響で延期され、9月刊が予定されています。

 出版の準備は着々と進められていて、12ページの内容見本がすでに完成しています。全集自体の印刷は一冊目が終わり、いま二冊目の初校が出ているほど先へ進んでいますが、刊行が延びているのは大震災での読書界の沈滞した空気を慮ってのことです。

 大型新刊の企画は各社どこも止まっているはずです。震災の影響はここでも大きいのです。版元の国書刊行会にどうなっているのかとの電話問い合わせが多数寄せられているので、ひとことご報告しておきます。

ゲストエッセイ 

川口マーン惠美

(2)放射能の国からの生還者

腹を立てながら乗った飛行機は、なぜかまた北京経由だという。日本人の客室乗務員に理由を訊いたら、北京で給油と点検、乗務員の交代、機内の清掃をし、そしてケータリングを積むという答えだった。乗客は、一度降りて、空港で待機するのだそうだ。他の飛行機も同じなのかと尋ねると、よくはわからないが、エール・フランスはソウルに寄って同じようなことをしている、という返事だった。
ところが、その彼女が、北京に着く直前に再び私のところへやってきて言った。「すみません。機長の気が変わったらしく、清掃は中止、乗客は機内に留まることになりました」。

敢えて北京に降りたくもなかったので、それもいいかと思いつつ、待たされること一時間。ようやく北京を飛び立つと、すぐに日本語の機内放送があり、引き続き日本人の客室乗務員が乗ってはいるが、ここ北京から目的地コペンハーゲンまでは、非番で同乗しているだけなので、業務できないことをあらかじめ詫びた。こんな変わった内容の機内放送を聞いたのは初めてだった。それから乗客は、東京の危険な放射性機内食ではなく、中国製の安全な機内食を食べた。

隣に座っていた若者はスウェーデン人で、交換留学で東大に行っていたが、親が心配して、とにかく帰って来いとうるさいので、勉学を中断して一旦ストックホルムに戻るのだそうだ。「スウェーデンってどう? いい国?」と訊くと、「いい国だ」と言うので、「何がいいの?」と訊いたら、「政府がいい」と答えたのでびっくりした。私も外国人に向かって、一度そう答えてみたいものだ。
九時間後コペンハーゲンに着いた途端、私たちはデンマークのテレビチームに迎えられた。放射能の国からの生還者だ。しかし、到着が大幅に遅れたので、ほとんどの生還者(もちろん私も)は後続便に乗り遅れ、ホテルで一夜を明かすことになった。

翌日、シュトゥットガルト行きのゲートにいたら、偶然、前日の飛行機で見かけたドイツ人女性がやって来たので、思わず、「あら、あなたもシュトゥットガルトだったの?」と声を掛けた。聞いてみると、地震の時、岩手にいたという。大きな被害のあった場所なので、私は少し驚いて、大変だったかと訊くと、「地震にも驚いたが、なにより大変だったのは、岩手から成田までたどり着くことだった」と、その苦労を語ってくれた。

「ドイツの家の人が心配しているでしょう」と言うと、「ええ。でも、なんだか変なのよ。主人が、一日でも早い飛行機があれば、それに替えろと言ってきたの。冗談じゃないわよね、もったいない」。私はおかしくなって、「そりゃ、そうよ。だって、ドイツでは皆、明日にも再臨界が起こって、日本中が放射能で汚染されてしまうと思っているんだから」と言って、“死の恐怖に包まれた東京”の新聞を見せてあげたら、びっくり仰天していた。そして、「そうだったのね。せっかくこの飛行機があるのに、惜しげもなくもう一枚チケットを買えだなんて、いつもの主人の性格からして何がなんだか訳がわからなかったんだけど、このせいだったのね」と大笑いしながら、至極納得していた。岩手では、日本のニュースさえろくに見られず、ましてや、地球の裏側のドイツで放射線測定器が売れているなどとは、夢にも思っていなかったらしい。

そんなわけで、ようやくドイツに辿り着いたのだが、帰ってきてからが、また大変だった。ここでも私は生還者なのだ。だから、「よかった、よかった」と喜ばれると、心配してもらったことを嬉しくも思うのだが、同時に、「自分だけが助かろうと思ってホクホクと逃げてきたわけではないのに」と、私の感情はどんどん屈折していく。

だから、「安全な水のあるドイツに戻ってこられて、ホッとしたでしょう」と言われると、どうしても、「東京の水も安全だ」と反論してしまう。しかし、東京の住民が危険に晒されながら脱出できずにいる中、一人ドイツに戻って来られた果報者は、反論などしてはいけないのだ。たちまち「赤ちゃんに飲ませるなという水が、安全なわけはない」、「ペットボトルを配っていたのを知らないのか」、「ドイツでも微量ながら放射性物質が計測されたのに、東京が安全なはずがない」、「原発の建屋が爆発で破壊された写真は、日本では発表されていないのか」、「野菜の出荷制限もしているではないか」などなど、東京が安全であってはならないという強い信念を含んだ言葉が、100倍にもなって返ってくる。

