憂国忌シンポジウム(二)

 シンポジウムの発言は一人約6分、それを三回に分けて語ったので、自由討論は成り立たなかった。時間が少なく討論にはならないと私はいち早く見て、三回で全体がまとまるような話の展開にした。以下に私の発言部分だけを(二)から(七)で掲示したい。

 尚シンポジウムは全文が『月刊日本』に掲載されると聞いている。

(二)
 西尾幹二  昭和42年―43年当時、『論争ジャーナル』という月刊誌があり、ここを據点に保守系論客が結集していました。当時はまだ『諸君!』も『正論』もなく、『自由』とこの雑誌だけでした。

 その11月号で福田恆存氏が三島由紀夫氏との対談で、西欧の王室と天皇とを比較してこんなことを言っています。

 「エリザベス女王はカンタベリー大僧正によって戴冠式を行なふ。ちやんと二つに分けてある。ところが、天皇は自分で自分に戴冠しなければならない。」 

 すると三島さんが
 「それは日本の天皇の一番つらいところだよ。同時に神権政治と王権政治が一つのものになってゐるといふ形態を守るには、天皇は現代社会で人より一番つらいことをしなければならない。それを覚悟していただかなければならない。といふのが僕の天皇論だよ。皇太子にも覚悟していらっしゃるかどうかを僕は非常に言ひたいことです。」

 こう述べる三島さんに対して、福田恆存氏が、 「今の皇太子には無理ですよ。天皇も生物学などやるべきぢやないですよ。」

 三島氏が続けて 「やるべきぢやないよ。あんなものは」福田恆存氏が 「生物学など、下賎な者のやることですよ。政治家がさういふ風にしちやつたんだけど」

 三島さん 「ただ、お祭りなんだ。天皇は、お祭りなんだ」

 ここで天皇というのは昭和天皇、皇太子は今上陛下です。

 こういう対話が、昭和42年(1967)年の『論争ジャーナル』で行われた。当時この雑誌には村松剛氏、日沼倫太郎氏、高坂正堯氏、遠藤周作氏、佐伯彰一氏などが、多く寄稿しまして、私も一番若い世代として参加しておりました。

 当時の『論争ジャーナル』は、精神的に「楯の会」の母体のような位置にあり、そこで活躍していた人々の、私は最後の残党でございます。

 ここまでは本当は何を二人が言っているのかよく分からないのですが、こんな風な、活発な、赤裸々な対話が昭和42年の11月号に載っております。

 そこで福田恆存氏が、次のようにかなり手厳しいことをおっしゃっている。

 「僕にとって、問題なのは、エゴイズムの処理なんですよ。個人のエゴイズムといふのは、ときには国家の名において押さへなければならない。それなら、国家のエゴイズムといふのは何によつて押さへるかといふと、この原理は、天皇制によつては出てこないだらう。日本の国家のエゴイズムを押えへるといふことは、天皇制から出てこない。僕は、天皇制を否定するんぢやなくて、天皇制ともう一つ併存するなにかがなくちやいけない。絶対天皇制といふのは、どうもまずいんだ。(中略)天皇制の必要と、それを超える――これは優位といふ意味ぢやなくて――他の原理を立てなければならない・・・・・・」

 これは、三島さんの当時の生き方に対する、ある種のアンチテーゼとしておっしゃっている言葉だと、私は思います。つまり、国家のエゴイズムと個人のエゴイズムと、エゴイズムは両方にあるけれども、個人のエゴイズムを超えている国家というものがあって、国家がこれを抑えることはできるけれども、国家のエゴイズムは国家では超えられないと。

 私が、ここからすぐに思いついたことは、次のようなことです。

 ドイツ人、フランス人、イギリス人は自らのドイツ人であることを、フランス人であることをイギリス人であることを何とか超えることができるんです。それは、ヨーロッパというものがあるからです。だけれども、日本人は日本人であることを超えることができるか、日本の外に枠があるか。いうことは、永遠の課題として我々は考えなくてはならない。

 ここで、そういう問題が一つ突きつけられているということをまず意識していただきたい。これに対して三島さんが、どんなことをおっしゃったかというのが大変面白いのであります。

  「僕はその問題はかういふやうに考へてゐる。つまり、僕の言つてゐる天皇制といふのは、幻の南朝に忠勤を勵んでゐるので、いまの北朝ぢやないと言つたんだ。戦争が終つたと同時に北朝になつちやつた。僕は幻の南朝に忠義を尽くしてゐるので、幻の南朝とは何ぞやといふと、人にいはせれば、美的天皇制だ。戦前の八紘一宇の天皇制とは違ふ。

 それは何かといふと、没我の精神で、僕にとつては、国家的エゴイズムを掣肘するファクターだ。現在は、個人的エゴイズムの原理で国民全体が動いてゐるときに、つまり、反エゴイズムの代表として皇室はなすべきことがあるんぢやないかといふ考へですね。そして皇室はつらいだらうが、自己犠牲の見本を示すべきだ。そのためには、今の天皇にもつともつと、お勤めなさることがあるんぢやないか。

