西尾幹二の7月の仕事

1、評論  「教育再生会議」有害論
  Voice 8月号(7月10日発売)
  7月号の「『教育再生会議』無用論」
  につづく第2弾。無用論は道徳教育をめぐって論じたが、
  有害論は学校選択制の根本的間違いを問い質す。

2、対談  「文明」に名を借りた戦犯裁判の欺瞞
  川口マーン恵美さんとの対談。
  正論 8月号(7月1日発売)

3、放送  オランダのインドネシア侵略史①7月3日 ②7月31日
  文化チャンネル桜「GHQ焚書図書開封」第12・13回分

4、出版  国家と謝罪
   ――対日戦争の跫音が聞こえる――
  徳間書店、約320ページの評論集。7月25日店頭。

5、出版  日本人はアメリカを許していない
  ワック出版。解説高山正之氏。7月末日刊行。

夏には外国旅行も計画しており、少しゆっくり内省したいので、このあとしばらく休憩します。また秋に活動を再開します。

小冊子紹介(二十)

謝辞 西尾幹二

 私にとって出版は余技ではなく、これをいわば生業として参りましたので、私は出版記念会をしてもらうべき立場ではないと考え、今まで固辞してきました。しかし今回気が変わりました。ある人に電話でそういうお話をいただいて迷っているのだと申し上げたら、「先生、お受けになってください。先生は明日お亡くなりになっても不思議はない年齢なのですから、ぜひお受けになってください」とズバリと言われて、ああそうかと思ったからです。

 私は格別健康に不安はなく、早くも次の著作へ向けて活動を開始しているのですが、言われてみればこの人の言うとおりです。私は『江戸のダイナミズム』よりもっと大きな本を書く計画ですが、運命がそれを見離すかもしれません。これが最後の大著とならないとも限りません。出版記念会を開いてお祝いしてあげようという友人知人の皆さまの声に素直に従うことにしました。

 私は28歳のときドイツ文学振興会賞という学会関係の小さな賞をいただいたことがあります。修士論文を活字にしたものです。「ニーチェと学問」と「ニーチェの言語観」の二篇が対象でした。もうこれでお分かりと思います。「学問」と「言語」は『江戸のダイナミズム』の中心をなすテーマです。若い頃の処女論文のあの日から一本の道がまっすぐに今日までつづいて、そしてそのテーマを拡大深化させたのが今日のこの本だと言っていいのかもしれません。

 学会に論文を推薦してくださったのが秋山英夫先生、論文審査会の審査委員長が高橋健二先生、そして、そのときのドイツ文学振興会の会長が手塚富雄先生でした。翻訳などでよく知られたこれらの先生がたのお名前を懐かしく思い出してくださる方もいるでしょう。ですが、もうどの先生もいらっしゃらないのです。

 「あのときの君のあの論文が今日のこの大きな本になったのだね」と言ってくださる先生がたはもう何処にもいません。人生の悲哀ひとしおです。

 本日の会を開いて頂いて、今度の本が私の一生にとっても特別記念に値する場所に位置していることを、このように改めて思い出させてもらったことも有難く思っております。

 それにしても、貴重な春の宵のひとときを犠牲にして私のためにこうして皆さまに御参集いただけましたことは、望外の出来事であり、驚き、かつ深く感謝申し上げております。

 会の企画を提案してくださった多数の発起人の諸先生、日本を代表する出版社のトップの方々、また具体的に今日の会を立案し、動かしてくださった事務局のスタッフの皆さまにも、厚くお礼を申し上げる次第です。

 本当に有難うございました。

小冊子紹介(十九)

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加地伸行氏から漢詩を頂きました

寄上梓紀念賀莚
西風如夢報邦恩
矯尾葵期力本論
幹器亂杯今夕酒
二毛文友忘忠言

平成丁亥四月初四

弧劍樓(印)

上梓紀念の賀莚(がえん)に寄(よ)す  加地伸行(孤劍樓)
西風夢の如く邦恩に報い
を矯(ため)せし『葵期(あふひき)の力本論』にあり
器 亂杯(らんぱい)せよ 今夕(こんせき)の酒
毛文友 忠言を忘る

