GHQ焚書図書開封9: アメリカからの「宣戦布告」 (一般書) (2014/03/19) 西尾 幹二 |
アマゾンのレビューより
アメリカは、どのように「対日宣戦布告」をしたのか?, 2014/3/25
By閑居人
GHQ焚書図書開封9: アメリカからの「宣戦布告」 (一般書) (単行本)
「GHQ焚書図書開封」も九巻目を迎えた。日本人が二度と「白人」と「キリスト教文明」に立ち向かわないために、GHQが秘密裏に行った「日本人からの歴史の簒奪」は、本シリーズでの開示によって、隠されていた真実が静かに読者に浸透していきつつある。
本巻では、前巻に引き続き、「日米百年戦争」の一環として「ワシントン会議から始まる英米主導の第一次大戦後の国際関係の中で起きた様々な出来事」が主題とされる。「ワシントン体制と満州事変、満州国成立と国際連盟脱退、支那事変とその拡大、そして日米開戦に至るプロセス」が語られていく。
著者は、全体を二つに分け、前半では歴史的事件の概略を紹介する。後半では、昭和十八年に毎日新聞から公刊された「大東亜戦争調査會篇」叢書をもとに、アメリカが計画的に日本を追い詰め、「経済戦争」に踏み切ることによって、日本が軍事的に「先制攻撃」を仕掛けざるをえないところに、《いかに巧妙に、そしていかに執拗に》追い込んでいったかを語ろうとする。
「戦後われわれの視野から隠されてきた(或いは日本人が忘れようとして眼を塞いできた)、我が国が開戦せざるを得なかったあのときの国際情勢、気が狂ったようなアメリカの暴戻と戦争挑発、ぎりぎりまで忍耐しながらも国家の尊厳をそこまで踏みにじられては起つ以外になかった我が国の血を吐く思い」(本書まえがき)が、この「大東亜戦争調査會篇『米英挑戦の真相』」に、具体的に、冷静な筆致で描かれている。
解説を交えて、このことを語ろうとする著者の口調も冷静そのものである。それは、恐らく、著者が、「大東亜戦争の真実」について、公正で、深い洞察に充ち満ちた分析と考察を残した「大東亜戦争調査會」への敬意を禁じ得ないからだろうと思われる。本シリーズの「第一巻」で、著者は、GHQが秘密裏に没収した「連合国軍総司令指令『没収指定図書総目録』」の存在とGHQの動機を解明している。
GHQが行っていた「検閲」については、江藤淳の一連の著作によって知られていたが、没収された図書については、つい最近まで着目されなかった。著者は、十数年前にこの事実に気づき、また、既に千数百点収集していた水島聡氏に勧められて本シリーズの刊行を決意した。
(参考までに言えば、隔月刊行雑誌「歴史通」2013,5は、七千冊以上の没収本のうち六千冊を、鎌倉の自宅の書庫に集めた澤瀧氏をグラビアと関連記事で紹介している。)
著者が書くように、この「没収図書の選定」に、法学界の長老牧野英一(刑法)、若き東大助教授尾高邦雄(社会学)、金子武蔵(哲学・倫理学) が関与していた事実は衝撃的なことだった。なぜなら、本シリーズを読めば理解できる通り、没収された書物は、いずれも当時の日本人の観察力の高さと知性と洞察力を証明するものであるからである。いわば「日本人の誇りと存在証明」というべきものを抹殺することが何を意味するか、「分からなかった」とは口が裂けても言えないことであるからである。
著者も触れているが、最近、渡辺惣樹氏が丁寧な解題をつけて翻訳した「アメリカはいかにして日本を追い詰めたか」(米国陸軍戦略研究所、ジェフリー・レコード)は、戦前のアメリカ政治の正当性を擁護する「歴史正統派の論理」で、「経済戦争を仕掛けたアメリカは真珠湾以前に実質的に宣戦布告をしたも同然だ」という「歴史修正派」と同じ結論を述べている。「修正派」はアメリカでは少数派であるが、戦前の日本の主張とほぼ同様の考察を示している。こういったことは注目すべきことだ。本書は、「GHQに没収された図書」を通して「日本を取り戻そうとする試み」の一環である、と捉えることもできるだろう。
これは大変魂のこもったレビューですね。「GHQ焚書図書開封」はかつての「異なる悲劇 日本とドイツ」と同じくらいの影響力(破壊力?)を持った本であると内心思っております。これだけをもってしても西尾先生は私にとってヒーローです。反日左翼が日本で繁殖しなければ、日本がナチスと同類にされるなど到底考えられませんよ。なんというおぞましい洗脳活動を反日左翼はやり続けたのでしょうか・・。
