番匠幸一郎氏を囲んで (一)

 2月21日の恒例の「路の会」は徳間書店9階の会議室で、第一次イラク復興支援群長をつとめた番匠幸一郎一等陸佐を囲んで行われた。出席者は順不動で、井尻千男、入江隆則、田中英道、小田村四郎、黄文雄、吉野準(元警視総監)、木下博生(財・経済産業調査会)、山口洋一(元ミャンマー大使)、大澤正道(元平凡社出版局長・歴史家)、大島陽一(元東京銀行専務)、東中野修道、萩野貞樹、三好範英(読売新聞国際部)、真部栄一(扶桑社)、力石幸一(徳間書店)の諸氏、そして私である。

 最初約一時間にわたって、番匠氏から壁に投射された映像をみながら、イラクのサマワ基地における自衛隊の活動内容の説明をきいた。その話も十分に面白い、意味のある内容だったがここではスペースの関係でご講話の最後の部分をまず掲げる。次に出席した「路の会」会員と番匠さんとの間の質疑応答を紹介する。和気藹々たる雰囲気の中で行われたが、番匠さんとの他で聞けない肉声を通じて、彼地の現地のヴィヴィッドな描写が光った内容の応答になっている。

 尚、テープの聴き取りがむつかしかった文字は○じるしになっているか仮名表記のままである。発言者名も、分った氏名は隠さないが、誰の発言であるかは、テープが今広島にあるので分らない場合が多く、そこは○○となっている。

 ところで冒頭の黄文雄氏の質問に「群」の文字への疑問が述べられるが、「イラク復興支援群」という言い方が映像画面に大きく写し出されていたことに基づく疑問である。

《番匠幸一郎氏の講話の最後の部分》

 最後に私は日本がますます好きになったというか、日本のよさを再確認させていただいたということがあります。二つありまして、ひとつは、この今の日本の素晴らしさです。いろんなことが言われます。治安が悪くなったとか、若者のこととか、いろんなことが勿論言われますが、それにしてもイラクに比べて私たち、日本に生まれて育っていることが、ほんとうに幸せに私は感じました。なぜならばですね、本当にこんなに平和で、治安がよくて、それから豊かで、それで美しい国、というのが他にどこにあるんだろうと、いう気がいたします。

 それから、もうひとつは、実は日本の歴史に感謝したいと思っているのです。ここには専門の先生方がたくさんいらっしゃるのですが、こんなことを私が申し上げるのは大変恥ずかしいのでありますが、イラクに我々が行ったときに、我々に対して好意的に、にこやかに手を振ってくれるというのは、これは、自衛隊が来たから手を振ってくれるのではないんじゃないかなと、途中から感じるようになりました。

 日本人が好きなんですね。日の丸が好きなんです。なぜかというと、部族の人たちと話をすると、或いは知事さんとかいろんな人と話をすると、日露戦争で頑張った日本人、それから大東亜戦争でアメリカと4年間に渡ってがっぷりと四つに組んで戦って、徹底して負けた。あの廃墟の中から立ち上がって、今世界第二の経済大国になった日本人。それから先ほど、サマワ病院の話を申し上げましたが、ああいうODAとか、二十年位前にはたくさんサマワにも行って、そして、彼らが非常に勤勉で正直で、いい仕事をされていた。愛されていたということをよく聞きます。

 街に溢れている日本製品を見ても、同じアジアの一員である日本人に彼らは一種の憧れと、尊敬を持ってくれている。日本人というのは、正直で、勤勉で、優秀で、いい人たちなんだというイメージがあるんですね。それが日の丸とか、日本人の我々の顔になるんだろう。そういう意味では先輩達に感謝したいと思います。

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