番匠幸一郎氏を囲んで (八)

講演 「これでよいのか日本の弱腰外交
――正しい現代史の考え方――」

平成17年3月13日(日)
午後3時30分より90分

会 場:横浜市中区「関内ホール」
   JR関内駅北口下車 徒歩5分
     TEL 045(662)1221
参加費:¥1000
主 催 :教科書を良くする神奈川県民の会
連絡先:大西裕氏 TEL045(575)2603

新刊西尾幹二責任編集『新・地球日本史』1 
産経新聞社刊、発売扶桑社。
  ¥1800――2月28日店頭発売

 
新・地球日本史―明治中期から第二次大戦まで (1)

新刊 「人生の深淵について」
洋泉社刊 ¥1500
3月7日店頭販売
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番匠幸一郎氏を囲んで (八)

・・・・・・・テープ交換のため、少し話題が飛ぶ・・・・・・・
番匠:18.9歳の隊員から始まり、一番元気ざかりの隊員ですから、私は女性の隊員を11名お預かりして、ちょっと、あのぉー、まぁ、大事なお嬢さんたちをお預かりしていて、心配したんですけれど、全く大丈夫でした。あの暑さと勤務の中でそういう気持ちに至らない感じがしましたですね。

○○:人道支援活動のお話で、サマーワの町が非常に荒れて、これはサダムフセイン時代にそういうふうになったんではないでしょうか。イラク戦争が起こってからひどくなったのではないんじゃないかと、私ずっと思っているのですが。

番匠:これは二つあると思います。一つは彼ら自身があまり清潔な人たちではない。見ていてびっくりしたことがあったんですけれども、道路に生ごみをバンと捨てて行くんですね。で、自分の家の中はきれいになるからいいんですけど。

(笑い)

 あと、バンと捨てていくと、普通だったらそれで道路の清掃とか、ごみの回収のシステムが動いていれば町はちゃんと維持されるんでしょうが、そういうシステムがないということで、もともとあまり環境の整備とか、そういうことに関心のある人達じゃないということがあるかもしれません。我々の宿営地の回りも、私はいいましたけど、ここはもともと産業廃棄物処理場じゃないかと。ごみだらけ、ごみのみならず、不発弾じゃなくて遺棄弾が結構あるんですね。弾を捨てているんです。私たちがおりましたところは、湾岸戦争の頃の陣地のあとがあった近くでして、多分フランスの空挺部隊が降りたところで、弾をそこらへんにほったらかして、逃げたんでしょう。ごろごろしている。

西尾:あぶない~

番匠:そういうの、いっぱいありました。とにかくそんな場所でした。

西尾:それを、まず片付けるんでしょ。

番匠:そうです、それと、もう一つはじゃあ何時頃から荒れていたのか、というとですけれど、先生のおっしゃるようにですね、今回のイラク戦争ではなくて、私はイラン・イラク戦争の後ぐらいからじゃないかなと思います。特に湾岸戦争の後に、シーア派が一斉蜂起してシーア派というか、スンニ派、或いはサダムフセインに対して反旗を翻して、逆にそれで失敗して、弾圧されるということがありましたね。その頃から、イラン・イラク戦争の頃からその兆候があって、湾岸戦争直後からそれがピークになったということで、これは1980年代の半ばぐらいからつい最近まで、ずっと弾圧されてきた場所なんじゃないかなと思います。ですから、学校にしても、その他のいわゆる社会インフラというものが、ほとんど放置されたままになっておりました。

西尾:あ、どうぞ他のかた、ご質問を。まだご発言のない方どうぞ。

田中:選挙はどうでした?やはりサマーワはシーア派ですか?

番匠:えぇ、もう圧倒的にシーア派ですね。サマーワの選挙は非常に清清といったと聞いております。

田中:もう一つ聞きたいのは、遺跡が多い、イラク全体がそういう地域ですけれども、それに対する保護というものは、どうなんですかね。この前見てますと、イラク人が略奪したり、完全にそのひどい・・・

西尾:めちゃくちゃ略奪でしたよね。

田中:これは僕は非常に重要なことだと思うんですね。これは前に『翼』にも書いたんですが、日本の自衛隊そのものが、いろんな文化の問題をね、施設というか、遺産というものを、どの程度保護しているものか・・・

西尾:サマーワの辺りには、ないんでしょ?

番匠:ありました。先ほど見ていただいたウルク遺跡というのは、サマーワのすぐ近くにあります。それからウル遺跡というのもありますけれど、これがナシリアのタリル空軍基地といって、我々が離発着で使う地域にあるんです。ですから、ビルガム史にでてくるウルとかウルクとかがほんとに目の前にあるわけです。多分小さなものはもっとたくさんあるんじゃないかと思います。ウルの遺跡あたりは、国内のかなりの大学が何十年も発掘調査をされていて、私も行く前にその資料をみながら行ったのです。もう今は管理施設も、放置されたままで、誰も管理していないのです。ウルがそうです。ウルクの方もそういう状況で、多分、盗掘にまかすままじゃないかと思います。

 ですから、彼ら自身もそれに問題意識を非常に持っていまして、ムサンナ県にも文化財保護を行う部署がありまして、そこと連携をしたら、保護の為の外柵を是非とも作ってほしいといわれ、これは我々の時に段取りを始めて、二次隊、三次隊で作ったものですけれど、十数キロの外柵を作りました。

田中:効果はあるんですか?

番匠:まぁ、全くないよりはいいでしょう。乗り越えたり、壊したりして入るのはしょうがないでしょうが、全く何もないよりは、そういうものがあればそこは保護されます。侵入を防げます。

西尾:そこを警備するものはいないのですか?

番匠:警備もやっております。我々じゃなくて、おそらくイラク側が自警をやっております。

西尾:現在までになさったことは、水道の供給、これはもう完成したわけですか。

番匠:三本柱は引き続きやっております。

西尾:水道、学校、道路。

番匠:水を自分達自身で作って配るということ、今度簡易水道の施設をODAで入れて、
・・・・・・・・・・・・・・・・・途中、テープ途切れる・・・・・・・・・・・・・・・・・
これも隊員が行って自分達でブルドーザーを動かしたりということではなくて、できるだけたくさんの現地の人たちを雇用して、昨日現在で900人くらいいっていましたので、毎日1000人近い人たちを雇用して、ムサンナ県とかいろんな所でですね、道路工事とか、学校の補修とかやってもらって、それを定期的に点検しながら、完成したら向こう側に受け渡すと、そういういわゆる後方支援。あともう一つが医療支援で、これはサマーワ病院だけじゃなくて、何十箇所という診療所とか、保健所みたいなものがありますから、そういうところの、医療支援を含めてです。

西尾:それは自衛隊の医師団が出て行くということですか?

番匠:そうです。ドクター、ナース、それから薬剤。

西尾:これは600人の外ですね?

番匠:中です。

西尾:中ですか・・・。

番匠:衛生部隊というのが、中にあります。今申し上げたのは、全部中です。

西尾:あぁ、そうですか。で、薬などは日本から?

番匠:ええ、日本の自衛隊の予算やODAなどで買っていただいて、あと、クェートなんかでもけっこう薬があるそうで、そこらへんから買っています。私たちの医務官がやっていたのはですね、枕カバーとか、シーツとか買ってくれと言うんです。なんでだ?と言うと、あれはもう、とても洗濯してもだめだと、それで、我々が持っている予算の枠で、それを買ってきて配ったり、そんなことをやりました。

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