それにしても、今まで日本の地名なんて、「トウキョウ」と「ヒロシマ」ぐらいしか知らなかった人たちが、「フクシマ」という難しい単語を「ベルリン」と言うのと同じぐらいすらすら発音しているのは、驚くべきことだ。しかし、なんと言っても一番驚いたのは、普段は世界の時事などに一切興味を示さない友人が、突然、口角飛ばして「テプコ」の話をし出したときだった。「テプコ」が「東電」の略称だと気づくまでに、私は数秒の時間を要したのだが、私の知らない間に、「テプコ」は、ドイツで一番ポピュラーな日本の固有名詞となってしまった。

いずれにしても、フクシマがいかに危険な状態かを、テレビに出てくる有名な原子力学者の解説によってちゃんと知らされているドイツ国民は、日本人よりも事情に詳しいと思い込んでいる。それなのに愚かな日本国民は、報道規制のかかった発表や、改竄された不完全な情報をナイーヴにも鵜呑みにしており、真実を知らないまま、不条理に黙々と耐えているのだ。

「盲目的に原子力を信じていた日本人も、これでやっと危険に気付いただろう」というような言い方をされたときには、柔和な私もさすがに堪忍袋の緒が切れた。そこで、話題を“死の恐怖に包まれた東京”の記事に変え、ドイツのパニック報道を激しく非難したら、相手が黙りこんだので、私の怒りは少し静まった。

そういえば、最初は感嘆の的だった東北の被災者の礼儀正しい態度さえ、今では、どんな不幸にも文句を言わず、抗議の声もあげず、我慢ばかりしているのはちょっと変じゃないかという見方に変わってきている。耐えることに慣らされた従順すぎる国民・・。今や、私たちが北朝鮮の国民を見るような目で、ドイツ人は私たちを見ている。
これについては、http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2404(原発事故でパニックを煽ったドイツのトンデモ報道 芸者、フジヤマ、ハラキリまで復活させて大騒ぎ)に詳しく書いたので、参考にしていただきたい。

つづく

原発をめぐる個人的顛末(一)

 今回はドイツ在住の川口マーン惠美さんのゲストエッセイとなる。今日本人が知りたい国際的な「風評被害」について体験記を連載で書いていたゞくこととする。

 川口さんは好評な最新刊『サービスできないドイツ人、主張できない日本人』(草思社)を本年2月に刊行されたのを機に来日し、3月の地震を体験され、何日か後にドイツに帰国された。夏までにはまた来日されるそうである。

ゲストエッセイ 

川口マーン惠美

(1)地震、原発、そして成田空港

 ドイツへ戻ってきてからも、憂鬱な日が続いている。余震はないし、停電もないが、風評というものがある。

地震のあった時は、ちょうど日本にいた。二日もすると、ドイツから悲痛なメールが入り始めた。「すぐに帰って来い」「チケットが取れないなら、こちらで手配する」云々。私が日本でフォローしていた限りでも、確かにドイツメディアは、日本列島全体がまもなく放射能の雲に包まれてしまうかのような、パニック報道をしていた。その結果、ドイツでは医者の警告にもかかわらずヨードが売れ(ヨードは下手に服用すると、副作用が大きい)、なんと、放射線測定器まで品薄になるという現象が起こっていた。

そんなわけで、私がまだ日本にいたころ、捜索犬を連れて到着した41名ものドイツの大救援隊は、2日足らずで活動を停止し、帰り支度に入っていたし、15日にはルフトハンザは成田就航を見合わせた。そして、多くのドイツ人は、先を争うように日本を離れており、17日にはドイツ大使館も大阪に引っ越しすることに決まっていたのだから、ドイツで私の家族や友人たちが慌てたのは無理もない。
彼らは、「大丈夫よ。私の飛行機はSASだから、たぶん予定通り飛ぶから」と、東京で呑気に構えていた私にイライラし、おそらく正気の沙汰ではないと思っていたはずだ。すでに彼らの頭の中には、数年後、白血病で死の床についている私の姿さえちらついていたのだろう。

しかし、私は実際に東京にいたのだから明言できる。私たちは慣れない節電で右往左往していたのは事実だが、放射能の危険を感じて恐怖におびえていたというのは正しくない。ましてや、放射能の怖さを啓蒙されていない無知な人間でもなかったし、あるいは、情報操作された政府のウソ報告を丸のみにしている愚かな市民というわけでもなかった。そもそも、私たち全員が憂鬱になっていたのは、震災の犠牲者と被災者の不幸を思い、原発の事故にショックを受け、それら二重の悲劇の大きさに、どうしていいかわからないほど打ちのめされていたからであった。

このころZDF(ドイツ第二放送)は、首都圏の住民3800万人がまもなく逃走し始めると、南へ向かう経路は、一本の主要鉄道と数本の幹線道路があるだけなので大混乱が起こるだろうと不吉な予言をしていた。しかし、私の知る限り、東京では、彼らの言うエクソダス(旧約聖書の出エジプト記に出てくるユダヤ人の大量国外脱出)が始まる気配も前兆もなかった。ちなみに、深刻な面持ちで地図まで見せてその報道をしたジャーナリストは、翌日にはすでに大阪のスタジオから生中継(!)していたので、何のことはない、逃走したのは彼だったのだ。

