WiLL8月号「平和主義ではない脱原発」(三)

二国間原子力協定の真実

 NPTの他に日本を苦しめてきた厄介なしばりは、二国間原子力協定である。アメリカ、イギリス、フランスのほかにカナダ、オーストラリア、中国の六カ国との間に日本は協定を結んでいる。カナダ、オーストラリアからは原料のウランを売ってもらう。そのために「持てる国」の傲慢というか、横暴なまでのしめつけの各種のしばりがあるという。

 たとえば、大学の研究室が核爆発の研究を学問レベルでしたことが発覚すると、直ちに協定義務違反を追及され、外国から輸入したもの、原子炉、核燃料、技術などをすべて返還しなければならないという。これはひどい話で、純然たる学術研究における「自由」が侵害されているのである。しかし、核燃料の供給が止められると、日本の原子力発電は完全にストップしてしまうことになる。こうした事例を詳しく報告している外務省初代の環境問題担当官で、現エネルギー戦略研究会会長の金子熊夫氏の『日本の核 アジアの核』(朝日新聞社、一九九七年)から少し引用してみよう。

 ちなみに、日本が協定違反を犯したわけでもないのに、一九七四年のインドの核実験後、カナダは原子力輸出政策を大幅に転換し、一九七七年突如日加原子力協定の改定を申し入れ、日本政府がこれに直ちに応じないとみるや、一方的に加産天然ウランの持ち込みができず、多額の延滞金を支払わされるという異常事態が数カ月続いた。このような、かなり強圧的な状況下で日本政府はやむを得ず協定改正交渉に応じ、カナダの対日供給停止もようやく解除された。決してカナダの言い分に納得しているわけではないが、我が方がいくら頑張っても、モノを持っているのは向うで勝ち目はないのだから、結局妥協せざるを得なかった。

 アメリカの圧力だけが問題のすべてではないことが、ここからも分かる。日本が原子力発電をつづけるかぎり、技術後発国の日本、原料輸入国の日本の不自由はつづき、そして何といっても、軍事転用を他の国は認められ日本だけ認められていないための神経戦が二重三重に追いかけてくる。

 現在の二国間原子力協定がいかに複雑な仕組みで、しかも、いかに供給国(輸出国)側に有利にできているかを示す具体例をもう少し挙げておこう。日本の場合、石油と同じく、核燃料もすべて外国産で、天然ウランはカナダやオーストラリアからも購入することが多い。このため、カナダやオーストラリアは自国産天然ウランについて対日規制権(濃縮、再処理、第三国移転等についての事前同意権)を先々まで持つ。

 ところが、日本で運転中の原子炉は現在すべて軽水炉で、天然ウランをそのまま燃料として使えないので、日本の電力会社は、購入した天然ウランをすぐ米国やフランス等へ運んで高い料金を支払って濃縮(三%の微濃縮)してもらうのだが、その結果、米国、フランス等も濃縮国として新たに対日規制権を持つことになる。

 次に、その濃縮ウランを日本の原子炉で燃やして発電したのち、使用済み核燃料をフランスと英国に持っていって再処理してもらうと、そこで出来たプルトニウム燃料について、今度は英仏の対日規制が加わる。

 このように、一つの核燃料について二カ国ないし三カ国、ときには四カ国の規制権が重複してかかり、理論的には、それらすべての国々の事前同意なり許可を取りつけなければならない。それではあまりにも繁雑なので、新協定ではなるべく一括して、かつ長期間にわたって事前同意や許可が得られるような仕組みになってはいるが、将来、対日規制権を持つ複数の国の間で利害の衝突が起こった場合、もし一カ国でも反対すれば、日本の核燃料サイクルは重大な支障をきたす恐れがある。

 さらにもう一つ厄介なことに、最近の原子力協定では、米国で濃縮してもらった核燃料でなくても──例えばアフリカのニジェール産の天然ウランを日本の濃縮工場で濃縮した燃料でも──それを一度米国製の原子炉または米国の技術で出来た原子炉で燃やすと、その途端に米国産の核燃料と見なされ、米国の規制権の対象となる仕組みになっている。

 これは、かつてインドがカナダから輸入した研究用原子炉を使って、自国産の核燃料からプルトニウムをつくり、それでまんまと核爆発実験(一九七四年)を行ったようなケースを防ぐために考え出されたシステムで、専門家の間では「技術による汚染」──つまり米国の技術で、第三国の燃料までひっかけてしまう──と呼ばれているものである。モノよりも技術を持った国の方が有利だということを示す端的な例である。

 以上のように論じた後、金子氏は次のように断定している。

 要するに、日本の原子力開発は、過去四十年間と同じく現在、将来とも、米、英、仏、加、豪の五カ国、わけても米、加、豪の三カ国に最終的な「生殺与奪」の権利を握られているのであり、これら諸国の核不拡散政策を無視して、自分勝手な振る舞いはできないような仕組みになっているのである。

つづく

「WiLL8月号「平和主義ではない脱原発」(三)」への1件のフィードバック

  1. 金子氏の断定が事実であるならば、腹立たしく怪しからぬ事だとは一応思います。しかし、「これら諸国の不拡散政策」が世界平和と普遍的正義に基づき、故に日本の普遍的国益を甚だしく侵害しないならば、特に憂慮する事態とも思われません。
    確かに、日本がある種の危機に陥った際に、フリーハンドが揮えない事は致命傷に繋がる危険もあるでしょう。ですから平素から全方位外交を行って、”当該3ヶ国が核の不当、不平等な縛りを掛けている以上”、非常時のウラン調達精製先として、中国、ロシア(上海条約機構?)と手を結ぶこともあり得るぐらいのブラフを”対抗上”掛けておく手もあるでしょう。
    さて、私のコメントをよくアップロードして頂いてまことにあり難い事でありました。いわば道場破りのつもりで、西尾道場に暴れこんだところ、ある種の保守の基盤は真に固いものだと感じ入り、自分の道場にそろそろ戻ろうかと存じています。「お前はどこの道場の者だ。」と言われたら、「はい、名も無き山中道場の者であります。」と答えるしかありません。「今後、どうするのだ。」と言われたら、「更に修行を積むため、山にでも籠もろうと思っているところです(承前)。もっとも呼ばれた事によっては出ていきますが。」と答えましょう。(笑)

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