平起 「紀年」は「記念」の華訳。「矯尾」は優辯無類。
元韻 「力本論」はダイナミズムの華訳。「文友」は作者。
   「忘忠言」は陶淵明「飲酒」の「辯ぜんと欲して言を忘れる」の戯用。

小冊子紹介(十八)

小林秀雄『本居宣長』のこと(2):西尾幹二

 私が宣長でぶつかった最大の謎は今のこの、文字なき時代の言語生活のテーマではなく、儒学という合理主義の唯中における彼の信仰の問題でした。私が宣長の同時代人としてのカント、それにベルジャーエフを引き合いに出してなかば絶句したあの問題です。小林秀雄がこの点でカントを気にしていたという話も私は聞いたことがありません。

 そんなわけで、私が小林秀雄『本居宣長』を私の本の中でぜひにも取り上げ、論及する必要がなかったことは以上で明らかでありましょう。方法論も、アプローチの仕方も、目的とする叙述の範囲も、全然異なる別方向の本なのです。

 本の帯が誤解を与えたと思いますが、帯は商品広告です。武田さんは小林秀雄の愛読研究家で、そういう人は日本の読書界に多いので、あえて申し上げたい。小林の目を通して世界を見て、それを世界の全部だと思うのはもうそろそろ止めた方がいい。

 小林秀雄を先達として尊敬することにおいて私は人後に落ちないつもりですが――私の批評家としての出発点は小林秀雄論と福田恆存論とニーチェ論でした――人は自分が選んだ師匠を真に師匠として信奉していくには、師匠とはまったく違った、場合によっては逆になる道を一生かけて切り拓かなくてはならないのがむしろ宿命なのです。私のこの本が福田恆存『私の國語教室』に反旗を翻したことに読者はお気づきでしょうか。

 私は本書のあとがきで、すべからく研究家は江戸の思想家からの引用文に現代語訳を添えよ、と強調しました。武田さんとは別の、小林秀雄のある愛読研究家がいて、「小林は自分の引用に現代語訳などを添えたりはしない。そういう低級な読者は相手にしないのだ」と信者らしい言い方をしたからです。

 しかしこれはおかしい。間違った考え方だと思います。私の見る処、現代訳語を添えない場合には、私が引用したような徂徠などの難解で長大な文章の引用はこれを避ける、という傾向、引用に自ずと制限が生じる傾向があるように思います。

 江戸の思想のあるものは言語的に本当に近づきがたいものになっているからです。徂徠も難しいが、契沖はもっと厄介です。私は友人の国文学者と中国文学者の援けを借りてもなお解けない謎に再三ぶつかって往生しました。

 今なお困難な読みの探索は続いています。

 私は可能な限り平明に書くのが文章の理想と信じています。少なくとも引用文で読者を迷わせることだけはしたくないと思っています。

小冊子紹介(十七)

小林秀雄『本居宣長』のこと(1):西尾幹二

 武田さんから右の手紙に小林秀雄『本居宣長』のことが述べられていましたので、いい機会ですから一言書いておきます。

 江戸思想の研究家で西洋や中国と比較しないで日本一国に立て籠もる方法論の狭さは、ひとり小林さんだけでなく、日本のすべての研究家についていえることだと思います。私はあとがきでそう書いたはずです。

 武田さんは私が自著の中で特別に小林秀雄を取り上げ、評価するなりきちんと所見を表明すべきだといいますが、それは必要なら私以外の第三者がなすべきことで、私が自著の中で、わざわざそんなことをするのはおかしいのではないでしょうか。

 『江戸のダイナミズム』は本居宣長や古事記伝を論じた本ではありません。私の最初の関心は荻生徂徠でした。そこから入って清朝考証学に関心が移りました。「音」が近代中国の学問の中心をなすテーマであることを知り、徂徠がこの問題意識で中国の学者に先んじていることに驚きました。日本ではその後「音」のテーマは国学に移り、宣長から橋本進吉へ受け継がれていくことを私は学習し、漢字を使う両文明の精神史の一面として追跡し、その順序で叙述しました。