 そして、天皇といふのは、アンティ(反)なんだよ。今我々の持つてゐる心理に対するアンティ。我々の持つてゐる道徳に対するアンティ。さういつたものを天皇は代表していなければならないから、それがつまりバランスの中心になる力だといふんです。国民のエゴイズムがぐつと前に出れば、それを規制する一番の根本のファクターが、天皇だね。そのために、天皇にコントロールする能力がなければならない。

 その僕の考へが、既成右翼と違ふところだと思ふのは、天皇をあらゆる社会構造から抜き取つてしまふんです」

 ここまで読んでもやっぱり難しい、なんか分りにくいことをお二人でおっしゃっておるんですが、福田さんには、国境の観念がある、一方三島さんには、国境の観念が希薄なんじゃないか。これ、国家概念とはいわないですよ。国家観の有無じゃないですよ。国境の観念の有無と言いたいんですよ。

憂国忌シンポジウム(一)

三島由紀夫 11月25日は三島由紀夫自決から35周年目で、九段会館大ホールに800人近くが参集し、憂国忌が催された。

 最初に第一部として、舞台上で乃木神社が司る厳粛な鎮魂祭がおこなわれた。次いで国際的に有名な写真家・細江英公氏の解説付きで、スライド『薔薇刑』が映写された。天皇制や自衛隊入隊や檄文や愛国とはまったく異なる三島の世界である。裸体と「光と闇」とイタリアルネサンス。私が「三島さんには国境意識がない」とシンポジウムで語った仮説はこのスライドを見せられた直後であったせいもある。

 第二部は記念シンポジウムで、私のほかには井尻千男、入江隆則、サイデンステッカー、そして村松英子(司会兼任)の諸氏が加わる。一人6分ずつ三回話すだけの時間しか与えられなかった。

 この日の出来事については文芸評論家山崎行太郎氏ご自身のブログで上手に語ってくれているので、最初にその一部を引用させて頂く。

 

 昨日は憂国忌に出席。35周年ということで、例年と違い今年は、九段会館大ホールで鎮魂祭とシンポジウムが行われた。僕は、25周年の憂国忌以来、発起人にもなり、毎年出席している。僕にとっては、憂国忌は今や、年末が近くなる頃にやってくる年中行事のようなものになっている。保守論壇の友人や先輩達に会えるのも楽しみの一つだ。たまには未知の若い読者やフアンに遭遇することもないわけではない。(中略)

 シンポジウムでは西尾幹二さんや井尻千男さんの話も、たっぷり聞くことが出来た。西尾氏が、最近の保守に象徴されるような、他者を見失った「一国中心主義的歴史観と愛国論」を批判して、外部や他者を意識した「複眼的・相対的な歴史観と愛国論」を主張したのが印象的だった。これは、僕なりに言い換えれば、昨今の唯我独尊的な「左翼なき保守」思想批判である。つまり昨今の保守論壇や保守思想の貧困と退廃という問題である。西尾氏の保守思想・保守論壇批判に、僕は共感する。

 また入江氏が最後に、江藤淳に触れて、三島の死を「病的、衰弱」と言って批判的に嘲笑した江藤淳も、最後は三島の死の意味を理解し、それを反復せざるを得なかった形で自決・自死した、と語ったのが、江藤淳の弟子を自認する僕には印象的だった。(中略)

 二次会は神保町の中華料理屋だったが、出席者の多くが実は思想的には「反小泉」で、言い換えれば、主催者の宮崎正弘氏を中心に保守論壇の「反小泉一派」が総結集したような形で、なかなか盛況だった。帰りがけに、一昨日、西尾幹二氏から新著が届いていたのでお礼を言うと近づいて行くと、意外な話になった。「あなたに送ったあの本は、10冊の中の一冊だからね。」と言うではないか。まだ見本刷りの段階で贈ってくれたものらしい。「エッ!」というわけで驚きと共に感激したわけだが、西尾氏は実は、僕のこのブログを読んでいるらしいのだ。「小泉マンセー」ブロガーで、西尾氏のブログを荒らしまくった「ゴリ氏」一派のの話をすると、「あんなもの小さい、小さい…」と意に介していない様子だ。「それよりあなたのブログ期待しているよ」と言われて、またまた感激した次第である。

 西尾氏の新著は、『狂気の宰相で日本は大丈夫か』(PHP)というタイトルだが、徹底的な「小泉政権批判」の書である。冒頭には、産経新聞「正論」に掲載を拒否されたというエッセイをかかげ、本文は「保守論壇を叱る」という最新作から始まっている。「保守論壇」内部で孤独な戦いを続ける西尾氏の気迫がヒシヒシと伝わってくる過激な論争の書である。

ニューヨークタイムズの偏見(四)