私がドイツに飛んだ日、成田空港は騒然としていた。コペンハーゲンから直行で来るはずだった私の飛行機は、なぜか北京に寄って来たので、出発が大幅に遅れるとのことだった。空港のあちこちの通路には、チェックインできない欧米の若者たちがべったりと座り込んでいた。予定していた飛行機が欠航になったか遅れるかしているのだろう。出国しようとしている中国人の群れを、中国のテレビチームが取材している。出国の旅券審査のホールに入ると、今度は、再入国手続きを待つ中国人の長蛇の列。外国人の間では、確かに、エクソダスがまっ盛りだった。
驚いて腰を抜かしそうになったのは、横に来ておとなしく腰掛けたいかつい欧米人の若者が、二人揃ってマスクをしていたことだ。これまで欧米人は、日本人のマスクをバカにしたり、からかったりすることはあっても、絶対に自分で掛けることはなかったのだ。そこで周りを見回すと、他にも神妙な顔つきでマスクを掛けた欧米人がちらほら。彼らのマスクは、日本人のそれとは目的が違う。もちろん、放射能を遮断するためだ。

搭乗するとき、ドイツの新聞があったので手に取ると、第一面に、背広を着て、マスクを掛けた日本人が、キッと真正面を向いた特大写真が目に飛び込んできた。通勤の途上、横断歩道で信号が青に変わるのを待っているところだ(と私には見える)。しかし、その下の大見出しには、“死の恐怖に包まれた東京”とあったので唖然。「そうか、ドイツでは、このマスクは放射能よけのマスクと解釈されるのだ」。信号を見ている目は、死の恐怖で見開かれた目・・。そう思うと、確かにそう思えてくるから不思議だ。

ただ、この写真を載せ、記事を書いたドイツ人特派員は、真実を知っていたはずだから、これはわざと誤解を招くための仕業に違いない。そう思うと、突然、むかむかと腹が立ってきた。

つづく

原発論争

 今日のこの日から当「日録」はコメント欄を復活することを宣言する。妨害者の乱入に悩まされてコメント欄を久しく閉鎖して来たが、復活を望む声も少なくなく、もうそろそろ開いて、自由な書き込みを歓迎すべきときではないかという声に従いたい。

 なお、コメントは、コメントと書いてある部分をクリックすると、一番下に記入欄が現われます。コメントは承認制となっています。

 原発事故とそれをめぐる今の国の状態について、WiLL6月号(4月26日発売号)に20枚ほど寄稿した。私の関心は大きくいって三つあった。第一はアメリカとの関係、今回の対日支援の本当のところは何であるかを考えてみた。第二は原発を操る人の質の問題、広い意味での政治、必ずしも政治家だけではなく、官僚・企業人・学者を蔽っている相互無批判な集団同調の心理を分析した。そして第三は資源エネルギーの未来のテーマ、原発に代わる代替エネルギーは果してあるのかないのかについてである。しかし今回は第三の主題には筆は及ばなかった。主として第一と第二の現状分析に終った。題して「最悪を想定できない『和』の社会の病理」。以上は文化チャンネル桜での私の発言内容と方向においてほゞ同一である。

 4月16日(土)に放送された文化チャンネル桜の原発事故をめぐる討論を見て下さった方は予想外に多かったようで、いろいろな反響があった。最初は仕事の関係でいま親しくお付き合いしている編集者の方(50歳台)からのメールである。

 

桜チャンネルを興味深く拝見いたしました。
西尾先生が常日頃述べられている東大支配の構造が、原発推進そのものであると、とても理解できました。
推進する側の官僚体質と自信が、とても気になりました。それにしても、菊池様は話は長いが、言葉が活きていてユニークな方ですね。

浜岡原発は、恐ろしい。
どうなるんでしょうか。また、お話をお聞かせください。
取り急ぎ、感想まで。

 「菊池様」とここにあげられている方は私の右隣にいた元GEの技術者、福島第一原発の施行管理担当者であった菊池洋一氏のことである。日本の原発を現場で最初に手がけた人である。

 次のメールはまだ若い外資系企業のビジネスマン(30歳台)の知人からである。

 昨日、チャンネル桜の3時間討論をネットで拝見しました。非常に明確で分かりやすいメッセージでした。GEで当時福島原発の施工管理をされていた方のコメントも重みがありました。
先生の現在の原発問題と将来のリスクを混同せず分けて議論する手法、国民が背負わなければならない将来のリスクの損害の大きさと原発推進のメリットの大きさの不均衡、 現在の原発を管理する制度上の問題、あるいはその背後にある根本問題、目の前にあるリスクに対する行動指針、どれもが明快で、原発推進派の優等生論文を言葉遊びで行動が伴わない暗愚と痛烈に批判されるあたりは全面的に共鳴しました。誰に囚われることなく自分でリスクを測り、シナリオを考慮し、行動することが求められる非常時である筈なのに、何か停滞感があるのは何なのだろうと思います。企業であれば即刻崩壊しています。

 ここでもやはり菊池さんは注目されている。

 WiLLの論文には書き落としたことがいくつかある。あまり人は言わないが、気がついている人は気がついているテロの危険である。今度の事故でテロリストに原発の弱点を公開してしまった形だ。爆弾を使わなくても電源設備をこわせばよいのである。使用済核燃料棒が高い処に貯められている構造も建屋の強度を殺いでいる。