 文字なき時代の言語生活の健全さ、すなわち言語は音であることは、言語学のイロハであって、これは格別誰の思想とはいえない自明の話だと思います。地球上で知られる言語の数は約三千、文字は約四百です。「言語学ではとくに断らない限り音声言語のことを言語と呼ぶ」(463ページ)のです。私はホメロスなど古代歌謡が文字を使わないで制作されたこと、中国神話の伝承には盲人がある役割を演じていたこと、釈迦の教えは仏滅から五百年間も文字に記されないで語り伝えられたこと、古代中国では文字が足りないので音だけ他字から借りる仮借がおこなわれ、これは万葉仮名の確立とも並行する現象であったこと、など、文字なき時代の言語生活をいろいろな角度から論じ、その流れは日本の仮名遣い論にまで及びました。

 これらは一般的にいって宣長の学説から学んだことではありません。宣長から学ばなければ「言語は音である」とはいえないと考えたこともありません。まして小林秀雄からこの点で格別に新しい知識を得たことはありません。ホメロスも、中国神話も、釈迦の教えの伝承も、仮借も、小林が取り上げ、論述した問題点ではなかったはずです。

つづく

小冊子紹介(十六)

寄せられた読後感から

武田修志(鳥取大学助教授)(2)

 ここで、この書を読んでいる間、ずっと気になったことを一つ、忘れないうちに書いておきたいと思います。それは、小林秀雄の『本居宣長』について、やはり、正面切って、二、三ページでも、論ずるべきであった、ということです。「あとがき」に、「名だたる文芸評論家が」うんぬんとありますが、この名だたる評論家が小林秀雄であることは、先生の読者なら、大抵の人には分かるのではないでしょうか。僅かにこれだけ書いただけで、小林の方法論を、正面から批評しなかったというのは、この著作をいささか軽いものにしている――そういう感じを、私は少し受けました。

 中途半端に触れていると言うだけではなく、私などは、この『江戸のダイナミズム』を一読したとき、「小林秀雄の『本居宣長』が先行作品として存在しなかったら、この本は現在のものと相当違ったものになったのではないか」という印象さえ受けたからです。

 それというのも、この書はあとがきにあるように小林の方法論の欠点を批判するところに成立している(図面を引くというやり方)わけですが、それと同時に、多くの知見を、小林の本に負うていると推察されるからです。例えば先生の主張の一つである、我が国において文字なき時代がじつに長く続いたこと、その時代には、その時代で人間の精神生活は十全におこなわれていたこと、その、文字なき時代の言語生活も、ある意味で完全であったこと、こういう洞察は、その大部分が本居宣長の発見によると言っていいのでしょうが、しかし、これらの洞察を、深い理解をもってひろく我々に伝えてくれたのは、やはり小林秀雄であったのではないでしょうか。

 もちろん、小林の名を出さなくても、こういう知見の出所については、本居宣長本人を引き合いに出せば済むことですが、それでも一度は正面切って、小林の『本居宣長』を取り上げて、この書のすぐれている点と批判すべき点を、『江戸のダイナミズム』の中で取り上げるべきだったと私は思ったのですが、いかがお考えでしょうか。

 この本を拝読して、これから「西尾日本学」のような物が書き続けられていくのではないか、という感じを強く持ちました。

 勿論これまでも先生の日本史を見る視点には、独自のものがあったわけですが、この著作によって、多くの読者に先生独自の、未来を切り開く視点のあることが知られるようになってきたと思います。これは私のような一市井の人間にも「考えるヒント」を与えるものですが、広く学問界にもじわじわと影響を与えていくことになるのではないかと思います。

小冊子紹介(十五)

寄せられた読後感から

武田修志(鳥取大学助教授)(1)

 「あとがき」に「長編小説と思って読んで下さっていい」という言葉がありますが、確かに私はこの評論を一遍の長編小説のように味わったという感じがします。これは、信ずるものをことごとく失って混迷を深めている現代日本における、新しい自己探求の物語と言ってよいのではないかと思います。平成日本の「聖杯物語」ですね。どんな価値も根底から疑わざるを得なくなった主人公が、前人未踏の野へ歩き出した、その最初の本格的な旅路を描き出したもの――そんな印象を持って二度通読しました。