◎抗議文英語 (柏原竜一訳)
For Op-Ed

Protest against NYTimes’ article “Ugly Images of Asian Rivals Become Best Sellers in Japan (Nov, 19, 2005)”

Mr. Onishi’s article of November 19 on best seller comics in Japan merely repeats the Chinese and South Korean anti-Japanese claims. It lacks an American sense of justice, which should be most demanded for the neutral position that a majority of Americans seek to hold. His article definitely reads as if he desires the re-emergence of the pre-war American attitude—treating China with favor and Japan with neglect—an attitude that eventually ruined U.S.-Japanese relationships. The Japanese media doubt the credibility of Mr. Onishi’s recent articles on Japan and scrutinize them with grave concern. For example, despite his interview with me, his description on the Japanese Society for History Textbook Reform such as ‘the nationalist organization that has pushed to have references to the country’s wartime atrocities eliminated from junior high school text books’ only reflects his stereotyped prejudice and is contrary to the facts. Contrary to Mr. Onishi’s criticism, our textbook does not insist on the supremacy of Japanese culture, but the uniqueness of Japanese history. Moreover, it offers objective explanations regarding the fundamental differences between Japan and Germany in WWII, and the partial responsibility of the United States, United Kingdom, and especially pre-modern China who could not control herself sufficiently—for the Pacific War. Please see our website.

http://www.tsukurukai.com/05_rekisi_text/rekishi_English/English.pdf

By Kanji Nishio

Honorary chairman of the Japanese Society for History Textbook Reform

◎抗議文日本語

 11月19日付けの中韓批判の漫画、Best Sellers in Japan に関するONISHI記者の記事は、中韓の悪意にみちた反日の主張そのままで、中立の立場に立つべきアメリカ人の客観的公平さにかけ、戦前のアメリカの、中国への偏愛におぼれ、日本を不当に孤立させた外交の失敗をあたかも再度望むかのごとき危険性にみちている。最近の同記者の偏向報道は目に余るものがあると日本のメデイアでは疑問視し、憂慮されている。私は同記者とインタビューしたが、私の属するthe Japanese Society for History Textbook Reform を彼は the nationalist organization that has pushed to have references to the country’s wartime atrocities eliminated from junior high school textbooks.と説明したが、これはステロタイプの単純なレッテル張りで、事実に反し不当である。私たちの History Textbook はONISHI 氏が非難するように日本文化の優越性を語らず、日本の歴史の独自性を主張するのみである。日本は第二次世界大戦において、ドイツとはまったく異なった戦争をしたこと、太平洋の戦いには英米にも責任があり、自己管理のできなかった国家以前の中国にも一半の責任があたことを客観的実証的に描いている。 

ニューヨークタイムズの偏見(三)

◎大西記者の紹介

NORIMITSU ONISHI(ノリミツ・オオニシ=大西哲光)
ニューヨーク・タイムズ紙東京支局長
千葉県市川市で生まれ、4歳の時、家族でモントリオールに移住。国籍はカナダ。米プリンストン大学で学生新聞編集長を務めた。前任地は西アフリカ・コートジボワール。ナイジェリアの民政移管やシエラレオネの内戦を取材した。9・11後はアフガニスタンにも出張した。

ニューヨークタイムス東京支局 東京都中央区築地5丁目3-2
朝日新聞社            東京都中央区築地5丁目3-2

◎読者からのメール

西尾様

ご僭越だとは存じますが、メールさせていただきます。

19日のNYタイムズに西尾先生の発言が紹介されていますが、取材を受けての回答なのでしょうか?

http://www.nytimes.com/2005/11/19/international/asia/19comics.html?pagewanted=2

ご存知の通りNYタイムズはアメリカで大変影響力のある新聞です。また場所柄、マスコミ関係者が多く日本についてまともに知らない人間はここに書かれていることをそのまま信じ、それを自分達が報道する内容に反映させ世界中にまたそれが発信されます。

中国、北朝鮮、韓国をさらに追い詰めるには海外マスコミの協力が必要だと考えていますが、このような内容の記事が大手新聞で続ける限り、その道のりは長いと言わざるを得ません。

私のようなものが西尾先生にメールさせていただくのは大変失礼だとは思ったのですが、本日そのニュースを見つけ、だまって見過ごすことができませんでした。

末筆ながら、益々のご健康とご活躍をお祈り致します

p.s. 福沢諭吉の「脱亜論」もこのオオニシノリミツの手にかかると西洋にあこがれる傲慢な差別主義者に成り代わってしまいます・・。

◎朝日新聞の記事

  朝日に載った記事の画像

◎NYTのこの記事について話題にしているブログの紹介

 反日勢力を斬る:NYタイムズの嫌韓流批判

 反日勢力を斬る:NYタイムズの嫌韓流批判(2)

 反日勢力を斬る:NYTの中韓批判マンガを批判(3)

