週刊ポスト2010年6月18/25日号にて、憂国オピニオンワイド「言わずに死ねるか」と題して、筒井康隆・三浦朱門・山折哲雄・岸田秀・長部日出雄・西尾幹二・呉智英の七人が筆を執った。インタビューの記事に修正を加えた文章なので、不本意な文体ではある。緻密さを欠く文章であることは承知の上で、面白いところもあるので、ご紹介する。
ひどい表紙絵であるが、私の名もこんな形で載った。七人一緒なので、みんなで渡れば怖くないの一種である。
●政治・経済・外交・軍事のバランスこそが肝要だ
西尾幹二74評論家
あの時、米軍を「進駐軍」と呼んだのが大きな過ちだった日本の歴史教育は、満州事変以後の日本軍の暴走という考え方を戦後ずっと子供たちに植えつけてきた。その結果、あたかも日本が世界に対する侵略国家であるかのような誤った認識が定着した。戦争を知らない世代が政治家や経済人に多くなるにつれ、政治、外交、防衛が旧敵国の圧力で翻弄されるようになってきた。
満州事変以後の「昭和史」に限定して日本の侵略をいい立てる歴史の見方には、一つの政治的意図があった。日本を二度とアメリカに立ち向かえない国にするというアメリカの占領政策である。自らにとって、“都合のいい時代”を抜き出すことで、一方的に日本に戦争の罪を着せようと考えたのだ。
アメリカだけでなくソ連も参加し、特定の期間の歴史を強調した理由はもう一つある。ロシアを含む欧米諸国が400~500年も前から地球上で起こしてきた侵略の歴史をあいまいにするためだった。
たとえば、イギリスが東インド会社を設立してアジアへの侵略を開始したのは1600年。同じ年、日本では関ヶ原の戦いをしており、地球の涯(は)てを犯すという妄想さえなかった。その後イギリスはインドでの覇権を賭けてフランスと戦い、1757年のブラッシーの戦いで勝利する。日本史でいえば本居宣長が生きた時代である。
そこから日本の幕末までの間に英、蘭、仏、露によるアジア侵略はほぼ完了した。1936年時点で、列強の地表面積における支配は、イギリス27%、ソ連16%、フランス6%、アメリカ6・7%で、合計58・7%――実に地球表面の6割近くをわずか4か国が占領していたというのが歴史的事実だ。日本はそれに対して国をあげてNOといった最初のアジアの国なのだ。アジア解放と自存自衛が大東亜戦争を世界に宣言した目的である。
アメリカは欧米の暗い過去を隠すため、GHQの占領政策のなかでいつの間にか「侵略をしたのは日本だ」というすり替えを行なった。問題は、このように意図的に仕組まれた占領政策の呪縛から日本がいまだに脱することができていないということだ。
戦後65年経った今も、日本はアメリカに騙され続けている。昔は「英米の侵略」といい、「日本の侵略」という言葉は存在しなかった。それを忘れ気づかない今の日本国民の愚かさは目を覆うばかりだ。いい加減にこの状況から抜け出さない限り、日本という国家はいずれ消滅してしまうだろう。それは、日本人が長い年月をかけて築き上げた歴史と伝統が蹂躙され、「日本人」という“民族”ではなく、外から来て日本に住んでいるだけの“住人”しかいないただの「列島」になってしまうことを意味する。
太平洋戦争は終わっていない
日本人は真実を知る必要がある。大東亜戦争は日本がはじめた戦争では決してないということだ。あくまで欧米諸国によるアジアに対する侵略戦争が先にあって、日本はその脅威に対抗し、防衛出動している間に、ソ連や英米の謀略に巻き込まれたに過ぎない。次に、日本は中国大陸を含め、アジアのどの国も侵略していない。侵略と防衛との関係は複雑である。もしも日本が防衛しなかったら、中国の3分の1と朝鮮半島はロシア領になっていただろう。中国が対日戦勝国だと主張するのは大きな誤りなのだ。
そもそも戦前の中国は国家の体をなしていなかった。清朝の末期から1970年代の文化大革命まで内乱の連続だった。満州事変当時も国民党、共産党のほかに軍閥が跋扈(ばっこ)し、いくつもの“政府”があった。日本はそれらの政府の一つと条約を結び、自国の居留民を守るために軍隊を駐留させていた。しかも、その条約ではある時期には中国人を守ってほしいと頼まれてもいた。英米仏独の各国も軍隊を駐留していた。
日本の駐留基地は盧溝橋事件で中国兵から攻撃を受けた。それは在日米軍基地に日本の自衛隊が攻撃を仕掛けたようなもので、その場合アメリカはこれを侵略とみて日本への宣戦布告の理由にできる。日本が中国兵に応戦したのは当然である。戦争を拡大したのは諸外国の謀略に基づく支援をうけた蒋介石であった。
1945年の敗戦の際にわが国に起こったことは、米軍による「解放」ではなく「占領」である。しかも、米軍は一時的な「占領軍」ではなく1か国による「征服者」だった。アメリカはその後、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争と世界各地で戦争を繰り返した。しかし、日本に対してやったような、戦後の社会と政治までをも変更して支配する「征服戦争」は一度もしていない。アメリカにとって日本は初めてのケースであり、その意味で日本の戦争はまだ終わっていない。日本は「大東亜戦争」ではなく「太平洋戦争」という名の新しい戦争を戦後にアメリカから仕掛けられ、今もその戦争は継続している。
征服者を「進駐軍」と呼んでしまったことが大きな過ちだった。連合軍を「国連」と訳し直して(この二つは同じもの)なじみ、敗戦と考えたくなかった日本人は、「終戦」と呼んで経済復興にだけ力を注いだ。この弱さはアメリカと手を携え、反共反ソの思想戦にのめり込んでいった。それが保守と呼ばれた勢力の関心事であり、戦後の保守は親米反共で満足し、真の敵が見えず、自民党の崩壊はその必然の結果である。
鳩山政権は普天間基地の問題で幼い不始末を天下に晒した。沖縄の基地に変革を加えたいのなら、まず憲法を改正すべきだった。名実ともに国軍の地位を確立し、米軍から信頼の得られる軍事力を備えることから着手すべきだった。
私は米軍を日本列島から排除すべきだなどといっているのではない。むしろ日本艦隊が米軍と共同して太平洋を管理するという、成熟した関係の構築を目指すべきだと思う。一方的な依存関係から脱することをまず目標とすべきなのだ。
国家を車に例えるなら、政治、経済、外交、軍事の四輪は同じ大きさでバランスをとることによってはじめてうまく回転する。
これまでの日本は経済だけが突出して大きく、その経済に外交と軍事の代役を押しつけていた。そんな「経済大国」から脱皮することは、むしろ今後の日本にとって幸いなことだと思う。