 ごく普通の言い方をすれば、この書が言っていることは、江戸時代の再評価ということになりますが、この本はそういう手堅い目的をはみ出して、今言ったように、日本人にとっての「聖杯」を求めての自己探求となっています。

 その理由の一つは、やはり著者が、多くの江戸時代再評価論者とは、時代認識のレベルを異にしていて、近代的価値そのものを根底から疑っているからでしょう。(たとえば25ページに「私は『近代的なるもの』それ自体が今の21世紀初頭に崖っぷちに立たされているという認識に立っています」という言葉が読まれます)。そして、どうして、著者がこういう認識を持っているかと言えば、学問するとは、単なる認識の獲得ではなく、同時に、学問するというこの人間的営為には、必ず自己の魂の救いと言うことがなければならないと考えているからでしょう。『近代的なるもの』は、人間の生において、無価値ではないけれども、究極的には人の魂の救いには無力です。

 この本において初めて敢行された批評的冒険は、日本を中心に据えて、単にヨーロッパと比較するのではなく、また、単に中国史・中国文化の影響を論ずるものでもなく、日本、ヨーロッパ、中国の三局を立てて、その精神の胎動、文化の動向を文献学というキーワードで締めくくるようにして、平行して論じたことでしょう。

 これは日本の学問界・評論界で初めて行なわれた試みではなかろうかと思います。これは極めて大胆な試みで、最初読んだときに、この本は何をテーマにしようとしているのか、いささかまとまりに欠けるという印象を抱きましたが、二回目に読むときには、この大胆な試みが、これまでにない、日本史、日本文化を見る視点を提供することになっていることに気づかされ、大変面白く、知的興奮を味わいました。

 先生のヨーロッパ文献学の造詣が深さは勿論知っていましたが、中国考証学についての御勉強ぶりには、全くびっくりしてしまいました。私などは、そもそも清朝考証学といってものがあることも、今回この書で初めて教えて貰った次第です。

つづく

小冊子紹介(十四)

寄せられた読後感から

早川義郎(元東京高等裁判所判事)
(西尾氏とは高校時代からの友人)

 昨夜、貴兄の大著読了。快挙と言うべきか、凄いの一語に尽きますね。読むそばから忘れるような読み方で申し訳ないけれども、老眼鏡を取り替え、前をひっくり返しては先に進むといった調子で三日がかりで読み終えました。しかし読んでいて、知的興奮を抑え切れぬものがありました。

 小生、これまで古典のテキストについて問題意識を殆ど持たず、荻生徂徠も本居宣長も読んだことがないという低レベルの読者ですが、西尾幹二という思想家(この言葉が好きかどうか知りませんが)のスケールの大きさと奥行きの深さにはほとほと感じ入りました。古代から現代へ至る日、中、欧にわたる膨大な文献、資料を探し出し、読みこなし、記述の背後にあるものを剔出したうえで位置づけし、採るべきものを採り、壮大な西尾史学・文献学の体系を構築した、その凄まじさに圧倒される想いです(おかしな表現ですが、二十頭ほどの犬(専門家)を巧みに操って知の極北を目指してひとり橇を走らせている孤高の男を連想しました)。

 『国民の歴史』の蓄積が基礎にあるとはいえ、よくぞこれだけのものをほかの仕事と並行させながら書き上げたものだと感心いたします。この本を読んだだけの(著者を見たことのない)読者には子犬にじやれって相好を崩している好好爺のじいさまは想像つかないでしょうね。

 また、中身の濃さはいうまでもなく、切り口も、語り口も軽快で、念を押すところはきちんと押し、そのお陰で難しい内容のものを愉しく読むことが出来ました。子安宣邦をやっつけるあたりは痛快極まりなく、思わず喝采を送った次第です。

 今日は、基礎的知識をうるため、早速、三省堂で萩野貞樹の『歪められた日本神話』を、古書店で中公新書の『古代アレクサンドリア図書館』を買ってきました。

小冊子紹介(十三)