 反日勢力を斬る:NYTの中韓批判マンガの批判(4)

 ニューヨークタイムズ大西批判ブログ英語版

 ぼやきくっくり:産経がNYT批判

年末の新刊(再掲)

都内12月2日店頭発売、地方都市は3日発売
『狂気の首相で日本は大丈夫か』
は政局論ではない。この本は小泉論でもない。今夏の総選挙の研究書でもない。

 総選挙は今日の日本人の紛れもない新しい、昨日とすでに変わった顔を示していた。あの狂熱の中に今の、そしてこれからの日本の運命が予示されている。

 同じことは再び繰り返されるし、すでに繰り返されてもいる。なぜいち早く気がつかないのか。

小泉首相は来秋やめるからもうどうでもいい、と思う人は考えが足りない。やめないかもしれないし、やめたとしても後遺症は深い。やめてもやめなくても愚かだった日本人の体質は変わらずに残る。

 郵政民営化のときはろくに深く考えないで小泉に賛成し、皇室典範改定問題が浮上して小泉はけしからんと、にわかに言い出す保守のおじさんたち、お兄さんたちの何という頼りなさ、浅墓さよ。郵政民営化も、皇室問題も、北朝鮮との国交回復も、憲法案文の歪曲も、自分の在任中だけ増税を逃げるいい加減さも、みんな根は一つである。

 小泉氏が知識を持たないことは許されてよい。知識を持たないことに恐怖のないことが許されないのだ。自分は知らないということを知らないことに対し恥を知れ。財政の内情にも、皇室の歴史にも、世界の動向にも無知のまゝ強権を押し通そうとする臆面のなさが問題なのだ。

 日本国の総理の選び方に欠陥のあることが判明した。一総理の問題ではない。今の自分と闘わず、明日の自分に課題を先送りする日本国民全体が今、自分の不始末の付けを払わされているのである。

 これから起こる日本の悲運のすべてをこの一書で語ったつもりである。
“年末の新刊(再掲)” の続きを読む

ニューヨークタイムズの偏見(二)

ニューヨークタイムズ画像が掲示されているところ

◎当該記事英文と日本語文(対訳)

 Kanji Nishio, a scholar of German literature, is honorary chairman of the Japanese Society for History Textbook Reform, the nationalist organization that has pushed to have references to the country’s wartime atrocities eliminated from junior high school textbooks.

Mr. Nishio is blunt about how Japan should deal with its neighbors, saying nothing has changed since 1885, when one of modern Japan’s most influential intellectuals, Yukichi Fukuzawa, said Japan should emulate the advanced nations of the West and leave Asia by dissociating itself from its backward neighbors, especially China and Korea.

“I wonder why they haven’t grown up at all,” Mr. Nishio said. “They don’t change. I wonder why China and Korea haven’t learned anything.”

Mr. Nishio, who wrote a chapter in the comic book about South Korea, said Japan should try to cut itself off from China and South Korea, as Fukuzawa advocated. “Currently we cannot ignore South Korea and China,” Mr. Nishio said. “Economically, it’s difficult. But in our hearts, psychologically, we should remain composed and keep that attitude.”

ドイツ文学者西尾幹二は新しい日本の教科書を作る会の名誉会長であり、 その国粋主義団体は中学校教科書から戦時下の残虐行為の引用を削除するように圧力をかけている。

西尾氏は日本が隣人に行ったことに鈍感で、 「近代日本で最も影響力のあった知識人福沢諭吉が、日本は西洋の先進国を真似るべきで、アジアの遅れた隣人特に中国と朝鮮からは分かれろと言った1885年から何も変わっていない」と言う。

「何故彼らは成長しないのか?」西尾氏は言う。「彼らは全く変わっていない。中国と朝鮮は何故何も学ぼうとしないのか?」

西尾氏は南朝鮮について漫画の中で一章を書いているが、福沢が提唱したように、中国と南朝鮮から離れるべきだと主唱する。「現在われわれは南朝鮮と中国を無視できない。」西尾氏は言う。 「経済的に難しい。しかし、われわれの心の中に、心理的に常にこの態度を持ち続けなくてはならない。」

The reality that South Korea had emerged as a rival hit many Japanese with full force in 2002, when the countries were co-hosts of soccer’s World Cup and South Korea advanced further than Japan. At the same time, the so-called Korean Wave – television dramas, movies and music from South Korea – swept Japan and the rest of Asia, often displacing Japanese pop cultural exports.

The wave, though popular among Japanese women, gave rise to a countermovement, especially on the Internet. Sharin Yamano, the young cartoonist behind “Hating the Korean Wave,” began his strip on his own Web site then.

“The ‘Hate Korea’ feelings have spread explosively since the World Cup,” said Akihide Tange, an editor at Shinyusha, the publisher of the comic book. Still, the number of sales, 360,000 so far, surprised the book’s editors, suggesting that the Hate Korea movement was far larger than they had believed.