 チャンネル桜の水島社長は福島第二原発の現場にも今度足を運んでみたそうで、驚いて言うには、入り口周辺に警備する人の姿もなく、まったくの無防備であった由。私の言う日本社会の病理とはこういうことを指している。事例は無数にある。

 この国の国民はこんなあぶない道具を使いこなす力がそもそもないのかもしれない。軍事ということからかけ離れて65年もうかつに過ごした。日本人は原子力潜水艦を建造した経験も運転した経験もないのだ。企業人や学者や官僚が手に余る危険な「火の玉」を扱っているという自覚が余りにも欠けている。原子力安全・保安院の係官は東京で電話連絡を受けているだけである。福島の現場に始めて係官が二人顔をみせたのは、何と事故発生から38日も経ってからのことであった。誰かが言っていたが、なぜ東電の会長と社長は防護服を着て、率先して放射能のある現場に入って、作業員の働くそば近くに行ってみようとしないのか。

 さて、私の友人の中にはテレビ討論での私の発言に反発し、否定的だった人もいる。尾形美明さんは元銀行マン、私の友人の一人である。私は彼から次のように手厳しく叱責されている。

今まで、チャンネル桜の討論を見ていました。
西尾先生はじめ、原発反対論者の意見の粗雑さと幼稚さに正直驚きました。
日本には「47の火の玉(運転中の原発のこと)がある。これを直ぐにとは言うわけには行くまいが、どう整理していくかが課題だ」などと言います。原発は制御不能な「火の玉」なのですか?試しに、原発を利用している国々に訊いてみたらいいですね。大笑いされるでしょう。

 要するに「原発NO」が当然という意見です。さらに、地熱発電だとか、太陽光発電だとか“代替”エネルギー源についても活発に発言していましたが、それが「代替にならない」ことを全く理解していません。勿論、そういったクリーンエネルギーの開発にも努力すべきですが、原発に代替になるはずがありません。
例えば太陽光発電で、半導体製造工場の稼動が可能だと考えるのでしょうか?

 元GE職員だったという人物の饒舌と、その話の内容のなさには呆れました。原発の周辺では「乳児の死亡率が54%も高い」のだそうです。何を根拠にそんなバカなことを言うのでしょうね。

 また日本が原発を止めても、フランスやアメリカが止めるはずがありません。中国やロシアだって同様です。いや、中東の産油国でさえも、原発建設を計画しています。化石燃料は有限であり、何時までも依存できないからです。

 技術開発には失敗が伴います。その失敗を活かしながら、より安全な技術を求めて行くしか人類が生き延びていく道はありません。(それも、世界人口が100億人を超えても無限に、というわけには行かないかも知れませんね。どこかで人類は、食料やエネルギーなどで“限界”に直面する筈です。いや、意外と水資源かも知れません。)

 少なくとも、エネルギーに関しては、「第二のプロメティウスの火」と持て囃された(産経紙、福島敏雄「土曜日に書く」)原子力を活用するしか、人類が高度の文明生活を享受する道はありません。
もし、原発を拒否するのであれば、人口を5分の一くらいに減らす覚悟をすべきです。
原発反対論者は、「3割電力消費を減らせば、原発不要」などと言いますが、それはあくまで“当面”でしかありません。

 チャンネル桜の討論を見て、つい、高ぶってしまったようです。失礼しました。

尾形拝
「つくる回ML」4月16日より

 ここでは菊池さんがひどくネガティヴに扱われているのは少し困るが、私自身はこのような叱責口調で批判されてもそれには理由があると思われるので別に驚かない。尾形さんには理由があるのである。理由は原子力に替わることのできる何らかの別の有力なエネルギーは存在しないという彼の確信から来ている。彼は次のようにも言っている。

エネルギー問題は安全保障の要でもあり、この安定的な供給がなければ、日本社会は「1日たりともやって行けない」ものです。そしてその主流は、現在のところ、火力発電か原発しかあり得ません。一時、期待された、「核融合」の実用化は無理なようです。

 極論ですが、電力需要を減らす一番確実な方法は、人口を減らすことです。これは石井さんの言い方を逆にしたものです。「安くて使い勝手が良く、大量に安定した電力」なければ、世界の死亡率は急上昇する、ということです。
でも、現実は年々、65百万人前後の人口増加が予想されます。(『世界国勢図解』)

 これも極論ですが、「原発で死んだ人は、何人いますか?」という考え方も出来ます。チェリノブイリでは直接の被爆で4千人が死んだと言われます。スリーマイル島では、死者はなかったのではないでしょうか。
一方、交通事故では世界中で毎年何十万人も死んでいるのではないでしょうか?でも、「自動車を廃止せよ!」という運動は起きません。ガス中毒も何万人かはいるでしょうね。でも「ガスを使うな!」という運動は起きません。

 これは、水島代表が先日、チャンネル桜で述べられていたことですが、こういう考えも出来ると、私は思います。要するに、江戸時代の生活に戻る覚悟がなければ、大量の電力を消費せざるを得ないのだ、ということです。

