宮崎正弘氏を囲む――中国反日暴動の裏側(九)

C:始めに戻りまして、Aさんは計画されたデモだといわれたのですが、北京の方はレンガも生卵もちゃんと用意してあったということですと、大使館への投石は初めから計画されていたと、公安の方もということですか。

宮崎:と、思います。というのは、天皇陛下が御訪中された時に、万里の長城に観光客がいましたよね、あれ全部公安だったんです。これは語り草になっているんです。最初に石を投げるというのは、市民に扮装した公安に決まっているんです。合図があって、あぁ今日は投げていいんだと、そしてみんな投げるんですよ。(爆笑)

 ですから、公安の総意であったかどうかは難しいけれど、一部はねっかえり必ずいますから、関東軍にも暴走した軍人がいましたように。

C:上海の方を見ますと、領事館に投げてはいけないと紙に書いてあるんですね。

宮崎:それは動員された、基礎動員されてきた人達にはそういう命令が廻っていたんです。

C:上海のデモと北京のデモでは、計画が少し違ったわけですか。

宮崎:計画自体は同じだと思いますよ。計画どおり行っていなかったのが、冒頭申し上げたように、携帯電話動員がでてきた。

C:北京の方では大使館に石を投げてもよろしいと。

宮崎:いやいや、そういう指示は廻っていません。

C:でも、レンガがちゃんと用意してあったので、

宮崎:ええ、それは公安が指示書で、文書で残すようなものではありませんから。

C:あぁ、文書ではね。

宮崎:ひょっとしたら口頭で、そういうことを言っていたかもしれませんけれども。

C:用意したということは、当然投げることを前提にしているのでは。

宮崎:それは、日本の大使館は昔のように、ビデオでもって、活動家の顔を撮るべきですよ。何にもしていないんですよね。本当に情報収集能力ゼロです。

C:民放の方は撮っていましたよね。

宮崎:ええ、民放各社もずい分アルバイトを入れて、フィルムをそういう所から映像を買っていたようですが、あれだって後でライブラリーを作って分析しなくちゃね。そうすれば、必ず活動家が出てきますから。

C:上海の方は予想外の出来事だったとしても、大使館に石を投げるというのは、どういう感覚ですかね。

宮崎:両方とも共通しているのは、北京は中間村といって、シリコンバレーで、ちょっと都の西北じゃないけれど、北京の西北にありまして、大使館まで20キロくらい歩いてあるんです。歩いて4時間あるんですよ。ですから当初はあの辺で、デモをやっておしまいという計画だったんですよね。ところがずーっとみんな歩き出して、人が増えて、それで途中で考えが変ったか、現場の人達が指揮を変えたか、どっちかだと思います。上海も人民広場から領事館まで、16・7キロありますから、歩いて4時間かかりますよ。当局はやはり最初はそんな遠いところまで、歩くまいと思っていたに決まっているんですね。

西尾:途中ちゃんと江沢民の私邸を迂回したりとおっしゃった。

D:大使館投石というけれど、クリントンの時にコソボでアメリカの空軍が間違って中国大使館を爆発させて、ぶっ壊して、人が死んだんでしたよね。あの時のデモは日本のデモとは違う。

宮崎:あれは完全に流れたんですよ。サッサ―というアメリカの大使は命からがら逃げたんですから。

D:あの時は本当にこれは、大使館○○・・・・・・だったんですが、

C:大きな石を投げるのは静止した、新聞にはそう出ていましたね。

宮崎:いやいや、火炎瓶を投げたんだよ。

D:中には火事がありましたね。

E:先ほど、先生は反日教育のことで、あまり影響が無いのではないかという観点からお話しになったんですが、私はこれは非常に大きな問題ではないかと思うのです。今回の先生の資料を読みますと、中国のメディアの論調がなぜ悪いかというと、それは文明国の規(のり)をはずしている。

 これは民主主義の国家であるわれわれ国際社会には受け入れられないなという観点からの、つまり今のデモでいえば、物を投げたりということへの非難というふうに受け取れるのですが、そこをはずせば、整然とデモが行われて終わっていれば、じゃあ必ずしも欧米のメディアは中国の批判へ廻らなかった可能性もある。ということは、どういうことになるかというと、そこは日本が悪い、日本と中国との構図が、日本が悪いということが相対的に上がってきてしまうと思います。

 私は盧溝橋の博物館しか見たことがありませんが、やはりああいうものを見たら、たとえ一日の参観であっても、あれを見て育つということは、潜在的に心の中に残るわけでありまして、そこをさらっと反日教育はたいしたことはないというよりも、かなり問題だという認識を持ったほうがいいのではないかと思います。

