音楽評論家浅岡弘和さんのブログ巨匠亭から,許可を得て転載させていただいた画像です。西尾先生の所在を知らせるためのアドバルーン(銀色の風船)が上っています。
長谷川真美
4月4日の出版記念会に出席して下さった中の主だった人々
(A) 黒井千次、高井有一、岡田英弘、宮脇淳子、加瀬英明、桶谷秀昭、高山正之、日垣隆、藤井厳喜、平川祐弘、入江隆則、富岡幸一郎、猪瀬直樹、工藤美代子、百地 章、佐藤雅美、井尻千男、黄 文雄、田久保忠衛、渡部昇一、関岡英之、高階秀爾、吉田敦彦(神話学者)、遠藤浩一、石 平、三浦朱門、福井文雅(宗教学者)、萩野貞樹(国語学者)、呉 善花、平間洋一(近代日本史家)、饗庭孝男(文芸評論家)、ヴルピッタ・ロマノ(日本文学者)、カレル・フィアラ(日本文学者)、秦 恒平、石井竜生、潮 匡人、岸田 秀、西村幸祐、山崎行太郎、新野哲也、岸本裕紀子、大島信三、浜田麻記子、合田周平、花岡信昭、福田 逸、福地 惇、山際澄夫、高橋昌男、藤岡信勝、田中英道、大蔵雄之助、平田文昭、堤 堯、花田紀凱、宮崎正弘、
(B) 林田英樹(前東宮大夫・国立新美術館長)、伊藤哲朗(警視総監)、朱文清(台北代表処)、上野 徹(文藝春秋社長)、齋藤 禎(日本経済新聞出版社会長)、松下武義(徳間書店社長)、加瀬昌男(草思社会長)、木谷東男(草思社社長)、千野境子(産経新聞論説委員長)、鈴木隆一(ワック社長)、松山文彦(東京大神宮宮司)、山本卓眞(富士通名誉会長)、加藤惇平(元ベルギー大使・外務省元審議官)、黒河内久美(元フィンランド大使・軍縮会議日本政府代表部元大使)、尾崎 護(元大蔵事務次官・国民生活金融公庫総裁)、早川義郎(元東京高等裁判所判事)、奥島孝康(前早稲田大学総長)、岡本和也(元東京三菱銀行副頭取)、大島陽一(元東京銀行専務)、羽佐間重彰(元フジサンケイグループ代表)、田中健五(元文藝春秋社長)、川島廣守(元プロ野球コミッショナー)、藤井宏昭(国際交流基金理事長)、関 肇(元防衛医大副校長)、松島悠佐(元陸上自衛隊中部方面総監)、重松英夫(元陸上自衛隊関西地区補給処長)
(C) 山谷えり子(参議院議員・首相補佐官)、泉信也(参議院議員)、古屋圭司(衆議院議員)、高鳥修一(衆議院議員)、西村眞悟(衆議院議員)、戸井田とおる(衆議院議員)、古賀俊昭(都議会議員)、森喜朗(代)、中川昭一(代)、
祝金 森喜朗(元首相)
柏原保久
念法眞教
岩崎英二郎(元独文学会理事長)
川渕 桂
加藤 寛
野井 晋
杉山和子
伊藤玲子花輪 文藝春秋
徳間書店
ワック
PHP研究所
産経新聞(住田良能、清原武彦 羽佐間重彰)
台北代表処(許世階)
植田剛彦
長谷川三千子
坦々塾祝電 高市早苗(衆議院議員・内閣府特命担当大臣)
下村博文(衆議院議員・首相補佐官)
平岡英信(学校法人清風学園理事長)
楠 峰光(西日本短期大学教授)
高松敏男(大阪府立中之島図書館員)
武田修志(鳥取大学助教授)漢詩 寄上梓記念賀莚 孤劍楼(加地伸行)
出席総数382名
出版記念会事務局より以上の報告がありました。西尾先生から各方面へ心より御礼申し上げたい旨、伝言がなされていますことをご報告いたします。
今こうして主だった人たちの名前を目にして、有名な方々が大勢来られていただろうということは感じていたが、予想以上の顔ぶれにびっくりした。会場では政治家をマイクで紹介したり、祝電の紹介もなかったので、森元首相からお祝いがあったことも意外だった。
私が話しかけた方では、エスカレーターで山崎行太郎さん。動くエスカレーターの上でついこちらはインターネットで写真を見ているものだから、知り合いのように声をかけてしまった。
井尻千男さんは、私が隣の山口県の水西倶楽部の会合でお会いしたことを告げると、嬉しそうに握手してくださった。
西村幸祐さんには、以前西尾先生がよその人気サイトとトラブルがあった折に、仲をとって事を収めていただいたことがあり、その時の御礼をいった。
山谷えり子さんは、広島においでいただいて講演会を開いたことがあったので、すぐに挨拶に行った。今は政府の中枢におられ、選挙もあり忙しいはずなのに、わざわざ出席してかなり長い間会場におられたようだ。