という具合で尾形さんのもの言いは止まる処を知らない。原発は人類の未来そのもので、他に取って替わるエネルギー源はない、という動かぬ前提から発していて、この前提が存在しつづける限り、彼の立論も終わる処を知らないであろう。

 私は今日は第三のこのテーマはペンディングにしておくと言った。よほど勉強しないと確信をもつには至らない。言論界も今後このテーマで沸騰するであろうが、まだ結論は早い。

 ひとこと言っておけば、自動車事故や飛行機事故を例にあげているが、これらの事故は限られた死者が出るだけで終わるのであり、原発のように土地を汚し半永久的に人の住めない死の土地を作るのとはわけが違う。原発は国土の歴史への破壊の可能性を孕んでいて、日本のように国土の狭い国には不向きである。

 もう一人の友人の粕谷哲夫さん(元商社マン、70歳台)はブログ「株式日記と経済展望」の末尾にあるコメント欄を引用して、それにさらに自らのコメントを付けて送ってきた。内容は未整理だが参考になると思う。

原子力発電の未来を問う!(Unknown)
2011-04-19 18:57:24
1/3【討論!】原子力発電の未来を問う![桜H23/4/16]
http://www.youtube.com/watchv=IRG8G_a7hBk&feature=player_profilepage

パネリスト:
 齋藤伸三(前原子力委員会委員長代理・元日本原子力研究所理事長)
 竹内哲夫(前原子力委員会委員・元日本原燃社長・元東京電力副社長)
 林勉(エネルギー問題に発言する会代表幹事・元原子炉メーカー技術者)
 兵頭二十八(軍学者)
 菊池洋一(元GE技術者・福島第一原子力発電所施工管理担当)
 鈴木邦男(作家・政治活動家)
 西尾幹二(評論家・文学博士)
 前田有一(映画批評家)
司会:水島総

2/3【討論!】原子力発電の未来を問う![桜H23/4/16]
http://www.youtube.com/watchv=9gk44zLpx4Y&feature=related

菊池さんの話、地上波では絶対放送できない内容でした(東京電力が結構スポンサーをしていますから)。確かに延々と話されて、聞いていると疲れも感じましたが、内容は非常に貴重なものでした。本当に原子力を推進していくのであれば、彼のように配管工事や施工工事の怖さや大事さを知っている技術者に大幅に権限を与え、『最高の原子炉を設計できるのはあなたしかいない』と言って、応援するべきだ。

必見動画 !!! 政府の情報隠しは旧ソ連の「ファシズム」と同じだ(Unknown)
2011-04-19 19:11:37
佐藤栄佐久前福島県知事がズバリ指摘
http://gendai.net/articles/view/syakai/130029
【動画】日本外国特派員協会で行われた佐藤栄佐久・前福島県知事の会見
http://facta.co.jp/blog/archives/20110419001004.html

(粕谷) この動画によると 昨年6月に 福島第一原発の2号機で停電事故が起きていた、幸いにも緊急電源が間にあって大事には至らなかったが、佐藤は東電に対し、 不測の事態にたいする予防、危機管理を強化するよう申し入れたが、東電は、「天敵」佐藤の要望を一蹴したという。今回の津波事故は 人災 と断言していた。
このプレスクラブでの発言は、多くの外国人記者によって世界中に流されるであろう。
佐藤は、自分の国策逮捕的な 政治的な動きは 安倍晋三の首相就任以降激しくなったようなことをほのめかしていた。どうも道州制反対の佐藤知事への圧力か?口を濁した。あそれらの問題は 自著【知事抹殺】を 読んでくれと宣伝していた。
佐藤は原発そのものに反対ではない。原発をやるならきちんとやれという立場である。
また日本の原子力政策は 通産省が完全支配しており、路線が敷かれた後はいわゆる政治の介入の余地はないというような実態にも触れていた。
福島原発の 推進には渡部恒三が大いにかかわっているようだが、 その点の記者の質問についての 渡部にたいする批判的な発言はなかった。
刑事被告人にんされただけに 佐藤の怒りは並大抵なものではない。

原子力発電の未来を問う![(Unknown)
2011-04-19 22:06:02

3/3【討論!】原子力発電の未来を問う![桜H23/4/16]
これだけ怒っている西尾先生の姿は久方ぶりに見た。西尾先生の怒りは、東電に対して、かなり強い。
東電の勝俣会長や、清水社長は、会見で頭を下げ謝罪の言葉は口にしたが、悪びれる様子も無く、そこにはなんらの当事者意識も感じられない、非人間的な姿が見て取れた。心の中ではなんとも思っていないのだろう。自分たちがしでかしたことに責任も持たず、むしろ俺たちは被害者だと居直っているのではないか
テレビでアホ発言したが、あとで謝罪した勝間などまだ良いほうだ。東電幹部たちのあの態度からは、人間の温かみなど露ほども感じられない。
日本人とはこんな冷徹な生き物ではなかろう。このことに西尾先生は怒っておられるのだろう。

http://www.youtube.com/watchv=kmnnevZeVhA&feature=BFa&list=SP4F05DB19CE6DD039&index=3