“We weren’t expecting there’d be so many,” said Susumu Yamanaka, another editor at Shinyusha. “But when the lid was actually taken off, we found a tremendous number of people feeling this way.”

So far the two books, each running about 300 pages and costing around $10, have drawn little criticism from public officials, intellectuals or the mainstream news media. For example, Japan’s most conservative national daily, Sankei Shimbun, said the Korea book described issues between the countries “extremely rationally, without losing its balance.”

As nationalists and revisionists have come to dominate the public debate in Japan, figures advocating an honest view of history are being silenced, said Yutaka Yoshida, a historian at Hitotsubashi University here. Mr. Yoshida said the growing movement to deny history, like the Rape of Nanjing, was a sort of “religion” for an increasingly insecure nation.

“Lacking confidence, they need a story of healing,” Mr. Yoshida said. “Even if we say that story is different from facts, it doesn’t mean anything to them.”

The Korea book’s cartoonist, who is working on a sequel, has turned down interview requests. The book centers on a Japanese teenager, Kaname, who attains a “correct” understanding of Korea. It begins with a chapter on how South Korea’s soccer team supposedly cheated to advance in the 2002 Word Cup; later chapters show how Kaname realizes that South Korea owes its current success to Japanese colonialism.

“It is Japan who made it possible for Koreans to join the ranks of major nations, not themselves,” Mr. Nishio said of colonial Korea.

現実には、南朝鮮は2002年共催したサッカーのワールドカップで日本よりはるかに進み、多くの日本人に、南朝鮮がライバルとして台頭したことを印象づけた。同時に、南朝鮮のテレビドラマ・映画・音楽、いわゆる韓流は日本と他のアジアをかけめぐり、日本のポップカルチャーの輸出をしばしば取って代わっている。

日本の女性の間では人気があるが、その波は反動を特にインターネットで起きている。嫌韓流を書いた若い漫画家山野車輪はウエブサイトで次のように漫画を書き出している。

「嫌韓感情はワールドカップ以降爆発的に広がった。」晋遊舎の編集者AKIHIDE TANGEは語る。 36万冊を超える売り上げは編集者を驚かし、嫌韓流の動きは思っていた以上に大きかったことを意味する。

「こんなに売れるとは思っていなかった。」晋遊舎の別の編集者Susumu Yamanakaは言う。「しかし蓋を開けてみると、多くの人が同じ感情を持っていることが分かった。」

今のところ、このおよそ300ページで10ドルの2冊は、公的機関や知識人や主要メディアからほとんど批判を受けていない。例えば、日本の最も保守的な新聞紙産経新聞はその韓国の本は極めて理性的に、バランスを欠くことなく国の間の問題を描いていると言う。

国粋主義者と修正主義者が日本の論壇で大勢を占めるに従い、歴史を正直に見ることを唱える人達が黙らせられるようになってきている。一橋大学Yoshida Yutakaは言う。南京のレイプのような歴史を否定する動きは増大する不安な国にたいするある種の宗教である。

「自信が無いから心を癒すストーリーが必要になる」吉田氏は言う。 「例え歴史が事実と違っていたとしても、それは彼らには何も意味しない。」 韓国の本の漫画家は現在続編を書いており、インタビューの要求を拒否した。

その本は韓国の「正しい」理解をしている日本の10台Kanameを主人公にしている。2002年のワールドカップでいかに韓国チームが不正を働いたかで始まり、後の章では、Kanameは南朝鮮を日本の植民地の現在の後継者と認識している。

「韓国人が主要国の地位につけたのは日本のおかげであり、彼らの力ではない」と西尾氏は植民地朝鮮を言う。

But the comic book, perhaps inadvertently, also betrays Japan’s conflicted identity, its longstanding feelings of superiority toward Asia and of inferiority toward the West. The Japanese characters in the book are drawn with big eyes, blond hair and Caucasian features; the Koreans are drawn with black hair, narrow eyes and very Asian features.

That peculiar aesthetic, so entrenched in pop culture that most Japanese are unaware of it, has its roots in the Meiji Restoration of the late 19th century, when Japanese leaders decided that the best way to stop Western imperialists from reaching here was to emulate them.

In 1885, Fukuzawa – who is revered to this day as the intellectual father of modern Japan and adorns the 10,000 yen bill (the rough equivalent of a $100 bill) – wrote “Leaving Asia,” the essay that many scholars believe provided the intellectual underpinning of Japan’s subsequent invasion and colonization of Asian nations.

Fukuzawa bemoaned the fact that Japan’s neighbors were hopelessly backward.

Writing that “those with bad companions cannot avoid bad reputations,” Fukuzawa said Japan should depart from Asia and “cast our lot with the civilized countries of the West.” He wrote of Japan’s Asian neighbors, “We should deal with them exactly as the Westerners do.”