名前はわからないのだけれど、壁際に並べてある椅子のところで、上品な年輩の男性がぽつんと座っておられた。私はお節介かなと思いながら、お寿司を運んでいった。普段は下にもおかない扱いをされるような、きっと社会的に地位の高い方だろうなと思う。
もう一人、受付で男性が読みにくい字で記帳していて、何と読むのだろうと思っていたら、名刺を渡された・・・・・見るとオフィス松永の松永さんだった。電話で一度お話したことがあるので、声と顔と一致しませんね、というと、それはいい意味ですか?と聞かれてしまった。二次会でかなりゆっくりとお話することができた方である。
西尾先生という一人の人間との関わりのために、あんなに大勢の人々が、あの春の冷たい嵐の中に集まっていたのだなと思うと本当に感心した。
つづく
この日、私は生まれてはじめて西尾先生とお会いしました。私は当日まで、お誘いを心底嬉しく思う反面、ハラハラする気持ちがないわけではありませんでした。私は普段ほとんどテレビは観ない人間で(DVDやビデオは呆れるほど観ます)西尾先生の本はほとんど読みながら、私の中の西尾先生の「肖像画」はメディア的には十数年前、外国人労働者問題で討論番組をした番組でストップしたままになっていました。先生の最近の姿を撮影した著作もなかったわけではありませんが、なぜか、そういうある意味貴重な本は入手し落としています。
私のハラハラは、西尾先生の容姿が、成熟とはいえない時間の流れを刻んでいたらどうしよう、ということでした。言い換えれば、あるべき成熟の時間軸からずれるように老いていたら・・・という危惧ですね。先生の最近の著作を読む限りでは、そんな心配は微塵も感じられない。思想家としての成熟を恐ろしいくらいに驀進している先生の姿が想像できます。創作家の「肖像画」というのは絵画にせよ写真にせよ実に面白いもので、たとえばトルストイは若い創作家時代も年配になった創作家時代も感動的な最後の家出間近の最晩年も、そのどの肖像画も、あるべき一人のトルストイである、という一見すると矛盾したような当たり前のような言い方ができると思います。
つまり、生涯現役の創作家である人間は、まるで必然的であるかのような時間軸の歩みをすすめていて、それが正直に現れているのですね。歳を重ねることと老いることは全然別のことなのだ、とも言えるでしょうか。作品の成熟がそれを「肖像画」へと、忠実に反映しているのですね。対照的に晩年、醜い「肖像画」に転じたのが永井荷風で、あの洒脱な荷風文学は晩年になるにつれて、年齢以外の何の理由もなく溶解し、彼の人生的時間は時間軸からみるみるずれ、そして荷風の肖像画も、虚ろな写真としてのみ残っています。壮年期までの荷風と晩年の荷風はあるべきでない一人の荷風である・・・西尾先生は、作品を読む限り、荷風のような老いを経験しているはずはない。
しかし実際を観るまでは・・・それが私のハラハラでした。西尾先生のファンであるからこそ、そのハラハラは心底のものだった、ともいえるでしょう。
・・・心配はもちろん、全くの杞憂でした。十数年前のメディアで観た頃のままの、早口で、物事の本質をスピーディーとらえ続ける西尾先生の姿がありました。当日の先生もまた、若い頃の先生と同じく「西尾幹二」の肖像として後世にはっきりと残る先生の姿だったわけですね。やはり著作内容通りの成熟の時間を歩んでいる先生の「肖像画」が私に、幾つも刻まれていきました・・・私が特に驚いたのは、パーティーの後の打ち上げで、私の眼前で、とある有名保守系オピニオン誌の編集長を相手に一糸乱れぬロジックで「オピニオン誌から政治家の文章を追放せよ」とある種激しい感情をこめて主張されたことですね。
衰えるどころか、逆にますます盛んなエネルギーを発している先生を感じて、私は驚きを感動に変えていきました。かつてドイツの各地公演で、傲岸不遜なドイツ人を前に、感情的に喋り、つい大きな声で「目をさましてください!」といったという先生のエピソードを思い出しました。少し後、先生の話題が別にそれたとき、その保守系オピニオン誌の編集長に私は小声で「やはり西尾先生は二百歳まで生きますね」といったとき、私より一回り大きい年齢の彼は、満面の笑みを浮かべて肯いていて、そのことが思い出深い一晩のいろんな記憶の中で、最も大きい印象をもって私に残っています。