非公開:『GHQ焚書図書開封 2』をめぐって(一)

 『GHQ焚書図書開封 2』は昨年の年末に出版された。比較的よく売れているようだが、詳しいことはまだ分らない。

 「GHQ焚書とは何か」の追及は、第1巻では章立てして論じたが、第2巻ではこれをしていない。歴史書の具体的な紹介だけにしている。そのほうが内容尊重で、今回は大切だと思ったからである。

 恐らく第3巻は再び「GHQ焚書とは何か」の理論的追及の一文を加えるだろう。第3巻は今年8月を予定している。

 草思社の会長の加瀬昌男氏は私のこの仕事に以前から注目して下さっている。昨日葉書をいただいた。

 「このようにまとめられるのは大変なお仕事だったと拝察いたします。戦前戦中の著者たちが、相当な水準にあったことが察しられました。」

とまず書かれていて、今回のバターン死の行進をめぐる冒頭の章を踏まえて、

 「バターンは米比軍の食糧供給が日ましに少なくなっている状況をかつて読んだことがあります。小学生でも歩けるS・フェルナンドまでの道を歩けなかったのは空腹以外にありません。」

と、私の分析と推理をお認め下さり、

「アメリカは自分の責任を全部日本に押しつけたという感じです。西尾さんのお仕事の完成が待たれます。」

と結ばれていた。私はこれに対し、私の焚書の開封は量的にほんの僅かで、まだ0.1パーセントくらいしか出来ていないのだから今後この仕事に「中断」はあっても「完成」ということはなく、条件が許される限り延々とつづけるだけである、と述べ、言論雑誌にほとんど反響がないのは予想していたこととはいえ残念で、夏までに自ら『諸君!』に問題提起の論文を書くつもりである、「いわば自己宣伝しながら驀進あるのみです」と認めた。

 「GHQ焚書とは何か」の理論的追及を言論雑誌に自ら載せて、世論を喚起し、それを第3巻に取り込んでいくつもりである。

 幸い、溝口郁夫氏や岩田温氏がこの仕事に関心を示して下さっているので、共同研究ができればありがたい。私ひとりの力ではもうたいした規模は切り拓けない。

 年頭に宮崎正弘氏が真先に第2巻の書評をご自身のメルマガに書いて下さったので、以下にご紹介したい。いつも素早い対応に感謝している。
  

西尾幹二『GHQ焚書図書開封2』(徳間書店)
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 △近・現代史はペリー来航から総括しなければならない

 「戦中派」の西尾幹二氏とて、林房雄の『大東亜戦争肯定論』に遭遇したとき、新鮮な驚き、しかもペリー来航から百年戦争という視野で近代史を捉えていることに共感したと後書きに吐露されている。
 戦後の偏向教育と左翼マスコミの猖獗により、「短い尺度で考える日本の近現代史のものの見方にいつしか染まっていた」が、「それを毀したのは、たしか二十八、九歳の頃に出会った林房雄の『大東亜戦争肯定論』です。林が幕末からの百年戦争を説いている(中略)、戦争の原因を長い尺度で捉える必要を悟りました」(本書378p)。

 私事にわたるが、評者(宮崎)が林房雄の『大東亜戦争肯定論』というショッキングな題名著作の新聞広告を朝日新聞で見たのは高校生時代、まったくのノンポリ文学青年だったので、この人は当時、朝日新聞で文藝評論を展開され、かつ週刊朝日に『文明開化』を連載され、毎日新聞に『西郷隆盛』を連載している、あの売れっ子作家とは同名異人だろうとおもったほどだった。
戦後派の感覚では「戦争肯定」という後節のシラブルの響きが、なんとも不気味で、後年、鎌倉の書斎に林房雄と訪ねた折、新聞広告でみた、その第一印象を言うと大いに笑われた。
林は朝日の文芸時評で「わたしはいまもあの戦争を肯定している」と二、三行かいた箇所を『中央公論』誌が、「もっと詳しく書いて欲しい」と言ってきたために長い長い連載評論の開始になったのだ。
 戦前「天皇制」とか「皇国史観」、「侵略戦争」という語彙はなかった。
 全部、左翼が戦後、政治宣伝に都合良くするために“発明”したボキャブラリーである。さらに言えば「天皇制」は国際コミンテルン用語である。あたかも東京裁判が、戦前の国際法になかった「事後法」で裁いたように、日本人は戦後、GHQの制定した『事後法』的な言葉狩り、語彙の押しつけ。これらの政治宣伝戦争においてもわれわれは左翼に敗れた。民族の記憶、歴史の記憶が消されかけ、洗脳されてしまった。GHQが重要な書物を焚書としたことに起因するのである。