As those sentiments took root, the Japanese began acquiring Caucasian features in popular drawing. The biggest change occurred during the Russo-Japanese War of 1904 to 1905, when drawings of the war showed Japanese standing taller than Russians, with straight noses and other features that made them look more European than their European enemies.

“The Japanese had to look more handsome than the enemy,” said Mr. Nagayama.

『マンガ嫌韓流』は、おそらくは意図せぬまま、日本の自己規定に関する葛藤や、アジアへの優越感と欧米への劣等感という過去から続く感情を、露呈している。この本では、日本人の登場人物は大きな目と金髪といった白人の風貌で描かれている一方、韓国人の登場人物は黒い髪と細い目という典型的アジア人の風貌で描かれているのだ。

このような特異な美意識は、ほとんどの日本人が意識しないまでに大衆文化に深く根をおろしているが、そのルーツは19世紀後半の明治維新にある。当時の日本の指導者らは、欧米列強の侵略を防ぐ最良の策は彼らの真似をすることだという結論に至った。

今日なお近代日本の知の父祖として尊敬され1万円札にも描かれている福沢諭吉が、1885 年に書いた『脱亜論』は、アジア諸国に対する日本の侵略と植民地化の理論的裏づけを提供した書物だと、多くの学者から見られている。

福沢は、日本の近隣諸国が絶望的なまでに遅 れていることを嘆き、「悪友を親しむ者は共に悪名を免かるべからず」と書いて、日本はアジア を脱して「西洋の文明国と進退を共に」すべしと説いた。福沢は近隣アジア諸国について、こう 書いている:「まさに西洋人がこれに接するの風に従いて処分すべきのみ。」

こうした感情が定着するにつれ、大衆文化の中で描かれる日本人の風貌は欧米人風になり始めた。最大の変化が訪れたのは、1904-05年の日露戦争中である。戦争絵画の中で日本人はロシア人より背が高く描かれ、通った鼻筋やその他の顔立ちは、日本兵を敵のロシア人以上に欧米的な風貌に見せていたのだった。

「日本人は敵よりハンサムに見えなければなりませんでした」と永山氏が言いました。

Many of the same influences are at work in the other new comic book, “An Introduction to China,” which depicts the Chinese as obsessed with cannibalism and prostitution, and has sold 180,000 copies.

The book describes China as the “world’s prostitution superpower” and says, without offering evidence, that prostitution accounts for 10 percent of the country’s gross domestic product. It describes China as a source of disease and depicts Prime Minister Junichiro Koizumi saying, “I hear that most of the epidemics that broke out in Japan on a large scale are from China.”

The book waves away Japan’s worst wartime atrocities in China. It dismisses the Rape of Nanjing, in which historians say 100,000 to 300,000 Chinese were killed by Japanese soldiers in 1937-38, as a fabrication of the Chinese government devised to spread anti-Japanese sentiment.

The book also says the Japanese Imperial Army’s Unit 731 – which researched biological warfare and conducted vivisections, amputations and other experiments on thousands of Chinese and other prisoners – was actually formed to defend Japanese soldiers against the Chinese.

“The only attractive thing that China has to offer is Chinese food,” said Ko Bunyu, a Taiwan-born writer who provided the script for the comic book. Mr. Ko, 66, has written more than 50 books on China, some on cannibalism and others arguing that Japanese were the real victims of their wartime atrocities in China. The book’s main author and cartoonist, a Japanese named George Akiyama, declined to be interviewed.

Like many in Taiwan who are virulently anti-China, Mr. Ko is fiercely pro-Japanese and has lived here for four decades. A longtime favorite of the Japanese right, Mr. Ko said anti-Japan demonstrations in China early this year had earned him a wider audience. Sales of his books surged this year, to one million.

“I have to thank China, really,” Mr. Ko said. “But I’m disappointed that the sales of my books could have been more than one or two million if they had continued the demonstrations.”

同じような影響が別の新しい漫画「中国入門」に表れており、 中国人を人肉食文化と売春の強迫観念で描き、18万冊を売り上げた。

その本は中国を「世界の売春大国」として描き、証拠も無しにGDPの10%が売春であるとしている。中国を病原とし、小泉首相は「日本で起こっている大部分の病気は中国から来たと聞いている」と言っているのを描いた。

その本は中国での日本の最悪の残虐行為を否定する。南京のレイプは歴史学者が1937年から1938年の間に日本兵により10万人から30万人の中国人が殺されたとしているが、反日感情を広めるための中国政府の作り話として否定する。

日本帝国陸軍731部隊は生物兵器の研究を行い、数千人の中国人と牢人を生体解剖や切断などの実験に使ったが、日本兵を中国人から守るために創設されたとその本は書いている。

「唯一中国人が示せる魅力あるものは中国料理である。」漫画の原作者の台湾生まれの作家黄文雄は言う。66歳の黄氏は中国についての本を50冊以上書き、食肉文化についてや、日本人が中国における本当の犠牲者としている。ジョージ秋山を名乗る日本人はこの本の主な漫画家であるがインタビューを断っている。