西尾:たとえば日本政府が持ったほうがいい、と・・・・

E:もちろんそれもそうですし、そこが我々も中国に対して訴えるポイントだという風に、認識をするべきではないかという気がいたします。

宮崎:よくわかりますよ。われわれの民族感情としても、腹がたってしょうがないんですけれど、あれやっぱり本気じゃないんですよ。見に来ている人たちは。学校教育でも小さい時から子供は答案にはこう書きなさいと教わっているんです。現実は違うということは、みんな百も承知なんです。

西尾:そんなに区別がついているのかな。そのうち一緒になっちゃう。

宮崎:いや、ならないんですよ。文革の現実と・・・

E:ちょっと説明の仕方が悪かったかもしれませんが、中国人の末裔が信じるということよりも、彼らがそれを使えるものだという意識をもって、要するに欧米人がそれに着目をすることが問題なんだろうなと思うのです。

 日本と中国の間だけであれば、お互いに何世紀も昔から違うことを言い合って、それで済ませてきたという歴史があると思うのですが、超大国のアメリカというものが間に入ることにより、そういう存在がある以上、彼らにもなるほど日本にはそういう非があるのかと思わせるような材料を提供することは、きわめてマイナスなんじゃないかと思います。

西尾:それを日本政府はいつも黙っているんだね。

「宮崎正弘氏を囲む――中国反日暴動の裏側(九)」への2件のフィードバック

  1. 血で塗られたA級戦犯」に反省せよ!とかは自分の首を絞めることになるのですがねぇ・・A級(「和に対する罪」B級:「通例の戦争犯罪」C級:「人道に対する罪」ですが罪の軽重を分類したものではないし、特に「平和に対する罪」は、この時初めて出てきた言葉で、それ以前は、そういう概念すらありませんでした。
    “戦闘”に参加しなかった者を軍事裁判で裁く目的で、
    後になってから設けられたもので、要するに国際軍事裁判条例は、1945年に制定されたもので立派な『事後法』なんです。BC級と違い、A級には明確な国際法違反事項が無く、明確には何の戦争犯罪も犯していません。
    従って「血塗られたA級戦犯」という言葉は成立しません。戦場で戦うとかゲリラをしたとか虐殺とは無縁です。執務室で座っていただけのですよ。又この裁判の日時には中国は血塗れの内戦中で大陸は屍が累々状態でした筈で自分達が血塗られた闘争をして人民を巻き込み殺し合いの最中ですよ。4年後の1949年中国人民共和国は樹立されました。それから3年後の1952年4月28日サンフランシスコ講和条約締結で同講和条約第11条では同時に、「戦犯」の赦免や減刑については、「判決に加わった国の過半数が決定する」とも定めていたので、日本はそれに従い、圧倒的多数による国会決議を元に各国と交渉しました。そして、日本は関係国(11カ国)に了解を取り付けた上で、戦犯の「赦免」を実現させました。こうして「戦犯」の人達は国内外から免責され、
    結果として靖国神社に合祀される対象となったのです。
    世界中の許可つきの無罪です。血塗られたA級戦犯の言葉はアメリカ人に反作用を起させる働きが有ります。
    「血塗られた北朝鮮ゲリラ英雄=韓国ノムヒョン大統領の義理の父親の墓参り」正に血塗られた恐怖の人そのも歴史問題とか小泉ライオンの靖国神社参拝反対は虎の尾を踏んだデモでした。
    2003年5月韓国のノムヒョン大統領が米国のブッシュ大統領を訪問した日の記憶がホワイトハウスの大統領側近達の記憶を呼び覚ました。それは韓国が米国の駐韓米軍の戦車が少女をひき殺した事から猛烈な米軍バッシングが起きた。ノムヒョン大統領は韓国の反米勢力の上に乗かて出て来たし、国内の反米勢力を結集してアメリカに対抗する為に政権に就いた。ノムヒョン大統領は今になって「韓国内での米軍基地は必用であると言い始めて米軍の撤退を求めた事を取り消してくれ!」と言う発言を全く信用していない。ノムヒョン大統領自身が北朝鮮の政治勢力の一部だと考えてる。{ノムヒョン大統領は(父親の墓参り)をしてから米国を訪問したのだ。}ノムヒョン大統領の義理の父親は北朝鮮のゲリラで朝鮮戦争の時に大勢のアメリカ兵を虐殺した人間だったのでその名前は広くアメリカ人に知れ渡ってるのだ。又2002年韓国大統領の選挙の際にもこの父親の墓参りをした。此れも広くアメリカ人は不快に思ってる。おまけにアメリカのケーブルテレビでは毎日「M・A・S・H」と言う古い朝鮮戦争時代の前線で傷病兵士達の治療に当たったという軍医と看護婦の物語を流してる時期だった。毎回のように傷病兵士が運ばれてくる場面が有る。アメリカの人々は13万人以上も若者の血を死傷させた戦争を忘れようにも忘れては居なかった。其処へ反米運動が起きて米軍撤退まで要求した金大中大統領から新大統領とっして出て来たノムヒョン大統領の態度はアメリカ人を酷く怒らせている。50年以上も韓国を北の脅威から守って来た米国民はその最初の登場の段階から非常に衝撃的だったのだ。その時も皮肉にも靖国神社参拝問題で韓国や中国が日本へ内政干渉していたのですよ。一度ならず二度もこの韓国大統領は義理の父親の墓参りをしてた。日本のマスゴミはこのニュースを報道しかった。ところが大勢のアメリカ人はこの事実を知ってるのです。
    ノムヒョン大統領の父親の墓参り行為がアメリカの人々の彼に対する反感を強めており「金正日と同じだ」と言う評価を作り上げてる。ノムヒョン大統領の義理の父親が北朝鮮のゲリラであったその人の墓参りをし、その上で選挙に臨み勝ったと言う事や米国訪問前に墓参りをしてきたから来た事を大変印象すけた。韓国内ではビジネスの上からも米国と友好を続けたいと言う人々も大勢居るしノムヒョン大統領を支持する人ばかりでは無い。ノムヒョン大統領は僅かの差で選ばれたに過ぎ無い。今になってノムヒョン大統領が「反米的な姿勢は選挙運動の一つだった」と釈明してもブッシュ大統領は元々反米的だったノムヒョンを信じない。
    依然としてノムヒョン大統領を反米勢力のリーダーとみなしている。アメリカに対する感謝の気持も今の韓国の若者には無いと益々考えられている。わが国の首相の靖国神社参拝を云々するこの韓国政府や中国政府の表明はアメリカ人にはこの出来事を思い出させる副作用が有るのです。今の韓国の若者は「北朝鮮が核を持ってる事は知っていますがしかし同属である我々を攻撃する事は無いでしょう。わが国は経済的にも支援してるのだから信頼関係が育ってる」とも言われてる。ましてや「大きな声では言えないが同じ民族の金正日が核兵器を作ったのを誇りに思う」という声も収録されてる。アメリカから考えるとそういう若者を率いてるのがノムヒョン大統領の友人達である。
    アメリカはもう韓国政府は助けないだろう。だから一層中国政府と協同戦線で「反日デモー歴史教科書と首相の靖国神社参拝禁止」を声高く吼えまくる程自分の首を絞めてる事になるのがまだ気が付いていないの人物の墓参りする韓国大統領へ怒りが渦巻くのです。
    ちゃんと言い返すし、広報で矛盾をとっちめないと駄目です。日本人そのもが歴史認識が過去のなり知らないから鵜呑みにします。私は西尾先生や宮崎先生の本ヲ全部読んで理解するまで1年半図書館で借りまくり理解できましたから・・。