私が青年期のころネットが陰も形もなくマスメディア全盛でしたが、「日本はナチスドイツと同じ犯罪国家であった」、それと「日米戦争の責任はすべて日本側に全責任ある」これらの二つが左翼が命がけで死守しようとした大命題でした。共産主義左翼は最後の生き残りをかけて、戦争の詮索は日本側に全責任があるという前提に沿ってしか分析は許されない、いまさら日米間の責任分担の分析など周回遅れのランナーのやることなのだ、俺達は戦争責任の追及がなぜ十分になされなかったかということを全力で追及すると息巻いていましたが、戦争責任を追及するといいながら、無責任きわまりない思考集団であることはちょっと冷静に考えれば誰でもわかることでした。左翼は北朝鮮の金日成や独裁政治の中国共産党に異常に肩入れしてきたというおぞましい過去の政治的言動の責任が問われるはずでしたが、戦争責任を蒸し返すことにより、責任を追及される側から責任を追及する側にするりと入れ替わることができることを知り抜いていたのです。それこそペテン弁護士と同じようなものですが、朝日新聞や日教組などの狂信的な集団洗脳により左翼の無責任性はちっとも世論の糾弾をあびずにのうのうと遠慮なく開きなおって、突貫工事的な反日的政治活動を毎回続けて、その熱意は韓国や中国にもバトンタッチされました。これがなんといっても戦後日本の最大の不幸です。何百回書いてもくやしくてたまりません。なんでいまごろになって韓国知識人は天皇論のバーガミニや慰安婦論のヒックスを嬉しそうにとりあげているのでしょうか、これらも日本のいびつな反日左翼が海外にむかって叫んだ雄たけびの山びこでしかありません。
さて「GHQ焚書図書開封」は、GHQの意図として、日本に民主主義を根付かせようという大義名分の裏で、米国への批判能力や抵抗意思を根絶するという構想が隠れていたことを疑いようもない形で示して、その焚書に協力した日本人の内幕も追及する内容でしたが、その追及の仕方は韓国の親日派先祖さがしとその子孫への徹底的報復のような実にいやらしい手口ではなく、なぜ日本人はGHQ焚書に協力していったのか、そして戦後年月が経過しても総体的に日本人のなかに検閲や焚書を批判する声が起こらなかったのはなぜかなどを考えさせる内容になっていると思いました。
なぜ日本人の反米意識が急速に沈静化していったかというと、それこそ数多くの理由や背景があるでしょうが、どれかひとつに絞れといえば、西尾先生はあまり同意されないかもしれませんが、個人的にはマッカーサーの存在が大きかったと思えてなりません。マッカーサーはたしかに日本の書物だけでなく米国人ヘレンミアーズの本まで出版停止したような冷徹で狡猾な独裁者としての面もありますが、政治的には共和党派のよき精神性をもっており、またフリーメイソンに加入するなど独特の世界精神を持っていた人物と思います。マッカーサーを美化するつもりはないですが、なにより軍人にしては柔軟性があり、占領後に百聞した日本人の民度の高さ(大規模調査では日本人の識字率が98%以上であることが示された)などに驚き、当初は日本を農業国にしてやると豪語したにもかかわらず、占領過程および占領後においても考え方が軌道修正されていったのだと思います(日本が戦争にふみきった経済的背景を演説で言及したのはあまりに有名ですね)。マッカーサーが日本文明に著しい偏見を持たなかったのは、なにより日本の皇室の歴史的意義を認めていたからだと考えます。また口はばったい表現ですが、皇室が真の意味において日本の「平和勢力」であることを洞察していたのだと思えてなりません。実際、明治天皇は日清戦争に反対し、昭和天皇は日米戦争に反対し、けれどもいざ開戦したら君主の義務として全面協力し、実質的権威を喪失しなかったおかげで終戦コントロールが可能となりました。またマッカーサーは日本でキリスト教を広めようとしましたが、ともかくGHQ占領が終わった翌年には伊勢神宮の遷宮なども行われ、皇室は残り神社や仏閣も取り壊しされず、、日本人はもしこれがマッカーサーでなくほかの米国人たとえば天皇処刑したくてたまらない勢力にGHQ権力がゆだねられたらどんなことになっていただろうかと考えて、ぞっとしたのだろうと思います。現代から見るとそもそも戦争に負けただけで武力奪われて丸裸にされあそこまで性急に国家改造してよいのかというという疑問は当然持ちますが、日本人がマッカーサーのカリスマ性に屈服させられた(それはGHQ支配下におかれた日本メディアの協力も加わってのことでしょうが)という印象を持っています。
現代において実はマッカーサーに根源的憎しみをもつ日本人は右翼や保守の側でなく、左翼のほうです。なぜマッカーサーは天皇制廃止しなかったかと歯軋りをしていまだに恨んでいるのです。実に執念深い連中です。
多くの日本人がわかっていると思いますが、戦後日本の精神空間は学問やメディア、教育等で暴れまわった世にも偏狭な反日左翼の集団発狂を抜きにして一切洞察することができません。たとえば、GHQは日本の戦争意欲の源泉が天皇制や神道など日本の信仰精神にあると考えてこれらを骨抜きにしようとした・・・などと聞いたときに、はてどこかで聞いたフレーズだなと思いましたが、なんのことはない、これは昔高校生くらいで読んだ丸山真男の主張であると思い出しました。どの著作か興味ないのでさっさと忘れましたが、丸山真男は日本人が戦争に突進した原因を、村組織のボス、神社の神主や、寺院の僧侶などもそれに含めていたかくだらないのでよく覚えてませんが、工場や土方現場の親方まで、実に日本の国家を精神的にささえてきた日本の中枢となった人々を一網打尽にして罪をなすりつけるという発想であり、あまりに自閉症的な情念にこれがもてはやされた学者であるのかと驚愕したのを覚えていますが、発火点はGHQの検閲なのかもしれませんね。