Unknown(Unknown)
2011-04-20 00:33:45
福島原発事故の現状について 京都大学原子炉実験所小出裕章先生に聞く

【福島原発】2011/4/19/火★1.作業員からも工程表に疑問-2.Meltdownとは 1/2 8分44秒
http://www.youtube.com/watchv=asrdKaAP1Rg

【福島原発】2011/4/19/火★1.作業員からも工程表に疑問-2.Meltdownとは 1/2  9分20秒  
http://www.youtube.com/watchv=47dJI69Yuhc

(粕谷) 動画投稿者は URL だけでなく何が報じられているか ぐらい書け!!
この動画にたいする 以下のコメント たいへん参考になる。
日本の原子力行政がいいかにいい加減か よくわかる。

コメント

紙の防護服…。車から5分程しか出なかったらしい枝野は、見たところかなりチャンとした”宇宙服”タイプを着用している様子だったが、その1着分だけでも命がけで作業して下さっている現場の人にまわすべきではないのか…。

本当に助かります。毎日アップしていただけるので、その時点での最新の分析がわかります。これからも期待しています。

主要紙の世論調査によると「原発やむを得ず」と考える人が一定数いることが明らかになった。
何故、事を小さく思わせる楽観的な状況を皆簡単に信じてしまうのでしょう?
事の深刻さを分かっている人はかなりいますが、依然として「原子力は日本の電力の1/3なのだし安いのだから仕方がない。」という洗脳から抜け出せないでいる国民。消費税はあれだけ皆が反対するのに、、、。
悪者を管氏に集中させ、野党はじめ皆が責めていますが、確かに初動云々はあったにしろ、問題の根源はもっと奥深くにあって、「安全神話」を作り既得権益を得てきた原子力安全委員会や推進派学者たちや東電の周りの取り巻の所業には考えが到達しない。
我慢強さは世界一の民族でしょう。でも今回の場合はそれは逆効果を生んでしまうのでは?という気すらしてしまいます。

アップありがとうございます。
小出先生の話は現状把握に役立ちます。

斑目!?・・・聞きたくもない名前が出てきた。

「希望的工程表」は、「民主党のマニフェスト」と同じだ。
「根拠無き楽観」は、この国の信用を失くし、国民を不幸にする。 小出先生ありがとうございます。 UPをありがとうございます。

小出先生、スタッフの皆さま、こうして日々信頼おける情報を提供して下さり、ありがとうございます。読み込んでいます…

* 小出先生と同じで、一日も早く冷却システムを作り上げて欲しいと思っています。
何か、良いアイデアはないものかと考えています。
全然役に立っていませんが・・・。

 今回は保守系の人でも二つに割れていて、岡崎久彦さんなどは「事故は次への飛躍への教訓」「工学は失敗を糧に育つ」などと言っているようである。尾形さんと同じ立場である。

 さいごに青山繁晴さんの最新の意見を掲げておく。私の知らない知見だった。

(汚染水の放射性物質の濃度を低くする作業については、フランスのアレバ社の技術を取り入れるということなんですが)

 東電や日本政府がこういう現状だから、フランスやアメリカの手を借りると安心だという雰囲気が日本にけっこう広がってて、特に高名な評論家やそういう方々が、フランスやアメリカが入ってくれるからという感じでおっしゃってるでしょ。よく現実を見てほしいと思うんですが、アレバはフランスの国策会社で、国が9割方株を持ってる。アレバの技術を使ってる核技術施設はすでに日本にあるんですよ。それは青森県の六ヶ所村の核燃料サイクル施設、あるいは核燃料の再処理工場なんですが、これフランスの技術を入れたためにずるずるいつまでも稼働できなくて、もう20回近く先延ばしになってですよ。で、元々の費用は7600億円でできるはずが、何と2兆2000億になってるんです、すでに。これ日本国民が知らなくて、国際社会ではほんとに有名な話で、このロベルジョンさん(CEO)も含めて、国際社会ではもうフランスは六ヶ所村を食い物にしてると言ってるわけですよ。

 じつは使用済核燃料の処理は世界でどこもまだ成功していないのだと聞いている。アメリカとフィンランドは燃料の残りは全部土中深く埋めこむ計画だがまだ計画の段階である。日本とフランスは再利用する方向で、高速増殖炉は日本特有の技術ではあるが、平成14年4月に停止してしまった。成功していない。他方、六ヶ所村の再処理工場は別の方向だが、ここも最終試験段階でトラブルが発生している。かりに成功してもいっぺんに処理できないので中間貯蔵施設に使用済を何千本と保存しなくてはならないが、その施設がまだ出来上っていないとも聞く。しかも、再処理ができても「高レベル放射性廃棄物」はさいごにどうしても残るのである。これを地下300メートルに埋めこむ計画のようだが、どの自治体も受け入れを拒否している。300メートルといっても日本列島は地震大国である。地殻変動で将来何が起こるか分らない。燃料の最終処理はフランスも成功していない。フランスは日本に望みをかけてきたのだと思う。

 世界は福島を転機に原子力への考え方を変える可能性があると私は考えている。しかし私はまだまだ知識が足りないので確たることはいえない。諸々のオピニオンを以上すべてここに掲げてみたのは、これからゆっくり考えるための一助になればと思ったからである。