江戸のダイナミズム―古代と近代の架け橋 江戸のダイナミズム―古代と近代の架け橋
西尾 幹二 (2007/01)
文藝春秋

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寄せられた読後感から

東中野修道(アジア大学教授)

 江戸時代が論じられていながら古代と現代が浮かび上がって来ることに驚かされます。クローチェの言うように、歴史は現代史を思わされます。

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桶谷秀昭(文藝評論家)

 大変な労作で、しかも労作にとまなふ当方の負担感がなく、風通しのいい、颯爽たる行文、まことに魅力的な本です。

 ショォペンハウエルの訳業と論、以来の薀蓄がここに活きてゐる。ローマは一日にして成らずの感を新たにしました。

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池田俊二(元『通信協会雑誌』編集長)

 いま、二回目の真ん中あたりに来て、ほんたうに久しぶりに読書らしい読書を愉しんでゐますが、一言だけ感想を申し上げたくなりました。あるいは、御著を一言をもって評すれば、かういふことになるのではないかといふ気がして来ました。それは著者が『契沖伝』の久松潜一と全く逆の行き方をしてゐるといふことです。

 「契沖の作業場の姿が浮かんできません。日々彼が何に呻吟し、言葉選びにどういう工夫をしていたか、そこを書かなければ。。。」「肝心なこと―契沖の心がすっぽり抜けている」のに対して、御著では、あの膨大な登場人物が(勿論与えられたスペースに応じてではありますが)、全て活々と動いてゐます。そして「心」を見せています。彼等が何に苦しみ、何を喜び、何をごまかさうとしてかまで、相当程度見えます。これは著者が彼らの言動を手がかりに、能ふ限りの深奥まで分け入り、見たことの一端でせう。私には孔子の「心」まで、いくらか見えてきたやうな気がします。

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安本美典(日本古代史家、言語学者、『季刊邪馬台国』編集責任者)

 まことに興味深く拝読いたしました。
 「言語の根源は音であって、文字ではない」などは言語学のイロハだと思うのですが、それも通じない頭でっかちの方々からの言説は困ったものです。

 文字など、たかだかここ五千年から一万年に出現したものであって、それ以前の人類は言語らしい言語がなかったとでも、この方々は思っておられるのでしょうか。

 また文字なしで世界を半周以上するほどの大航海民族であったマライポリネシアの民族は、言語らしい言語を持っていなかったことになるのでしょうか。

 同封にて拙著『日本神話120の謎』を贈呈させて頂きます。

 西尾先生はどちらかといえば、本居宣長系で、私はどちらかといえば新井白石系なので、あるいは違和感をお持ちかとも存じますが。

 いずれにせよ江戸期に古典の探求についての重要な種がまかれているわけで、江戸期に光をあてることは、現在のわれわれを知るために重要なことだと存じます。

 現在西尾幹二先生自身の筆による「西尾幹二のインターネット日録」は休載中ですが、西尾先生の許可を得て、管理人が西尾先生関連のエントリーを挙げています。

 4月4日、「江戸のダイナミズム」出版記念会の折に、受付で全員に配布された36ページの小冊子があります。その内容を順を追って紹介しています。

 また、この小冊子は非売品ですが、西尾先生のご好意により、多少残りがあるので、ご希望の方にはお分けしたいとのことです。希望される方はその旨を明記し、コメント欄にてご連絡ください。住所等個人情報は折り返しメールが届いたときに、メールに記述してください。

(文・長谷川)

小冊子紹介(十二)

書 評

注:小冊子には三分の一に縮小されていますが、ここでは全文を掲げます。(文・長谷川)

宮崎正弘(中国評論家):「宮崎正弘の国際ニュース早読み」2月19日号より
                        
平成の本居宣長の意味 (4)

 ▼『聖書』、『大学』『中庸』は、誰が書いたのか

キリスト教にしても本当は誰が聖書を書いたのか。しかも聖書の原文はギリシア語で書かれているのである。

 マルコ伝とロカ伝と、ほかに幾多の伝説が習合された聖書も、しかし、ローマ、ヴィザンチンに別れ、いや東方教会も流布した先の土地の伝統や習俗が加味されて、たとえばアルメニア正教、グルジア正教、ロシア正教となり、西欧では魔女狩り、ルターの宗教改革、英国国教会派、ピューリタン、プロテスタント。そしてモルモン教まで。