私が精神形成をした1980年代は左翼によるマインドコントロールが完成していた時期で、教科書や参考書、もろもろの書籍では、米国が日本にもたらしたレッドパージ(左翼の公職追放)と吉田茂の「逆コース」が徹底的にたたきこまれました。レッドパージはひょっとすると陰惨な革命を防止した働きがあったかもしれませんが、我々の世代にとっては吉田茂の「逆コース」とともに日本や米国による言論弾圧という不正に異をとなえた清廉潔白な左翼という絶大なイメージをふきこまれました。それがとんでもない思い違いであることは左翼集団の本質を知ると同時に、あのドイツが戦後すぐに共産党の結党を禁じたことなど同時代の歴史的事実を体系的に知ることにより、ほぼ完全にマインドコントロールが融けました。
1970年代以前マルクス主義が大流行しましたが(マルクス主義が猛威をふるっていたことは1950年代などの岩波新書を読むことにより猛烈に追体験できました。たとえば書名に「ファシズム」とついているのはほぼすべて日本や台湾などファシズム国家と糾弾する一方で共産主義国家を美化ないし黙殺した内容でした。朝鮮戦争開始により米国がファシズム体制となったのだ、この見解が当時の東大や京大の出身者の書いていたことです)、マルクス主義が下火になっていった1980年代に、より強烈で巧妙な左翼のマインドコントロールが浸透していったように感じました。左翼はマルクス主義神話の威力がなくなると並行して、歴史認識を本命として、歴史認識の一本釣りに思想的執念をかけて体系的な歴史学を構築していました。そして、その手下として日教組、広報として朝日新聞やNHKなどを従えて非常に密度の濃い歴史認識の洗脳ベルトコンベアを構築していました。いまから振り返るとぞっとするほどです。
なんども繰り返しますがその左翼たちの命題は本質をたどると、結局二つ。「日本はナチスドイツと同類であった」「戦争責任はすべて日本にある」という、この二つの命題でした。
ナチスドイツのホロコーストと対置させるために南京大虐殺や中国の三光作戦など数多く、その執念が90年代になって従軍慰安婦騒動に結実しました。
こんなことはちょっと敏感な日本人なら誰でも気づいていたことでしょうが、まだまだ左翼のマインドコントロールはそっとするほど根強く残っています。いまだ日本を覆っているように感じます。論理と事実を明らかにすることによって、マインドコントロールはとけると思いますが、まだまだ先は長く、きっぱりと思想清算されることは当分ないでしょう。
けれども最近知ったのですが倉山満氏が尊敬するという鳥海靖という歴史学者の書いた本が昨年山川より出版されましたが、それを見ると日本に対して「ファシズム」という用語は従来より日本を糾弾する目的で使われてきた色が濃いので自分は使わないと堂々と書かれているのを見て、日本の掃き溜め歴史学もやっとここまで進歩したのかと若干感慨にひたりました。
またいまさらですが、米国に対して対等な歴史意識をもつことは重要であると痛感します。ふと思い出した例をあげますと、米国の原爆投下が民間人無差別虐殺をやったことに対して、「さきに中国の重慶などで無差別攻撃をやったのは日本だ」と指摘が(日本人ではなく)米国人からでたことがあったそうですが、そのときイラクのファルージャ戦闘における米軍の民間人無差別攻撃の実態を知る人々から、ならば米国はイラクに無差別攻撃をしたのだから原爆を落とされてよいのかと誰か反論して、グーの声もでなかったとのことです。言われたままですまさないで相手の実像を見抜いて考えるというのは、「悪意」というものに弱い日本人にとってほんとうに必要な素養ではないかと思います。(長文になり失礼しました)
牧野英一先生がそのようなことを、なさっていたとは驚きです。そのような人たちがいたとは失望しました。
西尾先生初めまして
著名な方のブログにコメントを残すのに不慣れな者で、失礼があればお許し下さい。
このシリーズの動画をYouTubeにて出会い半数ほど拝見させて頂きました。
そして始めて本として購入させて頂きました。
私は高卒ですし何の教養も持ち合わせてはおりませんが、この様な重厚な内容の本に胸が一杯になりました。
先生の執筆された物を全て買い揃えようと思っております。
本当にありがとうございました。
先生のご健康とご活躍をずっと祈っております。
「仁王門」氏のコメントは、興味深いですね。
鳥海靖先生は、若いときから考え方は変わっていません。「祖父と父の日本」(1969 文藝春秋)「日本近代史講義」(1988東大出版会)その他、岩波からは決して声がかからない本を書かれて、講義をされてきています。
「歴史の内在的理解」という表現で、その時代に生きた人々の声を実証的に検討していくところに鳥海先生の真骨頂があります。
最近、倉山満氏によって「再発見」されてしまったようですね。