悪意のある反中国の台湾の人達と同様に、黄氏は盲目的に親日であり、40年間日本で生きてきた。日本右翼に好まれ、今年初めの中国での黄氏曰く反日デモは幅広い読者を集めた。本の売り上げは今年だけで100万冊である。

「私は本当は中国に感謝しなければならない。」黄氏は語る。 「しかし、私はもしデモが続いていたら100万冊200万冊以上の売り上げがあったんだが。」

ニューヨークタイムズの偏見(一)

 11月10日に東京駅ビル内のホテルのロビー喫茶室でニューヨークタイムズの東京支局長のOhnishiという日系人、あるいは日系人ふれこみの東洋人のインタビューを受けた。私は警戒していたので、予定していた内容の話――韓国論である――を二度くりかえし、これ以外に書かないようにしてほしいと頼んで、約20分で切り上げようとした。

 しかし私も人が善いというか、愚かというか、そのあと雑談に移って約1時間半近くも自由放談をたのしんだ。テーマは日韓・日中の歴史的関わりについてである。漫画『嫌韓流』にエッセーを寄稿したことが原因で、インタビューに引っ張り出されたことは知っていたが、まさか自由放談の中の一つの誇張、福沢諭吉の脱亜入欧のところだけをねじ曲げて取り上げられるとは思わなかった。

 じつに沢山の話をしたのである。バカバカしい。その中の一番最後に語ったたった一つのテーマだけが取り上げられた。私の発言からの彼の引用は私の語った通りであって、そんなに不正確ではない。たゞ、1時間半の中の3分程度の部分に関して正確であっても、残りの1時間27分の話の内容が全部カットされているのだから、正確とは言いがたい。

 私を紹介するための一文、「新しい歴史教科書をつくる会」の説明文は歪められた固定観念であって、はなはだ迷惑である。これは彼の勝手な規定であって、デタラメである。外国の新聞というのはひどいことをするものである。新聞記事を見てここが一番ひどいと思って、東京支局にすぐ電話をした。

 新聞自体に抗議するには投書しか方法がないという。投書にも長短二つあって、方法を教えてくれたので、長文の方を選んで書いた。掲載されるかどうかも分からない。ニューヨークタイムズの記事の日付は11月19日。私の抗議文のメイルは11月30日に発せられた。私に関する記事内容に対してだけではなく、記事全体にたゞよう対日偏見に関して短く、鋭く私見を述べた。英訳は柏原竜一氏にお願いした。

 ニューヨークタイムズの記事やそれへの日本での反響を先に掲げ、私の抗議文と英訳は記事や反響の全部を紹介した後に示すことにする。関連記事の選択と配列は長谷川真美さんにお願いした。

管理人からのお知らせ

 去る12月1日よりhttp://nitiroku-nishio.jp/blog/(独自ドメイン)のアドレスが手違いによりアクセス不能となっておりました。

 その間も、http://nishio.main.jp/blog/(サブドメイン)のアドレスはアクセス可能でしたが、一部の方がアクセスできなくなっていたようです。

 ここにお詫び申し上げます。

 尚、以前より移行を準備していたことでもあり、12月4日より「西尾幹二のインターネット日録」のアドレスを、覚えやすいhttp://nishiokanji.com/blog/(独自ドメイン)とさせていただきました。

 従来のアドレス(前述の2つ)にアクセスしていただいた場合も、自動的に新アドレスに切り替わるよう設定しておりますが、この機に「お気に入り」を上書きして、このアドレスに書き換えていただきますよう、お願いいたします。

 また、サーバー移転に伴い、携帯電話用のアドレスもhttp://nishiokanji.com/cgi/mt/mt4i.cgi?id=2と変わっておりますので、お気に入りを入れ替えてください。

歴史は復讐する

 皇位継承問題について、朝日新聞から寄稿を求められた。13字×100行=1300字というわずかな分量だが、担当者との打ち合わせも密にして、コンパクトにまとめることができた。

 少ない語数の中に多くを盛りこむのはむつかしい。できるだけ論理的に書いて、情緒的な形容詞などを省いた。「呪わしい悪夢」の「呪わしい」を削り、「澎湃として沸き起こる」の「澎湃として」を捨てた。それでかえってよかったと思っている。こんなに言葉を切り詰めて、400字詰め原稿用紙で3枚と5行で、ぎりぎり言うべきことを言ったのは初めてである。

 新聞社サイドは天皇制否定の共和制論者、女性天皇の積極論者、それに私の3人を並べて「視点」欄をつくる模様である。他の二人は誰であるのか、私はまだ聞いていない。

 有識者会議の無知の広げた世論に対し、小さな拙文が大きな破壊力を持つことを祈っている。

(以下、12月3日朝日新聞朝刊より転載)

 