西尾幹二日録とチャンネル桜から

ゲストエッセイ 
池田修一郎 

ご無沙汰してます。

 大震災の傷痕がまだまだ現実の世界の中にありますが、心のどこかでそれを素直に受け入れ切れていないもう一人の自分がいるのではないでしょうか。

夢なら早く覚めてほしい・・・そんななさけない自分が、私の中には間違いなくいます。

 私はつくづく弱い人間だと思います。しかし、これまた不思議なことに、そんな自分が恐ろしいほど他人面している時もあります。それはある種自分の図太さなのでしょうが、けして冷静さからくるものではなく、多分被災者ではない現実がまず前提にあり、その枠からいくら飛び出そうとしても、やはり現実に甘える自分だけがそこにいます。被災者ではない私には、今回の災害は、厳密には他人事なんですね。そうした厳しい現実が、 どうやったらもっと自分がこの震災と向き合えるのか、正直なところ戸惑っています。

 以前読んだ先生の本に、トータルウォーとパーシャルウォーの違いを今思い出しています。

 私はその本を読んだ時、日本が経験した太平洋戦争がいかに凄いものだったかを改めて知りました。そこで今回の災害を多くの人が、戦後に准えて語る方が多いのですが、私には少し疑問が残るのです。

 私は戦争未体験者ですから、あの戦争の悲惨さを知りません。いくら映像を見ても、いくら話を聞いても、やはり私には他人事です。実際に私が被害者と言いますか当事者と言いますか、要は関わる何かがあれば少しは痛む自分がいるのでしょうが、そうではない限り、やはり自分には他人事にしかなりません。

 つまり、今回の災害を国難とか先の戦争にだぶらせる考えは、私には素直な自分を表す自信が乏しいです。

 不謹慎だと言われるかもしれませんが、今回の大災害が太平洋戦争とだぶる話には違和感を感じます。現代人が経験した災害の中では最大級であっても、やはり限定的な部分がある以上は、この度の震災は、パーシャルウォー的扱いにならざるを得ません。

 しかし・・・しかしですが、福島第一原発の問題は、それに比例して考えてはいけない大きな問題です。この問題は国民全員が犠牲者です。実は私の女房の実家が福島のいわきにありました。原発の問題はその意味で、私には関連性があります。わけあって女房の家族は今いわきを離れています。親戚が数人いるのですが、運よく今回の災害の犠牲にはならずに生き延びてくれたようです。また福島は仕事でも何度も訪れた場所で、特に相馬あたりは大変お世話になった取引先があり、今回の被災で、どれだけのダメージを得たのか、とても心配です。

  福島の浜通りは、これといって観光に適したものは無く、せいぜいハワイアンセンターがあるくらいで、他には何も人を引き付ける材料はありません。ましてやど田舎ですから、本当に淋しい地域です。そんな土地に生まれた女性を私は嫁に選びました。初めて嫁の実家に訪れたとき、私は嫁の母親とかなり長い時間話し込みまして、初対面だというのに、お互い何故か違和感無く話し込めた記憶があります。嫁の母親は、娘(女房)がとても頑固な性格なんで、親もほとほと参ったよ・・・などと語っていました。

 父親が13歳で他界した嫁は、父親が入院中も熱心にそろばん塾に通い、そうした日課を怠ることなく毎日真面目に生活していたそうです。そのせいか、嫁は人に弱みを見せない性格が身につき、ある種それが他人行儀に映る時があるようです。けして人には強く当たらず、誰から見ても人優しい印象を与えてくれる嫁の本当の良さを、私は一番理解しているつもりですが、やはり実の母親にはその点は敵わないのでしょう。今もあの時の思い出を克明に覚えています。将来自分はこの家を守らなければならない立場になるのだろう・・・と空想しながら一夜を明かした思い出が、ついこの間のように思えてなりません。

 こんなきっかけで、私はいわきが身近になるわけですが、少し気になっていたのが、意外と近くに感じた福島原発の存在でした。相馬に出張の際は、いわきで一泊して出向いたわけですが、その際いやがおうでも目にする福島原発は、私の気持ちの中で、どうか未来永劫この地域の人々に悪さをしないで欲しい・・・と願う気持ちが何度もありました。何故か私にはこの原発が、将来何らかの問題を生むように思えてなりませんでした。

 何故なら国道からもかなり近い場所に建てられていますし、東京にも近いですから、この原発がもし問題を起こした時は、東京にも大きな影響を及ぼす可能性はだいぶ高いと思いましたね。

  正直いいますと、当時はそばを通る事自体が嫌でした。

 原発のムードというのでしょうか、たぶん環境に適さない建物のイメージなんでしょうが、何の知識もない私には、あの原発の威圧感が不快でした。

 そして今回その個人的なイメージが皮肉なことに正しいと認められ、原発に携わる方々はどうすることもできない状態です。

 いわきの住民は、いわば国民の代名詞です。気質はほぼ国民の中間にあり、生活レベルや環境もけして突飛な部分は無く、彼等の言動はそのまま私たち日本人の心の在り方に繋がるでしょう。つまり私たちは彼等を通じて被災の擬似体験をしているようなものです。

