オバマ政権は世界が見えなくなっています。世界の中の何が重要かつ肝心なポイントであるか、自分の権能の及ぶ範囲はどこまでで、どこから先に仮に力が及ばないならきちんと計算して予防措置の先手を打つべきではないか、というようなことが分らなくなっているのです。
韓国が昔とは違った国になっていて、中国の従属国に自ら進んで転じたことに日韓問題の新局面があることにオバマ氏は気がついているのでしょうか。イスラエルとパレスチナほどではないにせよ、日韓の間にあるのは根の深い宗教トラブルです。両国には議会制民主主義という制度上の共通点があるから、四月自分が来訪するまでに日米韓の首脳会談が開けるように調整せよ、と簡単に言って来ているのは、オバマ氏が冷戦思考にとらわれている証拠です。日韓の間に共通の価値観はありません。中国と韓国の間には恐らく一定の共通の価値観はあるのでしょう。
オバマ氏の認識の低さはウクライナの失敗にもはっきり現われました。ウクライナの国家主権の統一を守りたかったのなら、ロシアの立場を著しく脅すような、冷戦の勝利に余勢を駆った一九九〇年代以来の西欧側からの攻勢を、アメリカは一定段階で停止し、手控えるべきでした。NATOの拡大や東欧のミサイル防衛システムの敷設などがみられるたびに、そのつどロシアはいらいらして反発し、抗議しましたが、アメリカはずっと黙殺しました。ウクライナはもともと緩衝地帯で、ロシアの影響を排除することはできない国家です。NATOやEUに参加するのを欲しているのは都市住民で、農民は必ずしも望んでいないと聞いたことがあります。ウクライナはしかも農業国家です。ロシア嫌いの住民が比較的多い西部地域で反ロシアのデモが起こったとき、オバマ政権はこれを支持するという間違いを犯しました。一気に火が点いて、ヤヌコビッチ大統領の追い落しが起こって、後もどりができなくなってしまいました。これ以上やればロシアは自らの地勢学的権益への脅威がぎりぎり限界を越えたと感じる怯えであろう、などと前もって想像できる親露派の知性が、オバマ政権の内部にはいないのです。日本に対してもそうでしたが、外交はいつも単眼的なのです。
アメリカは武力財力ともに充実していた一極超大国の幻想の中にまだひたっています。しかもそれでいて本気でロシアを抑える軍事行動などを考えてもいません。その足元をロシアに見抜かれていました。口先で言うだけで何もしはしない。シリアへの軍不出動でみせたオバマの逃げ腰はプーチンに読まれています。そこで二言目には経済制裁を言うのですが、ガス・パイプラインを握られている西欧諸国がアメリカの望むような規模で制裁に同調するとは思えません。ロシア軍はクリミアの併合にとどまらず、アメリカの出方ひとつで、場合によってはウクライナ西部を侵攻し、全土を掌握することだって考えられないことではありません。
要するにアメリカの失敗は、ロシアの強硬姿勢を予想していなかったことです。つまり相手を甘く見てなめていた。国境近くに迫る防衛上の脅威にはどの国も敏感で――クリミアも沖縄もその点では同じ――万難を排して予防に走るのを非難できないこと、等々にオバマ政権の理解が行き届かなかった迂闊さにあります。かつてキューバ危機で恐怖の挑戦に応じたアメリカが、ロシア側を不安にした「クリミア危機」を想像できなかったのは、ヘーゲルもケリーも焼きが回っていたとしかいいようがありません。ソ連崩壊後のロシアはもう大国ではない、と安易に考えていたに相違なく、プーチンの登場で国際政治上の立つ位置が変わりつつあるのを、考えていなかったのでしょう。
国際政治は刻々動いていて、大国と大国、大国と中小国との力のバランスの関係も微妙に揺れつづけ、変動しています。それゆえ国際情勢の鏡に自分を写して自分の位置を知るのは難しく、日本人にはとくに苦手だといわれ、アメリカを鏡にしてわれわれは戦後、外交上の行動計画を立てていたわけでしたが、その頼みとなるアメリカが今や当てにできません。安倍首相が政権発足以来、世界中を飛び回る外交活動をくりひろげてきたのは、アメリカという基軸のこの不安定のせいでしょう。同じようなアメリカへの不安を、トルコ、サウジアラビア、エジプト、イスラエル等々も感じています。ロシアの地位が相対的に上っているのもそのせいで、ロシアに安倍首相が早くから敏感に反応しているのもその同じ不安のゆえでしょう。先に名を挙げた「戦前生まれの保守重鎮」の面々が現役であった時代には、アメリカという基軸は安定していました。自民党は「親米保守」の単一路線の上を迷わずに黙って歩んでいけばよかったのです。しかし今はそうは行きません。安倍首相のご苦心のほどが察せられますが、ウクライナ問題で躓づいたアメリカの外交知性がアジアにおいて再び同じ躓きを演じはしないかが心配です。
オバマ政権にはまともな「知日派」がいないようです。政権はほとんどすべて「親中派」で固められているのではないでしょうか。アメリカは中国からG2時代の到来だといわれ、太平洋は米中二国で共同管理するにふさわしいなどとふざけた言葉が飛び交わされる中で、鷹揚で融和的な姿勢をとりつづけています。
三月十九日時点で、中国はウクライナ問題について明言せず、米露の動きを固唾を呑んで見守っています。アメリカは中国を見方につけてロシアを少しでも牽制したい。しかしプーチンの力による国境変更に有効な手が打てず、これが既成事実化するなら、中国の力による尖閣や南シナ海の現状変更に道を開くことになるでしょう。アメリカはじつは今、歴史の曲がり角に立っていて、いつの日にか起こり得る中国との大規模な衝突のテストケースを迎えているのです。
それなのにオバマ政権は複眼で見ていません。ウクライナに気を取られて、中国の力を借りてロシアを抑えようとして、アジアで妥協し、ずるずると日本に不当な仕打ちをしかねません。アメリカはロシアに対して経済制裁が可能でしたが、米国債の最大の保有国である中国にどんな制裁の手があるのでしょうか。ここまで中国を経済的に肥大化させたのもアメリカの責任です。
クリミアに軍事的に手出しができないアメリカが西太平洋の小さな無人島のために、いかに条約上の約束があるとはいえ、率先して介入するとは思えません。日本は自分の国土を自分で守る以外にない、待ったなしの瞬間を迎えつつあるのです。
つづく