 天皇の制度をなくした方がいいと考える人は別として、天皇の存在は日本人に末永く必要だと考え、そのうえで女系天皇でいいと主張するのは間違いだといいたい。

 有識者会議の答申は「将来にわたって安定的な皇位継承を可能にするため」女系天皇をも良しとするが、これは考えが足りない。

 旧宮家の皇籍復帰よって男系を守らない限り、皇位はむしろ不安定でトラブル続きになる。もし女系天皇を頂けば、30~50年後に今の天皇家はその正統性を問われ、政治的に左右両翼から挟み撃ちに遭うだろう。

 左派の最も意識的な天皇制度の否定者は共産党とその関連の知識人である。私のみるところ彼らは、女系天皇の容認は制度のなし崩し的否定に通じると見て歓迎してさえいる。この道を進めば、恋愛や離婚の自由、退位や皇籍離脱の自由、つまり皇族の人権化を通じて天皇制度そのものを破壊できる。「万世一系の天皇」という歴史的正統性からみて疑わしく贋(にせ)ものの天皇だ、と訴えることもできる。

 他方、右派からみても、女系の容認は皇室の系図をめちゃくちゃにするのでとうてい許せない。有識者会議の答申は女性天皇、女性皇族の配偶者も皇族とするといっている。衆議院議員○○家の長男、会社社長△△家の次男といった民間人がいきなり皇族に列する可能性がある。

 これは○○家、△△家の系図が天皇家の系図になるという歴史上例のない事態の出現であり、わが家系を天皇家にしようという権勢権門が競争して殺到するであろう。

 もし愛子内親王とその子孫が皇位を継承するなら、血筋を女系でたどる原則になるため、天皇家の系図の中心を占めるのは小和田家になる。これは困るといって男系でたどる原則を適用すれば、一般民間人の○○家、△△家が天皇家本家の位置を占めることになる。

 どちらにしても男系で作られてきた皇統の系譜図は行き詰って、天皇の制度はここで終止符を打たれる。

 今から30~50年後にこうなったとき、「万世一系の天皇」を希求する声は今より一段と激しく高まり、保守伝統派の中から、旧宮家の末裔(まつえい)の一人を擁立して「男系の正統の天皇」を新たに別個に打ちたてようという声が湧(わ)き起こってくるだろう。他方、左派は混乱に乗じて天皇の制度の廃止を一気に推し進める。

 今の天皇家は左右から挟撃される。南北朝動乱ほどではないにせよ、歴史は必ず復讐(ふくしゅう)するものだ。有識者会議に必要なのは政治歴史的想像力であり、この悪夢を防ぐ布石を打つ知恵だったはずだ。

 小泉首相は国民の意見も皇族の忠告も他の政治家の口出しも認めず、報告書通りに皇室典範改定を強行すると聞くが、独善的、閉鎖的なやり方は、郵政民営化のときとまったく同じ独裁主義の暴走だ。

 解決策は、旧宮家の皇籍復帰、養子縁組、新宮家の創設のほかには考えられない。有識者会議はこの方法について、戦後60年たつので国民の理解が得られないというが、これはおかしい。旧宮家は、明治天皇が皇女を嫁がせるなどした特別な存在であり、○○家や△△家の一般民間人が皇族になるよりは、はるかに違和感が少ないであろう。

年末の新刊

 都内12月2日店頭発売、地方都市は3日発売
 この本は政局論ではない。この本は小泉論でもない。今夏の総選挙の研究書でもない。

 総選挙は今日の日本人の紛れもない新しい、昨日とすでに変わった顔を示していた。あの狂熱の中に今の、そしてこれからの日本の運命が予示されている。

 同じことは再び繰り返されるし、すでに繰り返されてもいる。なぜいち早く気がつかないのか。

小泉首相は来秋やめるからもうどうでもいい、と思う人は考えが足りない。やめないかもしれないし、やめたとしても後遺症は深い。やめてもやめなくても愚かだった日本人の体質は変わらずに残る。

 郵政民営化のときはろくに深く考えないで小泉に賛成し、皇室典範改定問題が浮上して小泉はけしからんと、にわかに言い出す保守のおじさんたち、お兄さんたちの何という頼りなさ、浅墓さよ。郵政民営化も、皇室問題も、北朝鮮との国交回復も、憲法案文の歪曲も、自分の在任中だけ増税を逃げるいい加減さも、みんな根は一つである。

 小泉氏が知識を持たないことは許されてよい。知識を持たないことに恐怖のないことが許されないのだ。自分は知らないということを知らないことに対し恥を知れ。財政の内情にも、皇室の歴史にも、世界の動向にも無知のまゝ強権を押し通そうとする臆面のなさが問題なのだ。

 日本国の総理の選び方に欠陥のあることが判明した。一総理の問題ではない。今の自分と闘わず、明日の自分に課題を先送りする日本国民全体が今、自分の不始末の付けを払わされているのである。

 これから起こる日本の悲運のすべてをこの一書で語ったつもりである。
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