 西尾氏は講演の中で次のように言う。
 「昭和3年から、昭和20年までという17年間の間に約22万点の単行本を含む刊行物が日本では出ていました。約22万点。その中から9288点をまず粗選びして、最終的に7769点、それをリストとして確定し、焚書図書として指定しました。つまり「没収図書」です。これがアメリカ側の行った大まかな行動です」(日本保守主義研究会7月講演会記録より)。

 さて本書は歴史探訪、昭和史の謎に挑むシリーズの第貳弾。戦後派にとって、GHQによって闇に葬られ、「戦後派」以後の世代にとっては、殆ど聞いたことのない本がずらりと並ぶ。
 これら焚書図書はなにゆえに、いかなる根拠で、しかも誰が選定して発禁としたのか。図書館や個人の書斎から取り上げたのか。「戦後の言語空間」の闇は果てしなく深いことがわかる。
 この第二巻では、戦後マスコミが殆ど取り上げなかった大東亜戦争のもうひとつの主力舞台、つまり太平洋の島々からインドシナ半島へといたる広大な戦線での「真実」である。
評者のような「戦後派」は、殆ど何も教わらなかったし、いや何が戦争中にアジアで起きたかを知る手だてがなかった。かろうじて大岡昇平「レイテ戦記」や阿川弘之の文学作品くらいである。
 パレンバンで日本兵(♪「見よ、落下傘」のモデル)がわずか五名で敵兵百数十を討ち取り、さらに数百を捕虜にしたなどという真実の武勇伝も、のちに山川惣治の物語の復刻で知るほどに、アジア戦線での歴史はかき消されていたのだ。
 ベトナムやインドネシアで、日本兵の活躍で彼らが独立を勝ち得たことも、いまとなっては小説の世界でしか知ることはない。

 火野葦平はフィリピンに従軍して『パタアン半島総攻撃従軍記』を書いた。米軍は食糧不足で自壊した“本当の”事実などに触れながら、所謂「パターン死の行進」の嘘の部分を、フィリピンの捕虜や「アメリカ人捕虜の安らかな夜」などを通して活写している。
 この火野葦平の力作は当然ながらGHQによって消されていた。本書はかなりの頁を割いてパターン半島の真実に迫る。
 またオランダがいかに残虐なインドネシア支配を行ったか、その収奪の反省もしない、植民地からの搾取ぶり、そしてベトナムに進駐した日本軍を、その軍律の厳しさをしったベトナムの民衆が、『日本民族は世界一道義的である』と認識したか。フランスのインドシナ侵略と植民地化の搾取のひどさと比較される。
 フランスはいまもニューカレドニア、タヒチを植民地として支配し、百回もの核実験を行っている。
 これらはすべて連合国にとって「不都合な真実」だった。ゆえにGHQの焚書対象となって、日本から消された。

 仲小路彰という人がいた。『太平洋侵略史』を6巻にまとめ、欧米の侵略歴史を表した。いま、古本ルートで一つだけ入手可能だが、一冊が三万円近い。目次を読んだだけでも、戦前の日本の知識人がいかに客観的に、適切に世界の動きを分析し把握していたかが、明らかになる。

 西尾氏は、これらの焚書図書の重要部分を丹念に拾いながら、第貳巻の最後では大川秀明の『米英東亜侵略史』について演繹され、その神髄にある大川の歴史観を紐解きながら、「ロシアから中国や朝鮮の領土をまもった日本」、「日本をおいつめた米国の尊大横暴」を縦横無尽に論証していく。
快刀乱麻をたつ傑作であり、労作である。
 「アジアを侵略したのは欧米であり、日本ではなかった」という歴史の真実が、焚書を開封することにより、これほど強烈に明らかになるのだ。
 本書はいずれ文庫入りし、国民必読の教養書となるだろうと確信している。

文:宮崎正弘  
  

  

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