彼等がおそらく一番恐れているものは、風評被害でしょう。
彼等が一番怒っているものは、東電の嘘でしょう。
彼等が一番頼りにしているものは家族でしょう。
彼等が一番涙するものは、まさに今の自分の姿でしょう。
彼等が一番欲しいものは、自分を奮い立たせる勇気でしょう。
彼等が一番憎むものは、己の邪心でしょう。

 つまり人間という生き物は、いかに自分を中心にしているかということだと思うのです。

 自分自身に悩み苦しみ笑い慈しむ生き物、それが人間というものなのでしょう。
 その共通項を私たちは持ち合って生きている。そこから信頼というものを育てる「和」が生まれ、人間はそれを管理し、また時には管理される宿命を背負うのでしょう。

 今まさにそれが試されているのです。原発問題は、日本人が抱えた最大級の宿題です。生きるも死ぬもこれに掛かっています。チャンネル桜で現場を任されていた方(西尾先生の隣にいた方)が言った「東電の人間は現場を覗き見る事すらしない。遠くからモニターを見てチェックするのがせいぜいで、あとはただ現場をスルーするだけだ」

 いったい誰があの巨大な物体を、実質的に支えているのか、今回の被災でようやく実態が解明されました。事後処理をみてあまりに幼稚な手法しか残されていないと叫ぶ西尾先生の言葉が、日本人の心を射た思いです。

 そうなんです。高度な技術ほど単純なところで落とし穴が待ち構えている。

 権威ある医者が患者の盲腸を見落とす・・・と、笑い話に例えられるケースがありますが、まさに今の東電はこの立場です。そして我々国民全員も、立場が逆転していれば、東電の運命を背負う運命だったのかもしれません。和を管理したり和に管理されたり、そのお互いの関係性の中で、何をすべきかが問われています。

 汚染レベル「7」が意味するレッテルは、こうした私たち日本人の油断に警鐘を鳴らすもうひとつの側面があり、米国が企む介入を後ろ盾している数字の背後には、米国の思惑の綻びが間違いなくあるはずだし、日本人はそれを見逃すべきではない。大戦後日本はその綻びを見落とししすぎた。その経過の鬱積を今回の津波は洗濯をしに、わざわざ来たのかもしれない。

 どんなに垢を落としたくても、身も心も完全に麻痺してしまった日本人には、あの津波という外科治療なくしては、完治する手段が無かったのかもしれません。

 公共の電波ではどうしても制限されてしまう日本のマスメディアの実情に、今後どう向き合うかが次の大きな課題でしょう。原発問題とマスメディア問題は底辺でリンクしている重要課題だと、私は認識しています。

池田修一郎

原発事故のこと

 福島原発のことが気がかりで私も何となく気が晴れない。春の陽気になって、街にはとりどりの花が咲いているが、心が沈み勝ちである。

 原発に関しては14日に日本文化チャンネル桜の討論会に出て、考えを述べた。メンバーは次の通りである。

番組名  :「闘論!倒論!討論!2011 日本よ、今...」
テーマ  :「原子力発電の未来を問う」
 この度の福島第一原子力発電所の問題を検証しながら、これからの日本がとるべき原子力発電の未来について、様々な観点から議論していただきます。

放送予定日:平成23年4月16日(土曜日)
       20:00~23:00
       日本文化チャンネル桜(スカパー!217チャンネル)
       インターネット放送So-TV(http://www.so-tv.jp/)

パネリスト:(原発推進)50音順敬称略
      齋藤伸三 (前原子力委員会委員長代理・元日本原子力研究所理事長)
      竹内哲夫 (前原子力委員会委員・元日本原燃社長・元東電副社長)
      林 勉   (エネルギー問題に発言する会代表幹事・元原子力メーカー技術者)
      兵頭二十八(軍学者)      
       
      (原発反対)50音順敬称略
      菊池洋一 (元GE技術者・福島第一原発施工管理担当)
      鈴木邦男 (作家・政治活動家)
      西尾幹二 (評論家・文学博士)
      前田有一 (映画評論家)
     
便宜上、推進と反対に分けておりますが、単純な対立的議論ではなく、それぞれの立場から日本のエネルギー問題として、原子力発電の未来を考える議論ができればと考えております。
      
          
司 会 :水島 総(日本文化チャンネル桜 代表)

 福島第一原発の設計者であった元GEの技術者の菊池さんという方はユニークな個性の方である。ひとりで人の三倍も喋って司会者を当惑させていたが、この方の人生の物語りが私には面白かった。

 放送後に日本文化チャンネル桜のホームページの左側にあるニコニコ動画とかYou Tubeとかを開くと見られるそうである。第二回目の最後の私の発言の場面で私は自分の一番言いたかったことを語った。第三回目では原子力安全委員会などを代弁する方の余りに型通りのきれいごとに、私は少し強い調子で疑問を述べた。

 今度の事件が人災かどうかは別として、日本社会の官僚化の欠陥が表面化したのだと考えている。それから、日本は非核三原則などといってこわいものは逃げてきた。原子力潜水艦ひとつ建造していない。そんな国が「平和利用」だけやろうとしてうまくやれるはずがない。いいとこどりだけやろうとしてうまくできるはずがない。何か根本的に間違っているのではないか。