  2. 南京虐殺は無かった!無罪です。虚報!
    裁判で証拠が出ましたぁ!
    今日5月22日の宮崎正弘メルマガ掲載です。
    嬉しいですねー。皆様御苦労様です!
    (お知らせ)5月18日、百人斬り裁判の結審があった。訴訟内容
    は、原告への慰謝料と、訂正記事の掲載を求める民事訴訟である。本来の目的は、南
    京裁判の過ちを招いた原因である東京日々新聞(現毎日)の虚報を明らかにし、抗日
    記念館展示や書籍が完全に追放されること、虚報を認めなかったメディアなどの社会
    的信用を失墜させることにある。
    >  原告側は野田少尉の妹野田マサさん、向井少尉の長女恵美子クーパーさんと次女
    の向井千恵子さん、高池主任弁護士、稲田弁護士が口頭弁論を時間制限の下で述べ
    た。
    >  被告席には朝日、毎日両新聞、柏書房が出席したが、本多勝一被告は欠席し、代
    理人渡辺弁護士がそれぞれ陳述した。詳細は5月21日(土)の日本テレビ、19日1
    6時から17時の桜チャンネルなどで放送された。
    > 6月3日(金)には午後7時から文京シビック・小ホールでの「勝利判決を目指して
    決起集会」が開催され、高池弁護士、稲田朋美弁護士のほか黄文雄と宮崎が講演す
    る。この会合については近日詳細をフォロー。
    >   ◇

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