 そして二千年もの歳月の間に英語、スペイン語、ロシア語の聖典が現れ、聖書は日本語にもなった。

 それらは原文にある(筈の)、本当のイエスの教えからほど遠いものではないのか? だからこそ文献学がきわめて重要であり、学問の出発点であると、本書では何回も力説される。

 この箇所を読みながら、じつは本書にまったく出てこないイスラムを思った。
 
 コーランは、いまでもアラビア語で読まなければ正当なイスラム教徒とは認められない。原語に忠実でなければ解釈が分かれるからであり、そのためイスラム教徒のなかでも高僧をめざす人々はインドネシアであれ、フィリピンであれ、アラビア語を習得し、コーランを学ぶのである。

 翻訳に頼ろうとしないほどの苛烈熱烈な原義への欲求は西蔵法師が仏典の原典をもとめてチベットへ危険をかえりみずに冒険したように。

 西尾氏は文中にさりげなく次の文言を挿入している。

 「不思議に思えるのは、日本の儒教や仏教に文献学的意識が永い間殆ど認められない点です。江戸時代も中期、荻生租来(そらい)が古文辞学を唱えるまで、経学を孔子以前に遡って考え直すというテキストへの懐疑が日本の文化風土の中に一度でもあったと考える」のは難しいだろう、と。

 本書に展開される具体的議論は、読者それぞれが熟読しなければ、次のステップにいけないが、ここで網羅的な紹介をおこなうつもりはない。

 本居宣長と上田秋成の論戦の箇所は面白く、また赤穂浪士をめぐっての官学と民間の儒者らの論争も、今日的で意義深く、またそれらの記述を通じて、西尾さんが新井白石にやや冷たく、荻生祖来を高く買っていることもわかる。

 それは次のような記述からも。
 
 「悪しき官制アカデミズムの独裁者のような林羅山とその一統の権勢。君臣関係を主人と奴隷との関係と見て絶対の忠誠心を朱子学の魂とする山崎闇斉とその門人六千人の社会的圧力。朱子学の理念と武士道という思想的に相違するものを一元化し時代に都合のいいイデオローグを演ずる室鳩巣。いつの世にも外来思想と日本の知識人との関係はかくのごとし」。

だが、「新井白石と荻生租来はやはり群を抜いた例外」であった。

  白石は将軍のブレーンであり、国際情勢に理解のある学者だが、じつは朱子学をさんざん学び、それに染まらずに却って距離をおいて日本歴史の研究に没頭した。山崎闇斉のように朱子学の徒は手ぬぐいも赤く、という徹底した“唐かぶれ”ではなく、冷静なまつりごとを確立するために、朱子学の科学的合理的なところを抽出して江戸幕藩体制の安定に用いた。

 対照的に萩生租来は日本史に興味がなく、中国の学者以上に中国学を知っていたが、やはり儒学の熱気(というより狂気)にはおぼれず、巷の熱狂的情緒を押し切って、法治のためには赤穂浪士に切腹を迫ったように感情論には組みしなかった。君臣の序列のなかに「個」を主張した。

 つまりは中国と日本は儒教をめぐって、こうも違うのである。

  こうして新井白石と荻生租来に割かれたページはきっと本居宣長より多いだろうと思われるのだが、朱子学が江戸の御用学問となった一方で、江戸の革命の哲学となった大塩平八郎の陽明学が、この本で論じされないのは何故だろう。

 いや、抜き身のままの西尾さんの白刃(はくじん)は、それこそ陽明学という鞘を求めているのではないか。

 本書は小林秀雄『本居宣長』以来の大作であることの間違いはなく、本書のカバーに添えられた「平成の本居宣長」という惹句はそういう意味でもあるだろう。

(『江戸のダイナミズム 古代と近代の架け橋』は文藝春秋発行。2900円)。

 (注 言うまでもありませんが、荻生租来の「租」と「来」は行人扁)